南国貿易とオアシスの記憶

第26話 領都への帰還と港街への進出

 ミルドレッドさんと約束を交わしたあと、私は商業ギルドで自らの名前に因んだアイリスという名前の商会を立ち上げた。

 そこで運転資金をやり取りするための口座を開き、ミルドレッドさんに量産した制約の輪環を渡してノースグレイスでの魔石の買い付けとヴェルゼワースへの運搬をする支部の監督を頼んだ。


「こんな条件で雇って大丈夫なのかい? 従業員を週に二日も休ませたら、普通の商会は潰れるもんだよ」

「問題ありません。演算宝珠に勤務シフト最適化の機能を組み込んでおきましたし、魔石の需要は好調で売上も右肩上がりですから足りなければ雇う人数を増やせばいいんです」


 元・闇の牙の構成員を従業員として雇い入れるにあたり、私はきちんとした労働条件を規定した。目玉である週休二日に関しては、御主人様が専攻されていた数理計画法の演算ロジックを制約の輪環の演算宝珠に組み込むことで実現の目処を立てることができた。

 稼働人数に応じて高度に最適化された勤務シフトと運搬計画が従業員の間で共有されることにより、無理や無駄のない労働計画と物流計画を実現できるはず。スローライフ社会に向けた施策の一端を担うアイリス商会の従業員がブラック労働を強いられていたら格好がつかないものね!


 私がそうした計算の理論を詳しく説明し出すと、ミルドレッドさんは両手を前に出して制止してきた。


「あー、小難しい話はいいよ! 仕組みはよくわからないけど、アイリが色々と工夫しているのはわかった。しばらく働かせて様子をみるから、何かあれば知らせるよ」

「ありがとうございます。よろしくお願いします!」


 その後ミルドレッドさんを通してカースさんたちに労働条件を提示してもらうと、文句の一つも言わずに制約の輪環を装着して精力的に働いてくれたという。

 魔道具の売れ行きが絶好調なこともあり、夏を迎える頃には魔剣のリース契約と組み合わせた魔石回収事業を完全に軌道に乗せることができて嬉しい限りだわ!


 ◇


 こうして魔石の供給ルートの構築に一定の目処をつけた私は、以前考えた冒険者向けのダンジョン攻略用テントの実戦証明コンバットプルーフとノースグレイスでの最後の思い出作りを兼ねてミルドレッドさんと護衛の二人と共にダンジョンアタックを敢行していた。

 空間拡張と結界魔法陣を利用した長期居住用テントで地下とは思えない快適な一週間を過ごした私たちは、ついにダンジョン百階に到達して最後のボスであるベヒーモスと対決する。


「二人とも三秒後に下がって! 三十二コア完全同期、出力最大、コキュートス!」

 巨大な体躯のベヒーモスが、威力を限定した最上級氷結魔法の前に身体の半ばまで凍り付く。

「今です!」

「オラァ! くたばりなァ!」


 ズドォーン!


 ミルドレッドさんの巨大ハンマーが魔獣の頭を陥没させ、階層主であるベヒーモスは完全に沈黙した。地面に崩れるように同化していくベヒーモスの亡骸の跡に、エンペラー級の魔石が出現する。


「しかし、どうしてダンジョンで魔獣を倒すと魔石だけが残るんだろうな」

「それはイリス様が設計したダンジョンコアの働きによるものです」

「はあ? ダンジョンも女神様が作ったとでも言うのかよ!」

「もちろんです。適度な魔素を地上に拡散させるための装置なのですから、死骸で穴が詰まったら困るそうですよ?」


 チェスターさんの疑問に答えながら私は奥にあるダンジョンコアの間を見つけると、当初の目的通り中層と下層に転移可能なポイントを設置するようダンジョンコアとリンクして防衛プログラムを一部変更する。


「ダンジョンコアを改竄して転移ポイントが作りました! これで入り口から中層開始の三十一階、下層開始の七十一階に転移できます。ついでに、このダンジョンコアの間から出口へ帰還できるようにしました!」

