第17話 幽霊同行〈二見早苗〉

 父との電話で、落ち着きを取り戻した私。


 それからは、順調に新婚生活を送り、やがて一人娘を授かり、夫と仕事と生まれた赤ちゃんに振り回されてあれこれ忙しくって、茉莉児さんの家の白無垢さんのことは意識しなくてもすっかり飛んでしまっていた。


 稀にチラリと思い出すこともあったけれど、それも一瞬のことで、日々の雑念の彼方だった。




 *******




 年月が流れ、私の一人娘が婚約してやれやれした頃だった。



 もう娘は、とっくに家は出ているから、私の生活には変化も無かったのだけれど、娘が精神的にも遠くに行ってしまったようでちょっと寂しい。


 玄関の前を掃除しながら、いつの間にかホウキの手は止まってしまっている。


 母親にしかわからないわ。この空虚な心‥‥‥



 ‥‥‥そうだわ! ペットを飼おうかしら?


 目の前の道路を、犬を連れて通り過ぎる人を見て、ふと思いついた。


 でも、犬はお散歩に行かなきゃいけないから無理ね。ネコちゃんがいいかも。



 家にネコのいる生活を想像して、ホウキをもったまま薄ぼんやりしていたら、お隣の茉莉児さんの奥さんが、大きなスーツケースを転がしながら玄関から出て来た。


 やだわ。一人でにやけてた顔を見られた? 



 すぐさま顔を引き締めてご挨拶した。


 私、背も高めだし、見かけだけはスラッとしたマダムのモデル風なのよ。中身は全然違うんだけれど。


 初対面の人にギャップが知れるとスッゴくガッカリされて引かれてしまうのよ。だから、いつの間にか外ではマダムを演じている。


 本当は、全然優雅な人じゃあ無いんだけどね‥‥‥


 スポーツ観戦してスタジアムで応援盛り上がるの大好きだし。



『おはようございます。あら、旅行ですか? 羨ましいわ』


 私が社交辞令を言うと、奥さんがおっしゃった。


『いえね、夫婦で1ヶ月ほど湯治に行くの。実は夫はね、そうね、もうずーっと長いこと調子を悪くしていたのよ。いえ、大したことではないのよ。健康診断だって問題はないし、検査を受けたって悪いところもないのよ。でも、本人はそうでもないみたいで。思い切って早期退職したんです。後は投資で何とかしようってことにして』


『まあ、会社ではストレスもたまりますよね。きっと激務だったんでしょうね。お体の方が大切ですわ。ゆっくりお湯に浸かって元気になってお戻りになって下さい』


 奥さんとお喋りしていたら、茉莉児さんの旦那さんが玄関から出てらした。



 まあ‥‥‥本当だわ。


 普段ほとんどお見かけすることはなかったんだけれど、それでも私の記憶の中にある姿とはずいぶん違ってる。なんだか、マッチ棒が歩いているみたいよ。いつの間にか白髪だらけで痩せてやつれたご様子。



 当時は40か50代くらいのはずだったのに、70代と言われても違和感無いくらい老け込んでいたの。



 出発する車の後ろ姿を見送りながら、胸の中がさわついた。


 何か重要なことを忘れているような気がして。



 ******



 ──ひと月後、ご夫婦は温泉まんじゅうを持って、戻ったご挨拶にわざわざ来てくれた。


 申し訳ないこと。出かける直前に私に会ってしまったから、気を使って持って来られたのだわ。


 でもね、それで驚いちゃった!


 だって旦那さんの甦り様は半端ない。どうやってこんなに若返ったのってくらい。思わず湯治郷の名前を聞いてしまったわ。



 でも、それも一時的だったみたいで。



 それからというもの、ご夫婦は年に数回は長い湯治に行かれては戻る、を繰り返した生活。湯治に行くと見事に復活なさって戻って来るのよ。


 若返るのが嬉しいらしくて誰かしらに見せたいみたかったみたい。帰られる毎に、私に温泉まんじゅうを買って成果を報告に来るようになっていた。



 でもそれはある日、突然終わりを迎えた。



 私はその朝、家の2階の窓から茉莉児さんご夫婦が車に荷物を積んでいるところをチラリと見かけたのよ。出がけに声をかけられてもご迷惑だと思って、心の中で『お気をつけていってらしてね』って、声をかけた。


