第25話 闇組織の更生と制約の輪環

 草木も眠る丑三つ時、いつものように自らが守護するアイリが泊まっている宿屋の屋根で身を丸めて眠りについていた神獣イリアステールは、不穏な気配を感じて目を覚ました。


「性懲りもなく燃やされに……ん? ずいぶんと中途半端な悪意じゃの」


 王宮で度々感じた人間の悪意の気配は襲撃者の到来を知らせていたが、これまでアイリに差し向けられた刺客たちが醸し出していたものに比べれば、その悪意はひどく希薄なものであった。

 これまで招かざる者たちは問答無用で消し炭にしていたが、街のゴロツキと同じ程度の者まで瞬殺してしまっていいものだろうか?

 アイリのそばで人間社会を多少なりとも学習したイリアステールは、ふとそのような疑問を抱き、元来の狐族ならではの幻術で善悪を占うことにした。


「さあ、お主たちの心の奥底を見せてたもれ……幻術、真実の狐焔きつねび


 こうして力ある言葉がイリアステールから発せられると、くだんの襲撃者たちは深い霧の中に包まれたのだった。


 ◇


 霧が立ち込め辺りが不明瞭となる中、アイリを誘拐にやってきたカースは前方に不審な影を認めて目を凝らした。しばらくすると、長期間に渡り高価な薬を必要とするような重い病に冒された娘を付きっきりで看病しているはずの妻、オフィーリアの姿が浮かび上がり、カースは思わず声を上げる。


「オフィーリア! こんなところに来てどうしたんだ!」


 その問いに対する反応はなく、代わりにその後ろからゲースが姿を現したかと思うと、オフィーリアを抱き寄せ下卑た笑みを浮かべた。

 その姿にカースは一瞬眉を顰めながらも、闇組織に身を落としてから身に付けたニヒルな笑みを貼り付けていつもの調子で問いかける。


「へへっ、お頭……アジトで待っているんじゃなかったんですかい?」

「お前の娘の薬代が足りずどうしても金が欲しいって言うから、体で払ってもらうことにしたんだ」

「なっ!? 俺が組織に入って手を汚せば妻や娘には手を出さねぇって言ったじゃねぇか!」


 そう声を張り上げそれまでの態度を豹変させたカースは、闇組織の人間としての仮面を捨て去りゲースに襲いかかった。

 しかしゲースは襲いかかるカースを軽い身のこなしで避けたかと思うと、ゲースは顎をかするようにピンポイントでカウンターを当ててカースの脳を揺らす。いつもの指示を出すだけのゲースからは想像もつかない早技に、カースはなす術なく地面に倒れ伏した。


「そ、そんな馬鹿な……」

「おいおい、この俺様に逆らうとは感心しねぇなぁ! こうなったらお前の娘も売っ払って換金してやることにするか!」

「や、やめてくれ! 俺が出来ることはなんでもするから娘には手を出さねぇでくれ!」

「うるせぇ! お前はそこで寝てろや!」


 ドカッと鈍い音と共に何度も地面に顔面を叩きつけられるカース。実際にはイリアステールの幻術であるため物理的な怪我はないのだが、神獣の術式による現実と区別がつかない精神的な衝撃に次第にその意識を失っていく。


「オフィーリア……それに俺の可愛いレイリア……すまねぇ。こんな情けない父ちゃんでごめんな」


 そうして弱々しく呟くカースの瞳の奥に、暗闇の中で陽炎のように浮かんだ白い獣が佇んでいた。


 ◇


 真の姿を見定めるために心情を暴き出す幻術にかけた不審者たちから、やれ娘がとか、やれおっかさんがとか、無念そうな声が上がる。そんな予想外の姿を見るにつけ、イリアステールは本来神獣が感じるはずもない激しい頭痛と目眩を感じていた。


「なんじゃこいつらは……これでは妾の方が弱いもの虐めをする悪党のようではないかえ?」


 アイリを襲いに来たからどんな不届きものかと思えば、どうやら悪者に弱みを握られているだけの小物に過ぎないようだ。なまじ自らの幻術が優れているため、イリアステールの目には彼らの愛する子供が苦しむ姿や老いて寝込む母親、病気に伏せる妻などの姿が瞳の奥に透けて見え、実に居心地が悪い思いをしていた。


