第4話「侍女と公女」

 ハーヴェンがヘイルブルでやりたかったことは大きく二つあった。

 一つは領内の聖地巡り。

 もう一つはイリスレイヤを探したかったのだが、その必要はなくなった。

 何という偶然か。

 彼女が目の前に現れた。

「…………」

「…………」

 ハーヴェンとイリスレイヤは、互いに驚いて固まったままだ。

 無理もない。

 互いに、まさかここで出会うとは想像していなかったのだから。

 沈黙を破ったのはウェスキノだった。

「二人共知り合いなのか?」

 その声で二人は正気に戻った。

「か、彼女の馬車が——」

 ハーヴェンは彼女とニバリースで出会ったときのことを話した。

 ウェスキノも一応司祭なので〈剛力〉という神聖魔法があることは知っている。

 だからフロスダンの群れを鎚矛で薙ぎ払った話は楽しそうだった。

 おかげで妹が助かったのだが、その件は興味がなさそうだった。

 ——?

 ハーヴェンは違和感を禁じ得なかった。

 彼女はウェスキノを「お兄様」と呼んだ。

 なのに、なぜ妹の無事を喜ばない?

 それどころか、兄は妹を心底つまらなさそうに一瞥した後「さっさと置いて下がれ」と吐き捨てた。

「……はい」

 恐縮して下がるイリス。

 違和感は膨らむ一方だ。

 この兄妹はおかしい。

 いや、一家がおかしい。

 ニバリースで見た彼女は公女らしい見なりだったのに、いまは他の侍女たちと同じ服装だ。

 侍女扱いだ。

 この地で勇者の血は尊いものだったはずだ。

 彼女もその血を引く末裔だろうに、なぜ?

