第21話「海軍魔法兵」
ハーヴェンが敬虔な神殿魔法兵だったはずなのに、その道を捨てなければならない理由とは?
海軍魔法兵団でも神聖魔法の使い手を持つと彼が理由を説明したが、アーレンゼールとノルトが納得するはずがなかった。
彼はこれから神殿ほどやり難くはない海軍で、瀕死の捕虜を捕らえて生命を集めていこうというのに……
二人の友が目を光らせる中、捕虜が悉く亡くなっていけば、余計に怪しまれる。
疑いを持つのは二人だけではない。
海軍もだ。
海軍が魔法兵に敵兵の捕虜を任せるのは、取り調べがうまくいくためだ。
特に神聖魔法の使い手に対する期待が大きい。
瀕死の捕虜を回復させて取り調べに成功できるかもしれない。
ところが、瀕死の捕虜ゆえに悉く亡くなってしまうのだとしたら?
結局、〈治癒〉させて情報を引き出すことができないのだと海軍に思われたら?
態々神聖魔法使いを乗せる意義が失われてしまうだろう。
このまま神聖魔法が用済みとなれば、通常の魔法兵として捕虜の取り調べに当たることになる。
その時、もう個室で瀕死者の〈治癒〉など行わない。
元気な捕虜が対象だ。
少しでも生命の吸い出しを始めれば「外法の使い手だ!」と騒ぎ出す。
それに、うまく生命を吸い出せてもすぐに蒸発してしまう。
解決方は〈生きている器〉だが、肝心のそれが何なのかわからない。
生命を集めるより先に〈生きている器〉を用意することだ。
しばらくは真面目に神聖魔法使いとして励むことになるだろう。
その間に〈生きている器〉を早く見つけられるように、研究を進めなければ……
***
ハーヴェンの疑いに対し、アーレンゼールとノルトの追及が続く……と思われていたのだが違った。
〈生きている器〉の正体がわからないままでは、生命を集めても仕方がない。
よって真面目に〈治癒〉で瀕死者を回復させるしかなく、友二人がいくら疑っても意味がなかった。
また、いつまでも疑いをかけていられる状況ではなくなった。
アーレンゼールが国王に即位した。
その途端、宮廷内の派閥同士の争いや謀略に巻き込まれていった。
もう大人しく〈治癒〉に励んでいるハーヴェンに、あらぬ疑いをかけている場合ではなくなったのだ。
来る日も、来る日も、派閥、派閥、謀略、謀略……
かわいそうな殿下……いや、殿下ではなく陛下か。
陛下が無口になってしまうのも無理はない。
ノルトは陛下の腹心としてお助けするべきなのだが、海賊の前は傭兵団長だったという。
これでは陛下のお役に立てる場面が少ない。
はっきり「ない」と言うべきだろう。
いま宮中の陛下に必要なのは情報や策であり、武勇ではない。
王太子時代は防御魔法が得意だったが、いまの陛下は自分から動き出さない〈防御〉に徹しているようた。
だからハーヴェンにとっては好機だ。
いま、海軍魔法兵として正直な気持ちを言う。
「そんな陛下を気の毒にとは思うが……」
ハーヴェンの口から出たのは好機を喜ぶ笑いではなく、残念な溜め息だった。
彼は航行中の魔法艦の船室に一人いる。
瀕死の捕虜が連れてこられたら〈治癒〉の出番だ。
陛下もノルトもこちらへの注意が逸れているなら、生命を集めて〈蘇生〉を成功させるところなのだが……
残念だが〈蘇生〉の研究がまだだし、〈生きている器〉もまだ見つかってはいなかった。
「お互い、苦々しい状況になってしまったな」
