恋する演算宝珠はスローライフの夢を見る

第39話 演算宝珠と化したアイリ

 あれから幾許かの時が過ぎ、お祖父様とお祖母様が叔父様の先導で私の離宮を訪れた。デザートに紛れ込ませた魔石の粉により完全に結晶と化してしまった私の姿を前にして、お祖父様とお祖母様は今まで見たこともないほど取り乱し悲嘆の涙に暮れる。


「どうしてこのようなことに……」


 私自身は演算宝珠となっていたので意識は明瞭だったけど、神聖演算宝珠だった頃と違って契約者以外の他人に念話を送ることはできない。そんなわけで悲しむ祖父母を前にしてもどうすることもできず、悶々とした時間を過ごすしかなかった。

 そのままどうしたものかと思案していると何者かがこの部屋へと転移してくるのを感じ取り、私は意識をそちらへと集中した。


(我が主人よ、聞こえるか?)

(白虎、来てくれたのね! 聞こえているわよ!)

(すまない。我が付いていながら、主人をこのような姿に……)

(過ぎてしまったことは仕方ないわ。それに、私はもともとイリス様が生み出した神聖演算宝珠だったのだから元に戻っただけよ。だから、そんなに気に病まないで)


 女の子の等身大の結晶なので、昔よりずいぶん体重が増えてしまったけど。

 そう付け加えて務めて明るく振る舞うと、可哀想なくらい耳と尻尾を垂れていた白虎は幾分元気を取り戻したようだった。


(ドリー殿に事情を話したところ女神様に相談されるとのことだが、他に我にして欲しいことはないか?)

(そうね……ここにくる前に作った魔導通信機を持ってきてくれるかしら。アイリッシュヴォルドの屋敷に置いてきてしまったの)

(承知、お安い御用だ!)


 白虎は私のお願いを聞くと、すぐに転移して魔導通信機を咥えて持ってきてくれた。魔導通信機の演算宝珠にリンクを試みると問題なく繋がったので、私は自らの三次元ホログラムと共に泣き崩れるお祖父様やお祖母様に話しかける。


「お祖父様、お祖母様。そんなに泣かないでください。私は無事に生きて……とは言えないまでも、意識は保っています」


 音声と共に突然現れた三次元ホログラムにお祖父様とお祖母様はしばらく呆気に取られていたけど、互いに顔を見合わせ空耳ではないことを悟るとものすごい勢いで近寄ってきた。


「おお、アイリ。危険な場所にお前一人を行かせたばかりに、このような変わり果てた姿にしてしまいすまない。こうなっては敵わずとも三公爵を相手に挙兵し……」

「待ってください! 別に私は演算宝珠のままでも構わないのです」


 そこで私はあらためて、前世の自分は女神イリス様が勇者のために生み出した神聖演算宝珠であったこと、そして召喚勇者たちから見て魅力ある世界とするために下界に遣わされた存在であることを過去の詳細な経緯も含めて包み隠さず話して聞かせた。


「もともと、アリシエールはイリス様の介入なしでは森に遺棄された時点で魔獣に襲われ死ぬ運命でした。それがわずかな間でもお祖父様やお祖母様、そしてお母様の愛情に触れ、人としての温もりを感じることができたのです。そんな大切な家族を無意味ないくさで失いたくはありません」

「それは儂やクラリッサも同じ。大切なアイリを失った心の隙間を埋めることなどできないのだよ」


 そう言って結晶と化した私の頬を慈しむように撫でるお祖父様に、お祖母様も涙を流して頷いた。


「えっと……失ったとおっしゃられますが、別に時間が経ったら話せなくなるわけじゃないですよ?」

「何? それはどういうことかね?」

「完全に結晶化する前に自分自身を演算宝珠として記憶を完全に転写しましたから、この姿であれば半永久的に生きることができます。この通り、演算宝珠を扱うこともできるのです」


 私は胸元の演算宝珠と百二十八個のサブコアを空中に浮遊させ、ライトの魔法を発動させた。七色に輝くその光は、離宮の部屋を明るく照らし出す。


「つまり、意識体として生きているということかしら?」

「その通りです、お祖母様!」


 お祖父様とお祖母様は困惑するように互いに顔を見合わせたが、やがて結晶化した本体に害が及ぶと問題があることに気がつき私を運び出す手配を進め出した。

 辺境伯家の使用人たちは悲嘆に暮れていたはずの主人が急に精力的に指示を出し始めたことに安堵しながら、指示通りに結晶化した私の体を丁寧に運び出す。


「魔導通信機にした演算宝珠の片割れはお祖父様かお祖母様がお持ちください。同じものを作って魔力を通せば、どこでも話をすることができるようになります」

「やれやれ。いつでもアイリと話せるようになって儂は嬉しいのやら悲しいのやらわからんよ」

「私は嬉しいです。それに怪我の功名というわけではありませんが、この身体なら満足する水準の文明に至るまで何世紀かかったとしてもやり遂げることができます!」


 そう、最近感じていた人間の寿命の限界を、演算宝珠と化した体であれば乗り越えることができる。私に必要なのは百年足らずで朽ち果てる肉体ではなく、半永久的に演算宝珠を生み出すことのできる魔力と人々に知識や情報を与える魔導通信機という端末だけなのだ。