 ハーヴェンの表情が余程怪訝そうだったのだろう。

 さすがのウェスキノでも気が付いた。

 でも説明するつもりはないし、余所者の意見に耳を貸すつもりもない。

 そんな下らない話のために招いたのではない。

 だから、

「あんな奴のことは気にしなくていい。それよりもウェンドアの話を聞かせてくれ」


 ***


 イリスレイヤが去り、部屋は再びハーヴェンとウェスキノの二人だけに戻った。

「さあ、飲もう!」

 と酒を注ごうとしてくるので、ハーヴェンは断るのが大変だった。

 だが固辞し続けていると機嫌を損ねてしまいかねない。

 苦し紛れにウェンドアの流行の話をいくつか披露した。

 お堅い彼ですら知っているような薄っぺらい話だ。

 ウェスキノのような流行に敏感な者なら当然知っている可能性があったが、幸いにも旧市街の流行で興味を引くことができた。

 ウェンドアでは旧市街の市民たちの間で新しい流行が生まれ、旧市街に出入りしているちょっと不良気味の貴族たちに伝わり、やがて新市街へ伝わっていく。

 逆に新市街から旧市街へ伝わる流行はない。

 もし新市街の富裕層の間で何かが流行っても、旧市街の庶民が真似するのは無理だからだ。

 その流行の〈流れ〉のようなものを説明すると、ウェスキノは興味深そうに納得した。

「なるほど……では、ウェンドアの流行を逸早く知りたければ、旧市街に目を向けるべきなのだな」

 どうやら本当に口を滑らかにさせたいだけだったらしい。

 聞きたかった話が始まったことで、酒を無理に勧めるのをやめてくれた。

 安心したハーヴェンはさらに流行の話をいくつかした。

 幸い、公子様におかれましてはご満足いただけたようだ。

 ホッと心の中で胸を撫で下ろす。

 話し疲れたので、用意したという客室で夕食まで休ませてもらうことにした。

「また楽しい話を聞かせてくれ」

 と笑顔の後、再び公子の怒号が館に響く。

「イリス! イリスッ!」

「は、はい! お兄様」

 今度はすぐに現れたので部屋の外で控えていたのかもしれない。

 ウェスキノはハーヴェンを客室へ案内するよう命じた。

「かしこまりました」

 大人しく兄に一礼して承る妹。

 やはり、おかしな兄妹だ。

 慣れることはできそうにない。

 ハーヴェンも客人として礼儀正しく会釈してから部屋を出た。

 廊下に出るとイリスレイヤが「こちらです」と先導するので、大人しく後を付いて行く。

「…………」

「…………」

 無言が続く。

 世界中、どこの邸でも使用人は職務中、私語厳禁だろう。

 だから彼女もここでは私語厳禁なのだ。

 事情はわからないが、この館での彼女の立場がわかった。

 公女を侍女扱いしているのではない。

 正真正銘の侍女なのだ。

 ——勇者の血を引く兄同様、尊ばれて然るべき彼女がどうしてこんな酷い扱いを……

 無意識の内に、ハーヴェンの拳が固く握りしめられていた。


 ***


 ハーヴェンを客室へ案内したイリスレイヤはそのまま立ち去ろうとするが、

「待ってくれ!」

 彼にはいろいろと質問したいことがあった。

 なのに「ごゆっくり」の一言で立ち去られては何もわからないままだ。

 ハーヴェンは彼女を室内へ入れ、向き合うように椅子に掛けさせた。

「双子の姉妹……ということはないよな」

「はい……」

 だとすると謎だ。

 ウェスキノを「お兄様」と呼ぶからには彼女も勇者の末裔であるはずだ。

 一家は何故に同じ勇者の末裔を侍女にしているのか?

 そして、ニバリースでの彼女は公女様そのものだった。

 この館の侍女だというなら、どうして貴族の身なりで豪華な馬車に乗っていたのか?