ハーヴェンが舌打ちをする。
双方共に複雑な事情だった。
国王は忙しくて、ハーヴェンを見張っている場合ではない。
ノルトも下手に動けば、敵派閥に利用されてしまうかもしれない。
ハーヴェンは生命を集める条件が整っているのだが、せっかく集めても〈生きている器〉がない。
だから見つかるまでは〈治癒〉を続けることになるのだ。
皮肉にも、海の神聖魔法使いらしく。
***
海軍魔法兵ハーヴェンは、海で神聖魔法の使い手として活躍していた。
ということは〈蘇生〉が進んでいないことを意味していた。
相変わらず〈生きている器〉がないのに、生命が全く集められるわけがない。
〈蘇生〉が進歩するはずがなかった。
船室でイリスレイヤの遺髪に触れる度に、焦りも生じる。
だから起きてしまったのだ。
遭難事故に。
船室で待機していたハーヴェンは、我が艦隊が海賊の艦隊との遭遇だとわかった。
そのような時には魔力砲の装填を手伝うか、捕虜を捕らえるまで船室で大人しくしているものだ。
それを慌てて甲板に出るから……
戦場の海域では、リーベルの艦隊で次々に叫ぶ。
「撃ち方、始めえええっ!」
「撃てえええっ!」
「てえええぃっ!」
ドォン! ドンドンドンッ! ドゥッ……
リーベルの艦隊は長距離砲撃が得意なので、海賊の艦隊を悉く沈めていく。
だが第一砲撃ですべてを撃沈することは出来なかった。
撃たれた海賊船を交わして進み出る数隻がいる。
そこへ第二砲撃を撃ち込む。
「第二射、撃てえええいっ!」
ドンドンドォン! ドォン! ドォン……
運良く第一砲撃を逃れた生き残り数隻だったが、これはダメだ。
せっかく生き残った海賊船は、第二砲撃でトドメを刺された。
ところが、
「敵艦来ます!」
「何だとっ!?」
何と、第二砲撃すら交わすことに成功した海賊船が一隻いた。
船が速く、真っ直ぐ突っ込んでくるので第三砲撃が間に合わない。
そのまま魔法艦の船側に海賊船が船首から突っ込む。
ボゥッ!
初めに魔法艦を包む障壁が海賊船の突撃を阻止しようとする。
が、勢いを止められるものではない。
海賊船の船体が障壁を突破した。
バキバキバキ! ズゥーン!
「!?」
その時だった。
ハーヴェンが海に落ちた。
幸運な海賊船が突っ込むことに成功したのは、彼が乗っていた魔法艦だったのだ。
どうせ〈生きている器〉が先なのに、瀕死の捕虜がいないかと甲板に出てきてしまっていた。
或いは今回こそ、〈生きている器〉の正体を掴めると焦っていたのか?
海賊船から受けた衝突の勢いが凄まじく、欄干から身を乗り出していた彼は、そのまま海に投げ出されたのだった。
「誰か! 助けてくれ!」
不幸なことに、魔法艦では海賊共の迎撃が始まり、海に落ちた者に無反応だった。
落水に気付かない味方は白兵戦が忙しくて、誰も縄梯子を下そうとしない。
助けを求める声は、戦いの声と剣戟の音でかき消されてしまった。
あっという間に遠くへ流されていく……
見る見ると、乗っていた魔法艦か小さくなり、艦隊が小さくなり、やがて更に遠くへと離れていく。
ハーヴェンは遭難した。
「おーい! 誰かっ!」
きっといま頃は、貴重な神聖魔法の使い手がいなくなったことに気付いていることだろう。
しかし手遅れだ。
広大な大海原で、たった一人の遭難者をどうやって見つけるのだ?
