第16話「……貪れ!」

 ハーヴェンは理解している。

 門番は領主の命令に従っているだけだ。

 住民たちは勇者を信じ、聖剣を崇めているだけだ。

 頭では理解している。

 いまの妻の状態では、人間ではなくモンスターに分類されてしまうことも理解している。

 でも、彼女の退治を叫ぶ住民たちに囲まれ、目の前で妻の首と胴体が離れ離れになっている様を見せつけられたとき……

 怨念が理性を真っ黒に塗り潰した。

 一リーベル人の内面の変化に気付けというのは酷かもしれないが、ヘイルブルの全住民は身一つで遠くへ避難するべきだった。

 いますぐに……

 隊長も彼の変化に気付けなかった一人だ。

 彼はハーヴェンを怒鳴りつけた。

「次はおまえの番だ。頭を下げろ!」

 処刑方法が串刺しから斬首へ変更になった。

 隊長は再び大上段に構え、部下の門番たちは押さえつけている槍に体重をかけてハーヴェンを引き据える。

「…………」

 彼は従順だった。

 一切抵抗せず、門番の槍には全く手応えがなかった。

 まるで、自分から地面に手をつきにいったかのよう。

 観念したか?

 それとも恐怖で気が触れたか?

「……ら……よ」

 平伏したまま、地面に向かって何かを呟いている。

 どうせ狂った奴の戯言だ。

 気にせず、さっさと処刑を済ませてしまえばいいのに。

 しかし隊長は、不平不満に聞こえたらしい。

「言いたいことがあるならハッキリ言わぬか!」

 大上段の構えのままハーヴェンを怒鳴りつけた。

「……ら……よ」

「ええい、グチグチと女々しい!」

 隊長は彼の後頭部を踏みつけて黙らせようと、片足を上げた。

 そのときだった。

 カン、カン、カン、カン、カン……!

 東西南北すべての門の警鐘が鳴り響いた。

 隊長たちも住民も一斉に音の方を向く。

 そこには、

「お、おい、早く行けよ! 早く……うわあああぁっ!?」

「ガウゥゥゥッ!」

 門付近の騒動のせいで人集りができてしまい、それがために跳ね橋で渋滞が起きていた。

 その最後尾に、ゾンビの大群が襲いかかってきたのだ。

 木立の墓場から這い出てきた死者たちだ。

 このままでは街へ入られてしまう。

 すぐに跳ね橋を上げるべきだが、それでは旅人たちを見殺しにしてしまう。

 生命を守ろうとすれば生命を切り捨てることになってしまう、というややこしい状況に陥ってしまった。

 門番が迷っている間も、逃げ場のない旅人たちが次々と犠牲になっていった。

 死者たちは跳ね橋上の旅人を全滅させた後、ついに街へ入り始めてしまった。

 跳ね橋を上げる決断を下せたのはそのときだった。

「なぜゾンビ共が急に!?」隊長は、急展開の状況を把握しようと努めていた。

 しかし大上段のまま余所見をするのは良くない。

 ドスッ!

 そのがら空きの右脇腹に槍が深く突き刺さった。

「ぐぐっ……! な、何!?」

 ドスッ!

 更に左脇腹へも一本追加された。

「うぐっ!」

 込み上げてきた血を口から噴き出しながら振り返ると、さっきまでハーヴェンを取り囲んでいた二人の部下だった。

 隊長は斬首のために二人より前へ出ていた。

 そのために姿が見えていなかった。

 でも二人に辛く当たった覚えはないし、何かで恨まれていたとしてもなぜいま?

