第3話「ありがたい勇者様」
ヘイルブル滞在二日目——
ハーヴェンは神殿の裏庭で訓練に参加していた。
実戦ではないので〈剛力〉は発動しない。
にも拘らず、ここの神殿魔法兵たちは〈剛力〉を発動しているのかと錯覚するほどの腕力の持ち主たちだった。
盾で鎚矛を受ける度に、装備していた左腕が痺れた。
辛うじて一本取られることはなかったが、訓練に参加してくれた他国神官に対する配慮だったのだろう。
最中、こちらの体勢が崩れたのに見逃される場面が何度もあった。
ウェンドア神殿で最強の神官だったというわけではないが、少なくとも一人旅の巡礼が許されるだけの力量はある。
と思っていたのに、ここまで一方的にやられるとは……
悔しいが、考えてみれば当然か。
訓練ばかりの兵と実戦の場数を踏んでいる兵が手合わせしたら、後者が強いに決まっている。
ウェンドア神殿では、ここほど実戦の機会はないのだから仕方がない。
と、ハーヴェンが自らを納得させていたときだった。
「リーベルから来た巡礼者というのは君か?」
呼ばれて振り返ると、そこには一人の若者が立っていた。
二〇代前半の男性。
ハーヴェンよりやや年上だ。
身なりからここの司祭だということはわかったが、それ以上のことはわからない。
「あなたは?」
知り合いではないのだから当然の質問だ。
しかしちょっとだけムッとしたようだ。
俺様が誰か知らんのか? と言わんばかりに。
咳払いを一つした後、彼は「私はウェスキノだ!」と名乗った。
名前はわかったが、それだけでは何者なのかはわからない。
教えてくれたのは周囲の神殿魔法兵たちだった。
皆、彼に向かって「公子様」と訓練を中止して頭を下げる。
おかげで彼が何者なのかわかった。
公子様——
勇者の末裔、ヘイルブル領主の御子息だ。
魔王を退治した勇者は故郷ヘイルブルに戻り、領主となった。
以来、代々勇者一族がこの地を治めてきた。
だから皆が頭を下げているのは司祭が神官より上位だからではない。
将来の領主様であり、勇者様だからだ。
——そういえば、昨日の神官が……
ここに滞在している間の注意点を二つ挙げていた。
一つは、興味本位で贄池へ行かないこと。
……言われなくても行かないが。
もう一つが、領主一族の機嫌を損ねないようにしろというものだった。
神と勇者が共存している神殿は、代々の公子が修行を積む場になっているのだという。
公子たちは概ね良好な方たちなのだが、中には不真面目な者もいた。
ウェスキノ公子がそうだ。
やる気はないし、決まり事を守らない。
領主一族の機嫌を損ねるわけにはいかないので決まり事を破っても罰することができず、修行の成果も不問。
結果、神聖魔法を全く修得していないのに司祭の資格を有していた。
——こいつがそのウェスキノ様か。
ハーヴェンは会ったばかりの公子からリーベルの悪臭を感じ、内心嫌な気分になった。
嫌だった実家の記憶が蘇ってくる……
ハーヴェンの実家は伯爵だった。
貧乏伯爵というわけではないが、裕福とも言い難い。
中流……いや、下流貴族の上位という位置付けの家だった。
中途半端に家柄が良く、しかしそれに見合う財力はない。
だからか、家は劣等感が強かった。
父は家族と使用人たちに当たり、家族は正室が側室に当たり、使用人は上が下に当たる。
この関係は子供たちの間でも同様だった。
序列は年齢の順ではない。
正室の子供たち、第二夫人の子供たち、第三……の順だ。
皆、兄弟姉妹という名の競争相手たちなのだ。
相手を貶め、少しでも他より優位に立とうと隙を窺い合う。
一〇代になったハーヴェン少年は、士官学校ではなく神殿に入った。
第三夫人だった母は、兄弟たちと同じく士官学校に進んでほしかったようだが、そこで待っているのはやはり競争だ。
母と違い、もう〈貴族〉や〈競争〉はうんざりだった。
彼もリーベル人だ。
魔法艦隊への憧れはあった。
本当は士官学校へ進みたかったが、その道には不幸しかないことを知っていた。
士官学校の成績比べで、負ければ余計に悔しいだろうし、勝てば嫌がらせが増すだろう。
嫌がらせを避けたければ、正室の子に劣位し続けるしかない。
それに、母子たちが激戦を勝ち抜いたところで、父が兄より弟を優先することはない。
家督は正室との間に生まれた長兄が継ぐと決まっているのだ。
だから無益な競争から遠ざかった。