「アイリ。そうだとしても、私はあなたに生身の体で生きていて欲しかった」

「ごめんなさい、お祖母様。今から思えば、私は目立ちすぎたのです……」


 基本的にひとつのことしか同時に考えられない人間の脳の制約を受けない今なら、自分がどれだけ危うい均衡に立たされていたのかがよくわかる。

 神獣や精霊の守りも、善良な調理人やメイドに意識させずに運ばせれば毒物や魔石の粉を防ぐことはできない。かといって、私の使命や目的から目立たずに過ごすこともできない。私が本当は第一王女アリシエールであると露見した時点で、こうなるのは時間の問題だったのだ。


 私がそうした分析をホログラム映像で表現した自嘲の表情と共に聞かせると、お祖母様は静かに涙を落とした。


 ◇


 精霊の森を統括するドライアドからアイリの状況を聞きおよび深く溜息をつく女神は、額に手を当てて頭痛を抑えるようにして呟く。


「はあ……なぜわたくしの世界の住民はこれほどに未熟な魂を持つ者ばかりなのでしょう」

「アイリの見立てでは、衣食住が足りないからだと……」

「またあの子は甘いことを言って。演算宝珠なら現実だけを見つめなさいと忠告したのに」


 衣食住が足りているものが皆良き魂を持つのであれば、王侯貴族に魔石の粉を盛られたりしないでしょうと苦笑する。


「アイリにとって、この世界での現実はいまだに想い人と再び出会うまでの夢の続きなのですよ」


 ドリーはアイリが幼い頃に描いた絵本を神界に繋がる森の湖を通して女神のもとに送ると、そこに記された淡い恋の物語を歌うようにそらんじてみせる。


「あの子らしい、非現実的で雲をつかむような話ね。よく挫けないでいられるものです」

「……だからこそ、アイリはイリス様のお気に入りなのでしょう?」


 言葉とは裏腹に、普段であれば見せない優しい表情を浮かべる女神イリスにドリーはこうべを垂れながら伺いを立てる。

 そう。女神イリスは自らと同じ現実主義者を好みながらも、それと相反する決して夢をあきらめない者たちをこよなく愛していたのだ。下界において演算宝珠の体になってまでかつての主人が望む世界を実現しようとするアイリの姿は、女神にとって非常に好ましいものだった。


 だからこそ、それを汚すものに対して苛烈なまでの怒りが湧き上がる。


 女神イリスは世界の記憶から過去を読み取ると、その美しい眉を吊り上げて白き神獣の名を呼んだ。


「イリアステール!」

「はっ、ここに!」


 かつて感じたこともないような烈火のような感情の波が女神から吹き寄せ、召喚に応じたイリアステールは九つの尾をすべて腹に丸めて頭を下げたドリーの後ろに姿を現す。


「セントイリューズの王宮にはゴミが多すぎるようです。焼却忘れが多いのではなくて?」


 しかしその言葉と共にアイリを陥れた三公爵を始めとした王宮の人間たちの悪しき行いの数々がイリアステールの脳裏に叩き込まれると、女神の怒りを増幅させたかのような青焔がその身から立ち昇る。


「……確かに。腐り切った汚物を灰燼かいじんに帰し、王宮からすべての穢れを祓ってご覧にいれましょう」


 そうして怒りのままに姿を消した九尾の白狐を見送った女神は、再び下界のアイリの様子を目の前に映し出す。どうやら演算宝珠として使命を果たすまで何世紀でも生き続けるつもりでいるらしいけど、結晶化した体ではいつ崩れ去ってもおかしくない。

 女神イリスは湖面を通してドリーから受け取ったアイリの絵本をしばらく見つめた後、最後の仕上げとばかりに神座を降りて中央神殿に続く転移門へと歩みを進める。


「仕方ないですね。たまには下界を見物するのもいいでしょう」


 その言葉を最後に気配が消失したことを察してドライアドが再び顔を上げると、精霊の森の中央にある神座を映す湖面から女神の姿は消えていた。

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