第2話「最前線」

 イリスレイヤは、ハーヴェンが巡礼にやってきたのだと知ると、次の村まで馬車で送ってくれると申し出てくれた。

 どうせ通り道だし、命を救ってくれたお礼だ。

 しかしハーヴェンは、

「徒歩でなければ、意味がないので……」

 と、彼女に感謝を述べた上で丁重に断った。

 ……彼は良く言えば己を律することができるといえるが、悪く言えば融通が利かない石頭だった。

 本心は馬車に乗りたかったし、車中で彼女ともっと言葉を交わしたかったのに。

「そうですよね……ごめんなさい」

 彼女も巡礼がどういうものかは知っている。

 知ってはいるが、すでに形骸化した伝統なのだと誤解していた。

 他の神官たちはハーヴェンと違って柔軟だ。

 巡礼団を護衛するときは徒歩でも仕方がないが、一人旅なのにどうして徒歩で回る必要があるのだ?

 皆、当然のように馬を利用するし、裕福な家の神官は護衛付きの馬車で各地を巡礼している。

 現代の巡礼はそのように様変わりしたと思っていたので、ハーヴェンが断ったことにイリスレイヤは驚いた。

 そして彼が誠実な男性なのだと感心した。

 ——真面目な巡礼なのだ。

 ならば邪魔はするまい……

 彼女は大人しく引き下がることにした。

 ただ、会ったばかりの彼になぜか名残惜しさを感じる。

 そこで、一つ尋ねた。

「ニバリースの各地を巡った後はロンゼラートに?」

 ロンゼラート王国——

 海に面しているニバリースの北隣の内陸国だ。

 ニバリース各地を巡り終えた神官たちには進路が二つある。

 東へ進むか、北へ進むかだ。

 北なら山国ロンゼラートに向かうことになる。

 ロンゼラートには、勇者伝説で有名なヘイルブルという街がある。

 聖なる伝説の地として、この街を訪れる神官は多い。

 果たしてハーヴェンは……

「はい。ヘイルブル神殿を目指しておりました」

「!」

 答えを聞いた彼女の顔は明るくなった。

 なぜなら彼女の家はヘイルブルにあるからだ。

 もしニバリース後の針路が決まっていないなら、北を勧めようと思っていた。

 だが、彼は最初からヘイルブルを目指していたと知り、安心した。

 彼女は馬車に戻った。

 馬車の窓を開け、手を振ってくれているハーヴェンに、

「ヘイルブルでお会いしましょう!」

「はい!」

 そして馬車は速度を上げた。

 どんどん遠ざかり、小さくなっていく。

 笑顔で見送る彼だったが、馬車が豆粒大になった頃、大事なことに気付いた。

「彼女、ヘイルブルのどこに住んでいるんだ?」

 ヘイルブルが小さな街なら住人に尋ねればわかるかもしれないが、大きい街だった場合、誰も彼女をわからない可能性がある。

「お会いしましょう」と言われても会えないかもしれないのだ。

「しくじった……」

 呟くハーヴェン。

 彼の背中からは悲哀が滲み出ていた。

 さらに追い討ちをかけるかのように〈剛力〉がいま切れた。

 鎚矛が重い……


 ***


 ハーヴェンは惚れっぽい男ではない。

 むしろ周囲からは堅物と陰口を叩かれているくらいだ。

