第7話 召しませ、お風呂

 ロイドさんとの協業でコンロやオーブン、冷蔵庫などの調理向けの魔道具の普及が進んできたので、次は衣食住の住の向上を図ろうと私は新たな魔道具を検討していた。


「照明や冷暖房、あとはお風呂や水洗トイレなんかも必要よね!」

「いやぁ……明かりは普通に蝋燭の火や暖炉で事足りるんじゃねぇか? それに、風呂なんざに演算宝珠を使うのは一部の金持ちか王侯貴族くらいのもんだ」

「今まで通りで十分という考えじゃ永久に進歩していかないわ……って、どうしてロイドさんは毎日うちに来ているんですか?」


 オーブンや冷蔵庫の筐体の製作を大量に作ってもらい、薄利で売り捌いたことで今では街中に行き渡らせることができた。だからもうロイドさんが忙しく箱を作る必要もなくなったはずだけど、なぜか毎日のように私の店を訪れている。


「それはアイリちゃんが作るお菓子が美味いせいだな。嫁や娘に限らず、一度食べたら女衆は虜になるようだ。だが、もう一度店を訪れて買おうとしても辿り着けないらしい。おかげで俺はこうして使いっ走りの毎日だ」


 なんだか不思議な現象だけど、そういった不思議な事の原因は大抵精霊にあると知っていた私は、どういうわけかとカウンターでお茶を嗜んでいたドリーに尋ねてみる。


「強い欲に溺れた人間が結界に阻まれているだけよ。最初はアイリのお菓子を知らないから問題なく店に入って来られるけど、一度食べてその味を知ってしまったらあまりの美味しさに食欲が結界の閾値を超えてしまうようね」

「えー、そんな事になっていたの? 通りで開店祝いでは盛況だったのにお菓子が売れなくなったと思ったわ。美味しいものを売ったら来店できなくなるなんて、宣伝にならないじゃない!」

「精霊から……コホン、私からは欲の種類まで判別できないのよ。お菓子の販売は街の人間にでも頼むのね」

「……いえ、お菓子を作るための機材は揃ったはずだからやめておくわ」


 オーブンの取り扱い説明書にクッキーの作り方を添付しておいたから、一度口にすれば自分たちで工夫して作ろうとするはず。薪を用意せずに手軽に火を使える様になったことで、材料さえあれば今までより手軽に試行錯誤できるようになったもの。最後には自分で作ってもらわないと文化振興にならないし、街の女性たちには頑張ってお菓子作りに励んでもらいましょう。

 必要は発明の母という。かつての主人の記憶に刻まれていた格言を思い出しながら、私は先ほど考えていた新しい魔道具の検討に立ち返る。


「まずはお風呂の普及を促すために、石鹸とシャンプーをロイドさんにお土産として持って帰ってもらいます!」


 ドリーの樹液が入っているから効果はてきめんだし、目に見えて肌が綺麗になって髪に艶が出たら頻繁にお風呂に入る気になるかもしれない。

 私はドリー印の石鹸とシャンプーを差し出して効能を伝えた後、お風呂の湯船や水回り、水洗トイレに必要な金物の形状をロイドさんに伝えて試作を頼んだ。


「そいつの効能には嫌な予感しかしねぇが、仕事が入ってくる分には歓迎だ。しかし水場に鋼を使ったら錆びちまうぞ?」

「大丈夫。ノーム……じゃなくて森のおじちゃんに錆びにくい鉄の成分を教えてもらった事があるの。ステンレスという合金なんだけど、あとで配合教えるから帰ってみたら試してみてください」

「いいのかよ!? 普通、そういった鍛冶の秘伝は秘匿されるもんだ」

「私は鍛冶師じゃないので、ロイドさんが活用する分には誰にも損はないでしょう?」


 手を洗う習慣が付けば病気の流行も防げるし、ついでにお湯や水をもっと手軽に利用できるように上下水道を代替できるような演算宝珠を作れば綺麗な街が目指せるわ。


「ははは、わかったよ。おっと、そう言えばこいつを渡すのを忘れていた。いつか作るって聞いていた魔剣の素体だ。受け取ってくれ」


 ロイドさんは腰に刺していた剣をベルトごと外して私に渡してきた。いつもと違って物騒な格好をしていると思っていたけど、自分の剣じゃなかったのね。鞘から剣を抜いてみるとミスリルとヒヒイロカネの合金で作った剣のようで、演算宝珠を設置するための窪みが剣身の根本近くに三つほどあった。


