第12話「死霊魔法使い」
ユギエンの隠れ家、夜——
ユギエンはハーヴェンを焚火の前に座らせると、傷の手当てをした。
左前腕の怪我が一番酷かったが、それ以外も赤痣、青痣が身体前面に多かった。
「投石か、こっ酷くやられたものだな。一体何をしたんだ?」
包帯を巻いてやりながら、何の罪で死刑になってしまったのかを尋ねた。
「~~~~っ」
ハーヴェンは悔しさを思い出して唇を噛んだ。
何もしていないのに突然……
領主に怒られるとしたらせいぜい、イリスとの結婚の報告くらいだ。
それも神殿で最後の祈りを終えた後にすることで、それまでは二人共いつも通りに振舞うと決めていた。
だから、朝の時点ではまだ何も起きていないのだ。
一家にとっては昨日と変わらない今日だったはずだ。
誰かに陥れられたのだ。
その苦みが顔から溢れ出した。
「濡れ衣だ……私たちは濡れ衣を着せられた!」
ハーヴェンは聖剣泥棒の濡れ衣について一息に話した。
さっき出会ったばかりのユギエンに無実を訴えても仕方がない。
それはわかっているが、誰かに知ってもらわなければ怒りが収まらなかった。
ユギエンは手当てを続けながら、黙って聞いていた。
怒りのせいで理路整然とは言い難かったが、ハーヴェンと女ゾンビについてわかった。
やはり死霊魔法を上回ったのは愛だった。
世の夫婦が皆そうなるわけではないが、この若い夫婦には強い絆があるようだ。
夫を噛んでしまったのは、ゾンビになり立てだったからだ。
突然襲い来る強烈な飢えと生者の血肉の匂いが、彼女を暴走させた。
このまま従属化を解けば、彼女は森で彷徨っているゾンビの一体になるだろう。
だが、もしハーヴェンが……
ユギエンはそこまでで考えを一旦止めた。
まずは彼の意思確認が先だ。
意外かもしれないが、魔法使いの中で召喚士と神官は死霊魔法と相性が良い。
まず召喚士——
霊も精霊も異界の存在だ。
死霊魔法と精霊魔法は異界の存在を意のままに操る点が似ている。
慣れれば、精霊と同じような感覚で霊を使役できるようになる。
次に神官——
神聖魔法は、眠りに就かない死者を退治するもの。
死霊魔法は、眠りに就いている死者を起こして活動させるもの。
目指す結果は正反対だが、共に〈死者〉についての魔法なのだ。
だから似ている呪文も多い。
もちろん違う点はあるのでその点を理解する必要はある。
でも神官として神聖魔法を習得してきたハーヴェンなら、それほど苦労せずに死霊魔法も使えるようになれるはずだ。
なぜなら……
これまで学んできた神聖魔法に「不」を足すだけなのだから。
……不?
