第13話 辺境の街から領都へのお引越し

 辺境伯邸に到着して一夜が明けると辺境伯のヒューバート様と辺境伯夫人であるクラリッサ様に呼び出された。お爺ちゃんと同様、十年振りに会うお婆ちゃんは演算宝珠に記憶された姿からずいぶんと歳をとって見えたけど、こちらを見つめるエメラルドの瞳は幼い頃に最初に会った時と同様に慈愛に満ち溢れていた。


「久しぶりね。しばらく見ないうちに、ずいぶんと大きくなってくれて嬉しいわ」

「はい、ご無沙汰しており……じゃなくて! お初にお目にかかります、クラリッサ様」

「……あらあら、ごめんなさい。あまりにもあなたがエリシエールに似ていたものだから、間違えてしまったわ。ふふふ、よろしくね」

「はい、よろしくお願いします」


 ふう、思わず普通に挨拶をしてしまうところだったわ。歳を取ったとはいえ、綺麗な姿勢から滲み出る毅然とした態度と理知的な眼差しは幼い頃に見た母と話す姿と変わらない。

 なんだかすべてを見透かされているような気分になって、私は顔を俯かせて誤魔化した。


 その後、私は演算宝珠職人として住み込みで働いてもらうようにヒューバート様に頼まれ、暇を見つけてスイーツの作り方を料理人に伝授して欲しいとクラリッサ様にお願いされた。

 演算宝珠を使用した魔道具の開発に鍛冶や木工に長けた職人が必要な事を話すとアルフレイムにも腕の良い職人は居るし、必要であればローデンの職人をまとめて呼び寄せると言われてしまう。


「えっと店の荷物やドリー……思い入れのある苗木が店の庭にあるので、一度だけ支度に帰らせてもらえませんでしょうか」

「わかった。それではチェスターの小隊を護衛につけよう。なるべく早く帰るのだぞ?」

「はい、わかりました」


 ふう、これでドリーに事の次第を話すことができそうね。それにしても十年過ごした精霊の森とこれでお別れかと思うと、少し寂しい気持ちになってしまうわ。長い時を生きた超常的な存在とはいえ、ドリーは私の育ての親なのだった。


(アイリ、何を嘆いているのじゃ。別に精霊の森から離れていても、ドリーは地脈を経由して苗木のある場所に出現できるぞえ?)


 急に聞こえたイリアステールの声音に私は周囲を見渡したけど、そこには九尾の白狐の姿は見当たらなかった。まるで見えないけど、どうやら近くに潜んでいるらしい。神獣の幻術ってすごいのね。


「……そうなんだ。教えてくれて、ありがとう」

「ん? 何か申したか?」

「あ、いえ。なんでもありません! それでは早速出かけて参りますね!」


 私は辺境伯夫妻に挨拶をして、チェスターさんと共に部屋を後にした。


 ◇


 そんなアイリの後ろ姿を見送り部屋の扉が閉まると、クラリッサは歓喜の声を上げた。


「あなた、聞きまして!? あの子、名乗ってもいない私の名前を呼びましてよ!」

「ああ。バトラーから聞いてはいたものの、あれで誤魔化せたと思っているとは少々こそばゆいものを感じてしまうな」


 慌てて名前を呼んでしまうのも、その後に誤魔化す姿も、そして目線を逸らす仕草も海千山千の派閥争いに生きる貴族にとっては真実を絶叫しているに等しかった。それをエリシエールに瓜二つの姿で行うのだから、実の祖父母としては今すぐ抱き寄せてしまわないように手を強く握って自重するのが大変だったくらいだ。


「それは仕方ありませんわ。あの子は貴族令嬢としての教育を受けていないのですから……それに、今後もあの子の無事を喧伝して淑女教育などしない方が良いでしょう?」

「そうだな。正妃との間に王子が生まれたとはいえ九歳と未だ幼い。エリシエールにも七歳の王子が生まれたが、さらに十二歳の第一王女が生きていては都合が悪いと正妃の後ろ盾となるオルブライト公爵家の派閥が動くかもしれん。用心するに越したことはあるまい」

