第8話 第十書記がやって来た

 僕は、不気味な髑髏ドクロに足首をくわえられて、身動きがとれないでいた。


「ちょっと離して! 離せ離せ――! ああっ、ママ――助けて!」


 くるぶしの辺りまで、がっちり噛まれて外せない。髑髏の二つのあなが、僕を睨んでいる気がして涙が出そう。

 他の三人をうかがうと、白い骨の手で足首を掴まれていた。拘束されてはいるが、まるでティッシュをつまむかの如く、優しいタッチだ。

 ――噛まれているのは僕だけだ。カティアは僕が嫌いなんだ。


 僕達に「待て」をして、トイレに行った雇用主。はたして、第十三書記カティアは何者なのか?

 年齢は僕と同じぐらいに見える。超絶美人で、騎士のような重装備をしているが、契約しろだの地獄に落ちろだの、やっている事はどこかの妖しい占い師のようだ。コテコテの関西弁を使うし、情報が整理できない。この世界も含めて、ようは全てが謎だらけ、理解も想像も及ばない。

 

 ――なら、いまの隙に……。

 僕は情報を集める事にした。他の三人と、ようやくマトモに話せるチャンスがきた。そして分かった事は、僕らはやはり、強制的に連れて来られていた。

 先生は出勤中に、逆にオハナさんは帰宅中に。六股君は学校をサボって彼女の一人とゲームセンターにいる所を拐われた。ちなみに、百円玉の投入口を覗くと、女騎士が立っていたとの事だ。なんて恐ろしい……。


「君はお昼過ぎだったよね? 何をしてたの?」


 小首をかしげたオハナさんが、僕に質問してくる。僕の格好をジロジロ見ている。まあ当然、聞いてばかりじゃ逆に質問もされてしまう。


「学校休んで寝てました。朝、お腹が痛くて……」

「そうなんだ。お腹大丈夫?」

「ええ、もう大丈夫です。ありがとうございます」


 僕は嘘をついた。

 平日の昼間に、暇なので家で寝てたとは言えなかった。

 僕とオハナさんのやり取りを、どこか冷たい目で先生が見ている気がした。嘘がバレているのかも。


「ここは、一体どこなのでしょうか?」


 気まずさを打ち消すように、僕は皆に問いかける。連れて来られたというのは全体の認識として間違っていない。次の問題は、ここが何処かだ。例えば逃げ出したとして、自力で帰れる場所なのだろうか。


「異世界に決まってるっしょ」


 スパイ容疑をかけられていた二股あらため六股君は、無責任にも大胆な予想を立てる。元々彼は、物事を深く考えるのが苦手なタイプだろう。骸骨にお尻を地獄へ連れていかれそうになったのに、浮わついた笑いは相変わらずだ。

 僕は暗くなってきた空を見上げて、六股君に嘆いて見せた。


「異世界かぁ……。マジかぁ……マジなのかぁ……。そういや、カティアも言ってた気がするなぁ」

「そうそう、言ってた言ってた。バースの大地へようこそだっけ?」


 六股君は言って、記憶を辿るように斜め上を見た。


「ああ、だよねぇ……。バースなんて国は、聞いたこともないよね。でも、何であの人、関西弁なんだ? 僕達って実は、関西のどっかのアトラクションにワープしたとかないよね?」

「ないない。あんな作り物じゃないっしょ。それに、ここまで来る途中にも、奇妙な生き物が沢山いたし」


 六股君の言う通りだと思った。確かにいた。変なのが――。

 ――とくにお前だ。

 僕は足首を咥えている髑髏ドクロをまじまじと見た。二つの空虚なあなに、気を許せば吸い込まれてしまいそうだ……。


 ゴ、ゴホンッ。

 えっと、気を取り直して……。六股君が言っている異世界とは。

 ライトノベルやコミックでよく扱われる世界感だ。

 僕の在籍する精神疲弊社会と比べると、とっても魅力的に映る世界。そう、僕の生活にはない自由や冒険、予測不能な前向きな未来が溢れかえる世界。もし、本当に異世界に来ているのだとしたら、僕は心の底から歓迎する。もう二度と元の世界に帰りたくはない。

 ――こんにちは、異世界! 僕はここでやり直したぁぁいっ!


 ――ガチャリ……ガチャリ……。


 鎧の継手が擦れ合う音が、遠くから聞こえてきた。ラスボス感を漂わせてカティアが姿を現したのだ。井戸の側に放置されている戦車と同じアングルに入ると、途端に、ぞくっと悪寒が走った。

 ――いやいや、ダメダメ、忘れてたっ!

 ここが例え憧れた異世界だったとしても、僕達は今、奴隷のごとく扱われ重労働を課されているんだと。この世界に長居したいと願うなら、最低限この状況を脱してからだ。

 ――ねえママ。日頃のご恩も忘れて、家出をしようなんて思いましたが取り消します。ああ、これ……。異世界も何だか大変そうだなぁ……。無しかなぁ……。無しだなぁ……。   


 戦車の側まで来て、カティアが言った。


「お前ら、休息はとれたんか?」

「そうですね。無いよりはマシな程度には」


 先生が遠慮もしないで事実だけを言う。先生のスーツはシワだらけ、いくら休んでもシャキッとはしないだろう。


「そうか。ほな行こか」


 カティアが休憩の終わりを告げると、足首に噛みついていた髑髏のアゴが外れて、地面の中に吸い込まれていった。歯形が残っている。この屈辱と恐怖を、僕は記録に残すことにした……。

 ――それにしても……。こんな時間から、また何処かへ移動するのか。

 空には気の早い星が、ちらほらと見えていた。都会では決してない、深い深い闇が、すぐそこまで来ている。


「靴下君は、これ使え。ほら、あげるわ」


 と言って、カティアが何かを放り投げた。謎の物体が僕の前に落下する。良からぬ攻撃だと一瞬身構えたが、正体は革の靴だった。両方とも靴底を上にして止まったので、天気予報の占いなら明日は大雨だ。カティアが裸足である僕を気遣ってくれたのなら、それはそれで、また大雨の確率は上がる。

 とにかく僕は、とても驚いた。


「え? いいんですか? もらっても?」

「その辺に落ちとった靴や。かまへん」


 カティアは不愛想に赤い唇をすぼめた。

 新品の靴ではなかった。どちらかと言えば相当くたびれている。しかし、そのせいで裸足で履いてもどこも痛まなかった。いい感じに革が柔らかい。サイズもぴったりだ。何だかやる気が出てきた。素直に嬉しくなった。

 歩きながら、足元ばかりを気にしている僕の横で、オハナさんが言った。


「あれ何? あれ何?」

「うん? 何がですか?」


 僕はうつむいて、適当に返事をした。オハナさんが立ち止まった。


「あちゃぁ……。あれ~ヤバくないっすか?」


 僕の前を先生と並んで歩いていた六股君も立ち止まる。そうして全員で遠くを見た。

 先程までは居なかった、鳥の群れが空に飛び出していた。沈みかけた太陽を遮って、カラスのように真っ黒な鳥の群れは、下にある森から逃げている。


「も、森が動いている?」


 僕はうめいた。

 遠くで黒々とした森が揺れている。風のせいではない。何故なら迫ってくる。横一列見渡す限りの森が、遠近の法則通り徐々に近づいて大きく見えて来る。恐らく物凄い速度だ。

 カティアは声を張り上げた。その声に余裕は無く、微かに上擦っているように聞こえた。


「あれは……森の精霊エントの大群やな。一万はおるか。よくもまぁ、あんなデカイのと契約したもんやな第十書記のマール!!」

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