第12話 私の大好きなカリナーレについて アンドリュース視点

 私はアンドリュース。ハイバール王国の第二王子だ。歳は今年十三歳。


 私の義理の姉であるカーリンは私の八歳上。既に三人の子供がいて、今もお腹が大きい。既に男児が二人もいるのでもう十分だと思うのだけど。


 カーリンが妊娠していると私が甘えられないから嫌なのだ。ただでさえ私の小さな甥や姪がカーリンを取り巻いていて、彼女の側に寄るのが年々大変になっているというのに。


 昔は良かったのだ。カーリンが結婚する前は彼女を私が独占出来たのだから。


 カーリンに初めて会った時の事は良く覚えていない。確か五歳の時の事だと思うが、いつの間にかいてくれて、私を存分に甘えさせてくれたという感じだ。


 当時、私は母を失っていて荒れていたらしい。もちろん覚えていない。正直、母のこともほとんど覚えていないのだ。思い出そうとするとごく自然にカーリンと思い出が混じる。肖像画と見比べてもカーリンは母と似ていると思うのでそのせいだろい。兎に角、私にとっては母とカーリンはほとんど一体だった。


 彼女は優しく、とにかく優しく。甘く、穏やかで甘美だった。私の幼少時の思い出は彼女にひたすら甘やかされた記憶しか無い。当時から厳しい王子教育が始まっていたはずだから、本当は大変だったと思うのに、カーリンとの楽しい思い出で全て上書きされてしまっているのだ。


 当時の私にとってカーリンは全てであり、この世の良いところを凝縮したような存在であり、いつだって私を包んでくれて、私は彼女の所にいれば何も心配しないで済んだのだ。


 実は本当は今だってそうだ。教育や既に色々こなさなければならない業務。特に兄が「其方に向いているな」と振り分けてくる軍事関係の任務で疲れ果てていても、カーリンの側に行き、カーリンが私の頭を撫でながら「お疲れ様でした。アンドリュース様」と言ってくれれば全て報われた気分になり、明日からも頑張ろうという気分になれる。


 本当は私の側に昔みたいにいつもいて欲しい。だけど彼女は兄嫁だ。そういう訳にもいかない。本当は王宮の王太子宮殿に行ってカーリンに会う事も推奨されない事である。カーリンが私に甘く、兄に特に頼んでくれているから許されているだけなのだ。だけどそれも年々難しくなりつつある。


 そもそも兄がカーリンと結婚したのが悪いのだ。と私は理不尽だと自覚しながら思う。


 カーリンは兄と婚約した当時、私の専属侍女だったそうだ。彼女は王家で保護されていた侯爵令嬢だったので恐らく郊外の離宮で育ったのだろう。それがそろそろ結婚適齢期だというので王宮に入り、私の専属侍女をしてくれるようになったようだ。


 専属侍女とはいえ、今考えると彼女の扱いは別格で、カーリンが侍女として働いていた記憶は全く無い。いつもドレス姿で私と一緒にいて、遊んだり甘えさせてくれたり散歩をしたりしていた。だから恐らく当時から王子と結婚する事が想定されていて、その相手は恐らく私だったのだと思う。


 カーリンは八歳も上だが、それくらいの年の差婚はけして無い事は無い。王族の結婚は往々にして政略なので、釣り合いよりも政治的な必然性が重視されるからだ。カーリンは親を失った侯爵令嬢で、王家に輿入れしてきても外戚の政治的な介入の可能性が薄い。それ故王子の妃にするには適当だと思われたのだろう。


 ただ、王太子である兄の妃にするのは本来難しかった筈だ。王太子ともなれば友好国の姫を妃に迎える例も多いし、血統の濃さや後ろ盾の強さを重視して傍系王族の公爵家の公女を妃に迎える事も多い。現に私の母は公爵家の生まれだった。