 二人は乱暴に槍を引き抜いた。

 隊長は自力で身体を支えることができず、地に伏せた。

「うぅ……おまえら、一体……」

 なぜこんなことをしたのか理由を知りたくて、二人を見上げた。

「!?」

 どうやら隊長は恨まれていたわけではなかったようだ。

 見上げた先で繰り広げられていた光景は、そんな常識的なものではなかった。

「アッハハハハハッ!」

「ヒィッヒヒヒヒヒッ!」

 二人は向き合い、狂ったように笑いながら槍で突き合っていた。

 突いては抜き、抜いては突き……

 やがて二人共血の海に倒れ、動きと笑い声が止まった。

 遅れて、隊長にも最期のときがやってきた。

 すぐ近くにハーヴェンがいる。

 彼はまだ跪いていた。

「……ら……よ」

 目が霞んでよく見えないが耳は聞こえるので、彼が何と呟いているのかがわかった。

 こう呟いていたのだ。

「〈子〉らよ、目覚めよ」と。


 ***


 ハーヴェンが跪き、地面に手をついていたのは斬首を受け入れたからではなかった。

〈親〉として、この地に眠る〈子〉らに呼びかけるためだった。

 目覚めよ、と。

 死霊魔法〈霊場〉の展開だ。

 彼が展開した〈霊場〉は広く、ヘイルブルとその周辺が効果範囲に吞み込まれた。

 門の外、木立の墓場のあちこちでボコッ、ボコッと地面が盛り上がり、やがて土を割って埋葬されていた者たちが這い出てきた。

「アァァ……」

「オオオォ……」

〈霊場〉内の死者たちが〈親〉の呼びかけで目を覚ましていく。

 墓場で眠っていた者たちだけではない。

 モンスターに襲われて野晒しだった者、討伐されてその場に捨て置かれていたモンスターの屍……

 彼らはゾンビとなってヘイルブルを囲み、跳ね橋から街へ突入しようとした。

 しかし跳ね橋は上げられ、街に入れたゾンビは僅かな数だった。

 ヘイルブル城内には領主の軍勢の他、神殿魔法兵たちもいる。

 兵士と神聖魔法の使い手たちにかかれば、少数のゾンビなど敵ではない……はずだった。

 ゾンビも厄介だが、もっと厄介な敵がヘイルブルの各所に出現していた。

 悪霊だ。

 二人の兵士が隊長を突いたり、互いに槍で突き合ったりしたのも悪霊の仕業だった。

 ハーヴェンが集めたのは死者たちだ。

 死者ということは、身体があるゾンビだけでなく、宙を漂う悪霊も含まれるのだ。

 街のあちこちで悪霊憑きが暴れ出した。

 東西南北の門を閉ざしたヘイルブルに、高笑いと殺戮が満ちていく。

 この状況に対処できるのは神聖魔法の使い手たちだ。

 神殿は、ゾンビが街に入り込んでいるという急報を受けると、すぐに神殿魔法兵たちを出動させた。

 あちこちから狂った笑い声と悲鳴が聞こえてくる。

 最寄りの騒ぎに駆け付けた彼らが見た光景は……

「ワハハハハハ!」

「アァァ……」

 悪霊憑きの住民や兵士が隣人を惨殺する。

 惨殺された隣人はすぐにゾンビとなって起き上がり、近くにいる生者に襲い掛かる。

 ゾンビから逃げようとした住民を悪霊憑きの兵士が槍で突き殺し、その住民もゾンビに……

 という地獄絵図だった。

「この街に死霊魔法の使い手がいる!」

 常人が次々に憑依されておかしくなり、亡くなった者がすぐにゾンビ化する——

 これは穢れた地で起きる現象だ。

 死霊魔法使いによってヘイルブルは穢されたのだ。

 神殿魔法兵を率いる司祭は、目の前の惨劇を鎮めるために〈祈り〉を発動した。

 土地が穢されたのなら浄めれば良い。

 神官の対処法として正しい。

 だが……

「おかしいぞ?」

 神殿魔法兵の一人が気付いた。

 司祭の〈祈り〉は強力だ。

 街中をその効果範囲に納めることができる。

 なのに高笑いは止まないし、ゾンビ共が全く怯えない。

「まさか……」

 まさか〈祈り〉が効いていないのか?