 そんな男の一目惚れは人生の一大事だといっても過言ではなかった。

 それだけに、彼女とヘイルブルのどこで会えるかを確認しておかなかったのは痛い……

 彼女の馬車はもう見えない。

 ——煩悩を捨てよ、という試練だったのだろうか。

 彼は天を仰ぎ心の声で尋ねるが、神は何も答えない。

「…………」

 しばらく天を仰いだまま目を瞑り、内から湧き起こる絶望感に耐える。

 その間、凡そ一分。

 目を開いたとき、ハーヴェンはこの試練に打ち勝っていた。

 大きな溜息と一緒に絶望を吐き捨て、北へ歩き出す。

 会えないと決めつけるのは早い、と気が付いたのだ。

 彼女の馬車は豪華だった。

 きっと街の有力者の娘に違いない。

 彼女を知っている者は必ずいる。

 だから落ち込んでいる場合ではないのだ。

 ニバリース各地の巡礼を済ませたら、次はロンゼラートのヘイルブルへ向かう。

 心が決まったハーヴェンの歩みは力強さを取り戻していた。


 ***


 巡礼初日に心が折れかけたものの、持ち直したハーヴェンはニバリース各地を巡った。

 海辺から平原へ。

 平原から森林地帯へ。

 先述の通り、巡礼はただの聖地巡りではない。

 聖なるものを守るためには邪なるものを知らなければならない。

 だからニバリース各地の神殿や聖地だけでなく、良くない地も訪れた。

 討ち死にした者たちの無念が残る古戦場や、魔王に滅ぼされた廃村に。

 大昔、この大陸に魔王が現れ、世界を闇に包もうとした。

 しかし勇者もまた現れ、仲間と力を合わせて魔王を退治した。

 遠くリーベルにも伝わっているラキエー大陸の勇者伝説だ。

 伝説の地ゆえか、この大陸には勇者や魔王に因んだ地が多い。

 古戦場は人間同士の戦いではなく、魔王軍と人間軍の戦いだった。

 結果は人間側の完敗で終わり、勇者が立ち上がる切っ掛けとなったらしい。

 また、魔王に対抗するように同じ数だけ勇者の地もあった。

 勇者伝説はこの地で暮らす人々にとって信仰に近い。

 これを禁止したり、優劣を決めるのではなく、神も勇者も一緒に祭ろうとした昔の神殿は英断だった。

 おかげでいまも神と勇者は対立せず、仲良く並び立っている。

 ラキエー大陸にはリーベルにない寛容さがある。

 海の三賢者の霊廟と神殿の緊張を見て育ったハーヴェンにはその寛容さが新鮮だった。

 リーベルにおいて僅かな〈違い〉は揉め事の種だったが、ここではそうではない。

〈違う〉もの同士が並立することは可能なのだ。

 ならば……

 ニバリースでの巡礼を終えたハーヴェンは北のロンゼラート王国へ。

 その道すがら、彼の中で一つの着想が芽生えていた。

 現在、リーベル海軍に神聖魔法の使い手はいない。

〈海の魔法〉と神殿が協調しないためというのもあるが、長距離から敵を仕留める艦隊には無用な魔法だと思われてきたからだ。

 ところが、船旅の途中で海霊の急襲を受けた。

 無縁と思われた海に、神聖魔法の出番はあった。

 だから、神殿魔法兵を海軍へ加えるというのはどうだろう?

