第15話 偉大なお兄様ですね

 先生が、スイッチをポチっと押す。

 間抜けな音が、夜の始まりを告げる様に響き渡る。


 ――びよ~ん、びよびよ、びよ~ん。

 ――衝撃に備えよ。衝撃に備えよ。

 ――第二形態【兄】に変態・・する。


 突然、床の底が抜けたみたいに、フワッとした感覚に包まれた。銀色の巨人は、溶けて崩れて輪郭を失い、大きな水溜まりになった。

 ――と、神木の精霊ハイ・エントの腕が、派手に空振りする。勢いそのまま、地面に当たって土煙と花粉を巻き上げた。

 僕達は、神木の精霊ハイ・エントが振り抜いた腕の下で、隠れるようにして急速に集まり、球状になり始める。


「そのウネウネとした化け物は、一体何なのじゃ? スライムや泥人形パペットマンの上位種か? 初めて見るぞ気持ち悪い」


 マールは杖の先をカティアに向ける。変なことをすれば、襲うと威嚇している。


「イッヒッヒッ……。ジジイでも知らんのか。じゃあ私が教えてあげる。これが喪失武器ロストウェポンや。たまげたか? は、はっくし!」

喪失武器ロストウェポンじゃと? 本物か?」


 カティアは、赤い鼻をすすってにんまりする。


「な、なんと、馬鹿弟子がぁ……なんちゅう奴らを呼び込んだんじゃ。ワシは知らんぞ。大破壊が起きたとしても、ワシにはどうしようも出来んからな。……まさか、ここまで愚かだったとは……」


 マールは呆れた後で、すぐに切羽詰まった声を出した。


「ならば神木の精霊ハイ・エントよ! 急いでくれ! その化け物が本性をあらわす前に!」

「おうよ!」


 神木の精霊ハイ・エントは答えて、無数の枝を蛇のように伸ばしてきた。いずれの枝の先端も例外なく鋭く尖っており、規格外の大きさをした杭が、次々と球体にぶっ刺さる。

 だが、攻撃は間に合わなかった。突き刺さった枝を折る音が、バキバキと一斉に鳴り、僕達は再び、七メートル級の巨人の姿で大地を踏みしめたのだ。

 本日二度目の登場である巨人は金色にデフォルメされていた。居心地はさっきと変わらない。相変わらず四人が合わさったまんまだ。伝わってくる第三者的視覚情報によると、巨人はのっぺりとしており、大きな凹凸は見当たらない。全身光輝いているので、非常に有り難く神々しい気さえする。

 ――ついに黄金の戦士【兄】爆誕す。


 最終章幕開けの最中に、僕達を放置してカティアは小さな紙を見ていた。どうせ外套の隙間から取り出した紙だろうが、テスト中にカンペを盗み見している学生のように怪しい雰囲気だ。


「あっ……。多分、この金色のやつやな。いっぺん大陸吹き飛ばしてんの……。へぶしっ! ま、まあ、八分の一やし、大丈夫か……うん。もう、しんどいし、どうでも、ええわぁ~。えっと、兄さま形態は、状態異常無効やって……良かったな。お前らは、もう粉も平気や……くちゅん!」


 カティアが可愛いくしゃみをすると、マールが唾を飛ばして、慌てふためいていた。巨人を見ている。


「こら、馬鹿弟子! これは伝説の後半に出てくる、駄目なやつじゃないのか! やめるんじゃあ!」

「う、五月蝿いぞマール! 多分、大丈夫や言うてるやろ! へくしっ! 先生、聞こえるか? もう私しんどいから、後はうまい事頼むわ」


 カティアが、さらりと無茶を言う。ぼ~っ、としていたら聞き逃すところだ。なんで私が、と先生がすかさず抗議した。


「あんた先生やろ。全部終わったら教えて。私はもう無理、絶対無理! 命令や命令、さっさとやっつけて! ……へっくし!」

「…………ちっ、何ですかそれは? 引き継ぎも作戦も無しなんですね……」


 カティアが現状を放り出すと、金色の巨人が手足を動かし始めた。関節が一気に増えたような、非常に滑らかな動きである。

 右手の拳は腰にぴったりと吸い付き、左手は優しく拝むように前に出された。そしてゆっくりと、両足が前後に開かれて重心が下に落ちる。

 ――ええっ……うそぉ、これ先生の仕業だ。

 僕は驚いた。先生の強い強い意志とイメージが、電流のように巨人の体内を駆け巡っているからだ。


 ――空手?……いや、夢限流……拳法の構え? 先生は格闘技の有段者なのか!

 大破壊の予感がする。

 空気が痛いぐらいに張り詰めた。興奮した熱を整えながら先生が告げる。


「よくも、やってくれましたね。森の精霊よ。雇用主の言いなりのようでしゃくですが……、私には大切な人が待っているんです。何がなんでも帰らなくてはいけません。なので……、貴方も森に帰って下さい。……もし拒むなら、胴体をミリ単位に製材して、壊れた家の補修に使います。私は本気ですよ……ゥゥゥオオオ!!」


 先生が雄叫びを上げた。その声は僕の心を痺れてさせて、何故だか涙が出そうになった。逆行を弾き返す力強い叫び。何とかなりそうな気がしてくる。

 金色の巨人が右にたずさえた拳から、空気を震わす波動がほとばしった。夜が大袈裟に退き、辺りが昼間のように明るくなった。


「吠えるなよ気色悪い人形め! 粉々にしてくれる!」


 神木の精霊ハイ・エントが言うのと同時に、胴体であるこけに被われた太い幹を、半分にするような穴が空いた。

 盛大に切った啖呵とは裏腹に、巨木がいま、倒されようとしている。

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