26 少年の告解と存在しない少女①

2020年6月6日12時39分 三重市文化会館 第一ホール



“ピロピロピロピロ”

 薄暗いホール内に反響するのは、安っぽい玩具おもちゃを彷彿させる電子音。

 

“ガシャン” “ガシャン” “ガシャン”

 さらに、前方に広がる客席の方からは、立て続けに何かが立ち上がる音が聞こえる。


 目を凝らしてみれば、それは細長い魚の形をした木製の小さな的だった。


 「2階席はお任せください!」

 「頼む!俺は1階右をやる」

 そう言うや否や、矢やボールが客席へ向かって飛んでゆき、気持ちの良い音を立てながら魚の形をした的を次々と粉砕していく。


 「涼介は左を!」

 「わーってるって。食らえ!必殺!スカイツイストハリケーン!」

 涼介はそう叫びながら大きく振りかぶると、握っていた野球ボールを放り投げる。

 素人目に見ても適当なフォームなのだが、持ち前の運動神経か能力の恩恵か、プロ顔負けのスピードとコントロールで飛んで行ったボールは、的の芯を捉えて粉々に破壊する。


 「へへっ、どんなもんよ」

 「早く次に備えるぞ」

 「お二人とも!次が来ます!」

“ガシャン” “ガシャン” “ガシャン” “ガシャン” “ガシャン”

 満足げにポーズをとる涼介を崇が諫める間もなく、次の的が出現する。


 「10、11、12……あーもう!さっきよりも多いじゃんか!」

 「口じゃなくて腕を動かせ!」

 「わーってるって」

 二人は傍らに積まれた野球ボールの山から一つを摘まみ上げると、投球動作に入る。

 その隣では、袴を着た女子が弓を斜め上へ向け構えていた。


 ほぼ同時に放たれたボールや弓は的を壊すが、その結果を見る間もなく再び投球動作に入り、次の的へと狙いを定めていく。

 順調に的の数は減っていくものの、出現数が多かったためにまだ何枚も残っており、残った的はゆっくりと客席へと沈んでいく。

 それに伴ってその客席からは色が失われ、浸食具合に応じて次第に透明になっていくのが見える。


 「急げ!」

 「これでも頑張ってんだけどな!」

 「あと7……6……」

 「5」

 「これで4……」

 「間に合うか……」

 「ごめんなさい、私もう矢が……」

 「くそ……3」

 「あとひとつ!」

 「くっ!だが……」

 

 ラスト一個の的はすでにそのほとんどが客席に沈んでおり、尾びれの一部がシーツから顔を覗かせているだけだ。


 「間に合え!必殺!ツインツイストハリケーン!」

 涼介が放った球は前の席を突き破り、そのまま的が沈みかけている席へと向かう。


 球は的から少しズレたものの座席の腰掛けを捉え、そのままぶつかる……ことなく、球は半透明になった座席をすり抜ける。


 「くそっ!」

 「取り残し1!またウツボが来るぞ!全員備えろ!」

 響き渡る崇の声。


 一瞬だけサスケと目配せし、腰に据えた卒業証書の筒へ意識を向ける。

 サスケも釣り竿を片手持ちに切り替え、近くの木人からコントラバスの弓を抜き取って二刀流に構える。


 静寂なホールに漂う緊張。

 

 その時だった。


 「まだよ!」

 その言葉と共に上方の扉が開き、球体が勢いよく飛び出してきた。

 回転する球体はきれいな弧を描きながらホール内を落ちてゆき、ほとんど透明になった客席に当たって大きくバウンドした。

 少し遅れてパキリと何かが割れた音。


 全員が生唾を飲み込む中、球体が跳ねて転がる音だけがホールに反響する。


 しばらく待っても、ホールは静寂に包まれたままだ。


 「間に合ったようだな……」

 崇はそう呟くと、こちらまで転がってきたサッカーボールの上に足を置く。

 そして、器用に空中に持ち上げれば、これまた器用に蹴り上げた。

 蹴り上げられたサッカーボールは、きれいな軌道を描きながら上方の扉の前に立つ女子の元へ向かっていき、女子はそれを胸で受けて威力を殺す。


 「助かった!」

 手をあげる崇に対し、サムズアップで返す女子。


 「そっちはどうだ?」

 「ライブハウスとカラオケボックスは討伐完了。ほかのみんなも直に来るわ」

 「そうか。ならあとはここだけか」

 「ここも今ので終わ……」

“ピロピロピロピロ”

 

