第33話 ビーレイも本気出した

 

 ――また、やられた。

 ビーレイは戦慄した。全身の毛が逆立つような思いだった。

 視界に映る雪の兵士だった塊が、徐々に崩れて宙に舞う。キラキラと陽光に反射して美しいが、その役目を終えて霊峰エデンザグロースに帰ろうとしている。先ほどまでの姿を取り戻すには、この後百年はかかるだろう。ビーレイは手綱を強く握りしめた。

 

 つい先ほども、ビーレイは圧倒的な敗北を味わった。

 歴戦の兵達つわものたちを相手にしたように成す術がなく、右軍は北と南に分断された。相手は少数。本陣から先に連絡も来ていたし、敵の奇襲は失敗するはずだった。だが、こちらが失敗した・・・・・・・・。充分に準備した五千の兵士で、迎え撃ったにも関わらずだ。

 それから、散り散りになった雪の軍勢をまとめて、ゲヘナの背中を追いかけた。透明な騎馬を走らせながら悟った敗因はただ一つ、第十一書記ゲヘナを相手にしてしまったという事だった。

 ――これほどの武闘派が書記の中にいるとは――。

 霊峰に籠り俗世界との繋がりを切っていたせいで、情報に疎くなっていた。どこかの田舎貴族だと聞いていたが、とんでもない。ゲヘナは戦場の局面を左右する、流れのような存在なのだと、認識を改めずにはいられなかった。

 ――まるで剛力無双だ。まともに戦っても勝てはしまい。

 ビーレイは、そう結論づけたのだった――。


 次元の門を召喚すれば、周囲を一斉に転移させてしまう。転移先である霊峰のお膝元では、雪男や雪の精霊は生きていけるが、それ以外の者は無理だ。門の召喚には、できるだけ慎重にならなくてはいけない。間違っても我々以外を巻き込んではいけない。六股は、北の援軍に走らせた。もう充分に離れたはずだ。

 ダストンは周囲を見渡して、味方の劣勢を再度確認した。

 ゲヘナが一人いるだけで、竜騎兵が恐ろしいほどの攻撃力をみせるのだ。おかげで局地的に、こちらが少数となってしまった。早く次元の門を召喚しなくては手遅れになってしまう。頃合いだと思った。

 ゲヘナの目には、ビーレイが抵抗を止めて、勝負を捨ててしまったように映ったのだろう。いぶかしむような声をあげた。


「どうした? もう終わりか?」

「そうだな。いや、少し考えがある」

「考えだと?」


 ゲヘナがまたがる大きな地竜が頭を下げたので、ゲヘナの顔がはっきりと見えた。青い髪と赤い目を持つゲヘナは、アンデッドの上位種である吸血鬼ヴァンパイアと特徴がよく似ているとビーレイは思った。


「最後の足搔きだよ。お前は強い。まるでそう……英雄ダリューンのように」


 ビーレイは敵に賛辞を贈った。戦場での純粋な強さだけなら、ゲヘナは、英雄と呼んでも遜色しない力量だと思った。戦争がこの先も延々と続いていくようなら、この者の名は、良くも悪くもバースの大地に響き渡るに違いない。

 ゲヘナは、意外だという顔をしてから肩をすくめた。


「それは光栄だが、止めてくれ雪男イエティよ。僕はそんな者には成れない。僕は夢魔に囚われたしょうもない男だ。付き合いで興味のない戦争をしている馬鹿な男だ。いずれ、どこぞの荒野で夢魔と共に、野垂れ死ぬのがお似合いさ……」

「そこまで卑屈になるのなら、その夢魔と手を切れ。お前ならいくらでもやり直せるだろう」

「……それはできない」


 ゲヘナは苦しそうに顔を歪めた。ビーレイは思った。ゲヘナはすでに第九書記ニーチェの契約下にあるのではないかと――。その契約の対価に何を望んだのだ――? 聞いてもゲヘナは答えないだろう。真に望むものを他者には簡単に教えないだろう――。