「なんでそんなことができるんだよ。ダンジョンの転移ポイントなんて自然に存在するもの以外は調整不可能じゃないのか?」

「実はダンジョンコアも演算宝珠の一種なのですよ。普通は変更できないんですが、イリス様から伝えられた管理者向けのシークレットコードを使えば多少は調整できます」

「そいつはわかったから、そろそろ地上に出ないかい? そろそろ洞窟生活にも飽きてきちまったよ」


 ミルドレッドさんが大きく伸びをすると、チェスターさんやアレックスさんも同意した。


「そうですね。お嬢のテントは洞窟とは思えないほど快適だけど、陽の光までは再現できませんからね」

「わかりました。では奥のスペースに移動してください、あそこが転移ポイントです」


 こうしてノースグレイスのダンジョンから上級の魔石までを採取できる体制を整えた私は、一週間ぶりに地上に帰還した。

 燦々と降り注ぐ太陽の光に心地よさを感じながら、ミルドレッドさんに別れの挨拶をする。


「今まで本当にありがとうございました。これで心置きなく、ヴェルゼワースに戻ることができます!」

「正直言ってアイリの料理が食べられなくなるのは残念だけど、向こうに帰っても元気で暮らすんだよ」


 握手を交わすその大きな手からは、ミルドレッドさんの温かな心が伝わってくる。やっぱりイリス様が見込んだ異世界人との触れ合いは心地良い。

 私は後ろを向いて立ち去っていくミルドレッドさんに手を振りながら、こうした人たちが魅力を感じてくれる世界にするよう決意を新たにした。


 やがて完全に姿が見えなくなったところで、後ろに控えていた二人の騎士に向かって帰還を宣言する。


「さあ、チェスターさん、アレックスさん。ヴェルゼワースに帰りましょう!」

「「おう!」」


 こうして長らく過ごしてきたノースグレイスでの滞在は終わりを告げたのであった。


 ◇


 ノースグレイスから王都の辺境伯邸に戻ってドリーの苗木を回収した後、私は祖父母が待つアルフレイムへと帰還した。


「お祖父様、お祖母様。ただいま戻りました!」

「おお、アイリや。首を長くして待っていたぞ。大事はないか?」

「はい、大丈夫です!」


 腕を広げるお祖父様の胸に飛び込み無事をアピールしたけど、隣にいたお祖母様はなおも言葉を重ねて気遣う様子を見せる。


「ずいぶん長くかかったようだけど、魔石の契約がうまく行かなかったの?」

「ちょっと採掘用のダンジョンの開発状況が芳しくなかったので、聖女であるミルドレッドさんと一緒に百階まで攻略して調整してきました!」

「聖女様ですって!? ちょっと詳しく聞かせてくれるかしら」


 私はノースグレイスのダンジョンを見学する前に随行する僧侶の紹介を受けるため神殿を訪れた際、イリス様の導きによりにミルドレッドさんと出会ったことを話した。


「そのあと一緒にダンジョンに潜ると、最下層とされていた三十階より下に百階までの未踏区域を発見したのです。より良質な魔石が採取できるように最下層まで踏破して、そこにあるダンジョンコアを調整することで中層と下層に転移ポイントを設けてきました!」

「まあ、ずいぶんと危険な冒険をしてきたのですね。あまり心配させないでちょうだい」

「ごめんなさい。次からは気をつけます……」


 聖女抹殺のために闇組織がけしかけたグリーンドラゴンを一緒に退治したとか、そのメンバーを雇い入れてアイリス商会を立ち上げたとか詳しく話したら更に心配されてしまいそうだと感じたけど、今後の魔石調達の要となるのでミルドレッドさんと連携してノースグレイスから魔石を調達する体制を整えてきたことを続けて説明した。


「これで演算宝珠の原料となる魔石は安定に供給されます。それをもとにヴェルゼワースで魔導自動車を大量生産してアイリス商会を通して商人たちに貸し出せば、国内の物流体制は大幅に進歩すると思います! お祖父様、魔導自動車の生産状況はどうですか?」

