第12話 貴族の料理は美味しくない

「うっ……味付けが微妙ね」

「ブッ! いきなり何を言っているんだ。貴族と同じ食事だぞ?」


 対面に座るチェスターさんが吹き出して本気かどうか真面目な顔をして真偽を問い正してくるので、私は曖昧な笑みを浮かべてお茶を濁した。

 辺境伯直々に丁重にもてなすよう命令を受けた使用人たちは、それはもう丁寧な対応をしてくれた。料理人もまた例外ではなく最上級のディナーを出したつもりでいるようだけど、残念ながら精霊の森という植物由来の調味料が使い放題の環境で育った私の舌は特別性だった。


「精霊の森では樹木の精霊により香辛料やキノコが豊富にとれて、植物由来の発酵調味料も自由自在に作れたの。だから……」


 単なる塩味がベースでは、記憶をもとにドリーと再現したお酒、ケチャップ、ソース、砂糖、醤油によるデミグラスソースには及ぶべくもないし、キノコやネギにスパイスを振りかけた味付けに慣れた舌には物足りない……などという言葉を口を引き結んでグッと堪える。たまには素材の質だけに依存した素朴な味わいもいいはずだわ。

 そんな我慢が透けて見えたのか、チェスターさんが溜息をつく。


「お前、思ったよりも贅沢者だったんだな。これだけ美味い肉があれば、酒も弾むというものだぞ?」

「そんな熟成もしていないワインで満足していたら、これを飲んだらひっくり返るわよ」


 私は精霊たちが監修した三年もののワインを亜空間から取り出し、空のグラスに注いでチェスターさんにスッと差し出した。チェスターさんは最初のうちは訝しげにそれを見ていたが、興味の方が勝ったのか思い切ってグラスを口に傾ける。そして次の瞬間、驚きの声が上がった。


「うめぇ! なんだこりゃ!?」

「お菓子用の若いワインよ」


 ドリーやウンディーネがお酒として飲む場合はもっと長期熟成したものを嗜んでいるようだけど、未成年にはまだ早いと渡してくれなかったわ。


「はぁ……こりゃ舌が肥えるわけだ。さっきの言葉は本気だってよくわかったぜ。さっきまで美味いと思っていた酒が急に無価値に思えてくる」

「ごめんなさい。別に料理をする人の腕が下手だって言うわけじゃないのよ。ただ単に、素材や調味料が段違いなだけで」

「それが問題なんじゃないか。そういや、お菓子を所望されてここに連れてきたんだったな。魔導自動車が凄すぎてすっかり忘れていたぜ」


 チェスターさんの言葉に、私は異空間に沢山お菓子を詰め込んできたことを思い出す。


「いけない、店で用意したお菓子を渡しそびれていたわ。日持ちしないものは食べてしまおうかしら」

「いや待て、折角だから厨房に送らせよう。もしかしたら、料理長の参考になるかもしれない」


 チェスターさんがテーブルの上に置いてあった呼び鈴を鳴らすと、即座に隣の部屋で待機していたメイドさんが数人部屋に入ってきた。そこでチェスターさんが辺境伯夫人の求めていたものについて説明し、私が異空間から取り出したお菓子を順次運んでもらう段取りがつけられた。


