第31話 北の大陸への帰還

 王宮の一室で一夜を過ごした翌日の朝、周囲の騒がしさに気がついて目を覚ますとアレックスさんと揉み合う見慣れた騎士の姿があった。


「チェスターさん、どこに行っていたんですか!」

「アホか! それはこっちのセリフだァ!」


 いつまでも帰ってこないと心配して総出で探していたところ朝早く迎えの使者がやってきて、翻訳者のいない不自由な状態のまま身振り手振りで意思疎通を図って王宮までやってきたのだと言う。しかし急いで来てみれば当の私はぐっすりと眠りこけていて、叩き起こそうとしたところをアレックスさんに止められたらしい。


「ごめんなさい……でも私だって混乱していたんだから! 商業ギルドの一室で眠っていたはずが、いつの間にか王宮に運ばれていたんだもの」

「どういうことだ? アレックス、俺にもわかるように説明しろ」

「お嬢がいつもの調子で加減することなく水の演算宝珠を商業ギルドで作ってしまったのが事の発端です。水不足に加えて演算宝珠職人不足のこの国では、その場で軟禁、王宮に通報、そして連行されるのはごく自然な流れですよ」


 商業ギルドで軟禁された時点で何人もの警護で厳重に見張られていて、眠っている私を連れて脱出するのは無理だったとアレックスさんは肩をすくめてみせた。


「それならどうして連中は俺のところにわざわざ連絡してきたんだ? そのまま王宮に幽閉して飼い殺しにすればいいだろう」

「お嬢が泣く後ろで神獣と精霊が顕現して威嚇したからじゃないですかね。言葉はわかりませんでしたが、顔を引き攣らせてお嬢をあやしていましたよ」


 そんなことをしてくれていたなんて気が付かなかったけど、私にはもう一つ心当たりがあった。


「別に私を幽閉なんかしなくても、この国の水をすべて賄うだけの演算宝珠が得られれば問題ないからじゃないかしら。昨日渡したものだけでも、この都市の住民すべての飲料水や農業用水を賄えるってライディール王子もわかったはずよ」

「またそんなとんでもない代物を……だが、それなら揉めることもなさそうだな」


 サウスクローネ王国側にも特に私を拘束し続ける理由はないことを知って一息ついたのか、チェスターさんは部屋に備え付けられたソファーに腰掛けてあくびをした。

 どうやら、慣れない土地で夜通し探してくれていたのは本当だったみたい。

 これから貿易も盛んになることだし、私だけが言葉が通じるようでは不便ね。そうだわ、イリス様を仲介して意思疎通を図れるようにする演算宝珠を作りましょう!


「えっと、心配してくれてありがとう。お詫びというわけじゃないけど、現地の人と意思疎通をする演算宝珠を思いついたから作ってあげる!」

「何!? そんなものが作れるなら、早くしてくれ!」

「リンク、表示領域生成、演算領域生成、記憶領域生成、通念聖法陣転送、制御魔法陣転送、解凍術式転送、仲介者女神イリス様、契約者チェスター、ファイナライズ……はい、できたわよ。握り込んで魔力を込めている間は会話ができるわ」


 イリス様を仲介者に据えることで、どんな人の願いでも聞き取れるイリス様を媒介として相手と意思疎通を図ることができる優れ物よ。

 ただ、聖法陣を使用する関係で大きな記憶容量が必要となることから、中級以上の魔石を必要とすることが供給のボトルネックとなる。やがては、演算宝珠の力を使うことなく通訳できる人が育つのが理想ね。


 チェスターさんに続いてアレックスさんにも意思疎通の演算宝珠を作ってあげていると、扉の外から呼びかける声がした。私とアレックスさんは手が離せないのでチェスターさんが応対に出ると、ライディール王子が姿を現した。


『その方は今朝到着したというアイリの従者だな。その方の主人と話したいのだが……と言っても通じぬか』

『いえ、問題ありません。すぐに終わりますのでしばらくお待ちください』

『ん? そなたは我が国の言葉を話せぬ様子だと聞いておったが?』

『先ほど主人より意思疎通の演算宝珠を賜りました。魔力を通している間は問題なく会話ができるようです』

『それは真か!? いや……あの神仙水の並列演算宝珠を作れるアイリであれば不思議はないか』


 どうやら昨日渡した並列演算宝珠を早速試してみたらしく、私が意思疎通の演算宝珠を作り終えた後もライディール王子は熱っぽくオアシス農業に神仙水を流した効果を語っている。


『お嬢、昨日渡したのは単なる水の演算宝珠じゃなかったんですか!?』

『イリス様の神力を含む水を発生させて、オアシスを半永続的に持続させる効果を持たせたの。これで農作物の収穫もバッチリよ!』


 右手を突き出して親指を立てた私の説明に何故かチェスターさんやアレックスさんは顔を手で覆った。


『クックック、主人がこれでは従者たちも気苦労が絶えないだろうが安心せよ。サウスクローネの王太子として、この国におけるアイリの安全と貿易に関する全面的な協力を約束する』