 その点、私は第二王子だ。第二王子が有力な後ろ盾のある妃を迎えるのは、後継者争いを誘発させてしまいかねないので良くない事だ。第二王子はあえて伯爵家程度の家から妃を貰い、公爵家を興すのが通例である。その点、カーリンは天涯孤独の身であるからそのような心配が無い。私の妃に迎えるのに適当だったのだ。恐らくそれで私と幼少時から仲良くするために専属侍女に付けられたのだと思う。


 ところが、そのカーリンを兄が気に入って寵愛してしまった。カーリンは素晴らしい女性なので兄が気に入るのも無理も無い事なのだが、婚約した途端私は突然カーリンを奪われることになってしまった。


 これには私は寂しいし悲しいしで何度も兄に抗議をした記憶がある。兄は困ってしまっていたが、婚約者を譲る気は毛頭無く、結局私が我慢するしか無かった。


 ただ、この時私は乳母のフェレンゼ侯爵夫人に言われたのだ。侯爵夫人曰く、もしもカーリンが兄と結婚しなければ、カーリンは王宮を出る事になるだろうと。なんでも、カーリンは社交界からも非常に評価が高かったので、私が成人するまで独身で置くのは難しくなってしまったらしい。カーリンを王宮から出さないためには兄と結婚させるしかない。もしもカーリンが王宮を出たら彼女とは容易に会えなくなるでしょうと。


 それで私はなんとか自分を納得させたのだか、それでも兄にカーリンを取られるのが悔しく、結婚直前のカーリンに何度も私と結婚してくれるように頼んだものだ。


 カーリンは困ったように微笑みながら、私を慰めるように抱き寄せながら言った。


「そんな事を言ってはいけませんよ。アンドリュース様。私は貴方の義理の姉になるのです。本当の家族になるのですよ。私はその事が本当に嬉しいのです」


 その言葉通り、カーリンは結婚してからも私の事を本当に大事に慈しんでくれた。何しろ王太子妃であるから何かと忙しいのに、数日に一度は時間を作っては私と会って私を抱き寄せてくれた。兄はあまり良い顔はしなかったが、それでも私とカーリンを完全に引き離すことはしなかった。


 ただ、それもカーリンに子供が宿るまでだった。王太子妃が'懐妊したという喜びに満ちたニュースは、私がついに子供のように彼女に甘える事が許されなくなるという悲しい結果をもたらしたのだ。


 私は悲しみながらも理解するしか無かった。懐妊中の女性は安静が必要だったし、事故などを防ぐためにも無用に他人を近付けられない。それでも優しいカーリンは会って話をして、手を握ることくらいはしてくれたが、悪阻がキツくなるとそれも出来なくなった。


 出産すれば、その内親王の事で王宮は大騒ぎになり、私の事は隅に追いやられてしまう。カーリンも子供の養育と王太子妃業務で手一杯になってしまい、なかなか会えなくさえなってしまった。


 私が父に不満を漏らすと逆に怒られた。


「いつまでカリナーレに頼っているつもりなのだ。お前も王子なのだぞ?しっかりせよ」


 そんな事を言っても、これまで自分の拠り所であったカーリンを突然失った私の心情は収まらない。私は抑えきれない鬱憤を周囲にぶつけてしまうようになった。侍女にあたり散らしたり、ものを壊したりしたのだ。


 するとある日、カーリンが時間を作って私を呼んでくれた。私は喜んで王太子宮殿に向かった。カーリンは我が子を抱いて私を迎えると、優しく笑いながら抱いていた赤ん坊を私に差し出した。


「抱いてごらんなさい。アンドリュース様」


 私は戸惑った。私は赤ん坊を抱いた経験などなかったからだ。しかしカーリンは丁重に、首の座っていない赤ん坊を抱く方法を教えてくれて、私はおっかなびっくりそのあまりにも小さな自分の姪を胸の前に抱いた。