 海霊という共通の敵を前に、海軍魔法兵としての訓練を受けた殿下と神殿魔法兵の自分は共に戦うことができた。

 ハーヴェンは帰国後、神殿と海軍に無意味な拘りを捨てるよう訴えることを決意していた。


 ***


 ロンゼラートに入ったハーヴェンは、ヘイルブルへ直行しなかった。

 南から北へ向かって巡礼地を順番に巡った。

 イリスレイヤのことが気にならないわけではないが、神官としての本分を疎かにはしない。

 ニバリース同様、各地の神殿を訪れ、儀式があれば参加した。

 そうしてついに、

「ここが、ヘイルブルか……」

 ハーヴェンは目的地へ辿り着いた。

 ヘイルブルはロンゼラート北方にある山間の街。

 四方は城壁に囲まれており、唯一の出入り口である跳ね橋は早朝に下げられ、夕方には上げられ、魔物の侵入を許さない。

 この街を目指していたのはイリスレイヤのためだけではない。

 彼女に出会う前から目指していた場所だった。

 だからまずはヘイルブル神殿を訪れた。

 それが神官としての筋道というものだろう。

「ようこそ、ハーヴェン殿」

 神殿に着くと神官が出迎えてくれた。

 旅の疲労を尋ねられたので「大丈夫だ」と伝える。

「そうですか。ではお祈りを」

 彼は礼拝所へ案内してくれた。

 きっと毎日、巡礼者に対応しているのだろう。

 手慣れていた。

 礼拝所へ向かう途中、彼はハーヴェンにこの地の勇者伝説を話してくれた。

 ニバリース、ロンゼラート、他の北方諸国にも勇者伝説はあったが、発祥はこの街だ。

 それだけに他の地域より伝説の内容が具体的だった。

 特に、魔王が現れた経緯についてが。

 その昔、勇者と魔王はここ、ヘイルブルで生まれた。

 勇者は平民の家庭で生まれたが、魔王は街を出て山を少し登ったところにある〈贄池(にえいけ)〉から現れた。

〈贄池〉などと物騒な名だが、最初から付いていた名ではない。

 昔は名もなきただの池だった。

 現在は地下水を利用しているが、昔のヘイルブルの民にとってこの池は命の水だ。

 畑を潤してくれるだけでなく、魚も豊かに与えてくれる大切な〈神〉だ。

 だから感謝の念を抱くのは良いことなのだが……

 それほど大きな池ではないから、雨が降らない時期が続けば水位はすぐに減る。

 寒冷な土地で池の水位が下がり続ければ、飢饉に苦しむ未来が思い浮かぶ。

 彼らは減った水位が戻りますようにと、池に生贄を捧げた。

 地獄の未来を回避するためなら、犠牲も厭わなかったのだ。

 昔の人間が山や川などの自然を神格化するのは珍しくないが、彼らは祀り方を間違えた。

 元々はただの池だったのに、生贄を捧げ続けたことで穢れてしまった。

 穢れは溜まりに溜まり……

 魔王として具現化したのだった。

 その後、勇者によって魔王は滅ぼされたが池の穢れは消えず、人々はいつしか「贄池」と呼ぶようになり、その水を利用しなくなった。

「……あの……」

「何かな?」

 話を聞いている内に不安が増していき、ハーヴェンはたまらず尋ねた。

 神官である以上、その贄池にも一人で行ってくるべきなのだろうか、と。

 かなり危険な場所だと思うのだが……

「とんでもない。あの池に通じる道は領主様によって通行禁止です」

「そ、そうでしたか」

 若者の表情が不安から安堵に変わる様が可笑しくて、神官は笑った。

「贄池の呪いはこの神殿の者が総出でも祓い切れない。神もそんなところへ一人で行ってこいとは申しますまい」

「は、ははは……」

 神も神殿も、贄池に余計な手は出さない。

 だが、目の前の〈魔〉に対して見えない振りをしているわけではない。

 神官は贄池に行く代わりに、と神殿の裏庭へ連れて行ってくれた。

 表側は巡礼者たちに開かれた静かな祈りの場。

 裏側は……

 ガッ!

 ボゴンッ!

 ガンッ!

 鎚矛と盾が激突する神殿魔法兵たちの修練の場だった。

 かなりの強者揃いだ。

 巡礼団の護衛どころか、戦でも活躍できそうだ。

 ハーヴェンが神官に尋ねる。

「なぜこれほどの修練を? 自衛の範疇を超えていると思うのですが」

 咎めているのではない。

 純粋な疑問だ。

 領主の兵隊だっているだろうに、どうして神官がここまで屈強にならなければならないのか?

「領主様の兵隊は生者相手には強いですが……」

「生者……」

 ハーヴェンはその言葉にギクリとした。

 生者の反対は……

「時々、池の方角からゾンビやスケルトンが下りてくるので」

 生者の反対は、死者だった。

 なるほど。

 これほどの備えが必要になるほど、死者が下りてくるのか、とハーヴェンは納得した。

 ここは勇者生誕の聖なる地であると同時に、魔王が現れた良くない地でもある。

 そして生者を襲いに、いまも死者が池から下りてくる。

 ヘイルブル神殿は祈りの場でもあるが、人間世界を死者から守る防壁でもあるのだ。

 敵兵やモンスター等の生者に対しては領主の兵が当たるが、死者にたいしては神殿魔法兵団が当たる。

 ゾンビやスケルトンを鎚矛で砕き、悪霊を神聖魔法で祓う。

 ここは、聖と魔が鬩ぎ合っている最前線だった。

 ハーヴェンは彼らの修練に励む姿から、人々を魔から守るということの責任の重さを改めて知るのだった。

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