第3章 封印の桐箱

第15話 地主奇譚〈二見早苗〉

 私、少しばかり霊感があるの。稀に幽霊が見えるのよ。でもね、幼い時から見えていたわけじゃないの。


 初めて幽霊を見たのは───



 *****



 私のおじいちゃんは農家として青空の下、汗水垂らして働いていた。


 そう、私の家はおじいちゃんの代までは、代々続く大きな農家だったのよ。


 けれど私の父の代になって様相が急激に変わった。それは時代の流れでもあったのだけれど。



 一人息子だった父は、重労働の農家など継ぎたくないと言って、代々受け継いだ土地を売ろうとしたの。でもおじいちゃんの反対は大きい。代々受け継いで守って来た土地を手放すなんて罰当たりだって。



 当時この辺り一帯は開発されつつある場所だった。道路が拡張され、鉄道が延長され交通事情がだんだん良くなるにつれ、地価もぐんぐん上がり始めていた。


 若かった父は、自分が生前相続していた土地の半分を勝手に売ってしまったのよ。(その一部は買い戻して、今私が住んでる場所でもあるけれど)


 そして父はそれで得たお金を元手にして、残りの土地に小さな賃貸アパートを建て、経営を始めたの。まだ大学生だった頃だそうよ。


 それは大当たりだった。あっという間に入居者が集まって、全部屋とも埋まってしまったとか。


 手応えを感じた若き頃の私の父。


 これを皮切りに、家族を説得し、おじいちゃんが所有する田畑を、賃貸アパートやマンション、月極め駐車場に変えて行った。


 これなら土地を手放すことにはならないから、おじいちゃんも了承した。この頃、一帯の他所様の農地も徐々に同じ道を辿っていたわ。


 おじいちゃんは時代の流れだと諦め、父に全面協力した。引退後は、自分用に残した一区画の畑で、自分の家の野菜だけ作って老後を過ごしたの。



 そして今では、そこも消えた。この辺りはあっという間に私の幼い頃の面影は全く無い住宅街に生まれ変わった。


 父のマンション建築のための借入額は莫大だったけれど、入居者は絶えず集まるおかげで順調に経営し、数十年。今ではこの辺りの大地主の一人として君臨してる。



 優しかったおじいちゃん、この変わり様を天国からどう思って見ているのかしら?


 あ~あ、畑の一区画くらい残しておいても良かったのに。そしたら私が菜園を作れたのにね。だって、私はおじいちゃんから野菜作りの技を直伝されてるのだから。


 懐かしいわ‥‥幼い頃。


 畑のお手伝いをしながら、おじいちゃんとたくさんお喋りしたわ‥‥‥



 おじいちゃんはある時、畑の草取りの手を休めてふと、私にこんな話をした。



 ──あっちのね、同じような家がならんでるあの場所あるね。昔はあそこも家の畑だったんだ。お前のオヤジ、おらのバカ息子が売っちまったけどな。そこにはな、一本の立派な柳の木が生えていたんだよ。でね、その木の下には───



 父が生前相続していて、勝手に売ってしまったあの土地。そこは元は畑で小さな物置小屋もあって、その物置小屋の横には一本の大きな美しい柳が生えていたそうよ。


 その柳の下には若い女の幽霊が出るって噂があったそうなの。


 朔の夜に、白無垢を着た女の幽霊が黒猫を抱いて立ってるって。


 おじいちゃんは若い頃、噂が気になって夜中に見に行ったことが数回あるそうだけど、結局見たことはなかったらしい。


 でも噂は絶えなくて、気持ちいいことではないし、母親に相談して柳の木の下に小さな祠を建てて、そこの畑で採れたサツマイモをお供えしたりしてたそうなんだけど。


 ある日、青年だったおじいちゃんは、通りすがりのお婆さんがその祠を拝んでいたのを見かけて声をかけた。


 そのお婆さんは言ったそうよ。


『大昔ここで若い女が自死したようじゃ。恋人だと思っていた男は、身籠った彼女を捨てて逃げたらしい。結婚出来ねば、ただの売女とされ村八分。悲観した若い女は母親がいつの日にかと用意してくれていた白無垢を着て、ここで命を断ったのじゃ‥‥‥可哀想にのう‥‥‥』


 その、他所からたまたま来たお婆さんの言う若い女と、柳の下で幽霊をみたって言う人が言う若い女の着物が白無垢で同じだったから、おじいちゃんは怖くなって背筋が凍ってしまったそうよ。


『この娘、仲睦まじい夫婦を羨んでおる。この娘の悲しみと憎しみは人に祟る。特に男には‥‥‥。おまえさんが祠を建てたんじゃろ? 良いことをしたものじゃ。お前さんの一族は、三代先くらいまでは呪いは免れそうじゃ。ならばこの場所はなるべくお前さんの一族が管理した方が賢明そうじゃな‥‥』