「小さいでしょう? アンドリュース様。この娘と貴方は私と貴方とほとんど同じ歳の差があります。貴方が私と出会った時、私はどう見えましたか?」


 出会った時は覚えていないが、小さい頃の私にとってカーリンはひたすら大きくて頼り甲斐があって暖かな存在だった。私がそう言うと、カーリンは嬉しそうににっこりと微笑んだ。


「この娘にとってアンドリュース様がそういう存在に、良いお兄様になってくれる事を、私は願っていますよ」


 う……。カーリンの言葉に私は赤面した。父に叱られるよりも余程こたえたのだ。カーリンは私を絶対に叱らない。だから彼女は叱らずに私を諭す方法を考えてくれたのだろう。


 私は反省して、それからは自分の行動を律することを意識するようになった。カーリンも可能な限り時間を取り、私に会ってくれて。自分の子供と私を触れ合わせた。


 王族の中に私よりも遥かに小さな者がいることを自覚する事は、私にとって自分の甘えを見つめ直すきっかけになった、いつまでも子供ではいられないのだ。私は彼女の子供達にとって、私にとってのカーリンと同じような大きくて暖かで頼りになる存在にならなければならない。


 その頃から私は父や兄の政務を手伝うようになった。もちろん、私はまだ十歳程度。手伝いというかまだ勉強している段階だった、何をするにしても父に付けられた側近に頼っている状態だ。しかしそれでもその大変さと重要さは分かる。


 そして父と兄が国王として王太子としてどれほどの重責と激務を背負っているかもよく分かるようになった。兄は私が政務を手伝うようになると嬉しそうに「頼むぞアンディ」と言ってくれたし、カーリンも我が事のように誇らしいと言ってくれた。


 自分の働きを認めてくれる存在がいる事は、人を大人にする。認められればより認められたいと思うし、責任を自覚するようになるからだ。


 私は頑張って政務に取り組むようになり、兄は私に軍関係の仕事を多く振り分けてくるようになった。私は剣術や軍略が好きだったから向いていると兄は思ったようだ。


 ただ、軍の関係の仕事は王宮の外に出る仕事も多く大変なのだ。しかもまだまだわからない事だらけ。現場に赴き頑張って対応し、戻ってからは側近とそれについて勉強する毎日だった。おかげで十三歳になった今ではかなりの仕事をこなせる様になっている。


 正直、王族の義務というものがこれほどの事だとは、私は業務を手伝い始めるまで分かっていなかった。貴族令息の友人達は、成人前なので毎日教育を受けているだけでまだまだ呑気に暮らしている。


 彼らも成人年齢に達すれば父親について職務の見習いを始める筈だが、私は側近が付いているとはいえ既に業務を任されているのだ。


 不公平ではないか。と感じることもある。ある時私がそう漏らすと、カーリンはこう言った。


「この世の中に公平などございませんよ。アンドリュース様。王族は敬われ、庶民は蔑まれる。貴族王族は庶民から徴収した税で贅沢な暮らしを行う。そこからして不公平でありましょう?」


 その言葉には不思議な実感がこもっていた。カーリンはいつも通り優しく笑いながらだが、少し冷たい口調で言った。


「王族は国民の上に立ち、時には強制的に動かして国を守らなければなりません。個人の事情を無視して強制しなければならないこともございます」


 それは確かにそうだった。軍を動かし、例えば戦争をするなどという事になった時に、国民一人一人の都合など構ってはいられない。民衆を強制的に徴募して兵士にして、貴族を強制的に動員して騎士を増やし、農民から兵糧にするために麦を取り上げなければならない。国を守るためは仕方がないのだ。


「その時に、王族が率先して自分を犠牲にするかどうかは、臣下の判断に大きな影響を持つのですよ。普段から率先して陣頭に立ち、積極的に率いる姿勢を見せない者に、いざという時臣下が付いてくると思いますか?」


