第13話 霊感奥様〈河原崎沙衣〉
俺は高校生となったが、授業中に考えていることは、今日の晩飯のメニューなんにしようとか、外に干して来た洗濯物が雨に濡れないかとか、夜明の学童保育に迎えに行く前にスーパーで何買おうか、とか。
最初、俺が料理が得意だって自己紹介したせいか、男子数人からもコクられるという謎の現象が起きた。
いや、俺とマジで付き合いたいなら普通に断るから。男だろが、女だろうが。
俺は忙しい。
あー、みんなどうでもいいようなことで、笑ったり怒ったり楽しそう。
クラスのヤンキーどもとも、あんま喋んない無口な奴らとも、オタクで盛り上がってるグループとも違う俺。
先生に悪態ついてるヤンキーさえも、どいつもこいつも俺に比べりゃ無邪気でかわいい奴らだな‥‥なーんて達観した目で俺は眺めてた。
俺から誰かに話しかけることは必要なこと以外そうそう無くて、俺に話しかけて来る男子は皆遠慮がち。噂話と料理の話を日課のように振って来る女子グループが一つ。
クラスでは、わりと浮いてる感じは否めない俺だったが、イジメのターゲットにされることは無かった。
きっと俺の心の闇がオーラとなって、どことなくにじみ出てるせいかも知れないって思った。
周りにどう見られようが、俺はどうでもいい。
俺が気にかけるのは、レイラと夜明のことだけ。
レイラは中学2年生、夜明は小学3年生となっていた。
今では俺の方がオヤジより背も高いし、ガキ扱いされることもなくなった。
家では俺の意見が通るようになっていた。家の日々の雑事は俺無しでは立ち行かないから。
俺は家計に口を出すようになり、やがて生活費全般は、俺が管理するようになった。
このままでは家計はやや苦しい状態。
でも、将来を考えたら、俺は無理だけど、レイラと夜明は出来れば大学へ入れてあげたいと考えた。俺が高卒で働いて、足りない分は奨学金足せば、お金はなんとか工面出来ると思う。
家事って大変だ。
掃除に洗濯、一番面倒なのは食事の支度と後片付け。平日は俺ら3人が協力してやるけど、週末はオヤジも含め俺以外で家事のほとんどして、俺はバイト。
レイラのガサツで片付けベタを巡っては、俺と夜明が被害に遭うので、しょっちゅうケンカもする。仲直りもすぐだけど。
──俺たちの毎日は
暗黒の日々はもうはるか彼方──
俺ら家族は裕福と言えないが、でもそれなりに安定して暮らしていた。小さいながらも持ち家があったのは大きかった。
聞くところによれば、ここは昔は神谷家という、この辺りの大地主が持っていた田んぼを切り売りした土地で、似たような建て売り住宅が並んで建っていたそうだ。
やがて代が替わり、住人もぼちぼち入れ替わり、立て替えられた家がほとんどになっていた。
その一つが俺の家で、右隣は茉莉児さんでその向こうは二見さん。
二見さんはどうやらその大地主の娘らしい。二見さんのお宅は東南角地だし、二件分の広さもあって車も3台止められるスペースもあるし、同じ分譲地に住めど、俺らとは違う。ホームエレベーターまであるとか。
もっと駅寄りにある本家は、高い塀に囲まれた庭園付きの豪邸らしい。俺はどの家だか知らないから、歩きながらなにげに普段見ている中の広い庭付きのお屋敷のどれかかも知れない。
その日は夏休み明けで半日日課で学校は終えていた。
二見さんが、ちょうど玄関の掃除をしていて、学校帰りにスーパーでの買い物袋を下げた俺とばったり会った。
「あら、お帰りなさい。重そうな荷物ね。お手伝いして偉いわね」
「こんにちは」
「沙衣くん、困ってることは無い?」
