セイジャ ~聖なる魔と邪なる聖~

中村仁人

第1話「神殿魔法兵ハーヴェン」

 ここではない別の世界——

 そこはモンスターたちの領域。

 人はモンスターの脅威に晒されながら暮らしていた。

 加えて、夜になれば死者たちが生者の血肉を求めて彷徨う。

 モンスターに対抗する術を持たない人々は住処を奪われていった。

 陸を自由に往来できなくなった人類。

 彼らは海を往くしかなかった。


 ***


 セルーリアス海に浮かぶイスルード島、リーベル王国。

 その島から北へ海を越えると、ラキエー大陸が見えてくる。

 ラキエー大陸は、イスルード西方のリューレシア大陸ほど大きくはない、小さな大陸だ。

 大陸の北半分は雪深く、氷精や寒さに強いモンスターの棲家になっている。

 南半分がそれ以外の種族の生息地であり、人間も南半分に国を作って暮らしている。

 北方諸国と呼ばれる国々だ。

 リーベルの王太子、アーレンゼール殿下を乗せた客船は北方諸国の一つ、ニバリース王国の港に着いた。

 かつてロレッタ卿の提唱によりリーベルの魔法使いたちは海に出た。

 今日の繁栄はそのおかげだ。

 だからリーベル人は海を目指し、それは殿下も同様だった。

 彼がニバリースへやってきたのは留学のためだった。

 リーベルの当代国王もその前も、王太子時代に留学して見聞を広めた。

 よってアーレンゼールの留学の希望が止められることはなかった。

 但し、留学先については要望通りにはいかない場合がある。

 大国リーベルの王太子が留学するとなると、どうしても外交的な意味が発生してしまう。

 いくら本人が望もうと、外交上問題のある国に留学させるわけにはいかなかった。

 殿下、陛下、大臣の三者で相談した結果、北の同盟国ニバリースに決まったのだった。

 殿下は大らかというか適当な性格というか、宮廷を出て外国で自由を味わえれば良かった。

 そのためならニバリース王国でもどこでも。

 先方からは歓迎の意が大使を通じて伝えられ、彼はすぐに北方へ旅立ったのだった。

 護衛兼お目付け役たちがいるので完全な自由ではないが、それでも海に出られたことは良かった。

 ウェンドアから出航した時点では、このまま楽しい航海が続くと思っていた……

 殿下はまだ二〇歳前だが、海の王国の人間だ。

 少し位の波は苦にならない。

 とはいえ、楽な船旅にはならなかった。

 波が荒れていたのではない。

 イスルード島から遠く離れた海の真ん中で海賊ノ……いや、海霊の群れの襲撃を受けて大変だったのだ。

 殿下の護衛たちは襲撃を受けてまもなく全員、海霊にやられてしまった。

 彼は体格に恵まれ、防御魔法が得意な豪傑ではあったが、一人で海霊の群れを退治するのは無理だ。

 これを退治できたのは二人の友のおかげだった。

 一人は三〇歳目前の青年。

 偶然にも客船に乗り合わせていた豪傑、岩縫いノルトだ。

 彼は霊弓カヌートで次々と海霊を退治していった。

 ……ノルトが海賊?

 殿下の客船を襲撃?