 カーリンの言うことはよく分かった。父も兄も、そして王太子妃であるカーリンも、常に誰よりも率先して動き、国のために働いている。その姿勢を常に貴族にも見せていた。そうしていざという時も王族は先頭に立って戦うのだ、という所を知らしめているが故に、貴族諸卿は王族に従うのだ。


 カーリンに諭された私は真面目に業務に取り組むようになった。王族の業務には社交も含まれる。毎晩のように開催される各種夜会に出席するのは王族にとっては遊びで無く仕事なのだ。


 挨拶をして談笑しつつ業務についての段取りを決めたり打ち合わせをするのは大事な事だし、相談事や要請や苦情をそれとなく持ち掛けられる事も多い。勿論、正式な決定や父や兄の承認が必要な事案かどうかはきちんと考えなければならないが、夜会での談笑はスムーズな業務を行う上で非常に重要なのだ。


 特に私は軍事についての業務を多く請け負っている。貴族は騎士でもあり、配下の者達を軍に派遣してくれる存在でもあり、いざという時は領民を徴募して国軍を編成する際に協力して貰わなければならない存在だ。普段からコミュニケーションを取っておくことは重要なのである。


 私は別に社交は嫌いではなかったが、昼間の業務と教育で疲れ果てているのに毎晩社交に出るのは大変だった。しかし兄もカーリンもほとんど毎日のように夜会に出て穏やかに振る舞っている。私よりも余程忙しいのにだ。それを見れば私も弱音は吐けない。


 私にとって社交には業務以外にも重要な役目がある。妃選びだ。


 私も十三歳。王族は十六、七歳で結婚する例が多い。その場合、十五歳までには婚約している事が多いのだ。王族の婚約には様々な事情が絡む。そういう思惑を調整して妃を決定するなら今から候補を決めておかなければならないだろう。


 ちなみに兄は、あまり女性につきまとわれるのが好きでは無かったとのことで、十五歳の歳までは特定の女性との交際は無かったそうだ。今でも堅物で潔癖と陰口を叩かれる事もある兄だが、カーリンと出会うまでは女気が無く、逆にカーリンと出会うと彼女一筋。彼女が社交に出られない時でさえ他の女性の手を取るような事も無いそうだ。


 私の理想の女性は、勿論カーリンで、カーリンと結婚出来れば何よりだったのだが、勿論兄嫁の彼女と結婚出来ないなど分かり切っている。これはもしも兄が不慮の死を迎えて彼女が未亡人になっても無理だ。許されない。私とカーリンは永遠に結ばれる事はないのである。


 正直、私はカーリン以外なら妃など誰でも良いという気分だった。なので勧められるままに貴族令嬢と夜会で会い、踊り、少しでも気が合いそうだな、と思ったらしばらく交際してみた。我が国には貴族は上から下まで何百家もあり、私は第二王子なので、高い位の家の者を妃に迎えなければならないという縛りが無い。なので言わば選り取り見取り状態。私は鷹揚に何人もの令嬢と交際した。


 だが、付き合いが少し深くなると、私はどうしてもカーリンと比較してしまうのだった。カーリンに比べれば彼女たちはどの者も幼く(歳が私よりも下なので当たり前だが)、自己主張が強く、落ち着きが無かった。私が求める包容力というか安心感というか、そういうカーリンと同じような雰囲気の持ち主は皆無であった。


 そうなるとどうにも私は気に入らなくなり、交際を止めて違う女性を探してしまうのだった。交際した女性の人数が十数人に及ぶと、社交界には「兄と違ってアンドリュース王子は移り気だ」「漁色家だ」という噂が流れるようになってしまった。念のために言っておくが貴族令嬢は結婚まで純潔を守る事大事とされているので、私は交際した女性たちとベッドを共にしたことはまだ無い。


 何人もの令嬢と交際して私は悟らざるを得なかった。やはりカーリンは唯一無二の素晴らしい女性で、同じような女性などいるわけが無いのだと。ならば妃など誰でも良い。適正な年齢になった頃に父か兄が勧めてくる相手と結婚すれば良いだろう。私は半ばそう諦めていた。