かくしてハーヴェンは神殿魔法兵になった。
神殿にも〈貴族〉や〈競争〉はあったが、そのような輩と関わらなければ良いのだ。
士官学校と違い、兄弟がいない神殿なら可能だった。
そして神殿には巡礼という制度があった。
一人で好きなだけ諸国を巡ることができるのだ。
これでようやく伯爵家のハーヴェンではなく、ただのハーヴェンになることができた、と解放感に浸っていたのに……
目の前の公子〈様〉が思い出させてくれた。
ここにも、リーベルに居たのと同じ〈貴族〉が居るのだ、と。
うんざりされているのに気付かず、ウェスキノの自慢が止まらない。
ハーヴェンは頑張って聞こうとしていたが、殆ど頭に入っていかなかった。
辛うじてわかったのは、伝説の勇者直系の男子であるということだけ。
しかし彼の心中を知らないウェスキノは気分が良い。
表面的には最後まで静聴していた、ように見えたからだ。
「……ハーヴェンと申します」
自慢が終わったところで彼も名乗った。
話は下らなかったが、公子が先に名乗っているのだ。
名乗り返さなければ失礼に当たる。
「では、ハーヴェンよ、場所を変えよう」
「場所?」
領主の館へ移動しようと提案された。
いや、提案という名の命令か。
「せっかくリーベルから来てくれたのだ。ウェンドアの話を聞かせてくれ」
外に馬車を待たせてあるという。
相手のこれからの予定も確かめずに、準備がいい。
「…………」
ハーヴェンは困ってしまった。
できればこの類の人種とは関わりたくない。
だから断ることにした。
神官らしく、訓練がまだ途中だし、終わったらお祈りがある、と。
だがウェスキノは笑い飛ばした。
「それなら何もないではないか。さあ、行こう」
「は?」
——こいつは本当に司祭か!?
ハーヴェンは心の中で激しく突っ込んだ。
領主一族の特権でなれた司祭だとは知っているが、お祈りよりウェンドアへの好奇心を優先するとは酷すぎる。
ところが……
「ハーヴェン殿、お疲れ様でした」
と、神殿魔法兵たちが口々に唱える。
まるで厄介者を体裁良く追い払うように。
この地では、勇者の血筋は絶対的なものであり、何気ない思い付きにも逆らえないのだろう。
公子の機嫌を損ねると、神殿に迷惑が掛かりそうだった。
ハーヴェンは観念してウェスキノに付いて行くことにした。
***
馬車はヘイルブルの大通りを直走る。
まるで誰もいないかのような速度で。
しかし通りには通行人がいる。
それでも減速しないということは「退け!」という意味だった。
……かつて人々を救った勇者の末裔が、その人々に対して「撥ねられたくなくば道を空けよ」と。
しかもその末裔は現役の司祭様でもある。
——間違っている……!
ウェスキノにとっては日常なのかもしれないが、隣に座っているハーヴェンにとっては異常だった。
でもリーベルには馬車を我が物顔で走らせる貴族がいないのかと問われると、返答に困ってしまう。
この街で彼は余所者だ。
しかも自国を棚に上げて、ウェスキノの横柄さだけを非難することはできない。
ハーヴェンは沈黙しているしかなかった。
街を守ってくれた〈勇者〉に住民が敬意を払うのではなく、街を守って下さった〈勇者様〉に対して、住民は身の程を弁えて暮らさなければならないのだ……
どうにか誰も撥ねずに、馬車は館に着いた。
ヘイルブル神殿も立派だったが、領主の館はそれ以上だった。
「こんな辺境の地へようこそ、リーベルの神官殿」
なんと、領主自ら馬車の到着を待っていた。
ここは内陸国の北の果て。
異国の情報が伝わりにくく、南の大国リーベルからの客人が珍しかったのだ。
早速、館の中へ。
まだ夕食には早い時間なのでお茶が出された。
「いただきます」
お茶に口を付けながら、ハーヴェンはこれから話す内容について考えた。
ここへ連れ来られた理由はわかっている。
ヘイルブルの外、ラキエー大陸より外、海の向こうの情勢が知りたいのだろう。
だから初めに断っておかなければならなかった。
自分はウェンドアの外のことについては、それほど詳しくないことを。
リーベル人のすべてが船乗りというわけではないのだ。
たとえば海辺近くの酒場の親父がやることは、料理の準備と酒を切らせないよう常に在庫を把握しておくことだろう。
ヘイルブルの酒場の親父と仕事内容は一緒だ。
神殿魔法兵だって同じだ。