「もう良いわ! ほれ、互いに縛り朝までそこで大人しくしておれ!」


 こうしてカースたち闇の牙の面々は、幻術にかかって意識が朦朧としたままイリアステールの指示にノロノロと起き出し互いを縄で縛って眠りについたのだった。 


 ◇


 明くる日の朝、イリアステールの幻術によりまとめて捕縛されたカースとその手下たちはアイリとミルドレッドに尋問を受けていた。


「それで、闇の牙というのはどういう組織なの?」

「はい! ゲースを頭目とする闇ギルドの一組織で、今はオルブライト公爵を中心とする派閥の暗部の依頼を受けて聖女抹殺に向けて鋭意活動中であります!」

「はあ? 私をどうこうしようなんて、いい度胸じゃないかい!」

「ヒィイイイー!」


 ミルドレッドに凄まれ悲鳴を上げるカースたちだが、生きているだけマシだった。森を出たばかりのイリアステールであれば子悪党といえども瞬時に消し炭にしていたことを考えれば、ずいぶんと穏便になったものである。


「ミルドレッドさんはドラゴンのステーキが食べられればそれで幸せなんですから、放置しておけばいいじゃないですか」

「あっしも毎度そう思っているんですが、世の中にはしがらみというものがありまして……末端の構成員は病気の母親や娘の治療代のために仕方なく長いものに巻かれるしかないんでさぁ……」


 保険制度のないこの世界では、一度闇の構成員に落ちれば田畑や店舗を持つような普通の生活に戻ることはできない。さりとて冒険者のように危険な魔獣の相手も難しいという。

 そうして構成員を裏切ることができないように追い詰めて使い潰すのが闇ギルドの実態なのだそうだ。


「それは……ひょっとして普通の生活に戻るきっかけや、病気になった時に集団で互助するような団体を作れば闇組織から足を洗って真面目に過ごす気があるってこと?」

「まあ九割方は。もちろん、中には根っからの悪党もいますんで全員とはいきませんぜ」

「うーん……」


 縄に繋がれたカースさんとその手下の人たちを見て唸り声を上げた私に、チェスターさんやアレックスさんが揃って懸念を示してくる。


「まさかとは思うが、自分を誘拐しようと画策した連中の言う事を真に受けて懐に入れようなんてことを考えてないだろうな?」

「お嬢、こんなやつをそばに置いていたら危険……でもないけど、いつ裏切るかわかったもんじゃありません。さっさと役人に突き出しましょう」

「役人に突き出しても公爵様と繋がりがあれば釈放されてしまうでしょう。いくら捕まえてもキリがないなら、より良い環境を用意して闇組織の数を減らすのが恒久的な対策と言えるんじゃない?」


 異世界人をスローライフで留めようとするのと同じように、より良い就労環境があるなら滅多に裏切ることはないでしょう。イリス様から聖魔陣の知識を教えてもらったから怪我や病気を直す体制は作れるし、演算宝珠を用いた製品を扱う会社の社員として保険制度を適用してあげれば御主人様の記憶にある社会制度に近づくはず。

 そうした考えを話して聞かせると、ミルドレッドさんは寂しげな表情で説き伏せてくる。


「アイリは精神的にも肉体的にもまだ幼いっていうのに、ずいぶんと高い理想を掲げているんだねぇ。だけど人の心は脆いもんだ。結局、何かしらの歯止めがないとちょっとした拍子に理想の体制は崩れてしまうもんさ」

「歯止め……ですか。それなら、あまり気は進まないけどイリス様の法術の応用で制約の輪環をつけてもらおうかと思います」


 約定を違えると頭を締める異世界の寓話を元にした魔石をはめ込んだ制約の輪。新たに覚えた聖法陣を組み込めば、イリス様の意向に背かないという制約法術の応用で悪いことを考えれば罰が生じる輪を作れるはず。


「はあ、しょうがない子だねぇ。わかった、私もその会社の運営を助けてやろうじゃないか。手始めに、この街で魔石を回収してアイリの元へ輸送させてみるのはどうだい」

「それは助かりますけど、ミルドレッドさんは神殿の方はいいんですか?」

「アイリの使命はイリス様から直接受けたものなんだろ? だったら何も問題ないさ。まあ、ついでに帰りの荷物に香辛料や調味料を持たせてくれると更にやる気がでるかもしれないねぇ」

「わかりました。それでは制約の輪環ができたら届けますね。これからも各地を巡って美食の素材を探しまわる予定なので、楽しみにしていてください!」


 私はミルドレッドさんと固く握手をし、今後は協力してイリス様の使命を果たす約束を交わした。


 ◇


「しかし、本当にいうことを聞かせられる輪環なんて作れるのかぁ?」

「わからない。試しに作ってみるから、チェスターさんが被ってみてちょうだい……リンク、仲介者アリシエール、契約者女神イリス様、ファイナライズ。はい、できた!」


 聖法陣の特徴は直接的にイリス様とのリンクを張れる点にある。それを癒しに使うか、守りに使うかで効力を変えられるけど、変則的な使い方として単純にイリス様と主従関係を結ぶ効果を付与してみた。