神聖魔法が〈正〉を司るものなら、そこに「不」の一字を足して〈不正〉にするのが死霊魔法だった。
〈浄化〉を〈不浄〉に。
〈治癒〉を〈不治〉に。
初心者は〈正〉という文言の意味を一から学ばなければならないが、神官なら神聖魔法という基礎ができているので「不」を足すだけで〈不正〉にすることができる。
問題は、神官として生きてきた者が聖なる呪文に「不」を足せるかどうか。
いや、足すしかないのだ。
そうしないと、二人はこのまま……
ハーヴェンは左腕の〈浄化〉に苦戦している。
洞窟は池から少し離れているし、力の限り念じているのに〈浄化〉の光が弱い。
「贄池のせいかな? うまくいかない」
彼も気が付いたようだ。
贄池周辺は〈魔〉の気が強く漂い、神聖魔法の効力を打ち消す。
「池のせいもあるが……」
ユギエンはハーヴェンに死霊魔法を伝授しようと考えていた。
神官の彼は嫌がると思うが……
どう切り出そうかと探っていたところ、良い話の流れになってくれた。
〈浄化〉の光が弱々しいことを嘆いているが、まずは彼が置かれている状況を正しく認識する必要がある。
正しく認識できれば、なぜ光が弱々しいのかを理解するだろうし、真面目に死霊魔法を習得しようという気も起きるはずだ。
そこで、言いかけた答えを途中で止め、彼に尋ねてみることにした。
「死霊魔法についてどう思う?」
「な、何だ? 急に……」
贄池の効果で神聖魔法が打ち消されてしまうという話をしていたはずだ。
それが唐突に外法についての話に変えられては、急すぎて付いていけない。
なぜ急に死霊魔法が出てくるのか、ハーヴェンが尋ね返すのは当然だった。
しかしユギエンは沈黙したままだ。
死霊魔法についての答えを待っている。
仕方なくハーヴェンが先に答えた。
「外法だと思っている。死者の躯や霊を操る罰当たりの魔法だ」
「罰当たり……か。クックック……」
若者らしいハッキリとした物言いに、ユギエンは苦笑する。
「何がおかしい? 何も変なことは言っていないと思うが?」
確かに発言の内容はおかしくない。
ただそれをハーヴェンが言うのがおかしかったのだ。
なぜなら、
「酷い言われ様だな。いまのおまえを〈人間〉に繋ぎとめてくれている魔法なのに」
「人間? 何を言っている?」
池の畔では危なかったが、彼が助けに来てくれたおかげでゾンビ化を免れた。
だからこうして人間として〈浄化〉を——
とハーヴェンは続けていたが、ユギエンが首を横に振って話を遮った。
「いいや、おまえはゾンビ化している最中だぞ」
「でも、私は意識が……ならばどうして神聖……」
混乱して言葉が途切れ途切れになってしまったが「ならばどうして私は神聖魔法を発動できるのだ?」と言おうとしていた。
だが、言えなかった。
自ら言いかけた〈神聖魔法〉に心が引っ掛かったのだ。
——神聖魔法……魔法……
池の畔では、ユギエンの魔法で助かった。
毒で朦朧としていたので、てっきり強力な神聖魔法だと思い込んでいたが、落ち着いて考えてみると違う気がしてきた。
あの場で彼も言っていたではないか。
「ここでは神聖魔法の効き目が弱い」と。
そして着目すべきはその後の言葉。
「それよりも」だ。
何だ?
神聖魔法より効き目がある魔法とは何だ?
…………
……!
少しの思案の後、池の畔からいまのやり取りまでがハーヴェンの中で一つに繋がった。
命の恩人はこう言っているのだ。
贄池では聖なる魔法は力を打ち消される。
だから助けてやったが、神官としてどう思う?
ゾンビ化を食い止め、人間に繋ぎとめてくれている死霊魔法を。
つまりユギエンは、
「し、死霊魔法使い……!」
「よし、できた」
手当てだ。
ハーヴェンが座ったまま身を遠ざけたのと、手当てが完了したのが同時だった。
俗世を捨てた隠者かと思っていたら、まさか外法の使い手だったとは……
ハーヴェンは驚いて声が出ず、初めて見る外法使いに目が釘付けになった。
固まっている若者に向かってユギエンは、
「他言無用だぞ。表向きの生業として霊媒師をやっているから信用に傷がついてしまう」
霊媒師は、客の望む霊を呼び出して意思を伝えてやる通訳のような仕事だ。
その際、意思伝達が重要であり、何の力によろうと構わないはずなのに、なぜか客は死霊魔法を嫌う。
だからユギエンは霊能力者の振りをして、こっそり死霊魔法で対象の霊を呼び出していた。
何とも豪胆な男だ。
外法使いであることが知られてしまったというのに、心配しているのは生業への影響だった。
ハーヴェンに知られてもユギエンが豪胆でいられるのには訳がある。
外法使いが相手に正体を明かすときは、その相手に他言される虞がないとき。
ハーヴェンが彼のことを誰かに他言することはできない。
なぜなら……
麓の村へ行こうとした場合、ユギエンの〈霊場〉を出てしまうので体内の毒が活動を再開する。
出た途端、身体に異常をきたす。
そんな状態で山道を下るのは無理だ。
〈霊場〉のすぐ外で長く苦しみながら、やがてはゾンビになってしまうだろう。
よって誰かに言いつけることはできない。
麓まで下りられるようになるには死霊魔法を習得し、体内の毒を自ら制御できるようにならなければならないが、そのときはハーヴェンも外法使いだ。
どちらであっても他言の虞はなかった。
「明日からおまえにも教えてやる。今日はもう寝ろ」
「!?」
ユギエンは当然のように言うが、ハーヴェンは納得できていない。
反発するのは当たり前だった。
「外法など誰が学ぶかっ! 私は神官だぞ!」
助けてくれたことは感謝するが、外法に手を出すなんて人として間違っている。
ましてや神官に向かって!
