西国の干渉と晶結の罠

第32話 西国ビシュマールからの書状

 南大陸から帰還してお祖父様とお祖母様と再会した私は、南大陸への船旅の様子を皮切りとしてサウスクローネ王家に農作物の貿易に関する協力を取り付けたことなどを順を追って話していった。

 お祖父様は初めのうちは大航海の様子をにこやかな表情で聞いていたけど、万が一の事態が発生した際の亡命受け入れまで話が及ぶと真面目な顔をしてこう言った。


「それは重畳ではあるが、儂の目が黒いうちは亡命する事態にはならんよ」

「そうなのですか? 公爵家の派閥の貴族たちは問題ないのですか?」

「ヴェルゼワースは西のビシュマール王国に対する守りの要、それを潰してしまってはセントイリューズ王国そのものの存続に関わる。さすがの彼奴等も自らの盾まで廃棄しようとはしないだろう」


 お祖父様の話では、隣国に対する抑えとしてヴェルゼワース家は重要らしい。だけど、西国のビシュマールって貴族連合が恐れるほど強力なのかしら?


「旦那様。ビシュマールと言えば、このような書状が届いております」


 執事のバトラーさんが胸元から書状を取り出すところを見ると、急ぎの通達だったのかもしれない。私が帰ってきたせいでお仕事の邪魔をしてしまったようだわ。

 そう思ってお祖父様が書状を読み終わるのをしばらく黙って見ていたところ、苦虫を噛み潰したような顔をしてお祖母様に書状を渡した。お祖母様は怪訝な表情を見せつつも、書面を読みながら感想をお話になる。


「……ずいぶんと、先方に都合の良い申し出ですわね。いまさら両国の関係を正常化させて商業取引をしたいなど笑止千万。それに、このような書状をセントイリューズの王家ではなくヴェルゼワース家に届けるなど離反工作の一環では?」

「その書状の本題はそこではない。もっと先の……そう、最後のあたりを見てみよ」

「なんですって? 友好の証として是非とも演算宝珠職人として高名なアイリ殿、もといアリシエール様を我が国の……」


 クシャッ!


「お祖母様、突然書状を握り潰されてどうしたのですか? 私の事が書かれているなら見せてください!」

「いえいえ、なんでもありませんよ。アイリはずっとこの屋敷で幸せに暮らせば良いのです」


 私に笑顔を向けつつ紙屑と化したビシュマール王国からの書状をバトラーさんに渡すお祖母様は、なんだか異様な怒気を放っていた。

 バトラーさんは握り潰された書状を元に戻しながら、お祖父様に尋ねる。


「というわけなのですが、こちらが断ることを織り込み済みだったのでしょう。こちらの書状の到着をわざと遅らせたのか、つい先ほど早馬で使者殿の訪問の先触れが届きました」

「なるほど、ビシュマールは余程アイリが欲しいと見える。こうなると、王宮にも別の書状が届いていると考えるべきだろうな」

「おそらくは不可侵条約の締結に向けた友好の使者が向かっているものかと。先ほどの条件を提示すれば、最近のヴェルゼワースの発展をよく思わぬ公爵家麾下の門閥貴族たちは一石二鳥と話を進めにくるやもしれません」

「そこまではするまい。束の間の平穏が訪れようとも、アイリがビシュマール王国の王家に嫁げば十年と経たず国力が逆転してしまう……」


 お祖父様の読みでは、ビシュマールはヴェルゼワースが過剰な力を持つことを避けたいセントイリューズ国内の貴族たちの潜在的な意向に目をつけ、私という有力な演算宝珠職人をヴェルゼワースから切り離す好機だと考えたという。

 そのための第一歩として仮初の不可侵条約を結び、束の間の平和を装うことでヴェルゼワース家のビシュマールに対する盾としての価値を一時的に低下させようとしているのだとか。


「私が王家に嫁ぐと言っても、今は平民なのですけど!?」

「実際はアイリが第一王女のアリシエールであることは、隣国のビシュマールにすら知られている周知の事実なのだ。オルブライト公爵が政治の道具として利用できると知れば、あっという間にアイリは第一王女アリシエールとして担ぎ出されることになろう。そのまま隣国に嫁いでしまうのだから、王宮の貴族たちにとって後腐れもない」

