第34話 東の竜王は引き籠る

 突然現れた赤い竜が、外から次元の門を壊し始めた。霊子を材料に作られた門を破壊する為には、相手にも相応の霊的因子が必要だ。だが、赤い竜は、いとも簡単に実行してしまった。七つある全ての門が、その形と機能を失うまで止めそうにない。

 

 ――これは、まずいぞ……。

 ビーレイは歯噛みした。

 七つの門の内側では、まだ吹雪は続いており、竜がまき散らす門の残骸も加わって、収拾がつかなくなっている。これでは霊峰エデンザグロースと、この場所を繋げることが出来ない。

 ゲヘナや竜騎兵を幽閉するために、一気に狙った形勢逆転の切り札が、もう役に立たないことをビーレイは思い知った。


 焦るビーレイの前に、大剣を担いだゲヘナが現れた。地竜を捨てて歩いて来たようで、雪を被っている。そのゲヘナは、やはり別人のようだった。表情はまるで険悪。赤い目は燃えるようで、纏う雰囲気も邪悪だ。先程までの優しい面影があった青年のそれではない。

 「うううっ」とビーレイは、我慢できずに声を漏らした。この変わりよう、赤い竜が登場してからゲヘナの様子がおかしい。その変貌ぶりに恐怖すら覚える。


「どうした? もう終わりか?」


 とゲヘナは、さっきと同じ事を言った。だが、台詞は同じでも、役者が代わったとビーレイは思った。


「なら、ぶっ潰してやるよぉ、こんなチンケな門はよぉ!! 火竜ロディニアよ! 全てを破壊しろぉぉ――!!」


 ゲヘナが大剣を振り上げた。すると――、世界の壁が壊れてしまったかのように、周囲の門が一斉にその高さを失った。日の光が差し込み明るくなる。吹雪の結界が破られて、置き換わった熱風が吹き荒れた。

 ――何という事だ!! 熱い! 熱いぞ! 燃えるようだ!

 ビーレイの驚きは言葉にはならない。大きな口を更に大きく開けて、事の成り行きを見守っているだけだ。

 乾燥した空気が激しい上昇気流を生む中、舞う瓦礫がれきを押しのけて、ゲヘナの背後に大きな影が着地した。ビーレイが段取りした舞台を、全て台無しにしてしまった赤い竜である。

 地竜とは違い翼を広げて空を舞う竜は、総じて翼竜と呼ばれる。現れた竜は、四本のたくましい手足と鋭い爪を持っている。全身を覆う刺々しい鱗は、溶岩のごとく深い朱の色をしているので、恐らく火の属性を持つ火竜だろう。

 ビーレイは、ゲヘナが言った言葉が気にかかった。


「ロディニア。ロディニアと言ったか――?」


 ビーレイはようやく声を絞り出した。その竜の名を、どこかで聞いたことがある。バーンの大地には、東西南北を守る四匹の偉大な竜がいて、名をヌーナ、パンゲア、アメラジア……、そして最後の一匹が、ロディニアという名でなかったか――?


 火竜が長い首を地面に這わせると、その朱色の鱗に手をかけてゲヘナが飛び乗った。竜の頭から生える角を掴んで身体を固定すると、竜はゆっくりと鎌首をもたげる様にした。そうして、ゲヘナの声が頭上から降ってくるようになる。


「ぎゃっはっは――! そうだぜぇ雪男。ぶったまげたかよ!」

「ああ……、ああ……。正直たまげたぞ第十一書記よ。竜王とまで契約をしているとは……、武力だけでなく、書記としての力も相当なものだな。だが、なぜだ? なぜなんだ?」

「何がだよ?」


 ビーレイは死を覚悟した。逃げ出す事すら想像出来ない時点で、もはや無事ではいられまい。火竜の息に当てられて、命はここで尽き果ててしまうだろう。だが、気になることがある。


「なぜ今なんだ? そのような竜を手駒にしているのなら、はじめから使えばいいだろう――!?」


 ビーレイは絶叫する。

 ――お前が中央の軍を突き抜けて、ここまで来たのは何故だ? 

 その竜の一息で、反対属性である雪の軍勢は、致命的な被害を被る。中央の軍や本陣目掛けて竜をけしかければ、勝負は一瞬で決まったはずだ。だが、ゲヘナはそうはしなかった。  

 ――なぜだ?

 ゲヘナは言った。面白くなさそうな顔だ。


「俺の領地に廃城がある。ロディニアの根城だが、こいつは、そこから出てこねぇ。引き籠りの竜なんだよ。おいしいエサをぶら下げて無理矢理契約したが、正直失敗だったなぁ」

「なにが失敗だ?」


 竜は目の前にいるではないか。次元の門を壊し、ゲヘナの命令通り動いている。失敗とは、どの部分を指しているのだ?


「我は一度のみ羽ばたく――。だとよ! この辺りが限界なんだよ。廃城からここまで飛んで、ちょうど翼が一振りだ。理解できたか間抜けな雪男。俺だって呼べるもんなら最初から呼んでるっつうの!! ぎゃははは――!!」

「それは本当か? そんな条件付きの契約があるのか? ま、待て! もう一つ、もう一つ質問だ!」


 火竜の口内に炎の塊が発生したようだ。炎は嚙み締めた牙の隙間から伝って、液体のように顎から落ちた。

 ビーレイは大きく目を見開いた。自分の命が、あと僅かで終わってしまう未来が鮮明に見える。「早く言え」と苛立ってゲヘナが言った。


「……お前は誰なんだ……?」


 ビーレイは、最後の疑問をようやく口にする事が出来た。先ほどから、自分は誰と話しているのか分からなくなっていた。


「くそ、つまらねぇ。待つんじゃなかったぜ!! 死ね雪男!!」


 火竜ロディニアが灼熱の息を吐く。ビーレイが乗った雪の騎馬は、一瞬で蒸発してしまう。投げ出されながらビーレイは思った。この連絡は届くだろうか――? 自分が焼かれてしまう前に、この想いは空をかけて我が甥ダストンに届き、注意を促すことが出来るだろうか――?

 ――東に来てはいけない。ここは火竜の狩場となる。動いては駄目だ。中央より西で戦えば、火竜の脅威から逃れられる。


 ――ああ、駄目だ。灰になる……。何もかもが灰になっていく……。お願いだ……。どうか届いてくれ……。

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