黄金くじら 「パンプス」

 家の火はもう離れて、空は薄暗い。

 でもまだ夜も深いはずなのに、視界はハッキリと確保できている。

 とは言っても、僕たちの家は目的の場所よりも少し離れていて、並木道がまだ残っている。その木々が、ギラギラとしたくじらが遠くで輝く光を少しだけど遮ってくれていた。


 道らしい道じゃない。国から離れて暮らした僕たちが過ごした時間、歩んだ時間が道たらしめただけの、踏み固めた土と僕の膂力チカラで邪魔な木を抜いて造った道だ。

 その真ん中に、サイドカーを取り付けた二輪動力車をとめて、パンプス友達は立っていた。


「よぉ、もう行くのか? ピノ」


「やぁ、来ると思ってたよ。パンプス」


 彼がここに居ることに驚きはない。パンプスもまた、黒炭の民ねんりょうの生き残りの一人だから。よく家にも来ていた。ただ彼だけは、僕とエレジーと違いその速力チカラを重宝され、伝令や運び屋としての役割を担うこともある。僕たち種族の特性が足に色濃く表れていて、両足が真っ黒だ。

 まぁ、仕事に関してはそう言ってたのは本人だけで、手紙なんて見たことがないけど。

 エレジーはパンプスの走力を、と言ってよくケンカをしていた。


「乗れよ、行こうぜ?」


「……いや、君は連れて行かない」


 パンプスがついて来ようとするのは分かっていた。友達だから。

 でも、一緒には行けない。


「なんでだよ」


「これは僕と、テレジー……二人だけの戦いだから」


 そう、僕は斜めに背負った剣を見せる。とは言っても、剣は僕より大きくて、気づいていただろうけど。パンプスはその剣を見ると、テレジーが何を成したのか気づき、押し黙った。


「そうか……アイツ、一人で死んじまったのか。なら、なおのこと俺もお前と――!」


 少し間を開けて、パンプスはぽつりと呟き、潤んだ視線で僕を睨んだ。その瞳に、彼の気持ちが嬉しくもあり、腹立たしくもある。彼が言葉を詰まらせるくらいには、僕も睨み返していたんだろう。


「テレジーは先に待ってくれているだけ。それに、まだ彼女のこころはここに居る」


 そう静かに告げる。


「それに、君がついてきたって足手まといだ」


 そう、突き放す。


「俺にはこの脚がある」


「君のはだろう?」


 歩み寄るパンプスを、さらにそう言って突き放す。彼もまた、その言葉に僕を睨み返していた。テレジーとケンカの引き金になっていた言葉。

 懐かしむほどの時間は経っていないけど、思わず笑ってしまう。彼にはどう映っているだろうか? 挑発しているように見えているなら、儲けものだ。


「……訂正しろ」


「はは、どうして? 事実じゃないか」


「そうか……よっ!」


 そう言った瞬間、目の前に黒い脚が迫っていた。パンプスの速力チカラ、そこから繰り出される瞬撃の蹴り。避けられはしない。剣を盾にするように構え、その一撃を受け止める。


 ちょうど僕の顔面にくるところで、猛烈な速さで振り抜かれたようとした黒足。受け止めた剣は、乾いた甲高い音を立て火花を散らした。パンプスは足首を剣に引っ掛けるようにして空中でバランスを保ち、もう片足で剣を踏みつけるように蹴る。


 そのまま剣ごと僕を押し倒す為に体重をかけてくるけど、僕には軽い。そのまま振り払うように弾くと、パンプスは高く跳躍し、大きく離れたところに着地した。

 彼はこちらを睨んでいる。僕は無視して剣の受け止めた箇所を確認すると、黒く擦れた傷が、剣に色を付けていた。


「うん、これでいい。ごめんねテレジー。足跡くらいは連れて行ってあげたくてさ」


 パンプスには聞こえないくらいの呟き。僕は剣を地面にそっと置き、彼に向き直り声を張った。


「相手はくじらだ! 君じゃあ足手まといだよ、パンプス! それにね、君には頼みたいことがある」


「ハッ! なんだよ? 死にに行くダチを放っておけるほど、お人好しじゃないんでね。ここで止めるか、二人で行くかだな!」


 パンプスは怒っているのか、僕の言葉が届いていないように見えた。離れているとはいえ、真夜中のこの辺境で声が届かないとは思えない。


「すぐについて来てくださいって言いたくなるさ……」


 彼はそれだけ静かに告げると、真横に跳び、一本の木にする。それから周りの木々をロープのようにしならせ素早く跳び渡り、四方八方へ繰り返す。出所を分からなくして、僕を翻弄ほんろうしようとしているんだろう。

