第16話 選抜試験 4

 萌に腕を引っ張られて、花はスタジオに向かう。


 ざわめきが起こり、廊下の人々が左右に分かれる。


 顔を上げられないまま、花は進んだ。見つめているのは、廊下に敷かれた焦げ茶色の床ばかり。


 わたしが選ばれた?

 

 まるで天国へのじゅうたんを進んでいる気がする。


 開け放たれたスタジオのドアの前で、花はようやく顔を上げた。


 鏡の前で、こちらに顔を向け、微笑んでいる木藤リオンがいる。

 と、木藤リオンが、両手を広げた。


「君が優勝だ」


 トンと、萌に背中を押された。

「ほら、花ちゃん。行って!」

 押されるまま、花は前へ進む。

 胸が高鳴り、足元がおぼつかない。


 ようやく木藤リオンの前に進み出たとき、

「厳正な審査の上、あなたがダンサーの祭典における木藤リオンの相手役と決定しました」

 そう告げるスタッフの事務的な声が響いた。

「おめでとうございます」


 パチ、パチパチ……。


 はじめ遠慮がちだった拍手が、徐々に大きくなって、やがてスタジオ内は割れんばかりの拍手で満たされた。


「こちらがこれからの日程表です」

 スタッフから花に薄い冊子が手渡された。

「あなたには、このスケジュールを厳守して頂きます。バレエ団など、ほかのレッスンを受けることはできません。異存はありませんか?」


 花は深くうなずいた。

 ほかのレッスンも何も、花には所属しているバレエ団もなければ、受けているレッスンもない。 


「ありがとうございます」

 震える声で花は言った。

 手渡されたのは、薄い、なんの飾りもない冊子だったが、表紙にはしっかりと、

 ダンサーたちの祭典

と書かれている。


 抱きしめるように胸の前にいだいた。

 夢のようだ。


 優しかった母の顔が浮かんだ。

 この喜びを、ほんとうは母に伝えたい。


 そのとき、

「待ってください!」

と声が響いた。


 スタジオ内にいる者全員が、いっせいに声がしたほうへ顔を向ける。


「一言、言わせて下さい!」

 伊集院さやかだった。


 凛とした表情で、木藤リオンを見つめる伊集院さやかには、衆目を集めている事態にひるむ様子はない。

 ただ、心なしか、顔色が青ざめ、怖いような美しさだ。レオタードの上に羽織っている青いカーディガンが、そう見せているのだろうか。


「なにか?」

 スタッフがいぶかしげな顔を、さやかに向けた。

「審査の結果に意義をとなえるつもりはありませんが」

 そして、さやかは少しだけ、息を吸った。薄い胸元が、わずかに上下する。

「片方だけのトウシューズで踊るのは、違反ではありませんか?」


 スタジオ内がいっせいにざわめいた。


「そうだよね。おかしいよね」

「いいじゃん。上手なら」

「やっぱり変だよ。だったら、バレエシューズで踊るべきだったんじゃない?」


 いくつもの声が耳に入ってきた。

 同情する者、批判する者。

 だが、徐々に形勢は、花に不利になっていく。

 さっきまで花に拍手喝采してくれた者も、まるで魔法がとけたかのように、花を批判し始めた。


 伊集院さやかの問いかけに、スタッフは瞬間うろたえ、それから、別のスタッフと話し合いを始めた。

 別のスタッフが、慌てて募集要項用紙を広げる。


 その間、木藤リオンは、表情を変えなかった。胸の前で腕を組み、まっすぐ前を見ている。


 伊集院さやかが、一歩前へ出た。

「優勝者の踊りは素晴らしいものでした。でも、バレエは見る者に夢を与える芸術です。片方の足だけにトウシューズを履いて踊っては、見る者に不安感を起こさせてしまいます。それでは完璧な踊りとは言えないと、私は思います」


 同じ高校生とは思えない、堂々とした話しぶりだった。

 

 


 

 

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