第14話 真相模糊〈河原崎沙衣〉

 二見さんは、何をしようとしてる? 俺と茉莉児さんをわざとここに呼び集めた?


 俺の心に暗雲が渦巻く。


「二見さん、単刀直入にお聞きしますけど‥‥‥一体俺らに何を言いたいのですか? 俺、色んな意味で怖いんですけど」 


 俺は努めて冷静を保とうとしたけど、上手く行っているかわからない。


 茉莉児さんは部屋の隅に座り込んだまま、蒼白な顔で二見さんと俺のやり取りを見てる。


「ごめんなさいね。怖がらせるつもりはなかったのだけど。‥‥‥あのトシエさんの幽霊だから‥‥私たちの知ってる人だったから。確か行方不明から7年くらい経つわよね。沙衣くんのおうちでは手がかりもないままずっと探してらっしゃるんでしょう? 期待して帰りを待ち続けるのも辛いと思ったし」


「もう、帰りを待っても無駄だってことですか?」


 もう、死んでることは俺の中では決定的だったけど、世間体で作られてる設定を俺は崩しはしない。俺らはあくまでも家出した奔放な母親を待ち続ける家族。



「私だってそこまで霊感がある訳じゃないのよ? その私でも見えてしまうのだから、それなりに強い霊だと思われるのよね。シンさんの痩せ方も異常だと思ったし、教えて差し上げた方がいいと思って‥‥‥」



 今では、俺らの家ではトシエのことなどもう無かったことのように扱っている。オヤジでさえも。


 レイラもトシエのことはおぼろげにしか覚えてはいないし、夜明よあに至っては母親の記憶すら無い。



 二見さんはトシエの幽霊を見たと本気で言ってんのか? スピリチュアルな人だとは知らなかった。


 おもしれーな。


 本当にトシエの幽霊がいたとしても、俺がトシエを恨むことあれど、トシエに恨まれる筋合いなんかない。一方、茉莉児さんのこの怯えようは‥‥‥やっぱそうなんだ?



 ──大体のことは想像ついてる。



 その後、茉莉児さんの詳しい仕事を、近所のおばさんの井戸端会議が偶然聞こえて来て知れたから。



 あのたくましい腕を持った茉莉児さんは、大型トラックの運転手だってことは前から知っていた。俺が新たに知ったことは、彼が産廃業者のトラックの運転手だってこと。


 しかも、その会社、不法投棄の常習犯だという噂だった。勝手にあちこちで山奥の窪地を産廃で埋め立ててから土を被せて誤魔化し、そのまま解散してしまったとかで。地主が何年後かに気づいたらしいけど、時既に遅し。


 たぶんだけど、トシエもそこに紛れて処分されてしまっていると思う。見つかる可能性はほぼ無い。


 山奥の不法投棄の土砂を、費用の回収目処も無いのに、今さら何億もかけて取り除こうなんてしないよ。地主だって行政だって。


 月日が立てばそこに木が生えてまた森に戻るだろ。見た目は変哲無き、されど汚染された森に。



 そして誰からも忘れ去られるんだ。トシエもね。



「ちょっと、二見さんの話は突飛過ぎて‥‥でも、もし幽霊になっているのならいつからなんだろう? 家出先で死んで、ここに戻って来たとでも?」


 俺は、トシエは家出したという本来の通説を崩す訳にはいかない。



「私もその辺はわからないのよ。だって、さっき初めて気がついたんだもの。私の推測では、ずっと前から戻っていたけれど、今気づいただけだと思うの。この痩せたシンさんを見るとね。たぶん何年間も少しづつ生気を吸い取られているんじゃない? それでトシエさんの霊力が増して私にも見えるようになったのかも。なぜ、沙衣くんのおうちじゃなくて茉莉児さんの家に帰ったのかはわからないけど‥‥‥」


 《類は友を呼ぶって言うからかしら》


 二見さんは最後の一言だけ、よそを向いた。息だけの呟き。



 それって、茉莉児さんがトシエと同類、もしくは‥‥幽霊が幽霊を引き寄せたって取れるけど?



