第22話「大魔女の評価」

 ロレッタの宿屋号、昼過ぎ——

 ハーヴェンが甲板の広い食堂に着くと、待っていた給仕達に昼食を出された。

 海の宿屋だからか、料理は魚介類が多く、どの皿もおいしかった。

 注目すべきは、新鮮な野菜のサラダだ。

 これは異常だ。

 魔法艦隊の食事では出されない物だ。

 野菜がすぐに傷んでしまうので、出航時に積んでいくことはない。

 では、この船はどこで仕入れた?

 まるで、さっき港で仕入れたばかりのような新鮮さだ。

 東西南北が大海原なのだが……

 考えられるのは、ロレッタ女将が操っているという時の魔法のおかげか?

 時の魔法で野菜が傷んでいくのを防いでいるということか。

 但し、術者が野菜の鮮度を保てるのは一皿だというのに、ここではすべての客席に一皿ずつ配られている。

 ——これが大魔法使いロレッタ卿か。

 恐るべき時魔法だった。

 ハーヴェンは新鮮な野菜から彼女の強大な魔力を知るのだった。

 その時立った。

 給仕数人が一斉に「女将」と挨拶した。

 野菜から目を離し、給仕達が挨拶していた方向を見ると——

「いらっしゃい」

 濃紺のドレスに身を包み、長い黒髪の女性は二〇代後半の大魔女だった。

 彼女がロレッタだ。

「こちらこそ助けていただき——」

 ハーヴェンは急いで席を立って礼を述べたのだが、彼女の視線がおかしい。

 何となく、すぐ後ろの者に焦点が合っているような……

 ——まさか、後ろに控えている者に気付かれたか?

 死霊魔法使いにとって、後ろに控えている者とは悪霊のことだ。

 何もなければ透明化して控えたままだが、敵が現れたら前に出して悪霊憑きで攻撃する。

 でも突然、海に落ちて、また突然、宿屋号に救助されたのだ。

「控えよ」と命じておいた悪霊を解除する時がなかったのだ。

 解除できると良いのだが、優雅な食事の場で悪霊を解き放つわけにはいかない。

 ——ここは大人しくしているしかない。

 ハーヴェンは悪霊を透明化したまま後ろで「控えよ」を続けることにした。

 さて、そんな死霊魔法使いを女将はどう見るか。

 後ろに向けられた視線から女将に悪霊がバレているに違いない。

 いや、透明化しているのだから特定できなかったとしても、何かがいるということは勘付いている。

 救助と食事について感謝を述べたが、対する彼女からは何が返ってくるのだろうか。

「こいつ、外法使いよ!」か。

 それとも「背後に何かいるわ!」なのか。

 なるべく、助けてくれた船とは戦いたくないのだが……

 後ろにズレていた女将の視線がハーヴェンに合った。

「ウェンドアの近くへ運んであげるわ。だから——」

「だから——」の後は何だ?

 外法のことか?

 背後のことか?

 緊張が高まっていく。

 だが彼の緊張に反して女将は微笑んだ。

「だからそれまでの間、ゆっくり船旅を楽しんでね」

 いつもと変わらない笑顔で、救助した者に対する労りの言葉を述べて去っていった。

 気付かなかった?