 確かに、目で追える速さじゃない。速度が力というだけはある。


 でも僕は、パンプスがどうやって攻撃してくるのかが分かった。だって彼が繰り出したのは、さっきと同じ動きだったから。

 今度は顔の右側面に向けて振り抜かれようとする右足首を、左手で掴む。停止したパンプスの目には涙が浮かんでいた。

 相変わらず、同じくらいの歳なのに、泣き虫で駄々っ子のようだ。話も聞かないはずだ。


 僕を倒すには硬い胴体じゃなく、頭を揺らす方が確実だ。でも、背後からそれが出来るほど、彼は非情にはなれない。やることも直線的で、単純。やっぱりパンプスは戦いに向いていない。


 それが嬉しくもあり、寂しくもあったけど、多分戦う僕なんかよりも大事な役割が友達にはあるから、テレジーのためにも、君は置いていく。


 そう改めて自身に誓い、僕は力任せにパンプスを地面にたたきつけた。

 鈍い音と、ひゅっと絞り出される呼吸音が静かな空間に響き、身じろぎひとつしなくなったパンプスを見下ろす。


「もう分かったでしょ?」

「……」


 僕の声に、パンプスは覚醒し、視線だけこちらに向けた。何も言ってこない。やり過ぎたかな?

 そんなことを考えながら、彼を抱え、二輪動力車のサイドカーに放り投げる。僕は剣を背負いなおし、力任せに後ろから押した。

 運転なんてできない。


「まったく。乗れよとか言ってたのにさ」


 そう僕は笑った。




「ピノ、代わるぞ」


 しばらく押していると、サイドカーで呻いていたパンプスが起き上がった。


「連れて行かないよ?」

「分かってるよ、乗せるだけだ。頼み、あるんだろ?」

「そうだね」


 僕が空いたサイドカーに乗ると、剣の重さで深く沈んだけれど、なんとか走れた。

 走りが安定したところで、僕は切り出す。


「あのさ、このテレジーが造った剣、最後に花火の機構が入っているんだ」

「花火?」

「そう。多分これは、戦う為じゃなくて知らせる為の花火。だからくじらを倒して花火が上がったら、パンプス、君がくじらを国に運んで、僕とテレジーのことを伝えてほしい。名を遺してと、彼女が言ったから」

「……」

「君が三人で一番お喋りだったから、きっと大丈夫さ」

「なんだよ、それ」


 また、パンプスは瞳を潤ませていた。まったく泣き虫なんだから。でも、こういう彼の優しさが、僕とテレジーの時間に潤いをくれたのだとも思える。


 目的地まではまだ少し時間があり、ぽつりぽつりと二人で話した。剣に見えないけど使い方は分かるのか、本当に一緒に行かなくていいのか、くじらなんてどうやって戦うんだ、歩いていくつもりだったとか何考えてるんだと、パンプスは心配ばかりしていたけど、


「テレジーがそう望んだから、大丈夫だよ」


 なんとかする。それだけ答えた。

 呆れたように彼は笑って、頑張れよとだけ寂しそうに言ってくれた。それが嬉しい。


「ねぇ、パンプス」

「なんだ?」

「寝ていい?」

「お前! 親友との最後の時間にそんなこと言うのかよ」


 サイドカーで揺られて、僕はあくびをひとつした。さっきまで目は閉じていたけど、テレジーの音に聴き入っていて、やっぱり眠れてなかったみたいだ。


「親友だって? 君だから良いじゃない。それに夜明けにくじらとの戦いが終わってたら、それからは嫌ってほど僕らの話をしないといけないよ? あの時が最後のゆっくりした時間だったとか思うかも。それか、僕とテレジーの為に歌くらい考えたら?」

「なんだそれ、歌えるかよ」

「まぁ、子守唄がわりにいいじゃないか」


 そう目を閉じると、わき腹に彼の足が飛んできて蹴られた。事故になったらどうするんだよと笑いながら、身構えていない身体は心地の良い痛みを受け入れる。

 そのまま目を閉じると、しばらくして、掠れたヘタクソな歌が聞こえてきた。また、泣いているのかも知れない。


 ──ねぇ、パンプス。


 僕は彼に、声には出さないけれど告げる。


 ──僕はね、君こその英雄だと思うんだ。

 黒炭の民ねんりょうは泣けない。その身に流れる炎のせいで、悲しくても涙は流れない乾いた種族。

 だから君のそのみっともなくて綺麗な涙は、僕たち種族の中で唯一ただひとつで、速力なんて霞むほどの、君の特別なんだ。黒足のお陰なのかも知れないけどさ。

 君が生きていれば、僕なんかよりずっとすごい英雄になれる。だから、君の足跡だけを連れて、僕は逝くよ。


 その後は頼んだからね、親友パンプス

 

 心地よい振動と掠れ声の歌に、僕はしばらく微睡まどろんだ。




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