「はい、大丈夫ですが。夜明もしっかりしてるし。あー、今日は学童は行かないから、もう家に帰ってるかも」
俺は会釈して通り過ぎようとした。買ってきた食材も重たいし、長く呼び止められても迷惑だ。夜明も心配だし肉が腐る。
「待って! うちね、御中元で頂いたハムとか、カニ缶とかコーヒーセットとか使いきれなくて困ってるのよ。いつもは娘が消費してくれてたけれど、今年からは独り暮らししたいって会社の近くに行っちゃったじゃない? 週末に帰った時に持ってけばいいのに、重たいから要らないっていうし、送り付けても受け取りが面倒らしくて嫌がるし。食品を捨てるのは心が痛いしね、良かったら貰って頂けないかしら? そうしたら私、すごく助かるのよ」
このラッキーな申し出は逃せない。
二見さんは俺んちのトシエが家出失踪したと思ってるから、その頃からいたく俺ら兄妹に同情している。
それで、たまにこうしてさりげなくお情けを恵んでくれていた。
俺は遠慮無く、昼食後の午後3時頃、頂きに伺う約束をした。
食費は削減してレイラと夜明の学費をコツコツ貯めなきゃなんない。かわいい妹たちのために、兄ちゃんとしては恥ずかしがっていらんないって。
******
玄関先で受け取って帰るだけだと思っていたのに、二見さんちに上がって、欲しいものを選ぶように言われた。
玄関入ってすぐの客間に通された。
和室の大きな木製のテーブルの上に、箱が山積みされていた。
「これ、全部余ってるのよ。ハァ‥‥」
「頂き物、すごいですね‥‥‥」
「要らないわよってやんわり断ってるんだけどね‥‥‥来ちゃうのよ」
金持ちはこういう文化なんだって驚く。
「ですが、うちもこんなにたくさん頂くわけには‥‥」
俺はハム一本とカニ缶2、3個貰えればラッキーって思ってただけなんだけど。
「そう、じゃ茉莉児さんにも聞いてみようかしら? ご夫婦は湯治に行ってらしていないけど、息子のシンさんをさっきチラッと見かけたのよね。ちょっと聞いてくるわ。沙衣くんは、ほら、先に好きなもの選んじゃっときなさいよ。遠慮しないでね」
茉莉児さんのおじ‥‥いや、お兄さん。茉莉児シンさんだっけ?
ここに来る? 前に見かけたのはいつだろう? もうわかんないくらい昔だ。
小学2年生の時、茉莉児さんの部屋に忍び込んで以来かも知れない、いや、あの時は声しか聞いてなくてベッドの下から足しか見てなかった。
──そして俺は約7年ぶりに茉莉児さんに会ったのだった。
茉莉児さんは部屋の戸口まで来て俺の存在に気づき、テーブル越しの座布団に座っていた俺に、ぶっきらぼうにペコリと頭を下げて来た。
それにしても‥‥‥
印象記憶よりずいぶんフケてるし、マッチョだった体が痩せて小さくなっている。あんなにガッチリした人だったのに。
俺は挨拶しようと立ち上がり、茉莉児さんの目の前まで行った。
この人は俺の命の恩人だし。無自覚だろうけど。
「こんにちは。すごく久しぶりですね。隣に住んでいるのに全然会わないもんですね」
「‥‥‥えっ、誰? あっ! あんた‥‥あの生っ白い坊主!?‥‥その茶髪と明るい目の色、顎のほくろ。ボウズ、いつの間にそんなにでかくなってんだよ!」
間近で見て、俺の身体的特徴で誰か気づいて目を見開いた。
「‥‥あ‥あ‥‥チクショウ‥たまに家に帰りゃこのざま‥‥‥‥食い物につられちまって来てみたらこれかよ‥‥」
俺とはよっぽど会いたく無かったようだ。隣に住んでいるのに、あれ以来、見かけることすら無かったのは向こうに避けられていたせいらしい。
茉莉児さんはぶつぶつ言いながらその足はジリジリと後ずさり、バッと振り返って部屋の出口から出ようとした。
バシンッ‥‥バン!