「そうか……、ならいい。お前の人生には少々同情すべき点があるようだが、お前は村を焼いた。その罰は受けて貰うぞ」

「元より覚悟の上だ」

「ならば結構だ。そして刮目せよ……これが……、我らが霊峰エデンザグロースに通ずる次元の門だ――!」

 

 ビーレイが言うと、ゲヘナを遠巻きに囲んでいた雪の精霊――正確には精霊の残骸が、明滅をする七色の光を放ちだした。光を放つ物体は七つある。それぞれが空に向かって光の筋を発射した。すると天候が急激に変わった。

 黒々とした分厚い雲が現れ、渦を巻いて太陽を遮った。急に寒くなって、信じられないが雪が降って来た。優しく降り積もるのではない。まるで嵐のようになって、雪は叩きつけてくる。だが、奇妙な事に、雪は七つ伸びた光の内側だけしか降らなかった。そこへ巨大な何かが落ちて来た。暗雲の中から現れて、光の筋に導かれるように、壁のようなものが次々と落ちてくる。

 それは七つの門だった。

 誰がその門を潜るのか――。あまりにも巨大すぎる両開きの扉は、人間のような矮小な存在が、押しても引いてもびくりともしないだろう。見上げれば、雲にかかる先端はアーチ状になっている。金属でできているようだが、レンガや土で出来ているようでもある。

 門は、外の世界と内側を完全に隔離した。内側では相変わらず猛吹雪が起こっている。中に取り残されてしまったゲヘナや竜騎兵は凍え始めたに違いない。

 ゲヘナの声がした。吹雪にかき消されてしまわないように大きな声だった。


「こ、これは……門なのか! お、お前の仕業なのか!?」


 ゲヘナの声が震えているとビーレイは思った。


「お前と配下の者たちを、我らが霊峰エデンザグロースへ招待しよう。極寒の世界だ。そこでお前が殺した村人たちに詫びるのだ!」


 叩きつける雪が視界を阻む。近くで雪の兵士と交戦していた竜騎兵たちが、低温により急に倒れ込んだ。落ちた人形目掛けて、兵士が槍を突き刺している。

 ビーレイは精神を集中させた。


「別れを告げておこう。さらばだ名も無き英雄よ! 次元の門よ開け!」


 ビーレイは騎乗したまま両手を広げ空を見た。門扉の中央に隙間が生まれた。七つある両開きの門が、一斉に開き始めたのだ。その隙間からは、更なる冷気が吹き込んできた。触れるものを一瞬で凍らせてしまう死神の吐息だ。

 集中力を切らさないよう努める。自分に近づく影はない。この吹雪の中では、地竜はもう活動できない。このまま勝てるかも知れないと、ビーレイは僅かに油断した。


 ――なんだあれは――!?

 門の先端にかかっていた雲が晴れると、そこに何かがしがみついていた。不気味な存在だ。首を伸ばして、門で仕切られた結界の中を覗き込んでいる。様子を探っているようだが、姿を隠している訳ではなかった。

 その生き物を見てビーレイは驚いた。思わず集中を切らしてしまい、ゆっくりと動いていた門扉もんぴが停止した。再度集中を高めて門を作動させるべきだが、ビーレイはほうけてしまって、その作業に、すぐに取りかかれなかった。


「し、信じられない……。本物なのか……?」


 ビーレイは呟く。すぐに吹雪にかき消されてしまう小さな声だが、その声に反応する者がいた。ゲヘナだ。ゲヘナの声がするが、その口調は先ほどと大きく変わっていた。まるで別人のようだった。


「ぎゃははははっはは!! そうだよ、そうだよ! 竜だよ竜! 本物の竜だよぉ! やっと来たか東の竜王よ! いつもおせえんだよぉぉ。さっさと門を壊せヤァ!! 寒くて仕方がねぇ――!!!」

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