 その言葉を遮るように鳴り響く電子音。

 緩みかけていた気を引き締める。


“ガシャン” “ガシャン” “ガシャン” “ガシャン” “ガシャン” “ガシャン”

 立て続けに鳴り響く音。


 「どこだ……」

 皆で客席を見渡すが、見当たらない。


 「後ろ!!」

 上方の少女が叫びながら指さしたのは……


 俺たちがいるステージの上だった。

 

 ゆっくりと後ろを振り返れば……


 そこには無数の半透明な的が乱立していた。


 「うわぁああああ!!」

 錯乱したサスケが両手の刀を振り抜く。

 しかし、半透明の的をすり抜け、ステージの床を傷つけるに終わった。

 

 「馬鹿!急いで距離とるぞ!」

 「うっ、ごめんよぉ」

 サスケを半ば引っ張りながらも、全員がステージから飛びのく。

 そして、猛ダッシュである程度の距離をとれば、的から透明度が失われる。


 「今だ!」

 その掛け声と共に、いくつものボールが飛んでいき、的を壊していく。

 袴姿の少女も客席に落ちている矢を拾っては射っているようだった。


 次第に数を減らしている的だが、徐々にステージへとその身体を沈めている。


 そして、元々の出現数が多かった上に、退去が遅れて開始が遅かったのもあり……


 「くっ…取り残し1!今度こそウツボが来るぞ!全員備えろ!」

 一つの的が透明となったステージへと完全に姿を消してしまった。


“ゴポッ……ゴポポポ……”

 まるで水泡が弾けるような不気味な音が反響する。


 「来るよ……真下!!」

 床を思い切り蹴って飛びのく。

 

 次の瞬間、目の前の床から勢いよくナニかがせり上がっててきた。


 一瞬で視界が半透明なナニかでいっぱいになる。

 

 身体が半透明な上にホール内が薄暗いために視認しづらいが……


 それは首の長い巨大なチョウチンアンコウだった。

 

 勢いよく天井付近まで上昇したチョウチンアンコウは、その巨大な口を閉じ、三又に分かれた銀色に輝く牙で照明器具をかみ砕く。


 そして、周囲に破片が降り注ぐ中、濁った大きな目でこちらを一瞥すると、頭をらせ、あごから生えた紫色の触手を鞭のようにしならせる。

 さらに、仰け反った頭を勢いよく振れば、触手の先端がこちらへ向けて襲い掛かってくる。

 襲い掛かってきたのは当然提灯ちょうちん……ではなく、銀色に輝くトライデントだ。


 作戦通り、まずは回避行動をとる一同。


 これでトライデントは床に突き刺さり、奴の動きを3秒程度止められるはずだ。

 その間に作戦は第二プランに移行……


 「涼介!」

 そんなことを考えていると、切羽詰まった崇の声が聞こえた。


 「へへ!勝負だバケモノ!」

 見れば、トライデントの着弾予想点に涼介が一人待ち構えていた。


 周囲の客席や破壊しながらホールの床に突き刺さるトライデント。

 涼介は身体を捻って紙一重でトライデントを避けており、そのまま紫色の触手を握る。

 