 そんなある日、私はまたいつも通り夜会に出ていた。かなり夜会にも慣れたし、貴族達の挨拶ももう堂々と受けられる。業務についての相談も、もう側近とほとんど相談しなくても分かるようになっていた。そうなれば話はスムーズになるので、難しい話は夜会の最初の方で片付いてしまい、後は宴を楽しんでいればいいという事になる。


 私が夜会慣れすると兄とカーリンは私に後を頼んで夜会を早々に引き上げて行くようになっている。二人には幼子がいるし、特に今はカーリンは妊娠中だ。もう少しすると夜会には出られなくなるだろう。カーリンは悪阻が軽く安産なタイプでもあるらしいけど油断は大敵だ。私が夜会での王族対応を代行出来てカーリンが助かるなら何よりである。


 談笑も終え、貴族令嬢とのダンスも終え、私は一休みしていた。私の行くところ貴族令嬢が鈴なりに取り囲むのが常なのであるが、この時はたまたま誰も近くにいなかった。側近でさえ離れているタイミングだったのである。私は椅子に腰掛け、酒精の入っていない飲み物を給仕に頼んだ。


 すると一人の令嬢が給仕からグラスを受け取り私に差し出した。


「はい、どうぞ。殿下」


「ああ、ありがとう」


 豪奢な金髪の令嬢だったが、一見して誰かは分からなかった。初対面の筈は無い(デビュタンとした貴族令嬢は必ず王族に挨拶に来るものなので)。貴族令嬢は数が多いので全員を覚えるのは容易では無いが、身分高い令嬢、私をいつも取り巻いている令嬢は流石に覚えている。なので彼女はそれほど身分が高くない令嬢で、私の側にいつもいる令嬢でも無い、ということだろう。


 勝ち気そうな水色の瞳をした彼女は紫色のドレスを翻すと、私の座った椅子の近くにあった椅子にどさっと腰掛けた。綺麗にカールした金髪が跳ね上がる。私はあまりに無作法な所作に驚いた。


 彼女は給仕に頼んでグラスを手に取ると、一気に飲み干してしまった。これにも私は目が丸くなる。なんというか、平民のような女だな。と私は思った。


 歳は恐らく十歳前後。背は低く、椅子から脚がブラブラ浮いている。どうも立ちっぱなしで草臥れたので椅子を探していたようで、特に私の側に座りたかったという雰囲気では無い。何しろ私の方を見もしない。つまらなそうに退屈そうに会場の様子を眺めているだけだ。


 私は正直、目の前にいる人間にこうまで無視された事などこれまで無かった。逆に私は興味を惹かれ、彼女に声を掛けていた。


「疲れたのか?」


 私が声を掛けて来た事自体に彼女は驚いたようだった。目を瞬かせ、首を傾げる。


「……ええ。このような催しにはあまり出ませんので」


「其方は……、すまない名を忘れてしまった」


「ああ、去年の初対面のご挨拶以来ですものね。失礼致しました。グランジュ伯爵の娘、ハーレイメでございますよ。王子殿下。ご機嫌麗しゅう」


 ああ。グランジュ伯爵は知っている。だがその息女、長女はよく見る顔だがこの娘は記憶に無い。思い出そうとするが思い出せない。思わず考え込む私を見てハーレイメはコロコロと面白そうに笑った。


