第48話 呪詛、ここで終焉〈佐久間レイヤ〉

 沙衣くんは母親の全てが溶けてしまったくうをじっと見つめたまま。


 虚ろな凛花を両腕に抱えたまま、俺もただ佇むだけ。


 トシエさんの姿がこの世から完全に去りゆくその場面が、俺たちに切な過ぎる余韻を残したせいで───



 俺でさえ、こんなに胸が疼いてる。


 その手で決定を下した沙衣くんの心情を察すると、安易に声をかけることなど出来はしない。



 この残り香が消えるまで、この薄闇に、しばらくこのまま───




 ***




「終わったのね‥‥‥」


 意識を完全に取り戻した凛花は、俺の左腕に巻きついて立っている。


 部屋の明かりは取り戻されていて、これが普段通りだというのに、暗さに慣れていた目には、いやにしらじらしく眩しく感じる。



 魔法円の真ん中で向かい合う、沙衣くんと俺たち夫婦。



「‥‥‥迷惑かけたと思ってる」


 沙衣くんがぶっきらぼうに深く頭を下げた。


 彼のぎこちない態度のわけはもちろん、他人には見られたくないシーンを俺たちと共有してしまったためだろう。



 時計は、あと15分もすれば12時になろうとしていた。



「‥‥もう、こんな時間だ。凛花さんはもう取り憑かれる心配も無くなったし、俺、帰ります」


 ちょこんと頭を下げる沙衣くん。


 俺のこの男を見る目は、ほんの数時間前とは大分変わって来ている。




 ──先ほど見た、夢のような美しい情景。


 浄化され、闇に溶けてゆく一人の女の霊と沙衣くん。



 胸が苦しくなるような切なさが俺にまで伝わって。


 まるで自分が失恋したかの如くに。 



 スクリーンの中でしか存在しないような光景を、目の前リアルで見せられた俺の心は、この男に囚われてしまっている。


 この母親と息子の関係はどうも不幸なものだったらしく、それは他人が深く踏み込むことではないとは思うけど、ミステリアスをまとった彼をもっと知りたいという好奇心が上をゆく。


 それは虚ろながらもその光景を目撃していた凛花も同じはずで。



「帰る?‥‥そうだな。その方がいい。だけど‥‥‥なるべく早く、このこと改めて総括しましょうよ、沙衣くん」



 俺はもっと知りたくなった。この日常の裏で普段は隠れているもう一つの世界のことを。


 彼と摩訶不思議な霊の世界に、俺はすっかり魅せられている。


 これは今たかぶってる一時的な気持ちかもしれないけれど。



「総括って‥‥損害賠償でも請求する気? 無理だって。俺、貯金なんて無いし。ま、誠意見せて、調子悪いドアノブくらいなら、俺がちょちょっと直してやってもいいけど? あ、部品代はお前が払えよ!」



 沙衣くんは何か勘違いしているようだ。なぜ、そんな発想になる?


 彼からは俺がそういう人間に見えてるんだ? 心外だ。



「待てよ! 誰が金のこと言いましたか? 俺のこと、そういう目で見てるんですね」


「あん?‥‥‥‥じゃあ何?」


 顎を上げて怪訝な顔をして、これは威嚇だろうか?



 無意識の強がり。


 この沙衣という男は、本当はもろい人間だと感じる。


 何かの一押しであっけなく崩れてしまうような。



「この家の家主として、ことの詳細を求めるのは当然だろ? 俺たちは概要しか聞かされてはいないし」


「ああ、そのことね。それは二見さんに相談してからってことにしてくんね?」


「‥‥‥了解した」



 俺の腕を掴んで立っている凛花が、うつむいたまま、ぽそりと小声を発した。 



「‥‥‥私‥‥‥自分が怖い。‥‥‥躊躇無く人に矢を突き立てたんだもの‥‥‥深く‥‥簡単に深く刺さって‥‥‥ああ‥‥‥」


 俺からおもむろに離れて、沙衣くんの前に立った。



「ごめんなさい‥‥‥沙衣さんのお母さんだったのに‥‥‥」



 彼の前でうつ向いて肩を震わせた。



 一時の緊張が解け、興奮が落ち着いて、自分のしたことに怖くなっているらしい。



「‥‥あれは人じゃない。自分を責める必要なんて一切無い。凛花さんの機転のお陰で俺たちは助かったんだ。お母さんだってそうだよ。やっと煩悩から解放されてあの世に旅立てた。泣く必要なんてないよ。むしろありがとうだって‥‥」


