第42話 愛情、からの嫉妬〈佐久間レイヤ〉

 俺は今、思い出してる。ここに越して来てからのいくつかの出来事について。



 凛花にはそれらは黙っていた。


 だって、彼女を不安にさせるようなことは避けたかったから。



 二人で相談して買ったこの中古住宅。この決断が不運を招いたとは思いたくない。



 いずれ引っ越すにしても、今は無理だ。仲介手数料やら、登記やら諸費用でも随分散財した。今売れば足が出るし大損害だ。ただ何も手元に残らず、ローンだけが残ってしまう。



 ──ならば解決させるしかない! この意味不明の現象の原因を解いて。



 床下から出て来た箱が、凜花がおかしくなった原因だとするならば、俺に起きた出来事も、あの木箱と沙衣くんに関係があるんじゃないか?



 あの時はマジで酷い目に遭った。


 動物の排泄物がたまって天井が腐って落ちて来たと周りには言ったけれど、天井から落ちて来たのは実際は、虫と糞尿にまみれたクロネコの死体。


 とても凜花に見せられるようなものじゃなかった。偶然にも見せずに済んだことは幸いだった。



 俺のベッドの上には散らばった木屑、そして黒い毛皮を残して食い荒らされた屍。空いた眼窩と口からは、ウジ虫がチョロチョロはみ出して。


 思い出すと今でも気分が悪くなる。


 糞尿には粉のようなダニと、見たこともないような小さな黒い虫が集っていた。


 ブンブンと不快な羽音を立て、空中をぐるぐる狂ったように飛ぶ何匹もの大きなハエ。カサコソとうごめくゴキブリ‥‥‥



 必死で片付けた後は、髪の毛の中にまで虫が入り込んだような気がして頭と体を3回洗った。 



 今となっては天井裏が動物のトイレにされていただけとも思えない。



 再び始まった天井裏の音‥‥‥



 こうなった以上、さっきは控えていたネコの件も、沙衣くんに話した方がいいだろう。凜花にも。


 あんなの普通あり得ない。



 その夜、凛花の部屋のドアの隙間から見えたあの女の幽霊は?


 俺の見間違いじゃなかった。そうだろ? 沙衣くん。


 その恐ろしげな幽霊が凛花に取り憑いたのか?



 思うに、凛花が沙衣くんにこぼしたこれらの事だって、霊の存在を知った今となっては意味が違ってこない?



《本当にすみませんでした。私たち、家を買った途端に他にも小さなトラブル続きで参ってしまって。立て付けが悪くなっているのか夜中に部屋のドアがカチャカチャしたり、そんなに電気を使ってはいないのに急にブレーカーが落ちて真っ暗になったり、水道からはポタポタ水が垂れるし》



 凛花には度々相談されていたけど、日々に追われてなおざりにしていた小さなトラブル


 今、知った。気に病んでしまうほど凛花にだけ起こっていたなんて。



 だって、俺は蛇口から水が漏れてるのなんて見たことないし、停電になったことなんて無かった。


 凛花の部屋で寝た時に、ドアの立て付けが悪くなってることは知っていたけれど、その他のことは凛花がそう訴えていただけで、俺は実際には把握してはいない。


 俺がほぼ気にも留めなかったから、凛花はこの機会に沙衣くんに相談したんだね‥‥

 

 

 夜中のドアの音については、自分も特に不気味に感じる。またあの恐ろしい目が、ドアの向こうにあるような想像をしてしまって。


 俺が見たあれは幽霊が凛花を覗いていたのか? 


 その頃から取り憑こうと、凛花の隙を狙っていたんじゃ‥‥‥?



 それは考え過ぎ‥‥‥?



 ──俺は今ここで、沙衣くんに問う!



 すべてがハッキリするまで彼をここから帰すわけには行かない。逃がしはしないからな! ぐるぐる巻きにして吊るしてでも。


 俺は、床下の桐箱は、元家主の茉莉児さんと沙衣くんが置いたものと確信してる。


 じゃなければ誰が置いたっていうんだ?


 年でもない茉莉児さんが家を売却した直後に亡くなったというのも気になる。そう言えば、俺があの箱を開けてから間もなくのことじゃないか?