「次女でございます。ご記憶に無くても仕方がありませんわ。私はあまり夜会には出ませんので」


「そうなのか?」


「我が家の予算状況では、お姉様と私を毎晩夜会に出すなんて無理ですもの」


 ハーレイメの話ではグランジュ伯爵家では彼女の姉を良い家に嫁がせるために総力を挙げて着飾らせて夜会に送り出していて、次女に回す予算など無いのだとの事。


「このドレスもお姉様のお古ですわ。良いのです。私は夜会など性に合いませんから」


 何でも彼女は頻繁に領地に赴いてそこで農業指導をして暮らしているのだという。


「王都で最新の農業技術を学び、それを領地で実践するのです。やりがいがあります」


 とニコニコと笑う。貴族にしてはあけすけな笑顔だ。私は彼女の語る農業についての話をしばらく聞いた。まだ十一歳らしいのに大した知識だしもの凄い熱意だった。自分が頑張って領地の農業を改革して、領地を豊かにするのだ、と息巻いている。


 その様子が何故か、王族の義務と責務を語るカーリンと姿がダブって見えた。不思議なことだ。カーリンはお淑やかて穏やかで優しい女性で、ハーレイメの少し粗野な雰囲気は持っていない。カーリンは痩せ型で背が高め。茶色い髪も翠色の瞳で見るからに落ち着いている。それに対してハーレイメは豪奢な金髪で背は低め。見るからに活発で水色の目は大きい。見た目も全く似ていないのに。


 似ているのはそう。その責任感の強さ、そして私を正面から見るその視線の強さだった。カーリンは穏やかに、ハーレイメは遠慮容赦無く、私をしっかりと見詰めてくれる。私の目からその視線は入って来て、私の頭の中まで見通すようだった。


 ハーレイメは夢中で農業について、用水路がどうとか塩害がどうとか肥料がどうとか語っていたのだが、不意に自分がどこで誰に農業の講義をしているかに気が付いたようだった。流石に少し赤面しながら彼女は私に謝った。


「申し訳ございません殿下。ちょっとしゃべり過ぎましたわ」


「なに、気にする必要は無い。興味深かったからな」


「それは何よりでございました」


 ハーレイメはホッとした表情を見せ、そして椅子から飛び降りると私に一礼し、歩き去ろうとした。私は思わず声を掛けた。


「グランジュ伯爵令嬢。これも何かの縁であろう。一曲、踊らぬか?」


 ハーレイメは驚きに目を見張った。


「よろしいのですか? その、私のような者が殿下と踊ったら怒られませんでしょうか?」


 その、先ほどとは一転したおどおどした態度に、私は思わず吹き出した。


「なんだ。どういう意味だ。其方は伯爵令嬢であろう。別に私と踊っておかしい身分では無いだろうに」


「その、私は夜会にあまり出る事が無くて、お作法もよく知りませんしダンスも下手なのでございます。そんな私と踊ったら殿下にお恥をかかせてしまうかも知れません」


 農業について自信満々に語っていた時とは正反対なシュンとした表情を見て、私は面白くてまた笑ってしまった。


「そのような事は気にするな。そんな顔をしていたら自信が無いのを悟られてしまうぞ。まず笑うことだな。笑顔だ。それくらいは習っただろう?」


 するとハーレイメはむーっと唸って顔を手の平で揉むと、えいやとばかりにニッコリと、社交笑顔とは言えないくらいにはっきりとした、明るい笑顔を浮かべて見せた。


「こうですか? 殿下?」


 その輝かんばかりの笑顔を見て、私は自分の顔が赤く熱くなるのを感じた。むむむ? おかしな事だ。私も思わず自分の顔を手の指で揉んでしまう。


「どう致しました? 殿下?」


「……いや、何でも無い。行こうか。グランジュ伯爵令嬢」


「はい。殿下」


 私はハーレイメの手を取り、ざわめきの中をホールの中央に進み出たのだった。


   ◇◇◇


 それからなんだかんだ色々あって、結局私はハーレイメと婚約した。


 ハーレイメは一緒にいると楽しく。いつも元気なので私まで釣られて元気が出る女性であり、それどころか私が気落ちしていると背中をバンバン叩いて「元気を出しましょう! 殿下!」と励まして強制的に立ち上がらせるような女性であった。カーリンとは違って意味で私を助けて導いてくれる存在だと思えたのだ。