 ずっと黙って聞いてた茉莉児さんが気を取り直したようで、のそっと立ち上がった。


「そういや、何年もなんだか体調が良くなかった。どっこも悪くないのに、いつも疲れてる感じがして。‥‥きもちわりいな。なあ、ボウズ。お前んちの母ちゃんだろ? どうにかしろや!!」


 いきなりキレて俺の襟首につかみかかって来た。


 痩せてギョロリとしてるその充血させた目。



 う~ん、この人、余裕無くすと速攻キレるタイプ。



「や、やめてくださいよ! うちでは生きている可能性は捨ててはいませんよ。それに、いきなり幽霊って言われても‥‥‥」


 俺は設定を崩す発言などしない。



「うるせぇ! 二見さんが見たって言ってんだからぜってーいるんだよ! さっさとどうにかしろッ!」


 この人、恐怖で血走った白目。マジだ。恐怖の行き先を俺に向けて誤魔化してる。



 慌てた二見さんが、興奮してる茉莉児さんを宥めた。


「落ち着いて下さい! 茉莉児さん。ごめんなさい! 私がスピリチュアルなことを言うから混乱させてしまったようね」


「なあ、俺は二見さんを信じるよ。頼む! トシエさんを成仏させてくれよ。俺の家から今すぐ追い出してくれ!」


 茉莉児さんは俺から手を放し、すがるような目で二見さんに訴えた。


「私の話を信じて下さるのは助かるけれど、ちょっと待って。私にはそんな能力はないわよ。見えただけだもの」


「なら、坊さんやら神主やらでも連れてくればいいのかよ?」


 茉莉児さんは威勢だけはいいけど、声にはビブラートかかってる。



 あは、ちょっと胸ぐら掴まれた仕返ししてもいい?



「あのさ、そこまでこの話を信じているなんてもしかして、茉莉児さんも俺の義理の母親の幽霊を見たことあるんじゃ‥‥‥」


 俺は消えてしまった家族を探す哀れな息子を演じ、茉莉児さんのその怯えて狼狽うろたえた目に問いかけた。


「‥‥言われて見ればさ、思い当たるんだよ。家ん中で前々から薄気味悪いことがたまにあって‥‥」


「薄気味悪いって‥‥例えばどんなことですか?」


「よくわかんねーけど、家ん中じゃ俺が子どものころからふと、気になることは稀にあったんだ。だからって俺にはなんの影響も無かったし、この家には座敷わらしみたいなのでもいるのかもってくらいに思ってた。でもな、ここ数年、それとはまた違った気配があるような気がしてた。気のせいだって思い込もうとしてたけど、そうじゃねーよ! 二見さんの話を聞いてそれってお宅のトシエさんだって確信した!」



「‥‥‥その気配は俺の義母の幽霊だと?」


「違いねぇ。今思えば‥‥数年前からだ。最初は、窓しまってんのにカーテンが揺れたり、誰も乗ってないベッドがきしんだ音立てたり。それくらいだった。半年くらい前からは俺の顔が撫でられた感触とか。あー、耳くすぐられているような感じとか。最近じゃ、寝てたら重しを乗せられたように重苦しくなって夜中にうなされて起きたり。もろもろたまってるせいだと思ってたけど、やっぱ違げーよッ!! いくら寝て休んでも疲れてて、まるで一晩中やっ‥‥‥いや‥‥‥」


 茉莉児さん、口許を押さえて、最後言いにくそうに声が小さくなったけど?



