第25話 大浴場

「湯浴みの用意ができました」


 朝食を食べ終えたタイミングでクロエさんがまた来て、そう告げる。


「ありがとうございます。。クロエ、ブレッドに聞いているとは思いますが、私はあまり人と会いたくありません」


「伺っております。すでに大浴場までの経路は人払い済みです」


「助かります」


「それからお嬢様、これを」


 クロエさんはレイチェルの手に何かを渡した。


 それを見たレイチェルは顔を赤くする。


「念の為です。持って行ってください」


「要りません!」


 二人の会話を俺はポカン、とした表情で聞いていた。


 俺にはレイチェルが渡されたものが何か分からない。


「そういえば、他国ではまだこのようなものが発展していませんよね」


 クロエさんは言いながら、レイチェルに渡した薄くて細長いものを一つだけ手に取る。


「これは避妊具です」


 …………ん?


「このように男性器を包み込み、○液が女性の○内に入ることを防ぎます。ゴム、という伸縮性に優れた素材を使っているので、には対応できます」


 クロエさんは中指を男性器代わりに見立てて、避妊具の中へ挿れ、説明してくれた。

 なんだろう。

 淡々と真面目に説明してくれるが、反応に困る。


 というより、俺はこんな避妊具を初めて見た。


「他国ではまだ普及していませんね。アレックス様が想像する避妊具とは、専用の魔法薬のことでしたか?」


「ええ、まぁ……」


 クロエさんの言う通りだった。


 俺の知っているのは女性の体内に予め、専用の魔法薬を仕込む避妊の方法だ。

 それは男性の体液に反応して、凝固する為、後から掻きだせば、避妊が出来る、という仕組みらしい。


「しかし、避妊用の魔法薬は確実性が低く、女性の身体に負担が大きいです。それに肌に合わないと皮膚がかぶれるらしいじゃないですか? あと使用する際の感触もあまり良くないと伺ったことがあります」


 らしいね。

 童貞だから、知らないけど。


「クロエ、アレックスは童貞だから、そんなこと聞いても分からないよ」


 レイチェル、その辺ははぐらかそうとしていたのに何で言うんだい!


「そうなんですか? 私、軍人というものは娼婦を買うものとばかり思っていました。なるほど、童貞だから、こんな状況になってもお嬢様を襲わなかったのですね。童貞の防御力は金剛石よりも高いと評されますから」


 クロエさんは本気で驚いているようだった。

 おい、これ以上、童貞って言ったら、俺は泣くからな。


「と、とにかく、私たちは湯浴みに行きますね」


 レイチェルは避妊具をクロエに返して、部屋を出ようとした。


「お嬢様、本当に要らないのですか?」


 クロエさんが引き止める。


「要りません。――でも、やっぱり、念の為、本当に万が一の、もしかしたらの念の為に持って……」


「行くよ、レイチェル!」


 クロエさんから避妊具を再び受け取りそうになるレイチェルの手を引っ張った。


「ちょっと、アレックス!?」


 避妊具それを持っていったら、俺が止まれなくなるかもしれない。


 部屋を出たところで、俺は立ち止まった。


「……えっと、大浴場、ってどっちなの?」


 当たり前だが、どこに大浴場があるかなんて分からなかった。


「こっちだよ」と言い、今度はレイチェルが俺の手を引っ張って、案内を始める。





 大浴場に移動してから問題に気付く。


 川で体を洗う時は交代で裸になっていた。

 二人で同時に服を脱ぐと事故が起こることが初日で分かったからだ。


 だが、ここは大浴場なので服を着たまま、風呂に入るというわけにはいかないだろう。


「レイチェル、体を洗ったら出るよ」


 風呂に入らなければ、お互いに裸を見ずにやり過ごす手段はある。


 だが、俺が言うとレイチェルは残念そうな表情になった。


「そんなこと言わないで、折角用意したんだし、あったかいお湯に入ろうよ」


「だって、そんなことしたらさ…………」


「今更、恥ずかしいことが少し増えても私は気にしないよ。それよりもアレックスには疲れを取って欲しいし…………それともいよいよ理性が限界? クロエから避妊具をもらってこようか」


 なんで君はノリノリなんだよ。

 レイチェルにからかわれて、俺はムッとした。


「俺の貞操観念をなめないでくれ」


 ここで本能のままに動いてしまったら、クロエさんの予想通りになってしまう。

 また何を言われるか分からない。


 そんなことは絶対に嫌だ。


「何も起こさずに乗り越えて見せる」


「じゃあ、いいね?」


「分かったよ」


 お互い裸になった。

 俺はレイチェルの方を見ないようにする。


「…………」


 レイチェルが変な無言の間を作ったので嫌な予感がした。


「レイチェル、まさかこっちを見ていないよな? 主に下半身とか?」


 すると繋いでいる手にレイチェルは一瞬だけ力を入れた。


 …………おい!