 そのまま窓辺の緑に水をあげていたら、チャイムが鳴った。


 私の足元にはついに我が家にやって来たネコちゃん。うふふ。保護センターからお迎えしたイケメンくんの黒ネコよ。


 出会った時は既に大人のネコだった。保護センターで3回ほど面接して、私はこの子が気に入ったわ。


 キリリとしたこの佇まいにうっとりよ。頭も良いの。慣れて来たら意外とあまえんぼさんなとこもあって、益々可愛いのよ~♡


 もはや、嫁に行った娘よりかわいいわよ。



「クローネちゃん、いいこで待っていてね。外に出たらダメよ」



 モニターで見ると宅急便が届いたみたい。きっとアレだわ。階段を急いで下りて玄関に出た。



「配達、ありがとうございます」


 私は通販の小さな段ボール箱を手渡された。


 やったー! お取り寄せの桐箱入り高級カステラ(特大)がキター! ちょっとお高いけれど、私の大好物。日頃頑張ってる自分へのご褒美よ。



 私に背を向けた配達員さんの背中越しの向こうでは、ちょうど茉莉児まりこさんの車がアクセルを踏んで走り出すところだった。


 私に気がついた茉莉児まりこさんの奥さんが、車をそろりと発進させながら、運転席から私に小さく会釈してすぐに前を向いた。その奥の助手席に旦那さんの姿がチラリと見えた。


 私も会釈を返し目線を車に戻した時!!


 私ビックリして、受け取った箱を手から落としてしまったわ。


 だって‥‥‥



 後部座席の窓には白無垢さんの横顔があったのだから。


 下半分だけ見えた、その白い顔と紅のくちびる。



 白無垢さんは、少しこちらに顔を向け、真っ白なその手を小さく振った。



 わっ、私に向けて?!


 背筋に、ビリビリビリって下から上に電流が走り抜けた。



「ひゃっ!!」


 足にもぞもぞするものが触れる感覚。


「クローネちゃん、出たらダメ‥‥‥って、あなた、クローネじゃないっ!」



 思わず一歩後ずさる。



「にゃお~ん‥‥‥にゃお~ん‥‥‥」



 私の足元にまとわりつく一匹の黒ネコ。同じ黒ネコだけど、うちのクローネとは顔も体の大きさも違うわ。クローネよりやや小さい。この子は女の子ね。



 どこの子なのかしら? 真っ赤な口の中を見せながら私に何か話し掛けている二つのお月様のような真ん丸の瞳。


 なんて言ってるの? 『迅速丁寧に無事カステラをお届けいたしたのは黒ネコにゃん。黒ネコは優秀にゃん』とか?


 とても艶やかな毛並みのキレイなネコだけど、首輪はしていないわね。


 ふふ~ん。宅急便と共に現れるとは、計画的かしら。依頼されて個別訪問でステマして働くネコちゃんだったりして。 


 ‥‥って、宅急便到着と見知らぬ黒ネコちゃん登場の、この偶然なるこのコラボを楽しんでる場合じゃない!



「あっ!」


 気を取られたのはそれでも秒単位のことだった。



 私が呼び止める前に、茉莉児さんの車は行ってしまっていた‥‥‥


 すぐさま道路に出て向こうに目を凝らしたけれど、もう点も見えなかった。



 怖いわ。なぜ、白無垢さんが乗っていたのかしら‥‥‥


 たぶん白無垢さんも温泉が羨ましくなって、行きたくなったのね。



「あれっ?」


 気づけば、私の足にすり寄って来ていた美しい黒ネコも消えていた。



「うっ!?」


 ふと思い当たった。あの黒ネコ‥‥‥



「‥‥‥‥今のあの子、白無垢さんのネコ? 白無垢さんは私ではなく、お留守番の黒ネコちゃんに手を振っていたの?」




 もう、私はぞわぞわが止まらないわよ。



 ──そう、それが私があのご夫婦を見た最期だったのだから。




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