 神殿勢は動揺し始めた。

 詠唱を続ける司祭は、動揺こそ見せていないが内心は同じだった。

 ……誰とは言わないが、これでは先祖の七光りで司祭の資格を得た某末裔と同じではないか。

 彼は某末裔とは違う。

 神聖魔法を使えるし、平時は神官見習いたちに魔法を教える立場だ。

 それだけに不可解な状況だった。

 だがその不可解はすぐに解明することができた。

 元凶が現れたからだ。

 ハーヴェンが彼らの前にやってきた。

「ハーヴェン……貴様っ!」

 贄池から戻ってきた彼が禍々しい気を放っている。

 さらに惨劇の中を真っ直ぐこちらへやってきた。

 ゾンビに噛まれず、高笑いの狂人たちの横を素通りして。

 それこそが、彼が死霊魔法使いである証拠だった。

「巡礼者を装って、我らを騙していたのか!」

「…………」

 ハーヴェンは少し悩んだ。

 どう説明したものか。

 元々死霊魔法使いだった者が神官に変装していたわけではない。

 神官だった者が何者かに謀られた結果、後からやむを得ず死霊魔法使いになったのだ。

 でも、真相を説明したところで彼らが理解できるとは思えないし、理解する必要もない。

 結局、街は死者たちに襲われているし、ハーヴェンがその死者たちを率いる死霊魔法使いであることに違いはないのだから。

 理由はどうあれ、ヘイルブル側は街を襲う死者とハーヴェンを退治しなければならない。

 ハーヴェンはイリスに石を投げ、〈蘇生〉の道を断ち切ったヘイルブルが許せない。

 両者はもう戦うしかあるまい。

 お互い、無駄な話はやめるべきだ。

 先に叫んだのは神殿勢だった。

「外法使いを浄めよ!」

 浄めよ——

 物は言いようだ。

「殺せ」を「浄めよ」に変えるだけで、単なる〈殺し〉がまるで神聖な行いのように聞こえるから不思議だ。

 要するに「ハーヴェンを殺せ!」と言っているのだが……

〈聖〉も人を殺すのだ。

 他者の殺しは非難するのに、自分たちの殺しは〈浄め〉と言い換えて正当化する。

〈聖〉とは、何と卑怯でいい加減な道だったのか。

 自分もその道を人々に示す神官の一人だった……

 ハーヴェンは今日までの自分自身に対して反吐が出る思いだった。

 ——こいつらは紛い物だ。紛い物の〈聖〉だ。

 自分たちの都合で生命を奪っておきながら、その重みを背負う覚悟の無さが「浄めよ」という言葉から滲み出ている。

 そんな奴らは尊ぶべき聖者でも何でもない。

 神聖魔法という魔法の一種を得意とする——

 ただの肉だ。

 肉を前に、死霊魔法使いハーヴェンが命じることは一つだ。

「……貪れ!」

〈親〉の命令で〈子〉らが一斉に神殿勢の方を振り向く。

 恐ろしい光景だ。

 狂った笑顔と白濁した視線が小人数の一隊に集中している。

 されど、怯える神官はいなかった。

 盾と鎚矛で武装し、神殿から出撃する際に〈剛力〉をかけてきた。

 ゴブリンやフロスダン程度の小群なら、神官一人で撃退することができる。

 ゆえに彼らの戦意は高かった。

 一人一人がオーガ並の怪力の持ち主なのだから。


 ***


 ヘイルブル神殿の神殿魔法兵たちは強い。

 それは修練に参加したハーヴェン自身がよく知っている。

 駆け付けてきた神殿勢は小人数だが、全員〈剛力〉を発動しているはずだ。

 オーガ並の怪力を有し、盾と鎚矛で武装した小人数対ゾンビと悪霊憑きの大群。

 ……残念ながら大群が不利に思える。

〈剛力〉の一振りで二、三体ずつぶっ飛ばされていったら、大群はあっという間に全滅してしまうだろう。

 しかし〈親〉たるハーヴェンは全く慌てていない。

 静かに何かを詠唱していた。

 その間に、ゾンビが神殿魔法兵の前に辿り着いたが、

 ゴンッ!

