終章

一、お待たせしました!



 黑藍ヘイラン白藍パイランは目の前の脅威に対して攻めあぐねていた。


「くそ! キリがない」


 それでもこれほど無駄に消耗しているのは、あの切っても切っても生まれてくる触手のせいだろう。


 見た目は確かに触手なのだが、剣で切った時の感触が全くない。つまり、実体がないのだ。実体がないくせに、こちらにはしっかり攻撃が当たる。


 お陰でこの周りは見通しがだいぶ良くなった。木々が折れて吹き飛ばされ、空の範囲が最初の頃よりずっと広くなっている。雪が降り積もっていた地面は所々抉れ、黒い土が盛り上がっていた。


「どこかで見たことがあると思ったら、いつかの黒竜じゃないですか?分身でこの俺に挑んできて、八つ裂きにされた。ああ、そういえば竜は死ぬと流転して新たに生まれ変わるんでしたっけ?憶えてないなんて、残念です」


 背中に垂らしたままの長い黒髪を揺らし、血のように赤い瞳が気だるそうにこちらを眺めている。漆黒の外套を纏った美しい容姿の鬼は、やれやれと肩を竦めた。


「は? 何言ってやがる? 俺が死んだって?馬鹿も休み休み言うんだな、」


 黒い刃の切っ先を向けて、黑藍ヘイランは首を傾げて金眼を細める。

 一方、白藍パイランは瞳に静かに浮かぶ怒りの色を隠せなかった。


黑藍ヘイランを殺したのは、やはり災禍の鬼だったんだね。当時、彼が櫻花インホアの冤罪を晴らすためと、内緒で追っていた鬼神おにがみ。ホント君って馬鹿だよ、黑藍ヘイラン。ひとりでこんな怪物と対峙していたなんて)


 知らぬ間にひとりで勝手に死んで、生まれてみたらこれ・・だ。


「まあいい。あなたたちを殺して、その後で、愛しい花を切り刻むことにします。それで永きに亘る因縁はすべて終わる」


「そんなこと、させるわけないでしょ」


 勝機はまったく見えないが、ここは退くわけにはいかない。それはきっと黑藍ヘイランも同じだろう。


「俺たちがそう簡単にやられるわけないだろ!」


 自分たちが退けば、間違いなく櫻花インホアの許へ奴は行くだろう。それだけは絶対に駄目だ。


 最悪、自分たちだけでなく櫻花インホアも、奴に殺され喰われるかもしれない。考えれば考えるほど、悪い事しか思い浮かばない思考が情けない。


(けど、正直、分身の姿では本来の力の半分も出せない。どうする······?)


 ちらりと横にいる白藍パイランの方に視線を向けるが、普段の涼し気で生意気な顔はそこにはなく、頬に一筋の汗がつたうのが見えた。


「あまり力を使い過ぎれば、この身は本体の方へ戻ってしまう。けど、それでも時間稼ぎくらいはできるでしょ、」


「時間稼ぎ、か。ふん、上等だ」


 黑藍ヘイランは、向けていた切っ先を横に振り、そのまま自分の正面に持ってくると、左手の中指と人差し指を黒い刃に這わせた。


 白藍パイランも同じように白い刃に指を這わせる。すると、それぞれの刃に光が宿り、辺りを明るく照らした。


「さすが四竜と言うべきか。まだそんな力があるなんて、思ってもみませんでした」


 嘘つけ! と黑藍ヘイランは毒づく。


 災禍さいかの鬼の周りが一層賑やかしく蠢き始め、せっかく見えていた空が赤黒く染まっていくようだった。どんどん広がっていくその触手の塊は、とうとうこの辺り一帯をその不気味な色で覆ってしまう。


 その光景は、まるで血の空が広がっているかのようだった。


「気持ち悪いことするな! さっさと元に戻せ、根暗野郎っ」


 残った光はふたりの刃に残った光のみ。このままこの塊の中に取り込まれるなど御免だ。しかし、何度か刃を振って触手の塊を攻撃してみたが、すぐに再生してしまう。一瞬だけ見えた青い空も、今はまた赤黒い空に戻ってしまった。


 近づけば触手に阻まれ、離れて攻撃しても再生され、なす術がないという危機に、ふたりは少なからず焦る。それほどの力を持つ者が、今まで地上をうろついていたと思うとぞっとする。


(······おかしい。確かに、あの件で鬼神おにがみは天界から姿を消したとされるけど、あの天帝が見逃すはずはない。それに、)


 常に地上に自ら降り、人に災いをなすモノを一掃してきた天帝が、こんな危険な存在を何百年も捕らえられないわけがない。


 白藍パイランは急にそんなことが頭に浮かび、それからひとり黙り込む。なんだどうした?腹でも痛くなったのか?と横で黑藍ヘイランが喧しかったが、完全無視を決め込む。


(そもそも、どうしてこの時宜じぎに現れた? わざわざ村人を虐殺して、櫻花インホアの前に晒した?)


 櫻花インホアの残りの寿命はあと僅か。

 だがあの白蛇の化身が傍にいれば、功徳くどくは間違いなくその前に溜まる。

 櫻花インホア黑藍ヘイランの件は、噂好きの天界人たちが瞬く間に広め、知らない者はいないだろう。


(つまり、櫻花インホアに天界に来られると、困る奴がいるってこと、か)


 だんだん話が見えてきた。

 白藍パイランは急にくつくつと肩を揺らしながら笑い出す。その様子を見た黑藍ヘイランは、思わず顔を歪める。


「おまっ······気持ち悪っ!」


「うるさい、馬鹿。でもお陰で糸口が見えた」


 口の端を歪めて、白藍パイランが皮肉な笑みを浮かべた。ひとりで納得している様子に、黑藍ヘイランは眉を寄せて怪訝そうに見据え、口を尖らせた。


 その時だった。


 あの空を覆っていたはずの赤黒い触手の塊に異変が起こる。途端、その内側にいた黑藍ヘイラン白藍パイランは、その身に冷気を感じ、辺りを見回す。


 赤黒い触手が下からどんどん凍っていく様が目に映った。それはみるみる天井まで覆うと、最後にはすべて凍り付いてしまった。


 そして、ゆらゆらと天井から花びらのように降ってくる、それのひとつを手の平に乗せ、咲いた薄青の透明な雪の結晶に目を瞠った。


「これは······、雪花シュエホア? なんで、」


 白藍パイランが呟いている内に、凍り付いた触手の塊にピシピシとひびが入るような音が所々から鳴りだす。それが一斉に鳴り止んだその瞬間、硝子が砕け散るかのように、透き通った音を立てて弾け飛んだ。


 その先に広がった青空と、失われていた光が、目の前に飛び込んでくる。


「ふたりとも、お待たせしました!」


 砕け散った氷の破片に反射した無数の光の中、意気揚々と現れたその人物は、ふふっと笑って包帯が巻かれた左手を振っている。その右手には、白い柄の先に淡青の紐飾りが付いた半透明な刀身を持つ剣、雪花シュエホアが握られていた。


「····················いや、待ってねぇし! っていうかあんた、今一番来ちゃ駄目な奴!」


 黑藍ヘイランは固まっていた思考を無理やり起こし、今日一番の突っ込みを入れた。しかし白藍パイランは、それに反して声を上げて笑い出す。


「あはははは! さすがだよ、櫻花インホア! 君、本当に、最高っ」


 腹を抱えて笑い出した白藍パイランに、黑藍ヘイランは思わずドン引きする。


「··········なにそれ、怖っ」



 白藍パイランの大爆笑の意味を黑藍ヘイランが知るのは、もう少し後の事だった。



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