第41話 千年の時を越えた恋物語

 それから千年の時が経過し、化石燃料を使わない動力を利用する女神イリスの世界は大きな環境汚染にさらされることなく健やかな成長を遂げていた。

 神樹の森で生み出される演算宝珠に依存した各国は、アイリが施した聖法陣による制限機能によって次第に統制管理されるようになる。具体的にはアイリの意思に反するような非人道的な行いをするような国は、社会インフラを担う演算宝珠の機能を止められることで淘汰されていったのだ。

 そうして国家間の大きな争いがなくなった世界で人々は伸び伸びとした生活を送るようになり、やがて魔道モータを応用した産業機械や農業機械が世界に行き渡り美食と娯楽が溢れるようになると、ようやくアイリが望むスローライフの概念が生まれる。


 そんな恵まれた世界に再び異世界召喚されたマサシの姿が今、世界の中心都市として大成したアイリッシュヴォルドの上空に女神と共に現れた。

 女神の力でかつての姿と記憶を取り戻したマサシは、以前とはまったく異なる街の様子に興奮した様子で話しかける。


「イリス様の世界は、ずいぶんと理想的な発展を遂げたのですね!」


 立体的な高層建築の上に空中庭園が浮かぶ港街の景観は、国家間の争いで度々初期化されてきた彼のいた世界と比べて先進的でありながらも自然の美しさを保っていた。

 都市の姿から窺える高度な技術水準と環境への配慮が行き届いた成熟を感じさせる社会に対するマサシの手放しの賞賛に、しかし女神は自らが成したことではないと首を振って答える。


「アイリがあなたのために頑張りましたからね」

「アイリが? それはいったいどういうことですか?」


 かつてこの世界にきた際、旅の終盤になるととても人間らしい返事を返してくれるまでに進化していたが、それでもアイリは神聖演算宝珠だったはずだ。

 そんな当然の疑問に、女神は穏やかな笑顔を浮かべながら古びた絵本をマサシに差し出す。


「これをご覧なさいな。答えがわかるはずですよ」


 そこには神聖演算宝珠から人へと転生したアイリが、苦労しながらも人間の文明を発展させて、再びかつての主人を呼び戻して一緒に幸せに暮らす物語が描かれていた。拙いながらもアイリらしい素直で心温まるストーリーに、マサシは自然と頬を緩める。


「なるほど、アイリは人間に転生していたのですね。でも、それなら彼女は人間としての寿命をとうに終えているのでは?」


 いくら長生きをしても人の一生でできることはたかが知れている。ここまで発展させることはアイリ一人では無理なはずだ。

 マサシが抱いた素朴な疑問に、女神イリスは再び頭を横に振って否定の意を示しながら答えた。


「……それは、こういうことです」


 女神により中空に映し出された過去の映像は、先ほどのメルヘンチックなタッチで描かれた絵本と違って苦難に満ちた道のりだった。

 赤子の身で魔獣に襲われるアイリ、貴族の思惑に翻弄されながら平民として生きる決心をするアイリ。人が持つ当たり前の感情を獲得したことで涙を流したり恐怖に打ち震えたりしながらも、再び立ち上がろうとするアイリ……

 そして最後には公爵の差し金により魔結晶へと姿を変えられ、それでも演算宝珠としてかつての主人である自分のために文明を発展させようと奮闘するアイリの姿が流れると、マサシはアイリの一途な想いに心を打たれて静かに涙を流した。


「ひょっとして、いまだにアイリは演算宝珠のままなのですか?」

「ええ、その通りよ。わたくしが何度人間に戻してあげると言っても、まるで聞く耳を持たない困った子なの」

「……」


 たった千年で願いが叶うのなら本望。そう決意を込めた口調で語ったアイリに祝福が与えられたところで映像が途切れると、女神イリスはこれで話は済んだとばかりにマサシに問いかける。

「それでは下界にいられる時間も限られているし、そろそろわたくしの世界に移住してもらう為の交換条件を……あなたの願いを聞きましょう」

「僕の願いは……」


 そうして迷い無く告げられたマサシの答えに、女神イリスは慈愛に満ちた笑みを浮かべた。


 ◇


 その日も私は神樹の森で世界をより良くするための演算宝珠の生成にいそしんでいた。ドリーの大樹を中心としてイリス様の祝福を受けたアイリスの花が咲き誇る中、空から降り注ぐ木漏れ日は昔と変わらず私の心を温めてくれる。

 そんな安らぎに満ちているはずの花畑で、幼い頃からの友人である神獣たちが常ならぬ躍動感に満ち溢れていることに気がつき理由を問う。


「ヒューくん、ピーちゃん。今日はずいぶんと元気なのね」

「それはイリス様が異世界人を連れて降臨されたからだよ!」

「ふーん、イリス様が望む良い魂の持ち主だといいわね」


 あれから千年。十分以上に魅力的になったイリス様の世界は、さまざまな世界の人間が定住を望むようになっていた。自分がしてきたことが確かな実りにつながっている実感を得て、神獣たちと共に私も原初の喜びに打ち震える。

 そんな中で、私は懐かしい気配を感じて意識を前方に向けた。


「イリス様、この場所にやってくるなんて珍しいですね。異世界人へのオリエンテーションは済んだのですか?」

「いいえ。今まさに、この世界への定住の対価に彼が望んだものを与えようとしているところよ」


 そう答えたイリス様から閃光が走り、私は急にを感じて両手を地面につく。神聖演算宝珠としての超感覚に頼ることなく直接目に映るアイリスの花々に、イリス様が私の結晶化を解いたことを知り抗議の声を上げる。


「イリス様、どういうつもりですか! 私を人間の体に戻すなん……て……」


 顔を上げたその先に、あり得ない人物が立っているのを見て絶句する。


「やあ、アイリ。人間に生まれ変わった君は、ずいぶん可愛らしい姿をしているんだね」

「御主人様……」


 しばらく呆然とかつての主人を見つめていた私は、御主人様の背後に立つイリス様に視線を向けてどういうことなのかと驚きで声が出ぬまま身振り手振りで問いかける。


「なんですか? 柄にもなく、あなたが描いた絵本通りの結末を手繰り寄せてあげたというのに。これでもまだ、わたくしにクレームを付けようなんて思っているんじゃないでしょうね?」


 茶目っ気のある表情をしてそう話すイリス様にこれが夢でも幻でもないことを悟り、私は弾けるような笑顔を浮かべて前方へと駆け出し両手を広げて御主人様に抱きつく。


「御主人様!」

「ただいま、アイリ。僕の望みは生身に戻った君を伴侶として、理想郷となったこの世界を再び旅して回ることだ。ついてきてくれるかな?」

「はい、もちろん……もちろんですとも! 御主人様!」


 こうしてアイリの千年の時を越えた恋物語はここに成就する。女神イリスと樹木の精霊ドライアドが見守る中、アイリとマサシの二人は天使たちが歌うように幸せの歌を奏で続けていた。

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恋する演算宝珠はスローライフの夢を見る 夜想庭園 @kakubell_triumph

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