 できた試作品をチェスターさんに渡して被ってもらうと、チェスターさんは急に無表情になって黙り込んだ。少し心配になって呼びかけてみる。


「チェスターさん、大丈夫ですか? 気分が悪くなったりしませんか?」

「はい、アリシエール様。私は麗しき女神イリス様の神兵として、あと七時間十五分三十五秒の間は正常に稼動いたします」

「稼働……ですか」

「イリス様より伝言です。『世界の管理で忙しいわたくしに直接人間を使役させようとは、いい度胸ですね。今すぐ輪環を外して仲介者と契約者を逆に変更しなさい』……以上であります」


 チェスターさんの声色が一部イリス様の声そのものに変化したことに度肝を抜かれ、急いで試作品の輪環をチェスターさんの頭から外す。

 すると、チェスターさんは真っ青な顔をして呻くように呟いた。


「……女神様は思ったより細かい性格をしておられるんだな。遠い未来の食事時間から睡眠時間に至るまで秒単位の指示が浮かんだぞ」

「それはまた、とてもイリス様らしいディレクションですね」


 私はそんな細かい指示をするつもりはない。悪いことをせず真面目に働いてくれれば後は自由に過ごしてくれればいいわ。

 それはともかく、言われた通り早く変更しましょう。機嫌が悪くなったイリス様の表情が浮かんで仕方ない。


「リンク、初期化……持続回復聖法陣展開、耐毒聖法陣展開、耐病聖法陣展開、仲介者女神イリス様、契約者アリシエール、ファイナライズ。はい、今度こそ大丈夫だから試してみて。おまけに、疲れにくくて毒や病気にかかりにくい効果も付与してみたわ!」

「断る! さっきの指示がお前に変わるかと思うと、別の意味で心配だ。そうだ、今度はアレックス、お前の番だ!」

「ええ!? わかりました……」


 気が進まない様子でアレックスさんが輪環を被ると、先ほどと違って表情に変化が出ることはなかった。


「どうですか? 変な気分になったり、おかしな声が聞こえたりしませんか?」

「いえ、大丈夫です。なんとなく、お嬢の要望がわかる程度で問題はありません。いや、これは中々便利かも……」

「要望ってどんなことですか?」


 先ほどのイリス様のように、あまりにも細かい欲求まで伝わってしまうと恥ずかしいので念のため確認する。


「今度は南に行ってカカオやサトウキビや香辛料を手に入れたいだとか、そろそろ船も必要だとか、その程度です」

「それはずいぶんとピンポイントな要望だけが伝わっているような……あ、使命に関係ない情報は仲介者に設定したイリス様が自動的にフィルターをかけているのね。そうだ、私の意思に反することを考えてみてちょうだい!」

「お嬢の意思に反するというと……今すぐヴェルゼワースに戻って辺境伯令嬢として相応しい暮らしを……アイタタ! うお、外れないぞ! い、今のは冗談です!」


 アレックスさんは酷い頭痛に見舞われ輪環を外そうとしたけど、それが無理なことを悟り彼らしい諫言かんげんを引っ込めた。

 すると嘘のように頭痛がおさまったそうで、アレックスさんはホッとした表情を浮かべる。


「素晴らしいわ! これは、是非ともチェスターさんも装着すべきよ!」

「断固として拒否する! ほら、今すぐアレックスの輪環を外すんだ!」

「……冗談です。そんなに目くじら立てなくてもいいじゃないですか」


 そう言って私がアレックスさんの頭から輪環を外すと、チェスターさんとアレックスさんは二人とも顔から汗を流して互いに頷きあう。


「恐るべき効果ですよ。確かにこれなら悪党のままでも、お嬢の兵隊として使役できるようになるかもしれません」

「ああ。女神様の場合と違ってアイリの良からぬ意向まで反映されるところも恐ろしいがな……とにかく、そいつを量産してミルドレッドさんに使ってもらおう」


 こうして期せずして北の辺境伯領での魔石供給体制の原型が早期に整った。


 アイリお手製の疲れ知らずの輪環は、やがて演算宝珠応用製品や食材を扱う総合商会アイリスの幹部社員の証として一種のステータスへと変化していくのだが、それはまだ遠い未来の話である。

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