第14話 パティシエ始めました

 辺境伯邸に移り住んで以来、本来の演算宝珠職人としての腕をあまり振るうこともなく私はなぜか連日のように厨房で料理人たちと混ざってスイーツを作らされていた。


「クリームはツノが立つまでかき混ぜて! ケーキの生地に小麦粉を合わせるときは、少しずつ加えてダマができないように気をつけるのよ!」

「わかりました、アイリ様!」

「クレープはもっと薄く均一になるようにして。こうしてクレープ用トンボで円を描くようにするのよ」

「おお、この円形の道具はこのように使うのですね」


 砂糖やブランデーはともかく卵やミルクのような酪農で得られる材料や小麦粉などの農産物はいくらでも用意してもらえたから、カスタードクリームを利用したシュークリームやフルーツタルトをはじめとして色々なスイーツを再現することができた。今ではアルフレイムに移り住んできたロイドさんに調理用の泡立て器やヘラ、専用の鉄板のほか、ケーキやクッキーの型も用意してもらうことで本格的なスイーツが作れる土壌が出来上がりつつあった。


「アイリ様のおかげでヴェルゼワース家のお菓子はどこの貴族家にも負けないと断言できるところまできましたぞ!」


 厨房に入った当時は胡乱うろんげな目をして私を見ていた料理長のダニエルさんは、私が持ち込んだお菓子に心酔し、今や子供のような目をして一緒に新しいレシピ開発に取り組んでいる。


「それはよかったけど、お菓子に使うワインやブランデーは特殊なものを使用しているから、いつかお酒を作る人も探さないといけないのよね……」

「ヴェルゼワース領内では厳しいでしょうな。ブドウの産地として有名な南部のシャルエッセン伯爵の領地ならワイナリーも沢山あるのですが」

「そう……西部のヴェルゼワースからは遠いわね」


 やっぱりドリーは凄いわ。ちょっとやそっとの気候の違いなら問題なく植物を繁らせることができるなんて反則よ。


 でも、これからは人間社会で手に入れられるように考えないといけない。今作っているお菓子も十分なように見えてラム酒やチョコレートのようなものが再現できていないから、カカオ豆やサトウキビの産地を探すか温かい場所で一から育てる必要がある。

 お菓子の他にパンも自然酵母を使って柔らかいものが欲しいし、洋菓子だけではなく餡子のような和菓子も揃えたい。ああ……実を擦り潰すものなら、もうすぐ秋だから栗を使ったマロンケーキも世の中に広めなくていけない。でも、どこに栗の木が生えているのかわからない。ヒューバート様にお願いして辺境伯の蔵書を片っ端から読ませてもらったけど、もとから注目されていない食材に関しては、なかなか情報が得られないわ。


 そんな尽きない悩みに悶々としていると、ナディアさんが私を呼ぶ声が聞こえた。


「お嬢様、そろそろ奥様とのお茶会の時間です。お支度をしませんと」

「わかりました、ところでお嬢様はやめませんか?」

「かしこまりました、姫様」

「……お嬢様でいいです」


 何度目かわからないやりとりを終え、私はそっと溜息を吐く。どういうわけか、メイド長を務めるナディアさんは初対面の時から姫様としか呼ばない。名前を告げて直してもらおうと努力したけど、お嬢様までが限界のようだった。


「はあ、どこかの護衛騎士のようにぞんざいに扱ってくれた方が気楽かも」

「なんだ。ようやく俺の優しい心遣いに気が付いたというわけか」

「チェスターさんは気遣いなんかしてないでしょ! でも、そうかも……」


 精霊の森でフォーくんやピーちゃんと一緒にのびのびと遊んで暮らしていた頃に比べれば、知らず知らずのうちにストレスが溜まっているのかもしれない。

 私はナディアさんが案内する衣装部屋へと向かいながら友人の神獣や精霊たちのことを思い出し、精霊の森が広がる遠い空を見上げて眩しさに目を細めた。


 ◇


 部屋に戻ってナディアさんが用意した服に着替えた後に髪を整えてもらうと、私は昼下がりの陽光が降り注ぐ庭園の一角に向かった。ヒューバート様とクラリッサ様は既に来られているようで、バトラーさんが淹れる紅茶を楽しんでいる。


