第30話 いつか見たオアシスの記憶

「どうしてこうなったのかしら……」


 あれから商業ギルドの奥に通されギルド長に面会させられ水の演算宝珠を作って見せた後、なぜか私とアレックスさんは軟禁されるように部屋に閉じ込められていた。


「お嬢、いったい何を話したんです。奴らのお嬢を見る目は尋常じゃなかったですよ?」

「水が不足していて魔石を水の演算宝珠に変える職人がほとんどいないっていうから、私が作ってあげるって言っただけです」

「ああ……そりゃあ、やっちまいましたね。演算宝珠職人が極端に少ない国では王宮で職人が保護されているって話、知ってます?」

「知りませんよ! はあ……どうしようかしら。いっそのこと、空を飛んで帰りましょうか」


 そう考えて窓を開け放ったところで、外に詰めていた兵士が一斉にこちらに目を向ける様子に固まり、私はそそくさと窓を閉めた。


「ちょっと、なんであんな厳重な警備体制が敷かれているんですか!」

「そりゃあ、あんな常識外れの演算宝珠を考えなしに作るからでしょう。セントイリューズでも、あの程度の魔石で出力制御できる演算宝珠を作れるなんて珍しいんです」


 うっ、そういえばそんな気がする。まあ、そのうち隙を見て逃げ出せばいいでしょう。

 過ぎてしまったことは仕方がないと気持ちを切り替えたところ、長い船旅で意外に疲れていたのか私はソファーで横になってすぐに深い眠りに落ちてしまった。


 ◇


 気がつくと私はいつぞやの微睡まどろみの世界の中にいた。これは夢だとわかっていながらも、明晰夢のような不思議な感覚の中で私は再び御主人様に話しかけられる。


「アイリ、君の水魔法が生み出す虹は綺麗だね」


 砂漠地帯を横断する途中、束の間の涼を取るために周囲に御主人様が一斉に散布した水は七色の光を放っていた。

 あの頃の私はただ御主人様の役に立ちたくて、少しでも心の潤いになればと通常の水魔法を改編して神仙水を生み出し永続的なオアシスを作り出す高位魔法を作り出したのだった。


「ははは! さすがアイリ、僕の唯一無二のパートナーだ!」


 喜ぶ御主人様が宝珠の私を撫でる幸せな記憶に揺り動かされ、やがて意識が浮上すると目の前に私の覗き込むようにして見る彫りの深い顔立ちの黒髪の少年がいた。


「……!?」

『おや、ようやく起きたのか。そのまま眠っていれば、可愛いお前の顔をずっと眺めていられたものを』


 歳の頃は十七歳前後だろうか。歯の浮くようなセリフでありながら少しも違和感がなく、妙に身なりの良い服装をして余裕のある態度でこちらを見下ろしている。そんな貴人独特の雰囲気を感じさせる少年を見ていると嫌な予感がして、脳裏に生じた疑問をそのまま相手に尋ねてしまう。