 なんでもその青森からいらしたお婆さんは、いたこの家系らしくて。古い友人を訪ねる道中、どうしたことか道を間違ってここまで来てしまい、せっかくなので散策していたら、ここにグイグイ引き寄せられたとか。


 この白無垢の娘は地縛霊。お婆さんは霊を感じることが出来てもお祓いは出来なかった。だが霊とて永遠では無いから時が来れば、この若い女の霊であれば、あと100年もすれば自然に消えるだろうと教えてくれた。



 おじいちゃんはずっとその出来事を忘れなかった。だからこそ、そこの土地は私の父に生前贈与して託した。自分の息子だったら呪われることも無いらしいし、とりあえず大丈夫だろうって。


 でも、現実主義者の父は、そんなこと信じるわけもなく売ってしまったために、業者によって柳の木は伐採され、祠は撤去され、更地にされ、やがて6軒の建て売り住宅が建てられた。


 住宅にはそれぞれ買い手がついて、他所から越して来た方が住んでいらしたけれど、一度更地となって建物が建ってしまうと、小さな祠と一本の木が生えてた位置なんて、もうハッキリとはわからないわよ。



 それから十数年後、私が大人になり、今の夫と婚約した頃、偶然にも隅の一軒が売りに出され、おじいちゃんの遺言に従い父が買い戻したの。それから半年したころその隣も売りに出され、そこも買い戻した。


 買い戻した中にその柳の木の場所が含まれていればいいけれど、それは確かめようもなくて。



 その時買い戻した二軒分の土地を結婚祝いに頂いて、建て直したのが今、私が住んでいるこの家よ。


 私は、おじいちゃんの遺言通り、全てを買い戻したかったけれど、もう誰かが住んでらっしゃるところはそうそうタイミング良く市場にリリースされないし、いつしか私もいい年の中年になってしまった。



 実はね、柳の木が立っていたのは、お隣の茉莉児まりこさんのお宅があるところだって、あることがきっかけで今は判明してるの。



 ──それは、私がこの新築した家に越して来てすぐのことだったわ。



 私は20代で半ばで結婚して、ここに越して来た。名字は神谷から夫の姓の二見に変わったし、実は大地主の娘だなんてことは、良からぬ人を吸い寄せたくなくて隠していた。(半年も経たずにバレバレになってたけど)


 お隣の茉莉児まりこさんご夫婦はその頃はまだお若くて、私の一回り上の世代だった。小学生の一人息子、シンくんがいらして。



 そのシンくんも今じゃいい年のおじさん。


 月日が経つのは早いわね。私も年を取るわけよね。もう50も半ばですもの。



 最初に茉莉児まりこさん宅に、引っ越して来たご挨拶に伺った時、本当に驚いたのよ。


 だって、開いた玄関から見えるその奥に白無垢姿のお嫁さんが立っているんだもの。しかも金色の目を光らせた黒猫がその足元にすり寄って。


 女はうつむいているから顔はよく見えないけれど、若い女の人だってことは知れたわ。だって、白塗りの顔に紅の唇。


 こんなところに花嫁衣装を着た人が立ってるなんてあり得ない。


 それに、茉莉児さんの奥さんは、うちは夫婦と小学生の息子さんの3人暮らしだって、今言われたばかり。



 私は内心、心臓が止まってしまうかってくらい、ヒャーッってしちゃったけれど、引っ越して来てのご挨拶中に逃げ帰ることなんて出来ない。



 私が存在に気がついたことを白無垢さんが察知しているのが、なぜか伝わって来た。


 怖かったけれど、おじいちゃんの孫である私には祟らないはずだから、なんとか表面上は平静を保った。


 白無垢さんの腕の中から黒ネコが飛び降りて、茉莉児さんの奥さんの足元にちょこんと座った。


 私に向かって『にゃ〜ん』って、挨拶するかのように一声鳴いてから、白無垢さんの足元に戻った。



 あのネコもモノノケ‥‥だよね?



 ちょっと試してみた。


「もしかして‥‥ネコを飼ってらっしゃるのですか?」


「いえ、うちは生き物は飼いません。主人がアレルギー気味なので」



 やっぱり!!



 初めて幽霊を見た私は恐ろしくなって、父に電話連絡した。



『お父さん! おじいちゃんの言っていたことは本当だったのよ! 私、白無垢の幽霊を見たの!』




 もう、いまさら買い戻そうとは思わないわ。話半分に聞いていた白無垢さんが本当にいるのを実際に見てしまったら、やっぱり怖いし。




 

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