第13話 選抜試験 1

ベランダがざわめいたのには、理由(わけ)があった。


 スタッフに番号を呼ばれてスタジオの中央に進み出たのは、あの伊集院さやかだったのだ。


 木藤リオンに選ばれるのは、彼女だろう。


 誰もがそう予測している、注目のダンサー。


「オーラを感じるぅ。やっぱりすてきすぎる、伊集院さやかさん」

 爪先立ちになって、萌が言った。花も一気にテンションが上がる。


 まわりの興奮をよそに、伊集院さやかは落ち着いて見えた。まるで普段のレッスンを受けるかのように、軽く身体をほぎしながら、ピアノの準備が整うのを待っている。

 白いレオタードに、白いスカートを履いている。花よりは小さいが、バレエダンサーの中では背が高いほうだ。

 手足は長い。いや、特徴的なのは、花と同じように、人より腕が長いことだ。

 腕が長いと、踊りが優雅でしなやかに見える。


 まるで、妖精のようだった。といっても、影の薄い妖精じゃない。

 妖精の女王といった雰囲気。

 小さな顔に、意志の強そうな大きな目。真剣にストレッチをする表情には、勝者の貫禄がある。もちろん、まだ、この選抜試験では勝者と決まってはいないけれど。



「何を踊るんだろう。キトリ(ドンキホーテのバリエーション)かな」

 萌がささやく。

 キトリを躍るために、全身白というのはおかしい。

 リラの精かも。そう言おうとしたとき、スタジオの鏡越しに向けられる強い視線に、花は気づいた。


 あ、美佐子さん。


 美佐子さんの横には、双子もいた。三人は射るように花を見つめている。


 目にははっきりと、

「なんであんたがここにいるわけ?」

と、驚きと怒りが浮かんでいる。


 思わずうつむいた花は、横に立つ萌の後ろへ回った。

 見つかってしまった。

 今日、家に帰ってからの仕打ちを思うと、胸がふさがれる。

 花は萌の腕を引いた。

「ごめん、あたし、帰らないと」

「え?」

 萌の目が丸くなる。

「なんで? まだ半分しか終わってないんだよ」

「そうなんだけど……急用ができて」

「そうなの? だけど、お願い。伊集院さやかの踊りだけは見てって」

 萌は伊集院さやかのファンなんだろう。もちろん、ファンでなくとも、彼女の踊りだけは見ていきたい。


 ピアノが鳴り始めた。

 始まるのだ。


 花の予想どおり、伊集院さやかが選んだのは、リラの精だった。


 ゆるやかで、それでいてゴージャスなイントロが流れ始め、伊集院さやかは脚を大きく斜め前に上げた。

 途端に、スタジオからも、ベランダからも、


 ワアッー


と、歓声が漏れる。


 完璧なアラベスクの連続。シソンヌ(ご5番ポジションからのステップ)から、ピルエットへ。


 空気を味方につけたかのような、軽やかで優雅な動き。


 ため息とともに、花は伊集院っさやかの踊りを見終わった。

 言葉が出ない。横で、萌もふううと息を吐きながら、何度も首を縦に振っている。


 伊集院さやかさんの踊りが見られたんだから、満足だ。

「帰るね」

 萌に告げたとき、スタッフが次の番号を叫んだ。


「三十一番!」

 

 同時に、萌が花の腕を取る。

「花ちゃんの番号じゃない?」

「え」

 手元の札を見た。たしかに、花の札の番号が呼ばれた。


「ど、どうしよう」

「行くっきゃないでしょ!」

「でも」

「何言ってんの? 早く!」


 花は、ベランダとスタジオを隔てる硝子窓の前に押し出された。


「三十一番の人、出てきてください!」

 スタッフが叫んでいる。

「いませんか? 棄権ですか?」


「行きなさい」

 ふいに後ろから声がして、花は振り返った。


 雅子先生がいた。

 深くうなずいている。


 踊れってことなの?

 だけど、トウシューズは片方しかない。

 しかも、伊集院さやかの次だなんて!


「だいじょうぶ」

 雅子先生がささやく。

 花は意を決して、花は硝子窓に札をかざした。


「なんで、ベランダなんかにいたの?」

 そんな声が漏れる。

「誰? あれ。どこのバレエ団?」

 あちこちから声が上がる。


 施錠(せじょう)されていたベランダの硝子窓が、スタッフによって開けられた。

 鍵を開けながらも、スタッフはいぶかしげな表情だ。

 レオタード姿でもない、なんの準備もできていない様子の少女に、不審感を抱いている。


 花は、足を踏み出した。


 スタジオの中は、表と違い、ひんやりしている。

 花は顔を上げた。

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