第40話 否定、されど伏在〈河原崎沙衣〉

 始まりは、俺んちのポストに入れられた佐久間さんからの一言メモだった。



『急に申し訳ありません。息子さんに相談があります。本日、自宅におりますので、何時になってもいいので声かけて下されば幸いです 佐久間』



 新たなる隣の家の入居者の若夫婦。佐久間レイヤと凛花。



 てっきり最近またやり始めたギターの音の苦情を言われるのだとばかり思って、謝罪のために声をかけただけだったのに。



 俺は、出来ればこの家の中に入るのは避けたかったが、低姿勢を装い、実は慇懃無礼な夫の佐久間レイヤによって、半ば強引に引き入れられた。



 この方たちが引っ越して来て間もなくの頃、茉莉児シンさんが亡くなった、という去年の春の情報には、どうにも引っ掛かるものがあった。


 地元に草の根がある二見さん一族のネットワークによる情報だから確かな情報だ。



 なんだか嫌な予感が一筋、微風に漂う線香の煙のように俺の中で流れてる。



 ──どういう因果で俺がこの家に再び入るんだ?


 なんで、こうなった? 引っ越しの挨拶で顔を見て以降、この家とはほとんど関わり合いなんてなかったのに‥‥




 佐久間さん夫婦の話って──? 



 見渡す思い出深きこの部屋は、家具の趣向も配置も異なり、あの時とは全く違う部屋のように見える。今風の雰囲気に調えられたこのダイニングリビングルーム。


 よーく見れば、あのときの魔法円を描いたあの傷が、敷物の隅からはみ出して見えてた。


 何か塗り込んで隠してはあるけれど。



 リビングルームにて聞かされた相談ごとは、全くもって大したことでは無かった。


 屋根裏に動物が入り込んでいて大変な目にあったらしくて、この辺りの環境について俺に詳しく聞きたいとの事。



 夫の佐久間レイヤさんの部屋にて起こった天井落下の話は、不運な出来事だと思うけれど、俺には全く関係の無いことだった。


 関連する話は無いか聞かれたけれど、そんな話が他にあったら二見さんはとっくに知っていて俺に話してんだろ。だから、無いよ。



 奥さんの凛花さんが語った生活上の細々とした不便も些末事項で、今まで何の苦労もしないで育って来たお嬢さんの愚痴聞かされたようで、イライラした。


 関係ない隣人を呼び出してくっだらない自分たちの話聞かせて。んなことで、全然親しくもない俺を指名して呼び出すって? 夜更けだってのに無理に俺を連れ込んで。



 腹が立ったので態度も口調も悪くなった。俺はこれでも普段は常識人で通してんだけどね。


 それでもそれなりにアドバイスしてやった。


 これで俺をもう解放してくれ。この家からさっさと出たい。




 もう、これで切り上げようとした時、俺を窺うかのように、レイヤさんが言った。



「あの‥‥茉莉児まりこさんて、亡くなられたそうですが」



 俺、今椅子から数センチ、飛び上がったんじゃない?



「えっ!?‥‥ああ、そうですね。去年あなた方が越して来てすぐでしたね‥‥不動産屋から聞いたんですか?」


「ええまあ‥‥。あの、茉莉児まりこさんとはそれほど話したことが無いってことですけど、あの‥‥実際、どの程度の間柄だったのですか?」



 なんか知ってる? 俺を呼び出してここに連れて来た意味よ?


 この夫婦も薄気味悪く感じる。早く帰りたい。サワサワする心。


 コイツ、何か他に目的あんの?



「‥‥‥なんでそんなこと?」


「あ、いえ‥‥‥」



 ガン飛ばしたら引いたようだ。さっさとここを出よう。



「もう、俺が話せることもないから、これで」



 俺が立ち上がった時だった。凛花さんが───



「‥‥‥沙衣‥‥‥あんた‥‥は‥‥向こうに‥‥‥行ってな‥‥さい‥‥」


「はっ?」



 ──このお嬢さんは、さっき俺がきつめの話し方したから、気を悪くしたんだろう。あれからずっとうつ向いて座ってたから。



 そう思うことにした。半ば察するところはあったのだけれど。


 そういうことにしておいて、ここを早く離れよう。

 


「凛花?」


 レイヤさんがちょい焦ってるけど、凛花さんは無視してうつむいたまま。



 レイヤさんと俺の困惑の視線が交差した。もう、俺はイヤな予感の段階は通り過ぎてる。


 何かが始まる前にここを出るんだ!



「おい、凛花?」



 ガッターンと大きな音が響く。


 凛花さんが椅子を後ろに倒して、勢い良く立ち上がった。



「おっ、おい、凛花!? 何やってんだ!」



 レイヤさんが慌ててる。凛花さんの異変に気づいて。



 もう、ここまで来たら間違いはないね。


 でも、俺はそう認めるわけには。ここをこのまま去るために。



「‥‥‥沙衣‥‥‥邪魔‥‥なの‥‥よ‥‥あんた‥‥‥」



 まさか、そんな。いやいや、そうなんだけど、だけどそうじゃないよ。知らんけど。



 もう、嫌だ!!


