第12話 合掌
勇者イグニスタンが鬼人族のオルダを討ち滅ぼしたことで、婿候補を迎え撃つのが
そして挑戦者は激減した。
つまり、オルダには勝てる見込みがあったとして、彼女にはないということだ。
その認識は人族も同じだった。
結局、魔王の婿候補に名乗りを上げた魔物はボコボコにされて身の程を知ることになり、唯一の挑戦者であった勇者は晒し者にされた。
『なにもそこまでする必要はないだろ。
震える膝を隠して抗議するのが精一杯だった。
俺の余計な一言がなければ、イグニスタンはもっと生きられたかもしれない。
こんな孤軍奮闘という形ではなく、信頼できる仲間に背中を任せ、前線で多くの魔物を倒していたかもしれない。
そんな後悔や懺悔の気持ちから
『勝ったからこそでしょー』
ねっとりとした話し方がやけに耳に残る。
所々が透き通った水面のように瑞々しい女性。
もはや服を着ているのか体の一部なのか分からない。
言うなれば、大きなクラゲをワンピース代わりにしているような。
『人族にはこんなに強い奴がいるんだよー。みんな、気をつけましょうねーって』
ラゲクは簡単に作業を終えて、手をパンパン叩いた。
『君でしょ。勇者に私たちを殺させようとした策士の鬼人族って』
『違う。俺はそんなつもりじゃ……』
『意外と繊細な子だったりー? ま、オルダの席は空いたわけだから、これから誰が座るのか楽しみねー』
ラゲクは次の勇者来ないかなー、とスキップしたと思えば、思い出したように俺を振り向いた。
『その縄、触っちゃダメだよー。ビリビリしちゃうからねー』
そう忠告して、闘技場の地面の中へ沈んでいった。
あれから2週間後の夕方。
まだ魔物の活動が活発になる前の時間帯。
晴れの日も雨の日も晒され続けたイグニスタンの体を柱から下して、袋に納めて手を合わせた。
「変わったことしてるわねー。噂通りの変人さんだ」
ラゲクが地面から顔を覗かせていた。
「腐敗していないのはあんたが細工をしたから?」
「そうよ。臭うのは嫌だからー」
ケラケラ笑うラゲクを踏み潰そうと立ち上がると、危険を察知したのか地面の中に引っ込んでしまった。
「本物の鬼人族だー。オルダもすぐに私を殴ろうとしてたんだよー。この魅惑のボディをさー」
浮き上がったラゲクが自分の体をポヨンと揺らした。
打撃攻撃は効かない。
それどころか取り込まれてしまうかも。
自然と拳を握りしめていたことに気付き、悟られないように指を解く。
「やる気になった? もしかして、婿候補に立候補するのー?」
「いや。その体、どうなってるのか試したくなって」
「えっちね」
戦うつもりはない。
挑発的な笑みで仁王立ちするラゲクの胸を目掛けて、手を伸ばしただけだ。
きっと俺の手はすり抜ける。
半透明の体とも、ワンピースとも分からない中に手を入れたらどうなるのか。
せっかく
そんな興味本位と使命感から手を突っ込んだのだが……。
「ひゃんっ!」
俺の予想は見事に裏切られた。
俺の手はすり抜けるどころか、弾力のある水面に押し返され、負けじと押し込んだ結果、ラゲクが艶めかしい吐息を漏らした。
えー、つまり、俺はラゲクの胸を鷲掴みしている。
「んなっ!?」
「あははは。さすが男の子ねー。力が強いわー。こんなに強く掴まれたのは生まれて初めてよ」
最初は
俺にもプライドがあるから涼しい顔でいると、彼女の肩がプルンプルンと小刻みに波打った。
「ちょっと、そろそろ離してよ」
俺だって離したい!
でも、離れないんだよ!!
まるでスライムにはまってしまったような感覚だ。
手を抜こうにもラゲクの体が指に絡みつき、びくともしない。
「はぁうぅぅん」
「おい! 変な声を出すな!」
「だって……」
さっきまでの挑発的な態度は身を潜め、頬を染めたラゲクが初めて視線を逸らした。
「私の体を通過しなかったの、あなたが初めてなんだもの」
「はぁ!?」
こいつ、わざとやって俺をおちょくっているわけじゃないのか!?
