第19話 起承静寂〈二見早苗〉
晩秋のことだった。
私たち一族には商売上、地域の情報は集まりやすい。地元で顔も広いから、こっちから聞かなくても向こうから伝わって来るのよ。
茉莉児さんご夫妻が事故で亡くなられたことは、息子のシンさんからではなく、別ルートで翌翌日に知ったの。
葬儀は、息子さんのシンさんによって身内だけでひっそり行われる模様。
この辺りの住人は各地からの移住者が大半で、お互いに干渉しない風土なのだけど、今回のことは特別よ。
私は、四十九日が過ぎ、一段落ついた頃を見計らって茉莉児さんのお宅にお線香をあげに伺わせていただくことにしたの。
郵便受けに霊前にお悔やみを申し上げたい旨を手紙を入れておいたら、シンさんから承諾のメモが戻って来ていて。
お悔やみの意を申し上げたいものの、トシエさんの幽霊がいまだいるかも知れない家に一人で行くのはどうしても腰が引けてしまうので、河原崎さんのお宅に声をかけたら、沙衣くんと二人で伺うことになった。お父様は出張が多いそうで不在だった。
良かったわ。沙衣くんがいてくれると心強い。
あの子ももう、いつしか20代半ばに入ってる大人。見かけはチャラチャラしてるけど、優しくてしっかりした子だって小さな頃から知ってるもの。
今日の夜8時に茉莉児さん宅にお伺いすることになっている。
あの家に入るのに、気になるのはトシエさんの幽霊だけじゃない。白無垢さんと黒ネコも。
申し訳ないけれど、シンさんの用意した御札は効果は余り無かったようだし。
白無垢さんと黒ネコの地縛霊の存在は、ここの中では私しか知らないことよ。
この事は誰にも言うつもりは無い。あの家の茉莉児シンさんにも、沙衣くんにも。
さらにこんなこと伝えても不安と不快を与えるだけで、彼らに言うメリットもないと思うし、信じてくれるかも微妙よ。今言ったら逆恨みされる恐れさえある。
口は災いの元だし、秘密にしておくわ。
白無垢さんはあの日、車にしれっと乗っていたからそのまま山奥の温泉郷に行ってしまってたりして? トシエさんは未だにあの家にいる?
それにしても‥‥‥白無垢さんは地縛霊なのに、あの日この地から離れられたのは不思議だと思っている。
──んー‥‥なんで?
今夜、家の中を見れば何かしらのヒントが見つかるかしら?
行くのは怖いけれど、茉莉児さんご夫婦の最期があれではモヤモヤするし、強いとも言えない私の霊感では、ご夫婦の幽霊に会うことは無いと思うし、隣人として、最後くらい御霊前に向かってきちんとお別れをしておきたいのよ。
とても常識的なご夫婦だったし、私は隣人ガチャに良い人に当たって本当に感謝していたのよ。こういうのってプライスレスだもの。
準備は万端。
私は以前、父から魔除けの御札を一枚分けて貰っていた。
玄関に貼っておいたこれを剥がして念のために持って行けば心強い。
これこそは本物の御札よ!
祖父が東北まで、あの祠にいたおばあちゃんを探しに出掛けて、その
これを持っていれば、茉莉児さんのお宅にお邪魔しても悪霊から身を護れると思うのよ。
まあ、白無垢さんは祠を建てたおじいちゃんのひ孫の代までは取り敢えず祟らない設定らしいから、私はそもそも大丈夫らしいけど、そんなの当てになるかわからないし。
問題はトシエさんよ。もし出会ってしまったら、自分のテリトリーに入って来た私にどう反応するか?
私、嫌われてたし。
いなくなってくれてればいいけど、どうだか。
何年も前に一度だけ見たトシエさんの霊は、完全には正気を保ってはいないようで、どこか虚ろが漂っていた。本能が優先する色情魔的な幽霊のように思えた。
思うに、この二体の女の幽霊のターゲットはそもそも男性だと思うのよね。
男に裏切られ、怨みながら花嫁衣装で死を遂げた霊と、男に執着してるらしき霊。
白無垢を着ているなんて、男を恨んでいるものの、花嫁となる望みは断ち切れてはいないのよね。結局は男性を求めてるわ。
トシエさんはとにかく男性にちやほやされていたいタイプだった。容姿を武器にして男を利用する人。本能のおもむくまま、好みの男に取り憑きそう。
たぶんそれが茉莉児シンさんだったのよね?
あら、もう7時50分過ぎてる。そろそろ約束の時間だわ。
夫は今夜は、出向する同僚の送別会だそうよ。
明日は土曜日だし、きっと午前様だわ。帰ったら直行ベッドで、スーツのまま寝てしまわなきゃいいけど。
いいのいいの。放っておけばいいのよ。
明日の朝には二日酔いで喉ガラガラ頭ガンガンで自業自得かも。
トマトジュースは用意してあげてる。
さあ、私はそろそろ出ましょう。
喪服とまではいかないけど、黒っぽい地味な服装に着替えてある。御供えに用意した菓子折と御香典を小さなバッグに入れて、後はあれを‥‥‥
にゃ〜んにゃ〜ん‥‥
「えっ?」
玄関ドアのすぐ外からネコちゃんの声。うちのクローネちゃんはここにいるわ。うちの子のお友だちかしら?