 鎚矛の横薙ぎがゾンビの側頭部を捉えた。

 頭はゾンビの急所だ。

〈剛力〉で急所を粉砕されて活動停止……するはずだったのだが……

「グオアァァ……」

 苦悶の声を上げ、少しよろめいたものの、倒されるには至らなかった。

 すぐに体勢を戻し、殴ってきた神殿魔法兵に再び襲い掛かる。

「ウガァアアアッ!」

「くっ!?」

 盾で突進を防ぎながら、鎚矛の柄を確かめる。

 それで気が付いた。

〈剛力〉が消えている。

 ゾンビは耐久力が高い。

 常人の力で打撃を加えても効果は薄い。

 倒すには、隊長のように剣や槍を使うか、〈剛力〉しかなかった。

 慌てて盾の内側で詠唱するが……

「〈剛力〉が掛からない!?」

 いつもは詠唱している内に怪力が発生し始め、金属の柄を握り潰してしまいそうになるのに、詠唱を終えても怪力が発生しない。

 これは彼だけではなかった。

 後ろでは〈聖域〉も失敗に終わったらしい。

 司祭の〈祈り〉に続き、神殿魔法兵たちの〈剛力〉と〈聖域〉も発動できない。

 贄池でハーヴェンの神聖魔法が効かなかったのと一緒だ。

〈霊場〉内も神聖な力が弱まる。

 だが弱まるというだけだ。

 通常の〈霊場〉に神聖魔法を封じてしまうほどの効力はない。

 ではなぜ封じられているのかというと、ハーヴェンの仕業だった。

 彼が詠唱していたのは、神聖魔法の呪文を逆の意味に変えてしまうものだった。

 正は不正に。

 浄は不浄に。

 剛力は非力に。

 彼の〈霊場〉内において、神聖魔法は何の効果もない独り言と化した。

 さて……

 先程は神殿勢が有利だと評したが、今度はどうだろう?

 神聖魔法が封じられた小人数対ゾンビと悪霊憑きの大群。

 神殿勢は全くの一般人というわけではない。

 日々、神殿の裏庭で戦闘の修練を積んでおり、軍隊との演習でも良い勝負をするだろう。

 しかし肉弾戦で最も強いのはやはり、数だろう。

 神聖魔法がないなら小人数は小人数だ。

 小が大に勝つことはない。

「ガゥルゥゥゥッ!」

「痛い、痛い、痛いっ!」

 ブチブチブチッ……!

「い、嫌だっ! 助け……あ、うわあああっ!」

 クチャ、クチャ、クチャ……

 神殿勢は大群に押し潰された。

 しばらく人集りの中から神官たちの悲鳴が続いたが、静かになるのにそれほど時間はかからなかった。

 悲鳴が止み、咀嚼音が止んだ後、人集りは散開していった。

 ゾンビはゾンビを襲わない。

 貪っている最中に獲物が変異してしまったら、新たな生者を求めに行くのだ。

 人集りがあった中心部では、あちこち食いちぎられた神官たちが横たわっていた。

 見るも無残な姿だ。

 彼らの人間としての生は終わった……

 よってこれからは、

「アァァ……」

 血まみれの神官が一人立ち上がると、二人、三人と次々に続く。

 これからは〈子〉として活動し続けるのだ。

 誰かが頭を潰してくれるか、朽ち果てるまで……

 ハーヴェンは新たな〈子〉らを連れて歩き始めた。

 向かう先は街の中心にある大きな館。

 勇者一家のところへ。

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