第40話 恋する演算宝珠はスローライフの夢を見る

 女神の意思を汲み取った神獣イリアステールにより徹底的な粛清が行われたセントイリューズの王宮は、今や静寂の王が支配する廃墟のような様相を見せていた。

 謎の炎に全身を焼かれた三公爵はもちろんのこと、配下の門閥貴族たちや悪巧みに加担していたメイドや使用人に至るまで残さずこの世を去った。逆に中立派とヴェルゼワースに属する者たちが無傷で残ったことから、誰もが今回の惨事の原因を否応もなく理解する。


「女神の使徒に手を出すなど愚かなことをしたものだ。しかし、ここまで国の中枢にあった者たちが焼き尽くされてしまったら、好機とみた隣国に攻め込まれるのではないか?」

「幸い、ヴェルゼワースは無傷だ。この際、ヒューバート殿を侯爵にして国軍の元帥に就いて貰えばよかろう」

「それだけでは、北と西の二方面に対応できまい。やはり、初代に国政に復帰してもらうのが一番ではないか?」


 三公爵とその派閥が消失したことによる貴族社会の空洞化は厳しいものだったが、国という組織の生存本能が働いたことで却ってドラスティックな改革を推し進めることに成功する。

 そしてその影響をもっとも直接的に受けたのはエリシエール第一側妃とジュリアン第二王子であった。


「私を王妃に据えてジュリアンを王太子に? なぜそのようなことを……」

「すべての後ろ盾が消失した第一王子を次期王に据えても、強固な王権を築くことはできません。国政が危機的状況にある以上、ここはジュリアン王子にその座を譲っていただくのが道理かと。それに……」

「それに? 他に何があるというのです」


 口ごもる宰相を不審に思い、エリシエールは先を促す。


「亡きアリシエール王女の怨念に恐れをなして、すでに元王妃は第一王子と共に王宮から退去なされております」

「あの子に怨念など……」


 魔導通信機を通して話すアリシエールは、その身を魔結晶と変えられたにも関わらず犯人を恨んだり探し出して復讐をしたりする気はさらさら無い様子だった。むしろこれで長生きして文明を進歩させることができると今も精力的に演算宝珠の生産を続けているようで、エリシエールは困惑の表情を浮かべたものだ。


 それでも愛する娘が肉体的には死んでしまったことに変わりはない。


「わかりました。魔結晶と化したあの子のためにも、陛下やジュリアンと共に安心できる国づくりに貢献しましょう」


 我が子を守れなかった過去の非力な自分と決別するように、せめてあの子が望む美食と魔道具に溢れた国づくりに尽力しようとエリシエールは新たな王妃として立つ決心を固めた。


 ◇


 そうして荒れ果てた貴族社会に一定の秩序が回復した頃、アルフレイムのヴェルゼワース侯爵家の邸宅に運び込まれていたアイリは次第に意識が薄らいでいく自分に焦りを覚えていた。


(……やっぱり、完全な魔石ではないから演算宝珠にするのは無理があったのかしら)


 元々有機体だった体に粉状の魔石を拡散させただけの粗悪な魔結晶だ。私の知識と記憶という高密度の情報が転写されたら、体積はあっても質を伴わないこの体が崩壊に向かうのは火を見るより明らかだった。

 一時は質に問題があるならエンペラー級の魔石に自分を転写すればよいのではと考えたけど、どうやら一度人間と化した魂を外部に移す術は禁忌のようで、記憶はともかく意識は魔結晶から抜け出すことができなかった。すなわち、万事休すである。


「アイリ、お前最近会話が途切れ途切れになってきているぞ。調子が悪いのか?」

「そんなこと……ないわ。もう生身の体を持っていないのだから調子なんて……」


 元気がない私を心配して、親しい人たちに渡した魔導通信機から次々と連絡が入ってくる。でも次第に魔導通信機を維持できなくなって、私の意識は今にも暗闇の底に落ちようとしていた。


(ああ、御主人様ごめんなさい。アイリはあなた様が望むような美食と娯楽に溢れたスローライフ世界を実現することができませんでした……)


 覚悟を決めてかつての主人への謝罪を辞世の言葉として選んだ私のそばに、眩しい光が生じるのを感じた。それから間を置かずに聞き覚えのある声が周囲に響く。


「この後に及んで思い浮かべるのが自分の心配ではなくマサシへの謝罪だなんて……あなたは本当に神聖演算宝珠の鏡ですね」

(……イリス…さ…ま? ああ……ついに直接クレームをつけられる日がきた…のですね)

「何を馬鹿なことを言っているのです。これほどあなたを心配してくれる者たちがいるのだし、わたくしのもとにくるのはまだ早いでしょう」


 次々と寄せられる魔導通信機を通した励ましの声に、彼らの願いを集めて女神イリスは神の奇跡を起こす。


「主人に付き従う騎士の忠誠、ものづくりに燃える鍛冶師の情熱、砂漠の民の幸せを願う名君の思慮、孫を思う祖父母の慈愛、娘を思う母の愛情、子孫と共に歩む聖女のこころざし、親しき友人を気遣う王子の思いやり、そして領主を案じる数多の人々の祈りよ。女神イリスの名のもとに、宝珠に宿る永遠とわの力となれ」


 パチンッ!