無理に決まっている。
——もう、ダメた……
ハーヴェンは胸ポケットに手を入れる。
そこにはイリスレイヤの遺髪がしまってあった。
「イリス——」
彼は心の中で囁いた。
イリス、せっかく死霊魔法使いに手を染めてまで〈蘇生〉させようとしていたのに……
そして静かに目を閉じた。
すべてを諦めたのだ。
イリスレイヤの〈蘇生〉も、ハーヴェンのゾンビ化を止める術も。
その時だった。
すぐ背後から声が男の声がした。
「お乗りになりますか?」
「⁉︎」
ハーヴェンは驚いて振り返った。
そこには一艘のボートが浮かび、乗っている若い給仕が見下ろしている。
大海原に突如現れたボートと給仕に驚いたが、それ以上に驚いた。
「な、何だあれは!?」
真っ直ぐ見ているが給仕ではない。
視線の先、巨大な双胴船があった。
二隻の一二〇門級戦列艦を横に並べ、甲板と甲板を板で繋ぎ、その板の上に建物が立っている。
不思議な双胴船だ。
さっきまで——
「さっきまでそこには何も浮かんでいなかったのに!」
給仕もハーヴェンの視線に誘われて、後方の双胴船を振り返る。
これで同じ物を見たはずだ。
しかし給仕は驚いていなかった。
一緒に双胴船を見た後、すぐハーヴェンに向き直り言う。
「それが〈ロレッタの宿屋〉号だから」
ロレッタの宿屋号——
世界の迷信の一つと言われているが、こうして実在している。
だから否定しても仕方がないではないか。
遭難者のハーヴェンにとって、迷信だからという拘りはない。
助けてくれる船はありがたかった。
***
給仕のボートに拾われたハーヴェンは巨大双胴船に連れて来られた。
遭難者ということは、全身が海水に浸かっていたことを意味する。
つまり身体が塩水でベタベタなので、まずは入浴を先に済ませたいということだった。
全身を綺麗に洗うとさっぱりする。
浴槽から上がると、清潔な衣服が用意されているが、それまで着ていたリーベル海軍の軍装は?
「着ていた制服も塩水でずぶ濡れなので、よく洗っている最中です。ハーヴェン様」
「!」
まだ名乗っていないのにどうして、と疑問に思ったが、すぐに気が付いた。
よく考えてみたら、海軍魔法兵は各自の軍装に名前が刺繍してあるのだった。
ボートで救助してくれた給仕も知っているし、着替えを用意してくれた別の男性給仕も知っている。
ということは、他の連中も同様だろう。
それでも着替えと一緒に置いていた遺髪のことは何も知らなかったようだ。
「…………」
遺髪は綺麗に洗ってあり、もう乾いていたので胸ポケットにしまった。
「どなたかの物ですか?」
給仕は、彼の胸にしまう様子が大切そうに見えたので尋ねた。
若い妻か、恋人か、家族か。
彼が軍人なので、お守りの髪として身につけているのかもしれなかった。
遭難して危ないところを宿屋号に導いたのだから、お守りとして立派に務めを果たしているではないか。
知らない者はそう思う。
そう思っているのは帰りを待っている女性か家族によるものと思っているからだ。
誰も、遺髪とは思っていなかった。
「これか……」
尋ねられたので、胸ポケットにしまうのをやめて再び自分の目の前に取り出した。
「これは妻のものだよ」
「そうでしたか」
給仕は、帰りを待っているのは若い妻だったかと納得したが、納得するのはまだ早かった。
「彼女は亡くなったよ。北の巡礼の時にな」
「! そうでしたか。それは失礼しました……」
髪はお守りではなく、遺髪だったのだ。
給仕は失礼を詫びた。
しかし失礼を咎める様子はなく、彼は胸ポケットにしまいながら給仕に微笑んだ。
「いや、詫びることはない。それよりも塩水を洗い流しておいてくれてありがとう」
と、逆に礼を述べた。
こうしてハーヴェンの準備が整ったので、甲板に向かうことになった。
この船の甲板は広い食堂になっており、椅子と白いシーツが掛けられた席がいくつも並んでいる。
時刻は正午を過ぎたところ。
入浴が終わったら、その席の一つで昼食になっている。
この船の船長が、きっと現れるだろう。
いつも遭難者が食事をとりに来ると「危ないところだったわね」と労わる。
給仕なので知っている。
船長ではなく女将と呼ぶし、今日も甲板で待っていることだろう。
ロレッタ女将が。
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