 何かの間違いではないだろうか。

 彼は海霊退治の後、殿下の護衛官になった。

 殿下を襲撃した海賊が、護衛官に召し抱えられるはずがないではないか。

 もう一人は乗船してすぐに出会った殿下と同年代の若者。

 リーベルの神殿魔法兵ハーヴェンだ。

 海霊は海の悪霊。

 ゆえに神聖魔法が有効だった。

 ノルトの弓が一体倒している間に、彼の〈祈り〉や〈浄光〉が一〇体、二〇体と纏めて祓っていった。

 神殿魔法兵は盾と鎚矛で武装しているが、歴とした神官である。

 神官は巡礼の旅に出て、経験を積まなければならない。

 彼が客船に乗り合わせていたのは、その巡礼のためだった。

 巡礼は、各地の神殿や聖地を巡るだけでなく、忌まわしい地も訪れる。

 聖なるものだけではなく、倒すべき敵として邪なるものもよく見ておくべきだからだ。

 そう考えると、彼にとって海霊退治は良い経験だったのかもしれない。

 海の悪霊を目撃しただけでなく、実際に戦って乗客を救うことができた。

 貴重な経験だ。

 そして三人は友になれた。

 しかもただの友人ではなく、互いに助け合った戦友だ。

 貴重な友情が手に入ったといえる。

 客船からニバリースの港に下り立ったハーヴェンの表情は明るかった。


 ***


 翌朝——

 アーレンゼールたち三人は、街の北門へ見送りにやってきた。

 彼は留学のためこの街に残り、護衛官ノルトも一緒だが、ハーヴェンは違う。

 街を出て、北方諸国を巡礼しなければならなかった。

 見知らぬ北の地を一人で……

「…………」

 殿下はハーヴェンの装備を見ている内に心配になってきた。

 皮革のザックと盾を背負い、腰のベルトから鎚矛を下げ、短銃は一丁。

 防具は細い鎖で編んだ胴衣のみ。

「戦に行くわけではないのだから——」

 と、ハーヴェンは心配を笑うが、アーレンゼールは笑えなかった。

 客船の甲板で二人が出会ったときは、すべての荷物が船室に置いてあったし、その後いきなり海霊退治が始まってしまった。

 今日、初めて完全装備を見たが、巡礼がこんなに軽装だったとは思わなかった。

 神殿魔法兵の成り立ちは、巡礼団を守るために神官が武装したのが始まりだ。

 その際、重武装では長い巡礼の旅に付いて行けないので、軽装だったという。

 ハーヴェンたち若い神官も巡礼団の護衛が務まるよう、単独で先人たちの巡礼の跡を辿らなければならなかった。

 彼は「戦ではない」というが、ラキエー大陸も他所の地と同じだ。

 街の外にはモンスターが蔓延る弱肉強食の世界が広がっている。

 そこを単独で行く巡礼は十分に戦だ。

 しかしノルトは意見が違った。

 北の地にもモンスターは多いが、最も恐ろしいのは狼だ。

 縄張りに侵入するものはモンスターであろうと容赦しない。

 逆に言えば、狼の縄張りに入らなければ心配いらないということだ。

 それに、もし敵と遭遇しても、

「こいつの神聖魔法には、獣もモンスターも敵うまい」

 海で、アーレンゼールもノルトも結構な数の海霊憑きを倒したが、大部分を倒したのはハーヴェンだった。

 そして神聖魔法には悪霊だけでなく、生物にも有効な魔法がある。

 だから無謀な旅ではないのだ。

 ノルトは海でのハーヴェンを見て、彼の強さを認めていた。

「そうだな……うん!」

 アーレンゼールの顔に明るさが戻る。

 それでいい。

 旅立ちなのだから景気よく送り出さねば。

「皆、それぞれ頑張ろう。私は留学を頑張る!」

 まずアーレンゼールが右手を出した。

「俺は殿下を護衛する!」

 殿下の右手にノルトが右手を乗せた。

 それを見たハーヴェンも一番上に右手を乗せる。

「私は巡礼を達成する!」

 三人はそれぞれの目標を並べると、元気一杯、天に向かって右拳を振り上げた。

「ウェンドアで会おう!」


 ***


 ハーヴェンは二人の友に見送られ、ラキエー大陸の巡礼を始めた。

 北門から街の外へ。

 天気は曇り。

 いまは正午前なので、頑張って歩けば日が沈まぬ内に次の村へ辿り着けるはずだ。

 息が上がってしまうので駆け足はしないが、歩幅を僅かに広げる。

 これで速度は増したはずだが、馬には敵わない。

 彼の横を配達屋たちが馬で抜いて行く。

「配達屋か……」

 その昔、リーベルにも配達屋が沢山居たらしいが、島の西岸と東岸を結ぶ海上輸送が発達し始めた頃から減っていった。

 現在でも居ないことはないが、リューレシア大陸の国々に比べると少ない。

 ここ、ラキエー大陸でも多いようで、さっきからすれ違っていく配達屋を見ているだけでも異国に来たことを実感できる。

 しかし、異国へ来ても変わらないものもあった。

 旅人を襲うモンスターだ。


 ***


 ハーヴェンが出発してから四時間程が過ぎた。

 昼食を取ろうと思うのだが、先を急ぎたい気持ちもある。

 昼食といってもビスケットを齧り、水で胃に流し込むだけだ。

 行儀は悪いが、歩きながらでも取れる食事だ。

 だが、遥か北に聳える白い山脈が美しい。

 何処かに腰掛け、山脈を眺めながら食べれば、ビスケットの不味さが少しは緩和するかもしれない。

 効率か、行儀か。

 先を急ぐか、休憩するか。

 ハーヴェンが少し迷っていたときだった。

「ん?」

 前方で、彼を追い抜いた豪華な馬車が止まった。

 どうやら何かに進路を塞がれたらしい。