「でもでも、私はまだ十三歳なのですけど!?」

「そこは成人するまでは婚約者として過ごすということでどうとでもなる。そうしてアイリを手中に収めた後、あらためて当家を取り込む懐柔策を提示して満を持して攻め込む。そういう筋書きだろう」


 えっと、つまり私を盾にされたらお祖父様もビシュマール王国に取り込まれるしかなくなる? でもそんなことをしたら、王宮にいるお母様や弟がどう扱われることになるかわからない。

 いずれにせよ、今まで通り王国の盾として振る舞うことが難しくなるのね。


「そこまで読めているのでしたら、セントイリューズ王家も問題があると気がつくのでは?」

「気がついても、今の王家には国内の有力貴族を抑える力がないのだ……内乱が起これば西のビシュマール王国だけでなく、山脈に隔てられた北のノーザンクロス帝国も攻め込む気配をみせるやもしれん。国境とは、そうして時代とともに変遷して行くものだ」


 なんてことでしょう。南国との貿易で海運業を始めることができたと意気揚々と戻ってきたら、今度は西国の外交手腕によって第一王女に復帰させられようとしていたわ。

 王宮で平民のアイリとして生きていくことを決意し、お母様と涙の別れを済ませたのはなんだったのか……いえ、隣国に嫁ぐ場合も別れることに変わりはないけれど、私は身も心も御主人様のものなんだからそんなの駄目よ!


「私、ビシュマール王家になんか嫁ぎたくありません!」

「大丈夫よ、アイリ。あなたは……そう、例の精霊の苗木の結界に隠れていなさい。そうすれば悪い心を持つ人間は入れないのでしょう?」

「なるほど、その手がありました! お祖母様、ありがとうございます!」


 こうして私は再び港街アイリッシュヴォルドに建てられた領主の館に常駐することになった。


 ◇


「どうしてこんなことになったのかしら……」

「そりゃ、こんだけヴェルゼワースが発展すればやっかみも出てくるだろうよ」


 せわしなく行き来する魔導自動車や活況を見せる市場の様子を指差して、チェスターさんは部下に聞いてきたという最近のヴェルゼワース領内の発展の様子を話して聞かせてくれた。


 街道が整備され物が移動する速度も量も今までとは段違いになると、これまでは王都に集中していた商人の足が次第にヴェルゼワースに向かうように変わっていったという。

 アイリッシュヴォルドの大きな港も功を奏し始め、国内の南や東の港との連絡の他に東の海洋国家の船も寄港しているらしい。新しい港街では広い敷地による大規模な市場が開かれ、今では見ての通り船から降ろされた積み荷を内地へ運ぶハブ拠点として立派に機能している。

 考えてみれば陸と海を統合した物流拠点は今の所はここだけかも知れないわね。


「あとな……これだけ大きな港街だっていうのに、不思議なことに暴力沙汰や詐欺や盗難の発生率が異様に低い。というかゼロだ! いったいどうなっているんだ?」

「それはドリーのおかげね。精霊の森の結界の中に悪い人は入って来られないから」

「おいおい、マジかよ。お前は何もしていないのに、領主代行の治安が行き届いている街だって評判らしいぞ」


 港を作るときに魔法の影響で緑がなくなってしまったので、街全体を緑化しようと結界の効果範囲を広げてもらったせいでしょう。ドリーはあまり長い間にわたって一部の人間に恩恵を与えていると問題が生じるって言っていた気がするけど、私がもたらした変化で問題が生じるのも歴史の必然なのかしら。

 私の使命はこの世界の文明を発展させることだから、ヴェルゼワースの一部やセントイリューズに限らずサウスクローネもビシュマールもノーザンクロスも満遍なく成長させていかなくてはならない。南のサウスクローネのように困っているなら手を差し伸べることも出来るけど、西のビシュマールのように相手が侵略性国家である場合の対処法は思いつかないでいた。


 そんな折だった。西国の使者を名乗る騎士ライオネルが四聖獣の白虎と共にアイリッシュヴォルドを訪れたのは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る