「‥‥‥‥クッ」


 俺は嗤いをこらえるのに奥歯を噛み締めた。手の平で顔を覆って顔を伏せ、首を横に振って悩んで考えてるふりして誤魔化した。


 クククッ‥‥茉莉児さん、濁して言ってるけど、それが本当なら、トシエは死んでも相変わらずビッチらしい。


 二見さんは気づいたのかは不明。


 茉莉児さん、真剣な顔して、『もろもろたまってる』って。


 ‥‥で、夢の中で幽霊と? そんで生気を吸い取られてるんだ?


 ウケ狙いで言ってるわけじゃねーよな? 俺、ヤバい、腹いてーよ‥‥‥クックックッ‥‥‥肩、震えちゃうじゃんか‥‥‥



 部屋の中にしばし沈黙が流れた。横顔に、二人の視線を感じる。



 俺はやっと嗤いが収まって顔を上げる。俺、ちょい涙目になっちまったけど、まあ、違和感はないだろ。だって、俺は、幼き頃消えたお母さんを待つ息子の役。



「その現象が俺の義母ははと関係あるのかわかりませんけど、うちの家族は母が戻ることはもう諦めているとはいえ、亡くなった確証もないのに、お坊さんを呼んで読経をあげるなんて、うちとしてはありえませんよ。縁起でもないし」


「なら、俺は勝手にやるから。霊能力者を探して頼んで除霊してもらう! このまま幽霊に吸い取られ続けたら、俺はどうなっちまうと思ってんだよ!」


「何をされてもいいとは思いますけど? 但し、うちとは関係ありません」



 そう言ってはいるものの、俺はトシエの幽霊を半ば信じているかも。


 お嬢様気質の二見さんが、こんな非常識なくだらない嘘をつくとも思えないし、茉莉児さんからはガチの必死さを感じる。ただの妄想かもしれないけど。


 茉莉児さん、生気を吸い取られている設定だし、実際に体はそんな感じになっちゃってるもんね。


 この二人に担がれてる可能性も考えたけど、茉莉児さんが好き好んでトシエの話題に乗るなんてあり得ないし。



「あ、二見さん。俺、家族には義母の幽霊のことは秘密にしておきます。確証もないことで動揺させたくないし。このハムとコーヒーセットをありがたくいただきますね。では、失礼します」


 俺は二箱ほど抱えて頭を下げた。



「ええ、私のこと、おかしなおばさんだと思ったでしょうね。他の人には一切言うつもりはないから。もちろん夫にもよ。私に幽霊が見えることも知らないし。ごめんなさいね。‥‥‥さっきいきなり見えちゃったから一人で抱えきれなくなってしまって。トシエさんに無関係な人にだったら黙っていたんだろうけど、つい‥‥‥私、沙衣くんに非常識だったわよね‥‥‥許してちょうだいね」


 頬を赤らめ、済まなそうなしょぼんとした顔を俺に向けて、そのまま視線は下向きに。



 これは演技か本心か? 



 この人からは、お金持ちのお嬢さん特有のふわんとした感じがする。もともと高い位置にいるから変に取り繕うこともなく、無邪気に素が出てるような。


 自分はトシエに嫌われてるだのって、平気で俺に言ってたし。


 中学ん時、クラスの女子にいたんだよな。そういう子。年は違えどおんなじ臭い感じる。



 たぶん、そこまで警戒しなくていい人かもな‥‥‥



 二見さんはお詫びだと言って、俺の手にした箱の上にさらにカニの缶詰セットとデザートアソートとフルーツジュースの箱をボンボン乗せて来た。



 俺はお礼を言い、重さにヨロヨロしながら家に戻ったのだった。



 その後、茉莉児さんの顔を見ることは久しく無かった。隣の家の1階の灯りは時折ついているから、シンさんも無事過ごしてはいるんだろう‥‥とは思って見ていた。


 すぐそこにトシエの幽霊がいる可能性を考えながら。



 だけど、いるのならなぜ、うちには来ないんだ? やっぱ妄想なのかな?




 ──その時点では、俺には全てが不確かでしかなくて。



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