ハーヴェンの反論は本人も気が付かない内に、外法への悪態に変わっていった。
***
洞窟の中で、ハーヴェンのユギエンに対する非難が続く。
それは善悪からというより、異端者と遭遇してしまった聖職者が示す警戒に似ていた。
不安で、頑なで、偏狭だった。
外法は悪だ。
外法は危険だ。
外法から足を洗い、人として正しい道に立ち返るべきだ。
等々……
しかし非難されているユギエンの表情は涼しい。
若造の戯言と侮って聞き流しているわけではない。
ちゃんと聞いている。
聞いてはいるが、立ち止まって考えるべき点が一つもない話だったからだ。
「外法は悪」だというが、各国が条約でそう定めているからだろう。
では条約が変わったら、悪ではなくなるのか?
善悪とは、そんなに軽いものなのか?
「外法は危険」だというが、リーベル人なら自国のことを振り返るがいい。
危険だから外法だというなら、有名なリーベルの魔法研究所が日々冒している危険をどう説明するのだ?
この若者の非難は各国の権力者たちの受け売りだ。
言い返してやろう、議論に勝とうという気力が起こらなかった。
それよりも……
非難する言葉が尽きたところでユギエンは提案した。
「ちょっとその辺を散歩してくるといい」
ハーヴェンは不愉快を露わにする。
頭を冷やしてこいという意味に聞こえる。
しかしそうではなかった。
「頭の温度はどうでもいい。ちょっと外を歩いてくればおまえが置かれている状況が正しく認識できるだろう」
「いや、でも……」
嫌がるのも無理はなかった。
池から洞窟まで、森にはゾンビや悪霊が徘徊していた。
そこを散歩してこい、なんて!
けれど、ユギエンは取り合わない。
「おまえだけは絶対に襲われないから、安心して行ってこい」
それでも尚ブツブツと文句を言っていたが、
「死霊魔法使いとして断言する。絶対に外の奴らには襲われない!」
と追加すると、ハーヴェンはようやく観念し、一人トボトボと外へ出て行った。
そう。
一人で、だ。
イリスは付いていかなかった。
ユギエンは洞窟に残っている女ゾンビを振り返り、
「おまえはあいつと違って物分かりのいい奴だな」
「…………」
返事はないが、このイリスという個体は意思を持っている。
意思に基づいて洞窟まで付いてきたし、いまもハーヴェンに付いていかなかった。
洞窟で帰りを待っている姿が、彼女の意思表示だった。
物言わぬイリスは……
ユギエンに賛成だった。
夫は変異を免れたが、体内の毒を消し去れない以上、毒を制御する術を習得するべきだ。
神官だ、外法だと拘っている場合ではない。
だが夫は頭が固いところがある。
言葉で納得できないなら、身を以て体験するしかない。
体験すれば、物分かりが良くなるだろう。
〈霊場〉の心得もなくその支配域から出れば、外のゾンビではなく、〈体内のゾンビ〉が襲いかかってくるのだ、と。
夫がそのことを知るとき、傍らに彼女はいない方が良いだろう。
一緒に支配域から出ると、彼女がただのゾンビに戻ってしまうというのもあるが……
信条に反することを受け入れなければならないとき、一人の方が考えを纏め易いに違いない。
だから、彼女は夫に付いて行かなかった。
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