 これもまた謎だった。

「そうですよね……おかしいですよね」

 彼女はハーヴェンの疑問を否定しなかった。

 正対して向き合っているので、彼女の目が泳いでいるのがよく見える。

 やはり何か事情があるようだ。

 彼女を追い詰めてしまっているのだが、必死なハーヴェンは気付かない。

 ウェンドアに居た頃の冷静で客観的な彼らしくないが、〈恋は盲目〉というのは本当だった。

 一切余所見することなく彼女だけに注がれる視線。

 イリスレイヤは逃れられないと諦めた。

「……お兄様とは、母が違うのです」

「!」

 ハーヴェンは、ポツリと漏らした彼女の言葉に半分だけ納得がいった。

 だがもう半分は納得がいかない。

 おそらくウェスキノは正室の子で、それゆえに腹違いの妹が気に入らないのだろう。

 良くないことではあるが、貴族の世界でよく聞く話だ。

 彼もリーベルの実家で正室とその子供たちから嫌われていた。

 だから彼女がお兄様から嫌われている理由は納得がいった。

 でもこれだけでは侍女にされていることの説明がつかない。

 ハーヴェンの家でも正室の子と様々な差はあったが、それでも彼が実家で下男扱いされることはなかった。

 どうして彼女は公女として認められないのか。

 そこが解せない点だった。

「お父様が私を侍女として館に置いてくださるのは、母が侍女だったからだと思います……」

 イリスレイヤは自身の生い立ちを語り始めた。


 ***


 イリスレイヤの生い立ち……

 すべてを整然と彼女に語れる者はいない。

 だからこれは古い使用人や一家の者が断片的に漏らした話を、彼女が繋ぎ合わせて理解したものだ。

 彼女の父はもちろん領主だが、母は家に仕えていた侍女だったという。

 ある日、領主はその侍女を強引に我が物にした……

 そうして産まれたのが彼女だった。

 領主からは、彼女を産んですぐに母は亡くなったと告げられているが、家に長く仕えている侍女から聞いた話は違う。

 本当は、産後すぐに娘を取り上げて、母だけ領地から追放したのだという。

 最初、幼かった彼女を乳母に育てさせていたが、その後、正室が異議を唱えた。

 息子ウェスキノと同じ一族扱いすることに猛反発してきたのだ。

 それで……

「それで、公子の異母妹を侍女扱いしているわけか」

「はい……物心付いたときには侍女見習いでした」

 こんなことはリーベルでもあることだ。

 わかってはいるが、それでもハーヴェンの心の中には割り切れないものがあった。

 心中を表すとしたら〈ムカムカ〉か。

 あるいは〈イライラ〉か。

 どちらもハズレではないが、正確ではない。

 彼の心を占めているもの、それは憤りだった。

 彼はイリスレイヤの生い立ちを聞いて憤りを感じていた。

 他人事とは思えない。

 自分は下男扱いされなかったが、第三夫人だった母が健在だったからだ。

 正室が思う存分に手を出せなかったのだ。

 もしそうでなかったらいま頃、神殿魔法兵ではなく下男になっていたかもしれない。

「あの……それで、ニバリースでお会いしたことについてですが……」

 気付かない内に憤りが顔に出ていたらしい。

 不快感を露わにしているから、気分を害してしまったかと彼女に気遣われてしまった。

「ああ、すまない。ニバリースでの君は正真正銘の公女様のようだったが?」

 誤解を与えたことを詫び、話を続けてくれるよう促した。

 気分を害してはいるが、彼女に対してではない。

 気遣う必要はないのだ。

 しかし公女様のようだった理由を知ると、彼は再び不機嫌になった。

 勇者一家の身勝手さに対して。

 兄にとって彼女は一応身内だ。

 小綺麗な身なりをさせれば、手紙を届ける程度の〈使者〉に使える。

 だから遠くの親戚に用があるときは彼女の出番だった。

 要するに、ウェスキノが面倒臭いことを押し付けられる係だったのだ。

 あの日は、遠縁のニバリース貴族へ手紙を届けさせられた帰り道でフロスダンに襲われたらしい。

 それで馬車から下りた彼女は公女様のようだったのだ。

 この後が彼女にとっての災難だ。

 用事の中には、ウェスキノが直接行かなければならないものがある。

 代わりの者が手紙を届けに行って済むはずがない。

 相手の貴族が領主に苦情の手紙や使者を送るから、すぐに手抜きがバレる。

 領主がウェスキノを怒り、ウェスキノが彼女を怒り、正室も彼女を怒る。

 侍女の分際で公女のように振る舞ったことを咎めてくる。

 兄の命令だったなどという言い訳は通用しない。

「そもそも断る、ことはできそうにないな。あの兄上では」

「はい……でも慣れてますから」

 慣れ……

 理不尽に一家から怒られることにか?