 茉莉児さんの件が凜花に取り憑いた霊の仕業だとしたら、相当に危険な霊ってことだ。


 俺たち夫婦は何も知らないままに危険と背中合わせに暮らしてた。 


 沙衣くん? このままで済ませられると思ったら大間違いだからな! 知っていることは全部ここで話して貰う。



「───だって、そうですよね? 河原崎さん、人外の仕業って言いましたよね? ならきっとあの箱は呪われた箱だったんじゃないですか? 俺は今までそんなものが本当にこの世に存在するなんて思いもしませんでしたけど。置いたのは河原崎さん、あなたなんでしょう? 正直に言ってくださいよ!」


「それは‥‥‥」



 問い詰めると誤摩化そうとしてか、沙衣くんは口籠ってる。


 俺はれて掴みかかりたい気持ちを抑えるのに、手のひらをキツく握りしめてる。



 ──さっさと吐け! DQNのくせに! こいつのせいで凜花が‥‥!



 心の中で自分でも驚くほどの悪態を吐いていた時、ようやく凜花が意識を取り戻そうとしていた。



「‥‥‥う‥‥ん‥‥‥‥」



 俺はソファに横たわる凜花の肩をそっと揺らす。



「凜花ッ! 凛花ッ、気がついた?」



 凜花の虚ろな視線はやがて俺の首に定まったようだった。たぶん、鏡で見たら沙衣くんと同じようになっているんだろうな。


 彼女の指先が戸惑うようにゆっくりと俺の首に迫った時、心ならずもビクッと体が反射した。俺が凜花を恐れているはずもないのに。



 スッと引いた凜花の手。悲しげな瞳。



 沙衣くんが、凛花と俺に辟易してるかのようにフッと顔を背けたのに気づいた。


 こうなったのも、みんなコイツのせいだってのに!



 幽霊に取り憑かれるという禍害に見舞われた直後というのに、無理して起き上がった凜花は、沙衣くんと俺に話したいことがあると言った。



 いったい何を話すと言うんだろう?



 今まで凜花が横になっていたソファに3人で座った。俺の両横に凜花と沙衣くん。


 どうやら凜花は取り憑かれた時のことを覚えているようだ。


 沙衣くんの首についた跡を見て謝罪した。



 ──凜花は悪くない。



 元はといえばこのDQN野郎が元凶に違いないのだから、首を締められたのも自業自得と言えるんじゃないだろうか?



「河原崎さん。本当にごめんなさい。首、私の指の跡がついてますね。大丈夫ですか?」


「‥‥俺は別に。それにこれって、奥さんのしたことじゃないし」



 ──当たり前だ。



 おい? コイツ、凜花の前でカッコつけてない? アピってんの? いちいち首と肩使うその仕草が気に障る。



「‥‥出来ましたら奥さんって呼ばないでくださいますか? 凛花でいいです。私、レイヤにふさわしい自立した個人でいたいんです」



 ‥‥俺の『奥さん』でいいと思うけど? 何か不満なの?



「えっと? 凛花さん。俺の首は、あなたのしたことじゃない。‥‥これでOK?」



 俺は、この男が嫌いだ。言い方、なんかキザなんだよ。一般人のくせに。



 だけど、首を傾げながらさり気なくかき上げたその前髪の下の顔は、男の俺でさえハッとするものだった。


 全身から醸し出されてた胡散臭さも、顔を見てしまった後はミステリアスな翳りに思えてしまう。



 ──この男のせいで俺の幸せが崩れて行くような気がする‥‥‥


 二人のこの家と、愛する凜花が‥‥‥



 落ち着け‥‥‥バカだろ、俺は。どうかしてる。この非常事態の時にコンプレックスにかられている場合じゃないだろ?



 凜花はこんな顔だけのチャラ男になびく女じゃない。


 俺は凜花を信じてる。



 それなのに、なぜだ? 


 今、凛花の愛おしげな瞳は沙衣くんに向けられている‥‥‥?




 俺には持ち得ない生まれながらの魅力を持った男、河原崎沙衣。


 

 これは俺の一方的な思い込みの嫉妬だと? そうさ。ただの思いこみだって。




 ただの隣人のひとりに過ぎない。







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