「お待たせしました。ヒューバート様、クラリッサ様」

「おおアイリか、まったく待っていないぞ。さあ、こちらに座りなさい」

「はい、失礼します……」


 バトラーさんやナディアさん、そして私の後ろのチェスターさんも立っているのに、辺境伯夫妻と私の三人だけがテーブルについている不思議な構図に私は首を傾げた。しかし、思考が形を成す前にクラリッサ様が話しかけてくる。


「今日はどんなスイーツで私を楽しませてくれるのかしら?」

「えっと、今日はクレープという薄く焼いた生地を生クリームと交互に何層にも重ねたミルクレープというケーキを作りました。秋に合わせてカボチャのクリームでアレンジしたものもあります」

「まあ、それは楽しみだわ。バトラー、アイリにも紅茶を出して上げて」

「かしこまりました、奥様」


 ダニエルさんがミルクレープを運び込むまでの間、私はバトラーさんが淹れたフレーバーティーの香りを存分に楽しむ。紅茶だけは、ドリーが出すフレーバーティーにも迫る出来栄えだわ。


「バトラーさんは紅茶を淹れるのが上手なんですね。それに、この茶葉も十二種の香草や果実が混ざり合って複雑な味を演出していて素晴らしいです」

「アイリは、この紅茶に使われている成分がわかるのかね?」

「はい。紅茶にはちょっとだけ自信があるんです!」


 主にハーブティー狂いのドリーのおかげで。そう心の中で付け加えた私を、クラリッサ様は大袈裟に褒め讃えた。


「まあ、素晴らしいわ! エリシエールも紅茶に凝っていたのよ」

「そうですか。さすがクラリッサ様の血を引くお方ですね」


 我が祖母、我が母ながら紅茶に関しては非常に良い趣味をしていると感心していたところ、ダニエルさんが今日の成果であるミルクレープを運んでくるのが見えた。食べやすいように切り分けられた二種類のケーキがテーブルに並べられると、ヒューバート様とクラリッサ様は待ちきれないように召し上がる。


「まあ! どちらもとても美味しいわ!」

「ああ、本当にアイリの考えるスイーツは素晴らしい! 王宮のパーティでも、ここまでの品は出ないぞ!」


 辺境伯夫妻の賛辞の言葉に遅ればせながら私もミルクレープを口に運ぶと、ダニエルさんを始めとした料理人たちの苦労の甲斐もあって非常に洗練された味に仕上がっていた。よしよし、これなら御主人様も満足されるに違いないわ!


「美味しい、これなら合格よ! ダニエルさん!」

「お褒めにあずかり光栄至極に存じます、アイリ師匠!」


 芝居がかったようにして私に礼を取りニカッと笑うダニエルさんに私も笑顔が溢れる。そんな私たちを見ながらヒューバート様が困ったような表情を浮かべて頬を掻く。


「これほどの品々が毎日のように生み出されるとなると、儂らだけで食べているのはいささかもったいなく感じてしまうな」

「それなら、街のパン屋さんに簡単なケーキの作り方を教えて販売してもらうのはどうでしょう。作り方を知れば、やがてそれを改良して更に美味しいケーキが作られるかもしれません」


 そこで私はまだ試していない自然酵母を使った柔らかいパンや調理パンなど大衆向けのレシピも合わせて伝え、領内を活性化することを提案した。


「ほう……アイリは貴族のお茶会でお披露目するよりも、領内の活性化に使った方がよいと考えるわけか」

「あ、ごめんなさい。でも料理にしても技術にしても、土台となる職人を育成していけば自然と頂点に位置する貴族の到達点も高くなります」


 と御主人様の世界の歴史は示しているわ。よくわからないけれど、工業製品などの産業もスポーツも底辺を分厚くしないと強くならないらしい。

 そんな適当な理由だったけれど、ヒューバート様とクラリッサ様には何か感じるものがあったのか大いに頷いている。


「ふっ、アイリは賢いな。そう思わないか、クラリッサ」

「……ええ、私はとても誇らしいですわ。アイリの言う通り、領民たちにもレシピを伝えて更なる発展に繋げるのがよいでしょう」


 こうして私は街のパティシエの卵たちに向けて美味しいパンの作り方や大衆向けの安価なお菓子のレシピを伝授していき、やがてヴェルゼワースは国内でも屈指の食文化を持つ領として国中から注目されることとなった。

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