二見さんが引き戸を横から急に閉めて、そこに思いっきり茉莉児さんがぶつかった。
「ぎゃっ!」
茉莉児さんがズルズルと下にしゃがみ込んだ。
「‥‥うううっ‥‥‥」
「お待ちになって! 茉莉児さん」
「‥‥‥痛ぇ‥‥急に何すんだ! 二見さんっ!!」
うずくまった姿勢のまま斜めに二見さんを睨んだ。
俺は何が起こったのかわからず二人を交互に見て立ち尽くす。
これ、一体何のショウの始まりだよ?
開き戸の高そうな絵が描かれた
二見さんは俺に悲しげな表情を向けた。
その目と口の端は、密かにに嗤いをこらえてる? 気のせいか、二見さんにちょっとばかり卑屈な笑みが浮き出ているのを感じる。
「こんなこと急に言うのも申し訳ないと思ったのだけど、沙衣くん。あなたの義理のお母さんのトシエさん。いなくなってずいぶん経つけど。‥‥‥あのね、もう亡くなっているわ」
「‥‥‥えっ?」
どういうことだろう? 二見さん、何か知ってるの?
俺は頭の中が真っ白になった。
茉莉児さんはおののいて、二見さんを見上げて凝視したまま今度は蒼白になってる。お尻をずらしつつ後ろ手で這って、壁沿いに後ずさってる。無意識に、
「ち、違う‥‥‥俺は何も‥‥‥」
背中が壁際にぶつかると、今度は部屋の角に頭をつけて、後ろを見せてうずくまった。ダンゴムシみたいに。
「私、あの方の亡くなった事情はわからないけど、詮索する気もないけれど、とにかくあの方はもう死んでいるのよ」
「‥‥‥なんで‥‥そんなことわかるんですか」
俺は声が上手く出せなくて掠れてしまう。
「‥‥だって、私には見えるんですもの。幽霊が」
「‥‥‥幽霊って、あの‥‥‥?」
「見たの。あれはトシエさんの幽霊よ」
「‥‥‥トシエの幽霊って、どこに? ここにいるって言うんですか?」
二見さんはあの秘め事をどこまで知っているんだろ?
まさかあれを一部始終見てた訳じゃないと思うけど、行方知れずを今さら怪しんで、カマかけて来たとか?
俺らを呼んだのって‥‥まさか計画的?
俺を巻き込み茉莉児さんを脅そうとして? この人ならお金はたくさんありそうだけど。お金で買えないものが目的? 俺らを何でも言うこと聞く奴隷にしたいとか? 俺の体目当てとか? まさか、内臓寄越せ、とかだったらヤバい。
いやいや、二見さんに限って‥‥‥
「私の家には来ないわよ。ここには御札も貼ってあるし、第一、私、生前からトシエさんから嫌われていたし。正気を保っていない幽霊だって嫌なものは嗅覚で避けるものらしいわよ?」
「じゃあ、じゃあ、いつどこで見たんですかっ?」
「たった今、茉莉児さんの家の中よ。今、茉莉児さんを呼びに行った時、玄関から見えたのよ! 私だって驚いたわよ‥‥」
「あの‥‥‥ちょっと信じ難いのですが」
背筋にぞぞっと寒気が走る。ぼわっと鳥肌が立った。
だけど俺は、何も知らない振りを崩してはならない。一体、二見さんて何者だよ?
ただのおばさんじゃない?
「この息子さんの茉莉児シンさん、お隣だけど、お顔を見ることもあまり無いし、稀に見かける度にみるみるお痩せになっていたから、もしかしたらご病気かもって思っていたのだけど。それってトシエさんの霊のせいだという可能性が‥‥‥」
二見さんの目は、壁際で怯えている
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