ドアを開けて顔を出してみたけど、ネコちゃんはいない。けど、あら‥‥2軒先の玄関の前で、沙衣くんが私を待っているのが見えたから声をかけた。
「あら、いつから待ってたの? ごめんなさいね」
「いえ、別に」
いっけない。待たせていたみたいね。
それにしても、沙衣くんわざわざ喪服着てるのね。お葬式じゃないんだから普通の地味な洋服で良かったのに‥‥‥金髪頭でそれって‥‥パッと見ホストみたい。くすっ‥‥‥
私は、普段着のグレーのセーターに、黒のスラックスよ。事前に言っとけばよかったわね。
「クローネちゃん、お留守番お願いね」
慌てて玄関のカギを閉めて、お隣の茉莉児さんのお宅へ伺った。
茉莉児シンさんは私よりずいぶんお若いはずなのに、老け込んでる。亡くなられたお父様とダブってしまう。
でもその表情は、突然ご両親を亡くされた悲しみからは大分落ち着かれているようには見える。
二階のリビングの脇の小部屋に通された。そこには小さなテーブルの上に並べられたご夫婦の笑顔の写真。
その前の座布団にまず私が進み、お香典をお渡しし、その霊前でお焼香をし、沙衣くんが続いた。
「で、どうですか? この家の中で何か悪いもの感じます? 例のアレ」
シンさんは、私たちのご両親へのお悔やみの気持ちよりも、そっちのことの方が気になるらしい。沙衣くんが手を合わせ終わったと同時に、私に聞いて来た。
「私、それほど霊感があるわけじゃ‥‥‥。ご両親の霊は私には感じられないわ。それに私、幽霊を見たってはっきり言えることはあまりないのよ。だって、よほど奇抜な格好とか態度でなければ、生きている人とは区別がつかないってことに気がついてるし」
「俺の親のことはいいから‥‥‥。じゃあトシエさんの幽霊ってどんな格好だったんですかね? 奇抜だったってことでしょ? もう、あれは10年近く前の話だし、流石にもう出て行ったよな? だけどさ、家ん中、一応全部確認してくださいよ。せっかく来てくれたこの機会に」
なーんか、嫌らしい顔つきね。この人。
シンさんは、あれから実感何事も無く過ごして来たから、トシエさんの幽霊については気になってはいるものの、恐れはないらしい。
「えっとトシエさんの時は‥‥‥格好で幽霊ってわかったというより、私は彼女の顔は知っていたし、醸してる雰囲気とシチュエーションの不自然さで気がついただけ。私が言った奇抜というのは、時代に合っていない服装だって意味よ。あの、ご希望通り、他の部屋も確認してから私たちはおいとまします。暗くなってから、お邪魔してしまって申し訳なかったですし」
トシエさんの着衣無しの格好のことは言いたくないし、ここにだってなるべく長居はしたくない。お線香もあげられたし、用事を済ませたら沙衣くんを連れてさっさと帰りましょ。
白無垢さんの移動の謎も気になるけれど、私が利用されるのは不本意だわ。
でも、あのご夫妻の息子さんの頼みだし、私も理由は知りたい気持ちがある。
トシエさんのことは沙衣くんも知りたいかも知れないし、まあトシエさんの幽霊を信じてはいないかもだけど、この機会に家中見ておくのもいいわよね。
「沙衣くんも私たちと一緒に回りましょう。トシエさんの帰りを待っている沙衣くんにはこんなこと言って申し訳なく思っています。あなたは私のことは信じなくてもいいのよ」
シンさんがよっこいしょと立ち上がった。
「世話かけて悪いな、お隣さん方。俺はあれからお祓いにも行ったし御札も貼ったから特に問題なく過ごしてる。ここにいれば家賃もかかんねーし、交通の便もいいし、引っ越したくはないんだよな。それに住み慣れてるし。幽霊ごときに追い出されてたまるかっての!」
シンさん、言い方‥‥
「‥‥‥」
ほら、沙衣くんが複雑そうな顔をしてる。
義理とはいえお母さんの幽霊だもの。亡くなったことさえ信じていないって言ってたのに。シンさんてデリカシーが無い人ね。あ、でも私も同じようなものね。でも、亡くなっているのは事実だから。
「じゃあ、3階行ってから下の順へ回ってもらえます?」
──私たちは階段を上る。
シンさんは、トシエさんがいないことを確認するために。
沙衣くんは、さしずめ何もいないことを信じるために?
私は、白無垢さんの謎を見つけるために───
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