『あなた……もしかして、貴族なの?』

『惜しいな。俺はサウスクローネ王国の第一王子、ライディールだ』

『ええ!? どうして第一王子がこんなところに……って、あら?』


 そこで私は周囲の風景がおかしいことに気がついた。商業ギルドの一室ではあり得ない大理石の豪華な作りの部屋は、王宮のお母様や弟を訪問した時を彷彿とさせる。


『なんだ、ようやく周りに気がついたのか。お前がよく寝ていたので、そなたの従者に運ばせて王宮の一室に連れてきたのだ』

『……こんなところに連れてきて私をどうするつもりなの!?』

『さて……どうしたものかな。貴重な演算宝珠職人だ。ただで帰すわけにもいくまい』


 王宮の外に出すわけにはいかなくなったと意地悪な笑みを浮かべるライディール王子に、私の視界がぼやけて目から大粒の涙がこぼれ落ちていく。


『う……』

『う?』

『うわああああん!』


 豊富な知識を持ち合わせていても、精神的にはまだまだ幼い女の子なのだ。度重なるストレスに、ついに私は限界を迎えて泣き出してしまった。

 そんな私の様子に、お手上げとばかりにライディール王子は大慌てで訂正を入れてくる。


『そう泣くな、今のは冗談だ! 北の大陸からきた希少な演算宝珠職人とお近づきになろうというだけのこと。聞けば大陸間貿易をしにはるばるやってきたのだろう?』

『……ぐすっ。はい、美味しい食材を仕入れにやって来ました。ゆくゆくは二日に一隻のペースで魔導船を行き来させて、カレーやチョコレートを食べるのです』


 こうなったら開き直ろうと、私はここまできた経緯や今後の構想をライディール王子に話して聞かせた。


『食物のために一週間かかるやもしれぬ航海にそなたのような年頃の娘が挑むとは呆れたやつだな。もし船が沈没したらどうする』

『沈没はありえません。なぜなら……』


 ウンディーネが助けてくれるから、そう口走りそうになり私は口を押さえた。しかし私をじっくりと見ていたライディール王子はなぜか深くは聞いてこなかった。


『ところで魔石があれば水の演算宝珠を作ってくれるというのは本当なのか? ちょうどここに手頃な魔石が十二個ほどあるので見せて欲しいのだが』

『あら、珍しい。エンペラー級の魔石じゃないですか。こんないい魔石を単なる水の演算宝珠にして何に使うんです?』

『半分は民が生活するための飲料水、もう半分はオアシス農業のためだ。地下水路に演算宝珠により生み出した水を引くことで、お前が買い付けにきたコーヒーなどの農作物を栽培している』


 食べ物に関係するとあって真面目に聞いてみると、最近では川の水が不足しており演算宝珠が生み出す人口の水に依存する割合が増えてきたそうだ。しかし、住民の飲み水も確保しなくてはならないので苦慮しているという。


『なるほど、要はオアシスを維持できればいいんですね。それなら、ちょうどいい術式を知っています!』


 思い描くは御主人様のために編み出した神仙水を生み出す巨大な魔法陣。全く同じように再現することは神聖演算宝珠ではないから厳しいけれど、エンペラー級の魔石を十二並列で起動させればなんとか記憶容量に収まるはず。

 私は十二個の魔石の擬似魂と同調してリンクを張って空中に浮かべると、同期演算宝珠の製作に入った。


『同期表示領域生成、分散演算領域生成、分散記憶領域生成、完全同期魔法陣転送、並列制御魔法陣転送、解凍術式転送……最後にファイナライズ』


 十二個で一つの演算宝珠として機能させることで神仙水生成のための巨大な魔法陣を分散して記憶した魔石は、浮遊状態を解いて私の前の机に静かに着地すると青白い光を湛えて輝いた。どうやら成功したみたいね!


『色は変化しているようだが水が出てこないな。十二個同時など初めて見たが、やはり失敗したのか?』

『この私に限って演算宝珠の調整に失敗することなどありえません! 十二個の演算宝珠に同時に魔力を与えると起動します』


 起動後はオアシスを維持する性質のある特殊な水を生み出すこと、水を止めるときは一つだけに魔力を込めれば止まる制御を組み込んだことなど、私は順を追って説明した。ライディール王子は感心したように聞いていたけど、一通り理解したところで演算宝珠の一つを手に取り魔力を練り始めた。