 婚約してしばらく経った後、私はカーリンと久しぶりに会った。「一ヶ月ぶりですね」とカーリンに言われて驚いた。そんなにか。私は自分でも彼女とそんなに会わずにいて平気だったとは信じられないくらいだった。ついこの間まで三日も会えなければ寂しくて涙が出そうになったものなのに。


「それだけ婚約者に、ハーレイメ様に夢中でおられたという事でございましょう? 良かった事」


 カーリンは本当に嬉しそうに笑っていた。私は思わず赤面する。自分の身勝手でいい加減な想いを恥じたのだ。だが、カーリンは本当に嬉しそうだった。


「ようやくアンドリュース様をお任せ出来る方が出来たのですもの。姉代わりとしてそれは嬉しゅうございます。しかも活発な素敵な方ではありませんか」


「……自分でも彼女に惹かれたのは意外だった。ハーレイメはカーリンとは全然違うタイプなのにな」


 すると、カーリンは何が面白かったのかクスクスと声を出して笑った。


「いえいえ。あの方は私に良く似ておりますよ。国王陛下も王太子殿下も言っておりました」


「どこがだ? 似ていないであろう」


「いえいえ。ハーレイメ様はご領地に頻繁に赴かれて庶民と混じって働いておられたからでしょうね。……アンドリュース様と出会った頃の私に似ているのです」


 ? 私には意味がよく分からなかったがカーリンにとっては納得出来る事であるようだった。


「ハーレイメ様は殿下と結婚して公爵夫人になっても、農業の研究を続ける意向だとのこと。殿下もそれを許可なさったのでしょう?」


 私は結婚したら公爵家を興して領地を授かる予定で、ハーレイメはその領地で最新の農法を試すのだと今から楽しみにしているらしい。


「ああ。せっかくやる気も知識もあるのだからやらせてやりたいのだ。公爵夫人としては異例な事だろうけど」


「それがよろしゅうございます。アンドリュース様」


 カーリンはそう言って微笑んだが、少し寂しそうな様子にも見えた。私が思わずジッと見詰めた事で彼女も自分の表情に気がついたのだろう。表情を戻そうとして、しかし失敗してしまう。少し目を潤ませながら、カーリンは苦笑して言った。


「アンドリュース様が一人前になる事を心より願っていたくせに、私から離れて行ってしまう事が寂しくてなりません。身勝手な事です」


 ……私は返事が出来なかった。私の母代わりであり姉代わりであり、そして心より愛する女性であったカーリンが、喜びと寂しさに涙を浮かべて笑っている。


 彼女に抱き寄せられ、撫でられ、微笑み掛けられるのは何よりの私の幸せだった。母を失った私にとっての暖かいもの全ては彼女が与えてくれた。


 そんな彼女から、私は今、離れて行こうとしている。カーリンはその事を喜び、同時に寂しがってくれている。私は思わず立ち上がり、カーリンの側に跪いた。彼女の手を握って額の所に押し当てる。


「ありがとう。カーリン。何もかも、君のおかげだ……」


 私も涙が溢れてしまって声にならない。こんな姿をハーレイメに見られたら「殿下はカリナーレ様の前ではいつも子供になってしまうのですから」とまた揶揄われてしまうなと思いながらも、私はカーリンの手を強く握りながら泣いていた。


 カーリンも私の頭を優しく、子供にするように優しく撫でてくれた。そして涙声で私を祝福してくれたのだった。


「アンドリュース様。本当にお幸せに」


 

 終わり



 _______________

「私をそんな二つ名で呼ばないで下さい」と「貧乏騎士に嫁入りした筈が」の書籍版がどちらも好評発売中です!買ってね!



 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

侯爵令嬢カリナーレは庶民に戻りたい。王太子妃なんてまっぴらごめんです! 宮前葵 @AOIKEN

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画