「えっと、この山苺のショートケーキのようにクリームを使用しているものは、今日か明日中に食べられないようなら痛むので捨てるよう伝えてください」

「かしこまりました、姫様」

「……」


 キビキビと運び出すメイドさんが部屋から出ていく頃、ようやく私は金縛りから解けたように絶叫する。


「なんで私が姫様呼ばわりされているの!?」

「知らん、俺に聞くな。それより、参考までに俺にも一つくれ」

「男性の口には合わないかもしれないわよ?」


 私は自分で食べるつもりだったショートケーキを取り出してチェスターさんに差し出した。その代わり、私は魔導冷蔵庫を取り出して食後のアイスクリームを楽しむことにする。


「おい、待て。そいつはなんだ?」

「アイスクリーム……氷で出来たお菓子と言った方がいいかしら? 冷たくて美味しいのよ」

「おいおい、冬でもないのに氷だと? なぜ溶けていない」

「この魔導冷蔵庫の中は、演算宝珠で常時冷たい温度に保たれているの。食材を長期間保温したり、水を凍らせたりするのに使う魔道具よ」


 私は扉を開け閉めして、中で保存されている食材や氷を見せる。こんなに広い屋敷なら、何台か持ってきて使って貰えばよかったわね。


「昼間の馬なし馬車といい、とんでもないものを作るな……って、美味い。こいつも酒を使っているのか」

「シロップの中に少しだけブランデーを混ぜているの。しっとりとした大人向けの味でしょう?」

「やばいな。コイツが明るみに出たら、あっという間に貴婦人が集まるお茶会を席巻するぞ」

「ふーん、できれば広く伝わって文化振興に役立って欲しいものね」


 私はアイスクリームを食べつつ、一般人でも美味しいお菓子が食べられる社会を夢想する。記憶にあるチョコレートやポテトチップスなど、まだまだ実現しないといけないものは沢山ある。そう、すべては御主人様が望むスローライフ社会のために!


 ◇


 アイリとチェスターが食後のデザートを楽しんでいる頃、辺境伯夫人のクラリッサはヒューバートから衝撃の事実を打ち明けられていた。しかし連れ去られてから十年以上経過していて判別も難しいはずなので、よからぬ事を企む者たちの口車にのせられたのだろうとクラリッサは冷静に受け答える。


「アリシエールが見つかったなどとお戯れを。何かの間違えでしょう。お気持ちはわかりますが、騙されているのではないですか?」

「騙すも何も誰かに紹介されたわけでもないし、本人に言われたわけでもない」

「なんですって? ではなぜ……」


 ヒューバートは自分一人の判断ではないことを示すため、執事のバトラーに説明をさせようと目で合図を送る。バトラーはそれを見て、胸に手を当てて状況を話し始めた。


「まず見た目がエリシエール様の幼い頃に瓜二つにございます。さらには、旦那様が贈られたはずの家紋入りの演算宝珠のペンダントを身に付けおられます。それにロビーの階段にございます肖像画に反応を示され、それを誤魔化されました。つまり、騙すどころか露見しないように振る舞っておいでなのです」


 指折り根拠を唱えたバトラーに、クラリッサは尚も異論を唱える。


「でもアリシエールがかどわかされたのは三歳にも満たない頃でしょう。母親の姿を覚えているのはおかしいのではなくて?」

「それはそうですが、素直にお育ちのようですから奥様が一度でもアリシエール様と……いえ、アイリ様とお話になり探りをお入れくだされば、確信を得るには十分かと存じます」

「……」


 長年執事を務めたバトラーが断言するようにして姿勢良く頭を下げる様子に、クラリッサは言葉を紡ぐことができずに部屋に沈黙が訪れた。

 そんな中で、部屋をノックする音が聞こえ、バトラーが許可を出すとメイド長がトレーに色とりどりのスイーツを載せて入室してくる。


「姫様がお作りになられたお菓子をお持ちしました」

「ナディア、あなたまで演算宝珠職人をアリシエールと思っているのかしら?」


 ヴェルゼワースに嫁いでくる前から自らの侍女として仕えてきたメイド長のナディアに、クラリッサは鋭い声で問いかける。


「遺伝による身体的特徴をいくつも兼ね備えたあのお姿を見れば、少なくとも血縁であることは間違いございません。そうでなくとも、アイリ様は別の意味でも姫様のようです」

「まあ、どういうことかしら?」

「チェスター隊長との内緒話が漏れ聞こえてきたのですが、辺境の街では樹木の精霊による結界で守られていたのだとか。今も常時神獣に守られているそうで、魔導師に探らせましたところ現在この邸宅の周囲には姫様を中心として神殿級の結界が張り巡らされているそうです」


 ナディアの報告にギョッとしたヒューバートが事の真偽を問いただす。


「待て、神殿級だと? じゃあ賊の類が立ち入ろうとしたら燃え尽きるとでも申すのか?」

「はい。と言うより、間者ではないかと泳がせていた人物が既に消されました。チェスター隊長は信じておられないようでしたが、精霊や神獣に守られているのは真実かと……」


 色々と驚嘆するような情報が出てきたものの、どれもアイリが十年前に連れ去られた孫娘であることを否定する材料ではなく、クラリッサはホッと息を吐いてナディアの給仕を受けた。アイリが持参したというお菓子は非常に美味しく、驚き疲れたクラリッサの精神を優しく癒していく。


「ふふふ、たとえアリシエールではなかったとしても会うのが楽しみね」


 そう言って微笑んだクラリッサの表情は、アリシエールが連れ去られてから十年の間ついぞ見られなかった優しさに満ち溢れていた。

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