 「俺の勝ちってね!せーのっ!」

 掛け声と共に背負い投げの体勢で腕を振りぬけば、触手とその先についているチョウチンアンコウ本体が持ち上がり、そのまま宙を舞った。

 ホールの床に激突するチョウチンアンコウ。

 半透明な本体はそのまま床をすり抜けたものの、銀色に輝く牙の破片が宙を舞う。


 チョウチンアンコウの顔が床に横向きに伏しているが、何が起きたのか理解していないようで、死んだ魚のような目で呆けていた。


 「今だ!」

 その隙を見逃すはずもなく、実体のある触手や牙部分へ総攻撃を重ね、ボロボロと落ちていく触手や牙。

 それらが無くなると本体にも色が付き始め、攻撃が通るようになった。

 そうなってしまえばはやデカい的でしかなく、卒業証書の筒を何度か振り抜けば、直に動かなくなった。



 「へへ、どんなもんよ」

 もぎ取ったトライデントを振り回しながら、ポーズを決める涼介。


 「おい、涼介」

 「いやぁ、直前でビビッと閃いてさ。こうした方が手っ取り早いじゃんね!」

 「だが、一歩間違えれば死んでいた」

 「いやいや、あんなトロイ攻撃当たんないっての。サッカー部のエースの反射神経を舐めてもらっちゃあ困るぜ」

 「……少し掠ってるようだが?」

 崇に指摘され、頬を撫でる涼介。


 「あれま。床の破片でも掠ったかな?」

 「涼介、もっと慎重に動け。今回も初めての敵だった。掠ったら終わりの猛毒を持ってる可能性だってあったんだぞ?」

 「タカは心配性だなぁ。だいじょーぶ、だいじょーぶだって。ほら……このとおりピンピ……あれ?」

 そこまで言うと急にふらつき始める涼介。


 「涼介!」

 顔を青くした崇が涼介の元へ駆け寄る。


 「……な~んちゃって」

 だが、そこにはおどけたポーズをとる涼介が待っていた。


 「へへへ、ひっかかった?」

 「涼介……お前なぁ」

 「おっ、丁度いいタイミングで……今ので今日は終わりだってさ。それじゃっ、皆の衆、お疲れさまっした」

 涼介はスマホを確認してそう言うなり、飄々と立ち去るのだった。

 それを見送る一同。


 毎度思うが何というか……。


 「桑田は危機感が足りないよなぁ」

 いつになく真剣な表情でサスケが呟く。


 「まぁ、あの明るさに助けられてる面はあるから」

 「だけどよぉ」


 「最近は危ない場面こそあったものの、死者はおろか重傷者も出ていない。そのせいもあるだろうな」

 崇も会話に加わる。


 「うん……そうだね」

 「それ自体は歓迎すべきことなんだけどなぁ」

 「いつまでもそれが続けばいいが、ここのところ新手も多い……厳しいだろうな」

 「うん……そうだね」

 過去のことを思い出し、神妙な雰囲気になる。



 「だけど、山崎も桑田もいいよなぁ。使いやすい能力で」

 場の雰囲気を変えようとしてか、明るい声色でサスケが呟く。

 「そうか?佐々木の能力も十分使いやすいと思うが」

 「おれの燕返しアブソリュートスラッシャーには身体能力向上はないんだよぉ」

 わざとらしく大きなため息をつき、肩を落とすサスケ。


 そうなのだ。

 崇と涼介は3時3分にキャッチボールをしていた。

 

 そのため、投球に関わる能力が発現しており、プロ顔負けの投球技術を有している。

 また、動体視力や腕を中心に全身の筋力が向上した結果、身体能力も著しく上昇している。

 そのため、遠距離だけでなく剣を持って接近戦もいけるという、なんとも分かりやすくて使いやすい能力なのだ。

 俺やサスケにはそれらのボーナスはないため、ずるいと思ってしまうのも無理はない。


 ちなみにそこまで分かっているのに、能力名はいまだ未判明。

 能力は奥が深いというかなんというか。

 きっと普通なら気づけないような細かい条件が付いているのだろう。


 ちなみにどうでもいい話ではあるが、サスケの燕返しは自称である。

 こいつも分かりやすい能力してるはずなんだけどな。

 

 これだけだと単純な能力の方が未判明なことが多いように感じられるが、そうではない。

 複雑な能力の持ち主の多くは……死んでしまったのだ。


 条件が複雑ゆえか限定的にしか能力が発現していなかったり、ハマれば強いタイプの能力をもつメンバーも少し前まではそれなりにいたが、彼らは戦いの中で帰らぬ人となった。

 

 結局のところ、不意に襲われても対応できる単純な能力をもつ者が生き残る。

 ただ、それだけの話なのだ。


 

 この世界は残酷だ。

 そして、死はあまりにも身近な存在である。

 朝に食卓を囲んだ仲間が、夜には墓を囲まれているのも珍しいことではないのだ。

 

 だが、幸か不幸か涼介はアタリの能力が発現した。

 自身の攻撃はバケモノのあつい皮を易々と貫き、向上した動体視力や身体能力でバケモノの攻撃は楽々と回避できる。

 さながらスーパーマンにでもなった気分なのだろう。

 この世界に来てからもうすぐひと月が経とうとしているのにも関わらず、いまだに真剣みが感じられず、どこか遊び感覚なのはそのせいなのだと思われる。


 いや、それが悪いこととは言わない。

 だが……。


 「だけど心配だなぁ」

 「あぁ……いつか痛い目を見ることになるだろう」

 「そして、それが最期ってこともあり得るもんね」

 

 この世界は理不尽だ。

 俺たちは常識では考えられないような不思議な能力を得た。

 一般人からすれば、俺たちは十分化け物じみて見えることだろう。

 だが、それ以上にバケモノたちは化け物なのだ。

 そして、少しずつ……だが確実に、バケモノの種類や発生数は増えており、敵の配置も嫌らしくなってきているのを感じる。

 日に日に難易度が上がっているのは間違いなく、まるで何かの試練のようだ。


 