「わぁ、すごい……似たような聖剣を見たことがあるわ!」

「比較対象が聖剣とは嬉しいことを言ってくれるぜ。毎日励んだ甲斐があったってもんだ」


 大人の男性向けだから私には扱えないけれど、三つも演算宝珠を組み込めるとなるとかなり強力な魔剣に仕上げる事ができそうだった。

 でもイリス様が生み出す聖剣と違って強度が心配だし、一つは剣の構造強化に全振りしましょう。もう一つは切れ味を増加させるための超振動の発生に全振り、最後は……電撃に全振りにするのが無難かしら。もともと、護身や狩りのためだからね!


「少しバランスの調整に時間がかかりそうだから魔剣にしたら返しますね」

「いや、そいつはアイリちゃんにやるよ。炉の演算宝珠をサービスしてくれた礼だ」

「ええ!? 嬉しいですけど、私が使うにしては少し大きいのでは……」

「さすがに演算宝珠職人が剣を振るうとは思っちゃいねぇよ。護衛の騎士なり旦那でも出来たら贈ってやればいい」


 ロイドさんが言うには、私には護衛が必要になる日が必ずくるのだとか。店に住んでいたロビンソン夫妻も、もとは奥さんが演算宝珠職人で旦那さんが護衛の間柄だったそうだ。演算宝珠職人は希少な存在だから、平和となった今でも悪党に狙われやすいのだという。


「正直言ってアイリちゃんの腕なら、あっという間に別の国に連れ去られても不思議はねぇ」

「あはは、さすがに誘拐はごめんですね。ありがたく頂戴します……」


 演算宝珠に関係なく生まれて間もない頃に王宮から連れ去られた過ぎ去りし日を思い出し、私は頬の筋肉をピクピクと痙攣させて苦笑いをする。こうなったら中級魔獣ではなくエンペラー級の魔獣の魔石を組み込んで、妥協のない一振りに仕上げよう。護衛に心当たりはないけど成長したら自分で使えば済むし、質量軽減の魔法陣を組み込んでおけば今の私でも扱える。でも私自身は魔法を使えばいいから、しばらく死蔵ね。

 私はズシリと重い剣を抱えつつ、店の出入り口から職人街へと帰っていくロイドさんに手を振った。


 なお、ロイドさんが持ち帰ったドリー印の石鹸とシャンプーの肌や髪の保湿・補修効果を知った奥さんと娘さんの口コミ効果によりロイドさんが店に通い詰めになるのは、また別の話となる。


 ◇


 アイリとロイドにより調理魔道具に続いて風呂・冷暖房・水洗トイレや洗面所などの便利な魔道具が普及し出した頃、商業ギルドのエミリーは他の街の有力者からの問い合わせの対応に追われていた。

 あの小さな演算宝珠職人は本業である演算宝珠以外にも便利な魔道具を次から次へと生み出し、さらには美味しすぎるお菓子や美容に極めて有効な石鹸やシャンプーを流通させたのだ。

 そんな注目の少女が営む店には、どういうわけかなんらかの企みを持つ人間が直接訪問する事はできないらしく、有名になる前からアイリの担当を自称していたエミリーの元へ、利に聡い商人や貴族の耳目と思しき代理人たちから本人に直接コンタクトを求めにくるのは自然な流れであった。


「会わせろと言われても、私だって本人が商業ギルドに訪ねて来ない限り会えないのに……というか、私もアイリちゃんのお店のクッキーやアイスクリームが食べたい! 石鹸で十代に戻ったかのようなきめ細かな肌になりたいし、シャンプーで艶やかな髪質を手に入れたいわ!」


 などと癇癪を起こしてストレスを発散させつつも、問い合わせの書類を処理するスピードは落ちない。そんなエミリーの目の端に、無視できない封蝋が飛び込んできた。


「……ついに来ましたか。王宮からの質問状。街のためには、のらりくらりとした返答をして時間を稼ぐしかないですね」


 辺境の街ローデンにとって欠かせない存在となりつつあるアイリ。活躍すればするほど、様々な思惑が交差する王宮の貴人たちから注目を浴びることになろうとは、当の本人は知る由もなかった。

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