 指を鳴らす音が聞こえたと思ったら、覚醒したかのように明瞭になった意識に驚きの声をあげる。


「あれ? なんだか急に意識がはっきりして……というか喋れる!?」

「アイリの無事を願う人々の心と祈りが大いなる力となり、あなたを再び神聖演算宝珠へと変えたのです」


 なんということでしょう。神聖演算宝珠から人に転生したと思ったら、また元の鞘に戻っていたわ!

 でも、昔とは少し違うことに気がついてイリス様に尋ねてみることにする。


「あのぉ……体積というか、形は人間のままみたいなんですけど?」

「それはそうでしょう。無理な術式で全身に拡散してしまった記憶と意思を留めるために、あなたを構成していた魔結晶を丸ごと神聖演算宝珠へと変えたのだから」

「えー!? 以前のように手のひらサイズがいいですぅ!」


 そう言って以前のように努めて明るく振る舞おうとしたところで、イリス様は普段とまったく違う真剣な眼差しを私に向けて話しかけてきた。


「わたくしが与えた使命を遂行しようとひたむきに努力したあなたに、二つの選択肢をあげましょう」

「選択肢……ですか」

「ええ、一つは結晶化を解いて人間として天寿をまっとうすること。下界のあなたの祖父母や両親も喜ぶし、とても現実的な選択でお勧めですよ!」


 なんだか普段のイリス様らしくない明るい素振りが気になって、私は続きを促すことにする。


「もう一つの選択肢は?」

「……そのまま極大の神聖演算宝珠として永き時を生きること。文明を進歩させていく上で、あなたが感じていた寿命の限界を突破することができるわ。もっとも何百年かけても終わらない、夢物語の主人公が選ぶような無謀な選択よ」


 最初の選択肢の提示とは打って変わった平坦な口調に私は神意を察する。

 しかし、それでも私はイリス様の勧めに従うことはできなかった。


「それなら答えは決まっています。私はこのまま神聖演算宝珠として生き続け、文明開化に必要な演算宝珠を生み出し続けます」

「人々の祈りの力でかつてない巨大な神聖演算宝珠となった今のあなたなら、予測シミュレーションによって目指す文明社会の構築にどれほど長い時間を要するかわかるでしょう。それでも選択を変えるつもりはないのかしら?」


 重ねて投げかけられた言葉に、私はかつてないほどの演算能力を自分が有していることに気が付く。演算宝珠を供与する国や量、その他にもタイミングや種類など様々なパラメータを変動させることで目まぐるしく変わる未来予想図は、私に擬似的な神の視点を与えていた。

 長い予測シミュレーションの果てに、やがて目指す文明レベルに達する最短条件を見出みいだした私はひとつの結論に至る。


「……たった千年でそれが叶うのなら、私は本望です!」


 イリス様はしばらく私を見つめていたけど、その決心に揺らぎがないことを確認したのかふと目を閉じて俯き加減でそっと溜息をついた。


「はぁ、本当に困った子ね……ドライアド!」

「精霊の森のドリー、女神様の御前に」

「ここでアイリを守っておあげなさい。具体的には千年くらい」

「お安い御用です。精霊にしてみれば、千年など瞬きする間のことでございます」


 そう答えたドリーは本体となる樹木を呼び寄せたのか、侯爵邸を上下に貫くような巨大な幹へと姿を変え、私を包み込むようにして大地に根を張った。精霊の森の中心そのものを感じさせる清涼な空気に、私は人間として暮らした幼い日々を思い出し安らぎを覚えながら感謝の言葉を紡ぐ。


「ありがとう、ドリー。今度はずいぶん長い間お世話になってしまうけど、よろしくね」

「ふふふ。アイリが手間のかかる子だってことは、私が一番よくわかっているわ」


 姉妹のように仲の良い私たちの様子に安心したのか、今までにない穏やかな表情を見せたイリス様は天界に戻る前に祝福の言葉を贈ってきた。


「あなたたちの行く末に、幸多からんことを」


 その瞬間、イリス様から爆発的な光が溢れ出し、周囲にものすごい勢いで緑が広がっていく様子が知覚できた。

 かつて住んでいた精霊の森とまったく同じ清浄な空気と生命力の迸りに、幼い頃に子守唄として聞かされた森のドライアドと聖騎士の種族を超えた恋物語における女神の祝福の描写を思い出す。


「ああ。精霊の森は、イリス様がドリーと聖騎士の未来を心から祝福した跡だったのね」


 唐突に理解した女神様の深い慈愛の心に、神聖演算宝珠と化したはずの私の胸に暖かな温もりが宿るのを感じて私は心の内で感謝の涙を流す。


「また会いましょう、アイリ……」


 かすかに聞こえた別れの言葉と共に眩い光が収まると、イリス様は周囲一帯にアイリスの花を残して姿を消していた。


 こうして神樹の森と化したヴェルゼワースの領都アルフレイムは、奇跡の演算宝珠を生み出す聖域として長い時を越えて存在し続けることとなる。その中心に、かつての主人と過ごすスローライフの毎日を夢見る少女を抱いて——

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