 俺は帰る!!


 何も知らない振りをして。 




 しかし、そうは行かなかった。



 気を失った凛花さんは、ソファに寝ながらレイヤさんの首を締め、それを助けた俺の首も狙って絞め殺そうとした。半開きの目から涙を流しながら。


 凛花さんの本能がこの状況に逆らってる。


 涙の矢が、俺の心を突き刺す。



 観念した。



 ──もう、俺は逃げらんない。



 封印の桐箱は解かれたんだ。認めなきゃ。



 まさか、トシエが人に乗り移るなんて思いもよらなかった。



 今、俺の脳裏に甦ってる。白無垢さんと交わした会話。


 これは二見さんにも誰にも話してはいないこと。



 自分の落ち度がきっかけのエマージェンシーに、二見さんとシンさんを巻き添えにするわけにはいかなかったんだ。だから───


 あの失敗した封印がなんとかなったのは、俺が白無垢さんと約束したからだってこと。



 白無垢さんがこの封印から出た暁には、俺が彼女のお願いを聞くという誓い。お願い内容は出た時に俺に話す。それまでは何を要求されんのか謎。



 それが交換条件だった。



 それで、白無垢さんはおとなしく封印されてくれたんだ。トシエも引き連れて。



 ──そして、封印には注釈があった。



《但しね、トシエは封印から出た時、すっごく怒ると思うけど? いいよね? そこまであたしは知らないよ?》



 ‥‥ということで、トシエの怒りは前回とは比べ物にならないほど大きいと推測される。



 今までは、悪霊とはいえ、男をたぶらかして気持ちよくさせて夢うつつにして細々生気を奪っていただけだったのに。



 この非常事態、俺にどうにか出来るもん? 無理だって。


 とにかく、今は塩の浄化で落ち着いてる凛花さんの体をこのままトシエから護り、レイヤさんにも協力してもらって一時的にトシエをなんとかするしかない。


 封印が解けた以上、二見さんにも協力を得ないと。


 気になる白無垢さんの姿は今んとこ見えない。


 俺は盛り塩したり、破魔矢を置いたり、思いつくことを取り敢えずはしてみたけれど。この後すべきことは?



 先ずは状況確認だな。


 いつ、どこで誰によって封印が解かれたんだ? 


 シンさんは封印の桐箱、持って行った? それとも‥‥‥


 まずはレイヤさんに話を聞いてみよう。封印の桐箱のこと知ってんのか。



 

 予想はしていたけど、シンさんが引っ越した後もここの床下に置かれたままだったってことが判明した。



「‥‥‥ああ、あったよ。床下に。なんで河原崎さんがそれをご存知なんですか?」



 人の家の床下にひっそりと置かれていた箱の存在を俺が口にして、レイヤさんには不審な目を向けられた。



 どうやら、それと俺を関連づけて俺を呼び出したわけではない? 何も知らないんだ?


 純粋に、ただの生活上の相談を俺に持ちかけていただけ? 俺が穿うがって見てただけ?



「だから、それが床下から出て来て、不動産屋に連絡して茉莉児まりこさんにも確認取って貰ったけど、持ち主不明で処分したんだ。箱の写真あるよ。見ますか?」



 レイヤさんはちょいふて腐れたものの言い様だった。


 俺の態度に気分を害された隣のお坊ちゃんにむくれられたところで、そんなこと今はどうでもいいことだった。



「げっ‥‥‥処分って‥‥マジ? 棄てちゃったのかよ‥‥。俺のナイフまで‥‥‥ちっ、茉莉児さんもシカトこいて逃げてんじゃねーよ‥‥‥」



 せめてあのナイフがここにあったらどんなに。


 トシエがあのナイフを警戒していた節があったのに気づいてた。


 あれ、目の前にかざしたら、俺を惑わせて捨てさせたから。



 それにしても‥‥コイツ、レイヤ。くっそムカつく。俺の宝物をゴミにしてしまうなんて。元々ゴミだったけどさぁ‥‥‥



 今まで人生順調、自分の将来だけを見詰めて邁進し、大した苦難に遭うこともなく幸せに過ごして来たであろう、ほどよくイケメン、品行方正男子が青ざめた顔を俺に向けた。


 なあ? 俺ら絶対気が合わねーよな? 年は近そうだけど。



「‥‥‥河原崎さん。俺に塩やら破魔矢なんか持ち出させて。まさか、これって人外の仕業とか言う気ですか?」

 


「‥‥‥じゃなかったら、何?」



 俺は今からのことを考え、本当にげんなりした。


 コイツ、これまでの印象、あんま役に立ちそうもないし。




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