第12話 選抜試験会場 3

 「すてきな踊りね」

 雅子先生は、そう言ってにっこりと笑った。

 杖に支えられて立つ姿は弱々しいが、背筋は伸びているし、凛とした品もある。

 花は圧倒されながら、お辞儀をする。


 「あなたの番になったら、見せてもらうわ。今日は何を踊るの?」


 声をかけてもらったのは嬉しいが、花には返す言葉がない。


「どうしたの?」

 いぶかしげに、雅子先生は首を傾げる。


「あの、あたしは、出ないんです」

「まあ、どうして」

「手違いがあって、申し込んでないんです。だから、出たくても出られなくて」

 言いながら、花の目は潤み、喉が苦しくなってきた。


 やだ、泣きそう。


「出なくちゃ。あなたが出なくちゃもったいないわ」

 花は大きく頭を振った。

「無理です。申し込んでないんだもの。スタジオに入っていくわけにはいきません」


 その瞬間、雅子先生のまわりに、何か光のようなものが浮き上がったように、花には見えた。

 な、なに?


 すると、雅子先生は、手にしていた杖をひらりと花の頭上で振ってみせた。


 ふわりと、何か光の粒に似たものが、花の体を包んだ。


 え、どういうこと?


ーー雅子先生には都市伝説があるんだよ

 そう言った萌の声が蘇る。

ーー魔法がかけられたみたいに、身体が軽くなるんだって


 魔法使い?

 やだ、まさか。


「さあ、これを持って、スタジオに戻りなさい」

 雅子先生が、小さな札を花に差し出した。

「これは……」

 札には、番号が書かれてあった。三十一番。


「もうすぐこの番号が呼ばれるわ。そうしたら、堂々と胸を張って、顔を上げて、スタジオに入って行きなさい」

「番号が呼ばれる……」

 雅子先生が大きくうなずいた。

「で、でも、あたし」

 花は受け取った札を見つめる。

「トウシューズを持ってきてないんです」

 選抜試験を、バレエシューズで受けるなんて有り得ない。

「わたくしが差し上げた赤いトウシューズはあるでしょう?」

 

 この人は、ほんとうに魔法使いなのかもしれない。

 今日、花は、雅子先生に譲られたトウシューズだけは持ってきていた。というか、いつどんなときも、あの赤い靴は鞄の中にひそませてある。


 ただ。


「やっぱり、無理です。だって、片方を失くしてしまったんです」

 ごめんなさいと、花は深く頭を下げた。

 今、手の中には札がある。おそらく、雅子先生は知り合いの誰かの出場権を、花に譲ってくれたのだろう。

 でも、出れない。

 片方のトウシューズでは踊れない。


 そのとき、タタタッと足音が響いて、誰かが階段を下りてきた。

 

 萌だった。


「花ちゃん、こんなところにいたの?」

 萌は手にペットボトルのジュースを持っている。

「何、してたの?」

「何って、今」

 そう言って花が後ろを振り返ると、そこに雅子先生の姿はなかった。


 ごくごくと喉を鳴らしてジュースを飲む萌といっしょに、花はスタジオが覗けるベランダへ向かった。

 手には、雅子先生から譲られた札がある。

 萌はどこで仕入れてきたのか、いままでの出場者の評価をしゃべっている。

 七番の人が有力らしいとか、十二番のダンサーは、フリを間違えていたとか。


 曖昧にうなずいていると、萌が、ふと、花の手元を見た。

「あ、それ」

 花は思わず、手を後ろへ持っていく。

「それ、今日の応募者の札?」

「ち、違うの。これはあの……」

「やだ、花ちゃん、受けるんだ」

 萌が言ったとき、ベランダがざわめいた。


 休憩時間が終わり、スタジオで審査が始まるようだ。


 

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