 彼女は苦笑いで誤魔化そうとするが、ハーヴェンはそんな彼女のことが悲しかった。

 産まれてすぐに母親から引き離され、一家からは理不尽の数々。

「皆、忙しいから」と彼女は庇うが、使用人たちも一定の距離を保っているようだ。

 正室の怒りを恐れてのことだろう。

 彼女は一家からも、使用人仲間からも孤立していた。

 二人がこれまでに辿ってきた道はまさに明と暗だった。

 同じ一〇代後半なのに、一方は巡礼を経て一人前の神官になろうとし、一方は何の光も当たらない孤立無援の中で侍女として生きてきた。

 彼は自らが第三夫人の子であることを不遇な立場だと思ってきたが、とんだ甘ったれだった。

 彼女こそが不遇だ。

 ハーヴェンは思わず唇を噛む。

 一目惚れした女性を孤立から救う術が見つからない。

 神殿の教義や神聖魔法では彼女の心を救えない。

 自らの無力さに、ただ絶望していた。

「あの……どうか、お気になさらないでください」

 とイリスレイヤは声を掛けるが無理だった。

 彼の苦悩が伝わってくる。

 お客様を悩ませてしまった。

 侍女失格だ。

 どうして正直に話してしまったのか、自分でもわからない。

 でも……

 彼にだけは知っていてほしかったのかもしれない。

 イリスレイヤという一人の女性の歴史を。


 ***


 ハーヴェンのヘイルブル滞在は続いていた。

 神殿で祈りを捧げなければならないが、七日間連続である必要はない。

 合計七日間であれば良いのだ。

 だから間に聖地巡りを挟んでも構わない。

 ハーヴェンも連続ではなく、聖地巡りを挟んだ。

 ウェスキノが道案内を付けてくれるという。

 過去の神官の苦労を偲び、単独行で各地を訪れるという巡礼の慣習には反するが、大人しく公子の好意を受け取った。

 道案内が、イリスレイヤだったからだ。

 聖地巡りは半日で往復できる場所もあれば、一週間以上かかる場所もあった。

 あの兄にしてみれば、目障りな異母妹を館から追い払う良い口実だった。

 だからイリスレイヤを付けてくれたのは、ハーヴェンへの配慮というわけではなかった。

 でも彼女をあの館から連れ出すことができるなら、理由など何でも良かったのだ。

 敵と傍観者しかいない館の中より、外の明るい日差しの中で見る彼女の笑顔は美しかった。

 ……と旅の間、腑抜けていたわけではない。

 油断は禁物だ。

 明るい日差しの中では、昼行性の敵が襲いかかってくる。

 ラキエー大陸全域に生息している肉食獣、ラキエーオオカミだ。

 ニバリースを出発する日、ノルトは狼の縄張りに入らなければ大丈夫だと言っていたがそんなことはなかった。

 縄張りは一定不変のものではない。

 獲物が減れば、縄張りの形は刻々と変わっていく。

 どうやら最近、旅人たちが通う街道も奴らの新しい縄張りになったらしい。

 ラキエーオオカミの一群に囲まれたことで、人は縄張りに踏み込んでしまったことを知るのだ。

 しかしこれは一方的すぎる。

 狼が力尽くで縄張りを主張するなら、人間も力尽くで拒絶するしかなかった。

 ハーヴェンは自分とイリスレイヤの周囲に、神聖魔法〈聖域〉を発動した。

〈聖域〉は魔法使いの障壁に似ている。

 透明な防壁を半球状に展開し、敵の侵入を防ぐ魔法だ。

 だが、障壁とは違う点もある。

 障壁は防ぐだけだが、〈聖域〉は……

 何も知らない狼が飛び掛かり、防壁に触れた途端、

「キャヒィィィッ!」

 衝撃波にぶっ飛ばされて、空中に血と折れた牙がばら撒かれた。

〈聖域〉の範囲内は文字通り聖域なのだ。

 術者に噛み付いて命を奪おう、肉を食らおうという害意がある奴は皆、〈悪しき者〉と見做され、聖域へ立ち入ることができない。

 それでも無理に入ろうとする者は、衝撃波で弾き返されるのだ。

 痛くて割に合わないと観念したのか、何もないところから飛んでくる衝撃波が気味悪かったのか、狼たちは退散した。

 ハーヴェンはイリスレイヤを守り抜いた。

 この後の道中でも、〈剛力〉でフロスダンやゴブリンを粉砕し、〈聖域〉で狼を撃退し、ゾンビを〈祈り〉で追い払った。

「大丈夫か? イリスレイヤ殿」

「はい、ありがとうございます。ハーヴェン様」

 戦いが終わると必ず怪我がなかったか尋ねてくれる。

 もしあれば〈治癒〉してくれるのだ。

 彼女の身を案じてくれる者がいるということが新鮮で嬉しかった。

 ずっと独りだったから。

 ハーヴェン様ともっと親しくなりたい……

 彼女の中にそんな想いが芽生えていた。

 なのに、いつまでも「イリスレイヤ〈殿〉」と呼ぶ。

 殿……

 礼儀正しいのは彼の美徳ではあるが、何だか二人の間に壁があるようで嫌だ。

 この先、彼が自発的にその壁を越えることはあるまい。

 だから彼女が越えることにした。

「ハーヴェン様」

「ん? 怪我が見つかったのか?」

 と、素早く神聖魔法〈治癒〉の用意をしようとする彼が微笑ましくてクスっとしてしまう。

 とはいえ、面白いが笑っている場合ではない。

 気を取り直して、咳払いを一つ。

 彼の目を見て、

「イリスレイヤ〈殿〉ではなく、イリスとお呼びください」

「イ、イリス!?」

 人々は彼女の中に半分流れている血を「勇者様!」と崇拝しているが……

 彼女にとって、モンスターや肉食獣から守ってくれるハーヴェンこそが勇者様だった。

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