黄金くじら 「くじら」

 信じられないくらい眠った気がするけれど、まだ空は暗いまま広がっているから、時間はそこまで経っていないことが分かる。

 けれど、頭はすっきりとしていた。

 澄んだ思考でテレジーが造った剣を撫で、これからやるべきことを思い返す。


「くじら、どんなやつなんだろうね」


 話しかけたつもりはないけど、声に出していた。

 別に恨みもない、好きでもない、眺めたことがあるだけの巨大な陸の海獣。

 丸みを帯びた胸に、口元を覆うヒゲ。くじらの特徴はあるけれど、が生えていて、太ったトカゲみたいにも見えるくじら。

 陸に居たから足が生えたのか、足が生えたから陸に上がったのかは分からないけど。


 道は並木道を抜けて岩場に変わりつつあった。二輪動力車もよく揺れる。ごつごつとした巨大な岩が点在する光景が眼前に広がっているが、風に舞う砂塵が金色に輝いている。明るい。

 目的の相手が近くなってきたのがはっきりと分かる。眠っているのか、岸壁の上でその端に顎を引っかけるようにしていた。

 その体は大きく、僕たちの家が三つは入るんじゃないだろうか。

 

「今となっては、誰も近づいたりしない天災みたいなものだからなぁ。国も最初はその全身の黄金が手に入るって討伐隊を組んでたけど、まるで歯が立たなかったらしいぞ? だから国も、中央とくじらの居る反対側の領地しかもう残ってない。この辺の岸壁やらを食い尽くして金に変えたら、もういよいよ国の中央付近なんじゃないか?」

「ふーん」

「ふーんって……、まぁそれでこそピノなんだろうな。お前、怖くないのかよ?」


 僕のなんとなくの呟きに、パンプスが説明をしてくれたけど、あまり興味は湧かなかった。呆れたようにパンプスは問いかけてくる。


「怖いよ? もちろん。自分の何倍も大きいし、国を滅ぼしそうなんて馬鹿じゃないのって思うし。でもさ、テレジーとの約束が守れない方が、怖いよね」


 当り前じゃないかと。僕はパンプスに告げる。

 そうかよ、といつもみたいに笑いながら、パンプスは乗り物を止めた。

 まだ少し離れているけれど、くじらがよく見える。


「ここでいいよ、パンプス。くじらもよく見えるから」

「そうか……」


 二輪動力車を止め、パンプスは僕を見送るために立ち上がってくれた。僕も立ち上がって、剣を背中に背負う。サイドカーを下りると潰れていた分の高さが戻り、よくそんなの持てるなと、パンプスは笑った。


「聞いた話だと、くじらは遠くからなら寝ているところを見ることができるが、近づくと起きるらしい。……気をつけろよ」

「うん。じゃあね、パンプス」

「軽いなぁおい。はは、じゃあなピノ。花火、ちゃんと上げろよ」

「もちろん」


 なるべくあっさりとした言葉で、僕はその場を離れた。彼が追ってくる様子がないことを確認して、くじらに意識を向ける。

 くじらは黄金くじらと、そう呼ばれていることは知っている。なんでも砂や岩をサラサラの金に変えるとか。砂に潜るとか、空を飛ぶとか、色々。


 そんなのにどうやって勝てって?


 そう思うけど、テレジー、君が望むなら叶えたい。





 まだ遠目に見えるくじらは、自身が金色の光を放ち、それが周囲の金の砂まで乱反射して眩しく輝いている。くじら自身は少し白味を帯びていて、黄金というよりは白金のようだった。

 まだ動かず、静かだ。

 僕はジッとくじらを観察する。

 これからの戦いで一番厄介なのは、石を金に変えるというその不思議な力が、僕の黒炭の身体にも効くかも知れないことだ。


 なら、対峙する前にせめてそのくじらの力の範囲や不思議の出処を知りたい。くじららしく潮を吹き、それがかかったら変化するのか、口元の髭が振動したら変化するのか、それともくじらのくせに在る前足が触ったらなのか。

 離れていては分からないけれど、離れている内に出来ることを。

 そう考えて、僕は足元に転がる石から、手のひらより大きい物を選び掴んだ。


「君の方がずっと大きいから、卑怯とは言わないでね」


 そう呟くように遠くのくじらに話しかけ、投擲とうてき。的は大きく光っている。外すことはないだろう。

 膂力チカラ任せに投げつけた石は、一瞬の風切り音を残してすぐに見えなくなった。少しして、まるで空洞の金属に当たったかのような音が響く。何かに阻まれた? もう一回。結果は同じだった。そして何よりも、くじらは起きなかった。