「だから、初めての感覚に戸惑って」
やめろ!
女みたいな反応をするな!
お前は魔物だろうが!!
「お前が離そうとしないんだろ。力を込めても抜けないぞ」
「あなたが離れたくないんでしょ。こうなったら、体ごと飲み込んでやろうかしら」
「やめろ、やめろ。気持ち悪い」
「気持ち悪いですってーっ!?」
憤慨して、ポカポカ叩いてくるラゲクを他所に俺は闘技場を見渡した。
よし、誰もいない。
こんな場所を見られたら、すぐに魔宮殿内に噂が広まってしまう。
それに、俺が勇者の遺体に手を合わせていたのも知られたくない。
「もういいだろ。腹を蹴らせてもらうぞ」
「見知らぬ女の胸を揉みしだいた上に蹴りつけるっていうの!?」
「仕方ないだろ。無理矢理にでも腕を引き抜く」
「っていうか、あなた、手の感覚あるの? 痺れたりはしない?」
「いや、ピンピンしてるぞ」
そう言って手を閉じたり、開いたりするとラゲクは身を
「……こんな奴が
涙目のラゲクの腹に片足を突っ込もうとした瞬間――
ガシッと何かが俺の右腕を掴んだ。
「ボーンちゃん?」
「ひっ!? あなた、魔獣飼いなの……!?」
ドン引きするラゲクのことなど気にもせず、俺の胸から手を出したボーンちゃんが力の限り引っ張った。
「いででででででででっ!!」
予想通りの激痛。
腕が千切れるのではないかと錯覚するほどの痛みに脳が痺れ始める。
俺が痛みに悶えれば、ラゲクもビクンビクン体をのけぞらせた。
「ごめんってボーンちゃん! 二度と女の子の胸を鷲掴みにしないから許して! もっと優しくして! きみの頭を手に入れる前に片手がなくなっちゃうから!」
懇願すれば、ちゅぽんっと艶かしい音を立てて、俺の腕がラゲクの体内から抜けた。
俺が尻餅をついたと同時にラゲクもへたり込む。腰が抜けたらしい。
女座りだ。
こうして見ると人間の女の子と変わりないが、しっかり魔物だ。
「ラゲク。一つ頼みがある」
「……なによ」
「この勇者を人族の国に帰したい。あんたの能力なら可能だろ? 国境付近でもいいから適当に置いてきてくれよ」
「嫌よ。なんで私がー」
いつもの調子を取り戻しつつあるが、まだ肩を上下させるラゲクの顔は赤い。
よく見なくても体も赤く点滅していた。
「俺が勝っただろ? 敗者は勝者の言うことを聞くもんだ」
「あれが勝負? 本気を出したら鬼人族なんて」
「もう一戦いくか?」
見せつけるように手をわきわきさせると、ラゲクは尻についた砂埃を払い、べーっと舌を出した。
「あなた、名前は?」
「ツダ。はぐれ鬼人族のツダだ」
「その名前、覚えておくから」
袋に包んだ勇者と共に地面の中に沈み込んでいくラゲク。
基本的に魔物は勝者には従順だから扱いやすくていい。
きっとラゲクも俺の頼みを聞き入れてくれるだろう。
さて、格好つけてラゲクを見送っている俺だが実は頭をしばかれている。
しばいたのは他でもないボーンちゃんだ。
最近まで手首までしか外界に出せなかったくせに、今日は形の良い肩甲骨まで迫り出して、乗り上げるようにして俺の頭をしばいてきた。
なんておぞましい光景なんだ。
これを見て、誰が俺のことを人間だと思うだろうか。
そう自虐しながら、残されたイグニスタンの聖剣を見つめる。
「俺が触ったら燃えるかな」
他の剣と違い、己が認めた者以外が握ると拒絶してくるのが聖剣だ。
勇者になったから聖剣を与えられるのではなく、聖剣に認められるから勇者になれるのだ。
「……俺も一度は認められた筈なんだけどな。ははっ」
念のために布を巻いた聖剣を肩に担ぎ、そそくさと私室へと戻った。
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