第16話 大家事情〈二見早苗〉

 私の父は、居住者から持ち込まれる苦情解決については、既にノウハウを心得たエキスパート。とても頼りになるの。


 長年賃貸住宅を経営している父にとって、入居者同士のトラブル、設備破損に故障などの各種苦情や陳情の訴えが無い時なんてないしね。



 そんな父でも一番ダメージを食らうのはやっぱりアレよ。


 貸した部屋が事故物件になってしまうこと。それほど珍しいことではないの。


 だって、人は最後には必ず死ぬものだし。



 *****



 大地主で大家だからって楽して稼げる訳じゃない。


 苦難の連続よ。一番困るのは死にまつわる出来事ね。


 部屋で死人が出るのは経営上、いろんな意味で非常に困ることなのよ。


 冷たい言い方だけど、相当の回復費用もかかるし、家賃の回収にだって数年先まで影響が出るの。他の部屋の住人への心理的影響も大きい。


 私たちにとって恨みでしかないわ。そこは貸してるだけであなたのものではないのに、人びとが穢れだと忌み嫌う死を染みつかせておいて、後はお願いってされても。


 偶発的ならまだしも、計画的に脱け殻を残されるなんて、勘弁して欲しい。


 こっちだって低層マンションを建てるのにだって数億の借金しているの。1棟につき、毎月百万単位で返済しなければならないのに。大家だって伊達や酔狂で部屋を提供しているわけじゃないのよ。


 でもね、怪奇現象が現れるって訴えられる部屋は、そういう事件や事故が起きた部屋だとは限らないって言うのが実情よ。


 なんだかんだ原因不明のことは、取り敢えず幽霊のせいにする人多いから。



『僕の知らない長い髪が部屋に落ちてることが何回もあって‥‥‥これって呪われてませんか? この部屋‥‥幽霊が出る部屋だったんじゃないですか? 前に住んでた方は、なんで引っ越したんですか? その人、同じようなこと言ってませんでしたか?』 



 帰宅時に自室に感じる違和感は、元カレ元カノが留守中にこっそり侵入して家捜してたからとかって、わりとあるある。


 スペアキー作ってカギを他人に渡すなんて、ほんと目先しか見えてないおバカさん。自業自得。返して貰ったところで向こうはスペアキーのスペアキー作ってるってば。


 ステルスストーカー、密かに侵入して髪の毛を置いていったり、物を少しだけ動かしてみたりして自己顕示。


 人って怖いわ~。



 ***


 

『この部屋には何かいるんです! 本当です! 毎夜気味の悪い声が響いて来るんですから! まるで墓場から亡霊に呼ばれているような気がします。大家でしょ? お祓いしてくださいよ。それって貸してる人の義務ですよ?』



 おかしなざわめきが聞こえるとか、地の底から響くような音が聞こえるとか、テーブルだけがガタガタ振動して不気味だとかのクレーム。


 そういうところって、どこかの工事の振動や生活音とか、離れた場所からの影響が及んでいるだけのことが多いのよ。壁や配管とか、通気孔を伝わって。


 他の部屋でこっそりペットを飼っていて、その鳴き声や足音が響いてたせいだったりとか。


 音の振動って上下左右以外にも、どこに伝わるかはわりとカオスで、思わぬ所に影響が現れることがあって予測不能なとこがあるのよ。



 中には、人為的なこともあるのよ。



 人の立てる音には敏感でクレーマーのくせに、自分が立てる音には無頓着な迷惑な人っているのよね。それで、他の部屋の住人が仕返ししてたこともあったわ。


 深夜に無気味に読経を響かせて線香の臭いまで放って演出して怖がらせて精神攻撃してたのよ。


 自分も被害者ぶって怖がってれば幽霊の仕業になるからね。幽霊だって濡れ衣着せられていい迷惑よね。



 ***



『この部屋は呪われているのよ! 見てよ、これ!! 天井にシミが出来てきて、次第に人の顔が浮かんで来たのよ‥‥‥。こんなのって怖すぎでしょ? ひどいわ! こんな部屋を私に貸すなんて。今すぐ速攻部屋を替えてください!』



 地味に水漏れさせといて、しらばっくれてる人がいたのよ。


 いやあねぇ~。そりゃ階下の天井に謎のシミが浮かぶわよ! 場合によってはシミは壁に現れることも。


 なぜかああいうシミって人の顔に見えてしまうから不思議よね‥‥‥



 幽霊騒動は、大抵はその辺で落ち着く。



 いろいろ起きてるのよ。裏側ではね。だからトラブル回避には、それなりの民度を備えた住人を選ぶことが重要なのよ。でもね見極めは難しいのよ、これ。


 だって、入居者なんて全く知らない他人だし、肩書きもそこまで当てにはならないものよ。外と家ではジギルとハイドだったりね‥‥‥




 でもね、調査では解明出来ない、リアルに幽霊が出るらしき部屋が、いくつかは残るのよ。


 事故物件ならいざ知らず、特別な事など思い当たらない部屋なのに、新たな住人が引っ越して来ても、数ヵ月たらずで連続去ってしまうという部屋が現れる。

 

 短期間で引っ越して行く理由を聞けば、皆言葉を濁すけれど、どうも出るらしい。



 現実主義者で昔は幽霊なんて信じていない父だったけれど、私たちは顧客満足度を上げるためにはそういったことにも対応するべきだった。


 今の時代、悪い噂はネットに上げられてあっという間に拡散されてしまうもの。


 こちらには何も言ってこないくせに、いきなりネットを通して苦情を一方的に世間に公開される世の中よ? 何なのよ? 直接こっちに言いなさいよ。


 不満を抱えたまま黙って去って行くタイプが地雷かも。


 あそこは幽霊が出る部屋だなんて公開されたら、一棟まるごとダメージ食らうでしょう?