「エリシエールには可哀想だけど、護衛体制が整うまで知らせるのは控えましょう」


 こうしてアイリの知らない所で今後も生まれを隠蔽したままにしておくことが決定されたのだった。


 ◇


「ねえ、チェスターさん。やっぱり、一個小隊はやりすぎなんじゃない?」

「言うな。俺もそう思っているところだ」


 これが他の領地ならともかく、ここは辺境伯領なのだ。五十人近くの騎士が前後と周囲を守って行軍する姿は異様でしかない。一体、誰が好き好んで自領の騎士小隊に襲いかかるというのだろう。

 そんな疑問に首を傾げていると、副長であるアレックスさんが気さくに話しかけてきた。


「まあ良いじゃないですか。戦地に赴くわけでもなく、自領の辺境の街にアイリちゃんを連れて行って帰ってくるだけの簡単なお仕事ですよ? 退屈な門番をしているよりマシだと、俺はむしろ感謝しています」

「こら、辺境伯邸の正門を預かる身に不服でもあるのか? 嫌なら隣国との紛争地域に送るよう、ヒューバート様に嘆願してもかまわんぞ」

「うっ、それは勘弁してください。チェスター隊長」

 そんな掛け合いの中で一つ気になることがあり、アレックスさんに聞いてみる。

「隣の国とは仲が悪いのですか?」

「ああ。平和になって魔獣が姿を消した空白地域の領有権が問題になっているんだ」

「ふーん……」


 折角、御主人様が平和な世の中を取り戻したというのに、人間同士で争うなんて不毛だわ。イリス様が求める『質の良い魂』が集まる世界になれば改善されるのかしら。文明の進歩と平和な社会は必ずしも同居しないと御主人様の記憶にある異世界の歴史からは読み取れるけど、スローライフのためには争いも駆逐しないといけないわね。


 そんな事を考えながら、私はローデンの街へと帰還を果たしたのだった。



 チェスターさんたちに店の中の荷物を運び出してもらううちに、私は店舗の中庭にある苗木の前に来てドリーに話しかけた。


「ただいま、ドリー。突然だけど、アルフレイムに引っ越すことになったわ」

「一足先に帰ったイリアステールに聞いているわ。家族に出会えたんですって? よかったじゃない。どうして名乗り出ないの?」

「うっ……今更名乗り出ても信じてもらえるかわからないし、また攫われるのは御免だわ。それに私はイリス様に遣わされた身だから、どう接して良いのかわからないの」


 私の魂が降りなければ、別の魂を宿していたかもしれない。そう思うと、実の祖父母や両親として接していいのかわからない。これが長年一緒に居たのなら家族の実感も湧くのでしょうけど、離れていた十年の歳月はそうした自然な親愛の情を抱くには長すぎたのだ。


「馬鹿ねぇ……私に話しているように気楽に話しかけるだけで泣いて喜ぶでしょうに。まあいいわ、身の安全だけは保証してあげるから私の苗を新しい住処に植えてちょうだい。悪人は弾いてみせるわよ」

「ありがとう、ドリー。さすが私の育てのお母さん!」

「もう、調子いいんだから。根を千切らないよう、気をつけるのよ」


 魔法でドリーの苗木の周りの土も含めて丸ごと回収した私は、店の中に戻りチェスターさんに話しかける。


「終わりました。あとはロイドさんに挨拶を……」

「鍛冶師ならヒューバート様が召し抱えるそうだから、帰ってからでも会えるぞ」

「えっ、本当!? なんだかロイドさんには申し訳ないわ」

「おいおい。申し訳ないどころか、とんでもない栄転だぞ。アレックスに向かわせたから、今頃泣いて喜んでいるはずだ」

「そうかしら。それならよかったわ」


 また一から説明したり図面を渡したりするのは面倒だもの。今後もロイドさんには魔道具の部品や筐体を作ってもらいたいわ!


「ところで、手に持っている植木はなんだ?」

「これは……精霊の苗木よ。辺境伯邸の庭に埋めるの」

「そうか、なら俺が運んでやろう。運転の邪魔になるだろう?」

「えっ? ありがとう……」


 こうして、辺境の街ローデンから領都アルフレイムの辺境伯邸へと引っ越した私は、お抱え演算宝珠職人として新たな第一歩を踏み出すことになった。

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