『そうか。では早速……』

『ちょ! 待ってください! ここで起動したら王宮が水没しますよ!』


 仮にもエンペラー級の魔石十二個を使った完全同期の演算宝珠だ。最上級魔法とまでは行かないまでも、大きな建物を押し流す程度の魔法出力は持っている。


『水没だと? たった十二個の魔石でそのようなことが起きるはずもあるまい』

『え? これで街の住民を潤したり農業用水に使ったりするんじゃなかったんですか?』

『『んん?』』


 なんだか互いに認識齟齬があるようなので、とりあえずオアシス農業の水路に水を流す溜池で同期演算宝珠を試してくると言ってライディール王子は部屋から退出していった。


 ◇


 北の大陸からきたという異国の演算宝珠職人は、俺の予想を超えた技量の持ち主のようで十二個同時に魔石を演算宝珠に変えて見せた。

 しかも、これまで演算宝珠と違い水を出したり止めたりすることができる上に、たった十二個の魔石で王宮の建物を押し流す恐れがあるという。正直言ってとても信じられない話であったが、頭から否定することができない理由が彼女のしていた。


 そうしてアイリという不思議な存在につらつらと想いを馳せつつ王宮を出て供を引き連れて街の外にある溜池に向かうと、道の半ばでライディールのもとに契約している聖獣の心話が届いた。


(ライディール、水の大精霊と九尾の神獣の様子はどうだった?)

『アイリに妙な真似をしたら一巻の終わりだと警告された。正直、死ぬかと思ったぞ』


 泣いていたアイリは気が付かなかったが、彼女の後ろでは怒りに物理的に青白く燃える九尾の白狐の姿と、冷え冷えとした表情で高速回転するウォータースライサーを掲げる水の大精霊の姿が顕在化していたのだ。

 神獣を怒らせればその場で消し炭、水の大精霊を怒らせれば国土から水が一斉に消え失せるだろう。


 個人としても国としても、その怒りに触れれば文字通り終わるしかない存在にアイリが守られていることを、ライディール王子は王家の者に流れる神官の血筋から感じ取っていた。あれだけ力ある存在に守られているのなら大航海も安全安心に違いない。


(それはまたずいぶんと愛されているな)

『朱雀、お前が彼女を守護する大精霊と神獣を抑えることはできないのか?』

(絶対に無理だ。大精霊や神獣以前に、あの子からは女神様の直接的な加護の気配がする。四聖獣が使徒に対して不利益な行動を取れると思うか?)

『やはりそうか。滅多に現れないほどの腕を持つ演算宝珠職人だというのに、指を咥えて見ている他に道はないとはな。まあよい、まずはこの演算宝珠を試してみるとするか』


 郊外にある溜池に到着したライディール王子は、アイリに教えられた通り十二個の演算宝珠に同時に魔力を送った。すると、それまでの常識からは考えられない規模の巨大な魔法陣が空中に描かれドォーンという大きな音と共に七色に輝く水が堰を切って流れ出す。

 供に連れてきた者たちからも大きな歓声が湧き起こる中で、みるみるうちに溜池が満水になった。それでも勢いは止まらず用水路を濁流のように流れ出そうとするところを、王子は並列演算宝珠の一つに魔力を流して慌てて止める。


『これは……ただの水ではない?』


 アイリの作り出した演算宝珠が生み出した水量に驚いていたライディール王子は、やがてキラキラと七色に輝く水面の様子に気がつき不思議そうな表情を浮かべて首を傾げる。


(ほう、神聖演算宝珠でもないただの演算宝珠で神仙水を生み出すとはたいしたものだ)

『神仙水とはなんだ?』

(この水が湧き出るところは、女神様の御力で長期に渡ってオアシスが維持される。よかったな、これで砂漠化の進行は終わりだ)


 朱雀が語ったあまりの効力にライディール王子は息を呑む。

 ちょうどいい術式を知っていますなどと軽い口調でアイリは話していたが、それほどの効果とは想像もしていなかったのだ。


『これは美味しい食材でもなんでも、全面的に協力してやらねば釣り合わんだろうな』


 緩やかな砂漠化の危機に晒されていたサウスクローネに突如として現れた女神の使徒の可愛らしい来訪理由を思い出し、ライディール王子は柔らかな笑みを浮かべて呟いた。

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