「ああ。言われた通り鍛冶師のロイドを中心とした徒弟制度を設け、順調に進んでおるぞ。とりあえず月に十台は出来るようになったのでアイリが演算宝珠を組み込めば三十台ほどが完成するだろう」

「本当ですか!? なら魔石が届き次第、魔導自動車を完成させますね!」

「それはそうと、闇組織の人間など雇い入れて大丈夫なのですか? オルブライト公爵が率いる貴族派閥の干渉があれば、容易く寝返りますよ?」


 イリス様の聖法陣を応用した制約の輪環を装着してもらうことでそうした反抗を抑えたこと、チェスターさんやアレックスさんにも試してもらってお墨付きを得たことを話し、心配するお祖母様を安心させた。しかし今度はお祖父様から質問が飛んでくる。


「聖法陣……聞き慣れないが、魔法陣の一種かね?」

「えっと、魔法を発生させる魔法陣のように法術を発生させる新たな魔法陣体系です。洗礼により法術が使える素養を得ましたが、長い修行をするより手っ取り早いだろうとイリス様から授かりました」

「なんと、それはまた大変な事ではないか。あまり大っぴらに喧伝せぬよう気をつけるのだぞ」

「わかりました。なるべく知らない人の前では使わないようにします」


 こうして一通り説明を終えた私は、次なる目標である南大陸の国との大陸間貿易について話を始める。


「魔石の供給も目処がつきましたし今度は魔導船を作って南方の海で貿易をしようと思うのですが、ヴェルゼワースに適当な港はありませんか?」

「港は領地の南端にあるサウスワースだけだな。もっとも漁業の街で、商業目的の港ではない」

「街の人の邪魔にならないようにしますから、港を拡張してもいいですか? ちょっと魔法で深掘りして整えたいです!」

「ああ、構わないぞ。紹介状を書いておくから、好きな時に訪れるがいい」

「ありがとうございます、お祖父様!」


 喜びに再度お祖父様の胸に飛び込むと、お祖父様は笑いながら私の頭を撫でた。その大きな手から伝わる確かな温もりに、私は頬を緩めるのだった。


 ◇


 それから一月ほど経過して魔導自動車四十台を完成させた私は、次なる目標の地であるサウスワースの港街にチェスターさんとアレックスさんを引き連れてやってきた。夏真っ盛りの日差しが照りつける中、南の風が潮の香りを運んでくる。


「さあ、魔石の供給体制に目処はついたから、次は南国との貿易路を確立しますよ!」

「またずいぶんと遠大な計画をぶち上げたもんだが、南国なんて存在するのか?」

「もちろんです。世界地図は頭に入っています!」


 神聖演算宝珠として御主人様と下界に降りた時に、地図情報は一通りインプットされている。あれから十三年しか経過していないから、よほど大きな地殻変動でも起きていない限り南に大陸が存在しているのは確かだ。

 書物で色々と調べたけど、この大陸の気候では南国で生育しているような作物の栽培は難しいようだから、香辛料やサトウキビなどは南に船を向かわせないといけない。ヴェルゼワースは南の海に通じる領地は少ないから大きな貿易港に発展させられるかわからないけど、国内での船舶航行にも必要になるはず。


 そんなわけで、お祖父様の紹介状を持ってヴェルゼワース南端にある港街ヴォルドにきたのだけど……


「なんだか寂れていますね。アレックスさんは南の出身だそうですけど、何か知っていますか?」

「港と言っても商業利用はありませんよ。この街では製塩と魚介類の干物が主な産業です」

「ふーん、それはそれで美味しいものが作れそうですね」


 天然の塩、調味料としてのワカメや昆布、そして出汁としての魚の干物。これらは御主人様の記憶の中でも必須級の代物だった。それならば、既存の産業を壊すことなく少し離れた場所に新たな港を建設するのがベストでしょう!


 私は森林資源が多いヴェルゼワースでの海運業という新たな可能性に、青い空を見上げて笑みを浮かべた。

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