『本当!? それなら香辛料とコーヒー豆の輸出をお願いします。あと水が沢山湧き出すように神仙水の演算宝珠を設置するから、カカオ豆とサトウキビも育ててほしいです!』


 サトウキビはともかくカカオ豆はかなりの湿度を必要とするから、この辺りでは厳しいかもしれない。でも限定した区域を演算宝珠で最適な環境に制御してやれば、余分に発生した水は飲料水や他の農業用水として流用すればいいし損はないはず。

 そんな説明をライディール王子にしてみたところ、二つ返事で了承してもらえた。


『そなたが進んで神仙水の演算宝珠を提供してくれるというのなら、サウスクローネとしてはこの上ない対価だ。王宮に閉じ込めるようなことはしないが、必要であれば領地やそれに付随する屋敷も与えよう』

『ありがとうございます! ここでもイリス様の使命を果たせそうね!』

『なぜ女神様の御名がここで出てくるというのだ?』

『イリス様は、もっと地上の文明を発展させたいと望んでいるのです。北の大陸で進めているように南の大陸でも魔導自動車による物流体制や便利な魔道具を使用できるようになれば、世界全体で発展が見込め……モガモガッ』


 途中でチェスターさんに口を押さえられ、私は恨みがましい目を向けて抗議の意思を見せる。するとチェスターさんは私のこめかみをグリグリとさせながら説教をしてきた。


『セントイリューズで権力者や貴族派閥の連中に目をつけられたらどうなるか学ばなかったのか? 本来は第一王女であるはずのお前が平民として雌伏しているのも、強力な後ろ盾がないからだろう。南大陸で似たようなことが起きたらどうする!』

『イタタタッ! 大丈夫ですよ、ドリーの苗木を植えれば精霊の森の結界が張られて悪い人は入ってこられませんから!』

『じゃあ魔導船の乗組員を人質に取られたらどうだ? お前はあいつらを見捨てて結界の中に隠れていられないだろう。その時、悪党どもの言いなりにならないと断言できるか!?』

『うっ……できません。わかりました、大人しくしています』


 しゅんとした私の態度を見て問題なしと見做みなしたのか、チェスターさんは私の頭を解放した。


「隊長、何を余計なことを意思疎通の演算宝珠を起動したまま喋っているんですか……」


 私の殊勝な態度にホッとした表情を見せていたチェスターさんだったけど、アレックスさんのもっともすぎる指摘に手のひらの演算宝珠を凝視して絶叫する。


『……しまったァ!』

『あー、色々と深い情報を聞いてしまったような気がするが、既にわかっている情報に比べればたいしたことではないから気にするな。我が国では、女神の使徒をどうこうするような不心得者はおらんから安心するといい』


 ライディール王子をはじめとしたサウスクローネの人間からすれば、私が実は第一王女である事実よりもイリス様の加護を持ち神獣や精霊に守られていることや救世主のように神仙水の演算宝珠を提供してくれることの方が重要なのだという。


『ライディール王子は、どうして私がイリス様の使徒だってわかったの?』

『サウスクローネ王家は神官の血筋だからな。アイリが女神より直接加護を得ていることは、契約している四聖獣の朱雀から聞いた。そなたには王家の庇護を約束しよう』

『王家が庇護してくれるなら、チェスターさんが言ったことも心配なさそうね!』

『いや、そなたの付き人の諫言かんげんにも一理ある。そなたの弱点となりうる者たちの安全も考えよう。十二個の魔石であれだけの出力の演算宝珠を生み出せるアイリの力が不逞の輩の手に落ちたとき、止められる者はいるのか?』


 私は少し考えて、精霊の森の奥でエンペラー級の魔物を倒すのに使用した火の最上級魔法プロミネンスノヴァを容易く鎮火してみせた存在を思い出した。


『ウンディーネなら私が全力でプロミネンスノヴァを撃っても大丈夫です!』

『水の大精霊の力で初めて止められるのなら、それは普通の人間には不可能ということだ。そういうわけで我が国では、船員たちの安全の保障を別途考えることにするが……』


 そこでライディール王子は一旦言葉を止めて、チェスターさんやアレックスさんに目を向けて言葉を重ねた。


『先ほどの話では、我が国よりアイリの母国の方が危険そうに思えるな。大陸間貿易を可能とするようなアイリを、手をこまねいて見ているお行儀の良い貴族などおるまい? 必要であれば我が国がアイリの弱点となりうる者を全員引き取っても構わんと、彼女の血縁に伝えておいてくれ』

『承知いたしました。護衛として王子のご配慮に深く感謝いたします』


 こうして南大陸でサウスクローネ王家の庇護と活動拠点を得た私たちは、王子の申し出を携えて北の大陸へと帰還を果たしたのだった。

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