 金色だから、外皮が金属みたいな……、いや、金属なのかもしれない。硬くて鈍い。僕みたいだ。

 ちょっとした親近感を覚えながら、投擲を繰り返した。


 分かったことは。遠くから石を投げたくらいじゃくじらは起きないし、傷つけられたかもよく分からないってことだった。

 少しずつ近づいてはいるけど、まだ起きる気配はない。小さくて気づかないのかも知れない。多分、近づかないと何も分からないし、始まらない。


「よし、じゃあ行こうか。テレジー」


 僕はくじらに向かって駆け出した。





 近づく方向はくじらの後方よりも少し横からにすることにした。

 石を投げつけた時の音がほとんど変わらないのなら、外皮は全身硬い。なら金に変えるための何かは、っぽか正面のどれかだと僕は思う。

 どうしてか? これだけ大きくて硬いなら、力は押し倒すためだけに使えるから。変な工夫を凝らした生態じゃない。そう思えた。


 剣はまだ背中に抱えたまま、僕は走る。パンプス程じゃないけど、全身に巡る膂力りょりょくが一つの能力だから、走るのは速い。

 大きな剣を背負って、ガシャガシャとけっして静かではない音で近づいているのに、くじらはまだ起きない。


「まさか、死んでる?」


 そう言葉にした瞬間だった。くじらが岸壁に引っ掛けていた頭を上げ、ゆっくりとこちらを向いた。まるでテレジーが金床を釘で引っ掻いた時みたいな、甲高い、生き物の鳴き声とは思えないような音を発しながら。

 閉じていた瞼が開くと、身体はあんなに金色の光を放っているのに、瞳だけは夜空なんかよりもずっと真っ黒で、光を飲み込むような深い暗闇をたたえていた。


 避けられたのは多分、僕がその目に怯えたからだ。

 僕は無意識に顔から離れるように、尾っぽの方に足を向けていた。そのすぐ横を、異質な赤い光が閃く。そしてその光の軌跡が、岩場に線を引くように金に変わり、風に流された。


「……目かぁ」


 くじらの周りを弧を描くように走りながら、僕は分かるわけないかと苦笑する。

 怯えた自分を誤魔化すように。

 対策が立てられる相手なら、いくら普通の人でも数を揃えれば僕より戦えるだろう。


 のっそりと、くじらはその場で身体の向きを回転させようと身じろぎし、あの不快な甲高い音を立てている。素早くはない。寝起きだからか、岸壁のベッドが狭いのかは知らないけれど、今のうちにやるべきことを終わらせよう。


 僕は少し速度を落としつつ、くじらの両眼を見つめる。瞬きするようにくじらの真っ黒な目の中で赤い光が点滅し、その後また金に変換するための光が放たれる。

 大きく横に飛んで避ける。

 変化範囲は広くない。僕だけを見ているからか、まだ離れているから、狭くしないと届かないのか。

 なんだかパンプスが乗っていた二輪動力車のライトみたいだ。

 それから何度かタイミングを確認したけど、くじらの動きは同じようなことを繰り返すだけで、寝ぼけているようだった。キィキィと相変わらずうるさい。


「あの目も見ていると、だんだんかわいく見えてきた……かな?」


 僕は立ち止まって、くじらに声を張り呼びかけた。

 

「遠くから石投げたりしてごめんよ! この戦いが終わった後また会えたら、テレジーと僕と一緒に暮らしてくれるかい?」


 もちろん返事なんかないけれど、僕は問う。少しだけくじらの動きが止まった気がしたけど、多分気のせい。

 君が憎くて殺すわけじゃない。国のことは僕はどうだっていい。僕とテレジーの身勝手だから、せめて向こうでは仲直りできたらいいね。そう願う。


 僕はくじらと開いた距離を、最初の釣り竿が届く距離まで詰めるべく、走る。

 くじらの瞳が赤く瞬くのを見計らって、横っ飛びに大きく避けた。その時に僕は左手の薬指を噛み折って、赤いライトに向かって投げた。

 鋭く痛みが走る。黒い断面から、すぐに炎が滴ってくる。ここまで近づけば、時間がかかるほど僕が不利になるだろう。どうせ使い切るんだ、痛みは無視だ。


 投げられた指にライトが当たると、指は落ちる前に金の粒子に変わって風に溶けた。どうやら黒炭の民ねんりょうは金になれるらしい。


 調べることは終わった。後はこの僕の生命ねんりょうを使い切る前に、君を殺すだけだ。


「……あ」


 そう思って近づいていたら、くじらの真っ黒だった目は全体が赤くなり、ひときわ甲高い音を立て始めた。顔を下に向け、岸壁を金の砂に変えながら崩し、地面に潜ってしまった。

 くじらが通る地面がぼこぼことうねり、振動し、金の河のようになる。


「ずるいなぁ」


 慌てて他の岸壁に駆け上がりながら、僕はぼやいた。背負った剣に声をかける。


「釣り竿の出番、だよね?」


 その問いかけに応えるように、剣が熱を持ったような気がした。




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