 その何かは子供大の白い人間型の群れ。

 群れが馬車を襲っている。

「まずい!」

 ハーヴェンは馬車に向かって全速で駆け出した。

 駆けながら盾と鎚矛を装備し、神聖魔法を唱える。

 あれはモンスターだ。

 昨夜、街の住人が教えてくれた。

 北の大陸は寒冷な気候ゆえに氷雪のモンスターが多い。

 他の地から来る旅人は氷狼フェンリルを恐れるが、縄張りに近付かなければ何の危険もない。

 しかもフェンリルの縄張りは、大陸北側の山脈をいくつも越えた先だ。

 人間が辿り着けない極寒地獄だ。

 それよりも人間が警戒すべきは——

「フロスダンだ!」

 御者の悲鳴がハーヴェンの耳にも届いた。

 氷人フロスダン——

 氷の人というのは比喩だ。

 もちろん人間ではない。

 硬い氷の人間型モンスターであり、大きさは子供くらいのものから大男くらいのものまで様々だ。

 単体で現れるときもあれば、群れで現れるときもある。

 今回は子供大の群れだった。

 山脈から吹き下ろす北風に乗って人里へやってくる。

 知性はないので言葉は通じず、ゆえに和睦も命乞いも無理だ。

 出会ったら倒すしかない。

 そうしないと奴らの本能に基づき、凍死させられる。

 知性がないのだから、悪気もたぶんない。

 生物を襲うのはただの本能に過ぎない。

 感知した熱源を速やかに冷却したいという本能的衝動だ。

 されど、ラキエー大陸の全生物はフロスダンの衝動に付き合っていられない。

 よって奴らが馬車の人たちを問答無用で凍らせようとするなら、ハーヴェンも問答無用でフロスダンを粉砕するしかなかった。

 ブゥンッ!

 御者に取り付こうとしていた氷人の脳天に、鎚矛が振り下ろされる。

 ゴガァァァッ!

 片手の一撃で氷人が粉々に砕け散った。

 恐るべき怪力!

 大男のアーレンゼールが両手で振ってもこうはいくまい。

 ハーヴェンは普通の若者の体格だ。

 まだ一〇代後半で、これから筋肉が付いて行くところだ。

 現時点ではまだ細腕だと言わざるを得ない。

 にも拘らずその細腕でどうやって怪力が出たのかというと、神聖魔法〈剛力〉のおかげだ。

 神殿魔法兵を含めて、神官は巡礼団の護衛において刃を用いない。

 聖職者は人殺しの凶器を手にしてはならないという教えなのだから仕方がない。

 巡礼団を狙うモンスターや盗賊は遠慮なく鋭い牙や剣で襲い掛かってくるが、神官が扱える武器は鎚矛と銃のみ。

 銃は強力だが、再装填に時間が掛かる。

 やはり主武器は鎚矛だろう。

 だが敵を倒すという点において鎚矛は剣に劣る。

 たとえば剣で首筋を斬ることができればその敵を倒せるのに、鎚矛では痛めつけるに留まる。

 痛みが治まれば、再び襲い掛かってくる。

 これではあまりにも神官が不利すぎる。

 聖職にある者、断じて人を殺める凶器を手にしてはならないという教えを守るにも限度がある。

 巡礼団も自分の命さえも守れない……

 そこで昔の神官は考えた。

 刃を手にすることが教えに反するというなら、鎚矛を振う腕が怪力になれば良いのだ。

 まるでオーガのように!

 それがハーヴェンの怪力の正体、神聖魔法〈剛力〉だ。

 この魔法によって一定時間、文字通りの剛力を得ることができる。

 いま氷人たちの前にいるのは、鎚矛を振り回すオーガのようなものだった。

 ゴンッ!

 グシャッ!

 ドガァッ!

 氷人たちに知性がないというのは本当だ。

 人間の体熱を冷却したいという本能の命じるまま、一体も逃げようとはしなかった。

 一振り毎に纏めてぶっ飛ばされ、馬車に取り付いていたものたちも悉く粉砕された。

 ハーヴェンは馬車を救うことに成功した。

「助かったぜ!」

 御者は命拾いできたことに大喜びだ。

 さらに、

「危ないところを、ありがとうございました」

 馬車の扉が開き、中から誰かが下りてきた。

 歳はハーヴェンと同じ位か。

 金色の髪を後頭部で纏めた——

 美しい女性だった。

「…………」

 ハーヴェンはウェンドア神殿で真面目な神官だった。

 浮いた話一つなく、他の神官たちから「生真面目すぎて面白味に欠ける」と陰口を叩かれていたくらいだ。

 その彼が……

 一目惚れした。

 だから彼女が膝を軽く曲げて「イリスレイヤと申します」と挨拶したのに気付かない。

 御者に「旦那! 旦那ってば!」と乱暴に声を掛けられ、ようやく正気に返った。

「わ、私はリーベルの神殿魔法兵、ハ、ハーヴェンと申します! ……あなたは?」

 先に名乗ったのに聞いていない。

 あんなに強かったのに、間の抜けた感じがして彼女は楽しそうに笑った。

 御者も面白そうに笑う。

「旦那、先に名乗ったじゃないですかい」

「え? あ、いや、その……」

 御者にからかわれ、真っ赤になっているハーヴェンが面白い。

 でも、いつまでも笑っていては命の恩人に失礼だ。

 彼女は目尻の笑い涙を拭うと再び膝を曲げた。

「イリスレイヤと申します。ハーヴェン様」

 ……もし、アーレンゼール殿下がこのやり取りを見ていたら、友としてハーヴェンに説教をしたことだろう。

 同じリーベル人として嘆かわしい。

 ボーッとしてないで、好きな女の名前くらい一回で覚えろ、と。

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