 いや、そんなことはない。

 透明化していた悪霊は三体だが、彼女の目線は右腕に一体、右肩の辺りに一体、左腕に一体を正確に捉えていた。

 それでも気付いていないふりをして、「ごゆっくり」と場を平和に収めたのだ。

 ——だったら、そんなこと……

 ならば態々悪霊に気付いたりせず、素直に労いの言葉をかけておけば良かったのに、とハーヴェンは思う。

 しかしこれが女将からの牽制なのだ。

 こういうことだ。

 遭難者を救助したのであって、外法の使い手を受け入れたのではない。

 この船に乗る以上、殺人と外法はダメだ。

 だから外法の術者が勝手なことを始めないように、視線で悪霊三体の位置を捉えて牽制したのだった。

 おまえが死霊魔法使いだと知っているぞ、という意思を込めて。

「フゥ…… やれやれ」

 女将の背中を見送ったハーヴェンは冷や汗をかいていた。

 死霊魔法使いであることを、今日まで誰にも知られずにやり過ごしてきたつもりだったのだが……

 どうやら女将には即座にバレたらしい。

 隠していた悪霊三体を立ち所に見抜いた。

 彼女の言う通りにするのが正解だった。

 リーベル海軍の魔法兵というのは仮の姿。

 本当は死霊魔法使いなのだが、すぐにバレてしまった。

 助けてくれた船でいつもの研究をするつもりはないが、もしやろうとすれば、あの目線が許さない。

 大魔法使いの力を見せつけられた。

 ここは「ごゆっくり」と遭難者らしく行儀良くしているべきだった。


 ***


 どうやらロレッタ卿が時魔法だけでなく、空間魔法の達人でもあるというのは本当だった。

 リーベル王国があるイスルード島に宿屋号が近付くにつれて、発見されてしまう虞がある。

 すると女将は甲板に立ち、島からの交易船や魔法艦を先に見つけると宿屋号を空間転移させてしまうのだ。

 どうやら給仕達も只者ではないらしい。

 元傭兵や元魔法使い等々。

 だから他数人の給仕達が空間魔法を手伝っていても不思議はなかった。

 ただ、相手の探知円を給仕達はより遠くから見つけることができるのだが、女将が更に遠くから見つける。

 そこで給仕達は空間魔法の詠唱を手伝い、転移の発動は女将に任せていた。

 恐るべし大魔法使い。

 そして転移により、リーベルの船を回避するのに成功すると、再びイスルード島に近付いていた航路に戻る。

 この時は〈遠見〉の魔法が得意だった給仕達の出番だ。

 遠くイスルード島の様子を〈遠見〉で知らせて宿屋号の航行を助ける。

 こうして見つからない双胴船の伝説が出来上がるのだった。

 でも転移を繰り返して近付くのは、そろそろ終わりのようだ。

 これ以上接近すると、宿屋号が見つかってしまう。

 真っ直ぐ進むとウェンドアだ。

 よってこの先はボートを島の近くに転移させるのだ。

 宿屋号の甲板ではボートにフックをかけ、水上に下ろす準備が整っていた。

「では、お先に」

 まずは男性給仕が一人乗り込む。

 ハーヴェンを浜辺に上陸させた後、宿屋号からの転移を受けて帰ってくる係だ。

 次はハーヴェンの番だ。

「世話になったよ。皆ありがとう」

 見送りに集まった給仕達に礼を言う。

 彼の滞在中は行儀良かったので、給仕達に概ね受けが良かった。

 彼らからの労いの言葉が続く。

 その中には女将も混ざっていた。

 彼女も挨拶を告げにやってきたのだ。

 下船する客を女将が気に入ると、巻貝の首飾りをくれるがただの装飾品ではない。

〈遠音の巻貝(とおおとのまきがい)〉という大魔法使いの手製による呪物であり、この巻貝を持つ者同士なら遠く離れていても通話できる。

 給仕達は彼なら優秀な魔法兵だから気に入られるはずと確信していた。

 ところが、

「元気でね」

 女将の挨拶の言葉は、再会ではなく別れの挨拶だった。

 彼女が予想していた言葉と違っていたので、数人の給仕達から「えっ?」という驚きが出た。

 客を見送るときの挨拶は「またどこかの海で」がここの通例だ。

 またどこかの海で会えるように巻貝を贈るのだ。

 だが「元気でね」は異例だった。

 その言葉からは、また会いたいという意思が全く感じられない。

 ——あなたとは二度と会うことはないけれど、元気でね。

 それが「元気でね」という短い言葉に込めた女将の意思だ。

 つまりお断りだ。

 女将にとってハーヴェンの態度や言葉遣いは良かったが、死霊魔法使いが良くない。

 対面した時、透明化していた死霊三体を発見したから使い手であるとすぐにわかった。

 ここに海賊がいても良いが、外法がいてはダメだ。

 宿屋号で救助したのは、遭難者だったからだ。

 もし死霊魔法を発動したら、大洋の真ん中に空間転移してやるところだ。

 だが滞在中、行儀良く外法を発揮することはなかった。

 だからウェンドアに送ることにした。

 外法を伏せておくというなら、こちら側も彼を遭難者として扱う。

 でもやっぱりまた来てほしいとは思わない。

 それゆえの「元気でね」だった。

 言われたハーヴェンは、

「……元気でね、か……いや、感謝するよ女将」

 外法はお断りという彼女の本心を知り、大人しく行儀良くしているなら、それを態々暴き立てるような無粋な真似をしないという心意気も知った。

 感謝の言葉は本当だった。

 ボートはハーヴェンを乗せて水の上に下されると、給仕が漕ぎ始めた。

 そしてしばらく進むと、給仕が漕ぐのをやめた。

 なぜ漕ぐのをやめたのか?

 それは丁度良い位置についたからだ。

 ウェンドアへの空間転移の位置だ。

 甲板で詠唱が完成すると、ハーヴェンと給仕はボートと一緒にその場から一瞬で転移した。


 ***


 遭難したハーヴェンがウェンドアへ無事に帰還してから……

 ある日、彼は魔法艦から下され、司令室で働くことになった。

 何とも後ろ向きな表現だ。

 せっかく出世したというのに。

 海を行く魔法艦に乗っていた魔法兵が、海軍魔法兵団の副団長についてウェンドアで働くことに

 なったのだ。

 どうせ務めるなら副団長の下ではなく、団長の下ではと思うが、そうではないのだ。

 あえて副団長の下で、というのがややこしい。

 海軍魔法兵団の団長を始めの頃はロレッタ卿が務めていたが、いつの頃だったか、リーベル王家の者が代々担うことになった。

 つまりお飾りの団長なのだ。

 ……仕方がないではないか。

 海軍魔法兵団といえば、世界に誇る〈海の魔法〉の組織だ。

 その組織を率いる団長は是非とも王家が独占していたい。

 海が苦手でも良いから王家の者に!

 よって能力は不問だが、団長に王族が着任することになった。

 だが、それでは兵団が困る。

 無能者とはいっても王家の血筋だ。

 それを追い払うわけにはいかない……

 そこで考え付いたのが副団長案だった。

 王族団長は安全な団長室で大人しくしていればいい。

 その分、増えてしまうが実務をすべて引き受けるのが副団長というわけだ。

 こうして見ると、副団長こそが事実上の兵団総司令官だといえる。

 ハーヴェンは副団長の下で働くことになったので出世したが、その表情は堅い。

 はっきり言って不満だった。

 副団長の下で働くということは、司令室に務めるということだが、司令室は陸だ。

 海から遠くなってしまった。

 常に書類と向き合い、拿捕した船の捕虜と向き合うことはない。

 よってハーヴェンにとって都合が悪い。

 これでは〈蘇生〉の研究が遠退いてしまう。

 こうなってしまったのは、実家の伯爵家の父のせいだった。

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