 不動産会社や管理会社を全面信頼して管理を全部任せていては、こっちだっていいように転がされて割りを食ってしまう。


 あいつらにとって私たち地主は、リスクはおっ被せらせて、自分たちには元手無しでマネーを運んでくれる、という都合の良いファンクションの一つでしかないのだから。



 マンション経営者としては、部屋の稼働率を上げるために、訳アリの部屋だからって1室だって放っておくわけにはいかないの。


 だからっているんだかいないんだかわからない幽霊のために、よくわからない霊能力者に大金を払ってお祓いなんてバカらしいと考えた私の父。霊能者なんてインチキの可能性もあるしね。


 ならば自らと、父は趣味と実益をミックスさせて古い文献を研究した。何年もかけて。悪霊払いのあらゆる伝説を。日本の陰陽師、地方の言い伝えや、いたこの口寄せ、海外のシャーマンまで手当たり次第。


 幸い父は会社勤めではないから融通のきく時間があった。それなりのお金も。


 父は経済学部だったけれど当時付き合っていた古典文学文化専攻の母の影響で古語もある程度読めるし、難解な部分は母の助言も受けられた。



 そして、得た知識により、理論的に儀式を組み立て、幽霊部屋住人の協力の下、果敢に実証実験を繰り返した。


 こういうの、わりと住居人は有り難がって協力してくれたのよね。


 十数年かけ、お陰さまでわりと高確率で成功する除霊方法を編み出した。除霊が難しい場合の封印方法も。その成果は我が一族門外不出のバイブル。この努力の結晶をライバルの他の地主たちに知られるわけにはいかないのよ。


 神谷家の編み出した、一子相伝の除霊封印手順の機密文書を手に出来るのは両親と跡を継いだ長兄だけという設定だけど、私も方法は大体知っている。準備も手伝っていたし、中学生の頃から巫女として除霊封印に立ち会っていたから。


 一子相伝と言っても言ってるだけでゆるゆるなのよ。多分、お父さんがそういう言葉の雰囲気に憧れてそういう設定にしてみたかっただけなのよ。頼めば貸してくれると思うわ。


 私の巫女姿は立会人に向けた単なるお飾りだったのよ。だって、いないと雰囲気出ないでしょ。 


 儀式においては、周りに与える心理的印象も大切だとかで。


 立ち会う人たちの放つ『気』も、除霊ためのエレメントになる。


 私はその頃は幽霊なんて見たことなかったし、見えてたらそんなお手伝いは怖くて完璧拒否してたに決まってるわ。



*******



 そんな感じで、人の住まいと幽霊の関係を長年見て過ごして来た私。


 大人になってから幽霊を見てしまうことになったのは、その結果なのかしら? 


 ──引越のご挨拶で初めて幽霊を見たあの日。茉莉児まりこさんの家で。



 その後、父に電話連絡したら、


『う~ん、それはもう放置でいいんじゃないか? もう売ってしまって他人の土地だし、我ら一族にはもはや関わりはない。早苗の住んでるその土地だって、私が売った時の倍以上の値で買い戻したんだ。これでおじいちゃんも許してくれたんじゃないかな。茉莉児さんとこの土地は、不動産屋から話を持ちかけてみたが、売る気はないってことだったし、こっちだって正直、今さらこれ以上買い戻しても損害でしかないんだよねぇ』


『ええ、そうね。私ももう買い戻さなくていいと思うわ。でも、あのご夫婦、"白無垢さん" に祟られてるかも‥‥‥』


『さあねぇ。茉莉児まりこさんは現在、お子さんまでいて元気に過ごされているんだろう? なら白無垢さんとやらは地縛霊だからそこにいるだけで、祟っているわけでは無いんじゃないかな?』


『そう言われればそうかもね。私、初めて幽霊を見てしまったから動揺しちゃって‥‥‥』


『羨ましいなァー‥‥お父さんは未だに見えんぞ? 見えるようになる前に俺が幽霊になりそうだなぁ。その時は頼むぞー?』


『やあね、私、弱い幽霊は見えないみたいよ。だから当分幽霊にはならないでね、お父さん』


『う~ん、その言い回しは微妙だな‥‥‥嬉しいような、そうでもないような。じゃ、また何かあれば連絡しなさい』


『うん。ありがとう、お父さん。またね』




 確かにそうよね。シンくんっていう、やたら元気ハツラツの男の子までいるし。


 幽霊だからって皆、祟るわけじゃないわよね‥‥‥



 お父さんの声を聞いて心が休まった私。


 それきり、白無垢さんのことは忘れることにしたの。その時は───






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