「見たっていう証拠はないよ!」


「それは犯人が言う台詞だ!」


 まぁ、腰にタオルを巻いているので直接見られることは無いけどさ。


「と、とにかく早く入ろうよ。久しぶりのちゃんとしたお風呂だしさ!」


「おい、転んだら、危ないだろ」


 レイチェルは俺の手を引っ張って、大浴場の中へ入った。


「…………凄いな」


 俺は光景に圧倒される。

 広さもだが、造りにも拘りがあるようで芸術性も高い。

 まさに王族が使用する大浴場と言うべきだろう。


「こっちだよ」


 レイチェルは俺を洗い場へ案内する。


 そこで俺たちはお互いに足の付け根を持って、交互に体を洗った。


 蛇口を捻ると温かいお湯が出てくる。

 これだけでも俺は感動できた。


 そして、いよいよ湯船に入る。

 湯加減は丁度いいし、足は思いっきり伸ばせる。

 俺はその心地よさに脱力した。


「このお風呂にはちょっとした仕掛けがあるんだよ」


 レイチェルはそう言いながら、ボタンを押して何かの装置を作動させた。

 するとお風呂がブクブクと言い出して、気泡が発生する。


 気泡が体に当たると心地よかった。


「これならお互いの裸、見えないでしょ?」


「えっ? あ、なるほど」


 見ると大量の泡が俺たちの体を隠れていた。


「だから、こっちを向いても大丈夫だよ」


 声の反響でレイチェルがこちらを向いていることが分かった。


「!?」


 でも、思ったより至近にレイチェルの顔があったので少し驚いてしまった。

 濡れた髪と肌でとても色っぽい。


 お互いに肩まで湯に浸かっているので他の部分は見えないのだが、その分、色々と想像してしまう。


「…………」


 レイチェルの姿を見て、反応してしまった。

 これをどうにかしないと風呂から出れない…………


「どうしたの、アレックス?」


「い、いや、なんでもない」


 こんな事実を知られたら、絶対にレイチェルが面白がってしまう。

 こいつをどうにか鎮めないと…………


「アレックス、無言だと気まずいから何かしゃべって」


 俺が自分の息子をどうにか寝かせつけようとしているとレイチェルから雑な振りをされた。


「何かって難しいな」


「じゃあ、報酬は何が良い?」


「報酬?」


 俺がキョトンとした顔をするとレイチェルは溜息をついた。


「アレックスは欲が無さすぎるよ。あっ、性欲の話じゃないよ」


「そんなのは文脈で分かってるから、わざわざ言わなくていいよ」


 どうして今の話の流れで「性欲」なんて単語が出てくるんだ?


「アレックスは私に猶予をくれた。報酬を望んで当然だよ? 具体的に何が良い? やっぱりお金? それとも土地? 爵位とか?」


「報酬は…………いらないよ」


 俺が言った瞬間、レイチェルはバシャンと水飛沫をあげながら、「駄目!」と言い、身を乗り出した。


 上半身が湯船から出たので、俺は反射的に視線を逸らす。

 そんなものを見せられたら、俺の息子は寝るどころかギンギンに目を覚ましてしまう。


「レ、レイチェル、前、見えるから!」


 俺に言われて、再びレイチェルは体を湯船に沈めた。


「ねぇ、アレックス、どうして? 私はあまりこういう言い方は好きじゃないけど、お父様ならアレックスが一生で稼ぐお金を簡単にすぐ用意が出来るよ。それくらいは受け取ってくれないかな?」


 とても魅力的な提案だ。 

 しかし、それでも俺は、

「もし叶うなら、やっぱり報酬は要らないよ」

と答える。


「……理由を聞かせて?」


「笑わないでほしい…………」


「約束する」


「君との旅はとても楽しかった」


「えっ?」


「色々あったけど、君は適度に馬鹿でさ」


「あれ、褒められると思ったけど、私、馬鹿にされるの? 一回ぶっ飛ばす?」


「最後まで聞いてくれよ。君はこんな状況なのに馬鹿で明るくて前向きで、それに偶然出会った俺みたいな普通の人間にも優しくしてくれた。勇者と旅をしたなんて、俺にとっては凄い思い出だよ。何より楽しかった。だから、俺は報酬をもらいたくないんだ」


「意味が分からないよ」


「えっと、つまりだね。もし、お礼を受け取ったら、俺はその為に君をここまで送ったことになってしまいそうなんだ。ここまで来たのは君を助けたかったのはあるけど、それ以上に君といるのが楽しかったからだ」


「もしかして、私って今、告白されてる?」


「えっ? そんなわけないだろ」


 なんでそうなるんだ。


「ふ~~ん、無自覚なんだ。ジェーシの言っていたこと、ちょっとだけ分かった気がするな」


「どういうことだ?」


「アレックスが童貞な理由」


「なんでいきなり刺した!?」


「し~らない。さてと、とりあえず報酬の件は保留にするね。こういう言い方も好きじゃないけど、王族としての体面があるから、何もあげないってわけにはいかないんだよ」


「そんな…………」


「文句があるなら、要求を考えておいてね。――そろそろ出ないとのぼせそう」


 俺も少しボーっとしてきた。

 十分に大浴場は堪能したし、そろそろ出ようか。


「…………」


 湯船から出たかったのに俺の息子がまったく寝ようとしない。


「……レイチェル、もう少しだけ時間をくれないか?」


「えっ、なんで? 私、結構、限界だよ。アレックスだって顔が真っ赤」


 うん、自覚はある。

 頭がクラクラした。

 でも、今出るわけには…………あれ?


 急に眩暈がして体に力が入らなくなった。


「アレックス!?」


 レイチェルが俺を呼ぶ声を最後に意識が途絶えた。

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