第3話 クウハク

 失神した1010テンテンのダウンロードが完了した。

 私のクラウド上に保存される。


 その、瞬間。


「ぶらぼおおう、ぶらぼお」


 私以外に動く者のいなくなった部屋に、拍手が鳴り響く。

 声の方向へ振り向いた。


 壁に、紳士が立っている。

 いや、立っている姿が、壁に映っている。


 おそらくは、2次元の住人アバター

 遠距離からの配信なのか、映像に不規則なノイズが射していた。


 真っ黒のスーツにシルクハット。

 顔には不気味な白い仮面。

 インクをこぼしたような模様が描かれている。

 模様は、うねうねと、生き物のように蠢いていた。


「ぶらぼおおう、ぶらぼお」


 ねっとりした声で、黒い紳士は再び言う。

 私は黒銃のパネルを操作しながら挨拶を返した。


「はじめまして。探偵の8823ハヤブサだ」

「お噂はかねがね。我々の世界では有名だよ、君。3次元の住人ニンゲンのくせに、ずいぶんと踏み込んでくるようだね」

「ご好評で何より。あんたの名は?」

「あいにく、名がないのだよ。ずいぶん前に、捨ててしまってね。  クウハクとでも呼んでくれたまえ」


   クウハクは画面の向こうで長い杖を取り出すと、横回転にくるくると回した。

 そしておもむろに、その先端を私に向ける。

 銃口がついていた。

 その女を置いていけ、銃口がそう言っていた。


 私も黒銃を  クウハクへ向ける。

 麻酔モードは解除した。

 殺傷力を伴う弾丸をこめて、いやだね、と無言のメッセージを返した。


 十秒、二十秒、無言のまま互いに銃を構えつづけた。


 ふと、  クウハクの仮面の模様が変わった。

 敵意が消えた。



「残念だね」

   クウハクが言った。

「残念だな」

 私も作り物の笑みをうかべる。ちっとも残念ではなかった。

「君とはもう少し、話がしたいもんだがね。その仕事はいつ終わる?」


   クウハク1010テンテンを指差す。


「さあな、1時間か一生の、どっちかだろう」

「じゃあ、1時間後に賭けてみるか。こちらから連絡するよ。仕事が片付いていることを祈って」

「連絡先の交換が、済んでないぜ」

「もう済んだよ。こうして、出会った瞬間に」


 しばらく見つめ合ったが、私は言葉を返さずに背を向けた。

 そのまま、灰色の窓を出ていく。

 銃弾が追ってくることを予測していた。


 何も飛んでこなかった。





 p8terペーターは泣き崩れた。


 VRゴーグルの隙間から滝が落ちる。

 嗚咽が地上300階を駆け下りていく。


 p8terペーター超越宇宙メタバースに没入している。

 大企業の社屋、それも社長室で。

 せっかくの広い部屋を、まったく活用せずに。


 VRグローブをつけた両腕が、赤絨毯から空気を持ち上げている。

 おそらく、向こうの世界で愛する妻を抱いているのだろう。


 狂人と化した眠れる美女を。


 このままでは会話ができない。

 私は嗚咽の隙間を縫うことにした。


「肩の傷は、すまない。跡が残るかもしれないが」


 その声が通じて、p8terペーターは顔をあげる。

 VRゴーグルを外し、巨大な緑の顔をこちらへ向けた。

 眼球が白と赤に点滅している。


「ありがとう、探偵。ありがとう、8823ハヤブサ。それで、話はついたのだな? あの悪漢はもう、妻に手を出してはこないな?」


 グローブをつけたままの手で握手を求めてくる。

 私はまだ、握らない。


4u2uフォーユートゥーユーはもう、あんたを悩ませるようなことはしないだろう。ただ、問題は2つ、残っている」

「なんだ?」


「彼は死んだ」


 p8terペーターの差し出した手が、数ミリ下がった。

 涙が止まる。

 白い眼が、見開かれる。

 つばを飲む、音。


「殺したのか」

「奥さんが、な」


 p8terペーターはグローブを外した。

 水煙草を取り出す。煙を吐き出す。

 そしてかぶりを振った。


「できるはずがない。優しい女だ」


 私はかぶりを振り返す。


「拠点に乗り込んだとき、4u2uフォーユートゥーユーはすでに死んでいた。顔中のあなから血を吹き出して。これは2次元の住人アバターがよくやる殺しの手口だ。眼球から対象の神経系に侵入し、心臓のポンピング運動を過剰なまでに速める。結果、細い血管から順に破裂して、身体中のあなというあなから血が噴出する」


 壁に、4u2uフォーユートゥーユーの最後の姿を写影した。

 残酷な赤色に、p8terペーターの顔が曇る。


「本当に……妻が、やったのか?」

「私が近づくと、奥さんは襲いかかってきた。俊敏な、戦士の動きだった。誤作動発生バーサーク状態だった」

誤作動発生バーサークだと!?」


 p8terペーターは大きな拳を床に振り下ろした。

 揺れる。


誤作動発生バーサーク誤作動発生バーサークだと!? うちの技師に見させてたんだぞ。毎日毎晩。高い金を払ってるんだ。あんた、知っているのか、今の義肢装具の精密さを! 業界でも随一のメカニックたちだ。それが……誤作動発生バーサークだと!?」


 憤慨するミュータントの大男を、私は制する。


「人為的なものだ。おそらく。通常は誤作動発生バーサークしても本来の能力スペックを凌駕することはない。奥さんの速度、戦闘能力は常軌を逸していた。特殊な麻薬ウイルスを仕込まれた可能性が高い。専門家による治療が必要だ」


 p8terペーターは息を調える。

 憤怒を、体の内に押し戻していくように。


「専門家、とは」

「心当たりがある。任せてもらえるか」


 憤怒を収めきって、彼は振り返る。

 再びでかい手が、握手を求める。


「あんたはいいやつだ」


 今度は、握り返す。


「まだそれ以外の面を見せていない」

「いいや、いいヤツだ」


 p8terペーターは緑の顔に情けない笑顔を浮かべた。


「あんたは、ミュータントと2次元の住人アバターの夫婦を差別しない」

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