「でも‥‥‥」


 凛花は顔を上げた。



「なら、とどめを刺した俺はどうなの? 俺はひどい人間?」


 首を傾げて問う沙衣くんと凛花は一拍見つめ合う。



「いいえ‥‥決してそんなこと!」


 凛花はブンブンと顔を横に振った。



「なら、いいじゃん。忘れてくれよ? なっ?」


 キザな微笑みを一瞬浮かべた沙衣くん。



「‥‥沙衣さん‥‥うううっ‥‥」


 心の重石おもしがとれたらしい凛花が、沙衣くんの胸にすがってわんわん泣き出した。


 凛花の背中をぽんぽん優しく叩きながら、困った風にチラリと俺を見た。



「ほら、泣くなら場所がちげーぞ?」


「ぐずっ、ご、ごめんなさい‥‥‥びぇぇーん‥‥レイヤー‥‥‥」



 今度は俺の胸で涙を拭いている。その震える細い肩を抱いた。


 目覚めてから日常モードに意識が戻り、罪の意識にさいなまれていたんだろう。



 それにしても‥‥凛花が他の男に自ら触れるなんて、前代未聞だ。


 この男、要注意!



「‥‥‥俺さ、ここに来たのが凛花さんでラッキーって思う。レイヤさんは幸せだね。お似合いだよな、あんたら。結婚も案外いいものなのかもな? 俺には無縁だけど。じゃあな! 後で必ず連絡すっから」



 俺の心を知ってか知らずか、不敵な笑みと、こんなおべんちゃらの言葉を残し、俺たちにさっさと背中を向けた。



 タッタと階段を下りて行く沙衣くんの軽い足音が聞こえる。



「ほら、凛花。しっかりして」


 俺は凛花を促す。



「うん‥‥‥ごめんなさい。レイヤ」



 凛花はティッシュでささっと涙を拭き、鼻をかんで、髪を手ぐしでささっと整えた。



「私たち、沙衣さんをお見送りしなきゃね」


「ああ。まさかこんな夜になるなんてね‥‥‥」



 にゃ~ん、にゃ~ん‥‥にゃ~ん



 真夜中の静寂を破る鳴き声は、家のすぐ正面あたりから聞こえる。


 今夜のノラネコ会議の召集かな? いきなり始まった。



 にゃ~ん、にゃ~ん、にゃ~ん、にゃ~ん‥‥



 赤ん坊の声にも似ていて、どことなく不安を呼ぶような響き。



「昼の12時ならぬ、夜中の12時を告げるお知らせってとこね‥‥」



 凛花が言うので俺は掛け時計をチラリと見た。


 瞬間、電波時計の表示が、パッと12:00に変わった。



 凛花と俺は、階段を先に下りて行った沙衣くんの後を、ほんの数十秒遅れで追った。




 たったそれだけだったのに────




 玄関のたたきの沙衣くんのスニーカーは無くなっていた。



 なのに玄関ドアのカギは閉まったままだった。


 どの部屋の窓だって全て内カギが掛かっていた。



 隠れる暇など、あったわけも無い。


 隠れる意味もない。



 家中隅々探したけど、どこにもいなかった。



 いや、家中どころか───




 

《‥‥‥俺さ、ここに来たのが凛花さんでラッキーって思う。レイヤさんは幸せだね。お似合いだよな、あんたら。結婚も案外いいものなのかもな? 俺には無縁だけど。じゃあな! 後で必ず連絡すっから》



 沙衣くんは俺たちと、約束したままに。


 凛花と俺の心は、彼に囚われたままに。


 俺たちは、重要な何かを忘れているような不安感を抱えたまま。



 いまだに俺の頭には、彼が去り際に見せたあのキザな笑みが浮かぶ。



 あの後ろ姿が、沙衣くんを見た最期の姿になるなんて。





 ──以降、この家では一切怪奇は起きてはいない。





                                ─終─ 

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