毎日、神殿で祈り、悪霊が出たと聞けば祓いに行く。
ゾンビに噛まれた者を〈浄化〉する。
……手遅れだった者を実力で眠りに就かせる。
リーベルとヘイルブルで違いはない。
ハーヴェンが語れることといえば、ウェンドアの流行についてくらいだ。
領主のご期待に沿える情報はないと思うが、年齢が近い公子には楽しんでもらえるかもしれない。
ところが、領主が最初に尋ねたのは全く違うことだった。
「リーベルの御家族は——」
ハーヴェンの家柄の確認だった。
歓迎されて一瞬忘れていたが、ウェスキノ公子の父君なのだ。
彼も息子同様、相手の人間性より先に身分を見る人種だった。
リーベルの実家を思い出すと内心苦い気持ちになるが、目の前の父子には関係ないことだ。
正直に伯爵だと伝えた。
家督を継ぐのは兄であることも。
「ふむ……なるほど」
さすがは領主というべきか。
人の足元を見る目が確かだった。
家督を兄が継ぎ、弟が神殿に出されているのだ。
しかも馬ではなく、徒歩による巡礼。
庶民よりは裕福かもしれないが、貴族としては財力のある家ではない。
と判断されたようだ。
それでも一応、リーベル王国の様子を尋ねられたが、一神官に内政や外交のことなどわかるはずもなく……
ハーヴェンは領主のお眼鏡に適わなかったようだ。
用がなくなった領主は「仕事があるので、これで失礼するよ」と笑顔で退席した。
客に対して失礼ではあったが、当のハーヴェンはホッとしていた。
知らないことを根掘り葉掘り尋ねられても不快なだけだ。
さっさといなくなってくれて助かった。
また、自分の気持ちに気が付くこともできた。
歓迎してくれているのに申し訳ないが、彼は領主父子が嫌いだ。
実家で伯爵家公子らしい育て方をされていたのは、正室の子供たちだけだ。
彼自身は公子というより庶民に近い育ちだった。
ゆえに、二人の横柄さが鼻に付くのだ。
「そうそう、家中の者に君の荷物をこちらへ移すよう命じておいた。滞在中、ここを宿と思ってくれ」
「!」
家中の者と言われて思い出した。
ウェスキノと神殿で会ったとき、彼の背後に控えていた従者が出発するときにはいなかったことに。
従者は荷物を持ってくる係だったようだ。
持ち主に無断で……
僅かではあるが、ハーヴェンの表情が不服で強張っているのに、ウェスキノは気にしない。
「親父がいなくなったし、家の話は終わりだ。さあ、ウェンドアの話をしてくれ」
公子は目を輝かせて話を待っているが、ハーヴェンは葛藤していた。
年下が年長者に向かって失敬かもしれないが、生理的に受け付けない男だ。
イライラする。
勝手に宿所を変更したことを怒鳴りつけてやりたいが、なるべく領主一家と揉めたくない。
神殿で七日間祈りを捧げなければならず、その後は贄池以外のヘイルブル各地を巡る。
イリスレイヤも探したいし……
なんと試練が続く巡礼だろう。
失恋の試練を乗り越えたら、次は怒りを堪える試練か。
だが、これらはハーヴェンの心の中でのこと。
相手の表情から内心を読もうともしないウェスキノは、怒りで黙り込んでいるとは想像すらできない。
「誰か、酒を持て! 誰か!」
酒が入れば、口が滑らかになると考えたようだ。
右へ、左へ「酒を持ってこい!」と怒号がうるさい。
何度も「酒はいりません」と伝えても、怒号にかき消されてウェスキノの耳に届かない。
「~~~~っ!」
いよいよハーヴェンに限界の時がやってきた。
司祭が神官に酒を勧めるのは間違っている。
しかも一〇代後半の者に!
「い——」
いい加減にしないか! と怒鳴ろうとしたときだった。
侍女が酒瓶を持って部屋に入ってきた。
「お待たせしました、お兄様」
「遅いではないか、イリス! さっさと持ってこい!」
侍女は下を向いていたので、客人の顔が見えていない。
客人ハーヴェンもいま正に怒鳴りつけてやろうと、ウェスキノの横顔を睨んでいたので侍女を見ていなかった。
しかし彼が先に気付いた。
聞き覚えのある声と、イリス?
……イリスレイヤ?
思わず侍女を見る。
そこにいたのは……
「君は!」
彼女も聞き覚えのある声に気付いて顔を上げた。
「ハーヴェン様!?」
侍女は、ニバリースで会ったイリスレイヤだった。
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