 「まぁ、涼介に関してはもう少し待ってやってくれ。あいつもあんなんだが馬鹿じゃない。きっといつか自覚をもつさ」

 「だといいんだけど……」

 「それに今日に限って言えば、涼介が無茶したのも仕方ない」

 「?」

 「いや、何でもない……忘れてくれ。ともかく今日は終わりだ。涼介じゃないが、皆お疲れ様。各自解散してくれ」

 そう言うと、ホールから立ち去る崇。

 上方にいた女子含め、何人かがそれに続いた。


 俺たちもここに留まる理由はなかったため、ケイトの家に向けて歩き始めるのだった。



 

2020年6月6日13時3分 二姫ヶ原ふたひめがはら総合病院前


 

 「そういや、ここら辺が開いているのなんか久しぶりだなぁ」

 「あぁ……言われてみればそうだな。一か月ぶりくらい?」

 「4月は頻繁に戦場になってたのになぁ。なんでだろ?」

 「あのころは世界が開くパターンが少なかったからな」

 「あ~……そっかぁ。そう考えると、パターンも増えたなぁ」

 「そうだな」

 最初の頃は世界の開く方向やパターンは限られていた。

 それが今ではどんどんとパターンを増やしており、この前などは三重駅以外が奈落という特殊バージョンすらあったわけだ。

 

 これは一体どういうことなのだろうか?

 最初は手心を加えられていた?

 一体だれが何のために?

 いや、そうではなく、この世界自体が成長している……とか?

 もしくは……。


 そこまで考えて考えるのを止める。

 こんなこと考えても仕方ないからな。


 改めて前を向き、今日の飯の話を始めれば、こちらが軽く引くくらいの食いつきを見せるサスケ。

 

 「この辺りに美味いドーナッツ屋があるんだ!貰ってこぉぜぇ」

 「あー、うん、そうだな。ケイトへのお土産にしてくか」


 「あれ?佐々木君に脇崎君」

 可愛らしい声がする方を振り向けば、階段を下りてくる三森先生と目が合った。


 「こんなところでどうしたんですか?」

 「祖父の様子を見に来たんです」

 三森先生の後ろの総合病院が目に入った。


 「そっか。ここら辺が開くの、先生が来てからは初めてですもんね」

 「はい。植物になってしまっているのは分かってはいるんですが、それでも一度は会っておきたくて……」

 そう話しながら顔を下に向ける三森先生。


 「そうだ!先生もドーナッツ食べに行きません!?美味い店があるんです」

 掌を打ち鳴らし、そう告げるサスケ。

 「そうですね、折角ですしご相伴しょうばんに預かりましょうか」

 三森先生も顔をあげて同意する。


 

2020年6月6日13時19分 Angel Ring店内



 どこはかとなくレトロで落ち着いた雰囲気の店内。

 その一角にある、見る人によってはアンティークなテーブルの上には小ぶりなドーナッツが山のように積まれていた。


 「美味いっ!美味いぞぉ!!」

 貪るように次から次へと口へ運ぶサスケ。


 「本当に美味しいですね」

 「初めて食べたけど、めちゃ美味いな。まぁ……ちょっと甘すぎる気がするけど」

 「でも小さいからそんなに気になりませんし、紅茶やコーヒーに合いそうですね」

 「なるほど……てか、よくこんな店知ってたな。なんというか意外だわ」

 

 「意外とは失礼だなぁ。この店はなぁ……」

 「……?」


 「あれ?なにで知ったんだっけなぁ?ど忘れしちまったよぉ。まっ、ともかく、この街で美味いもん食いたいならおれに任せろってねぇ」

 サスケはそう得意げに話している間も、ドーナッツに伸ばす手を休めることはなく、ドーナッツの山は、今や平らな森になっていた。

 

 「おい、そろそろ止めないと、ケイトへの土産が無くなるぞ?」

 「……今日のことは内緒ってことで」

 「アイツを前に秘密を隠し通せる自信は?」

 「……わかったよぉ」

 しぶしぶといった様子で、紙袋へドーナッツを入れ始めるサスケ。

 その表情は本当に名残惜しそうだ。

 

 「じゃっ、そろそろ行きますか」

 「今日はごちそうさまでした。本当に美味しかったですね」

 「ごちそうはしてないですけどね……無銭飲食ですし」

 「まぁ、それは……」


“カランカラン”

 そんな会話をしていると、ベルの音が鳴る。


 「あっれ?美鈴ちゃんに、佐々木にジンスケじゃん」

 驚いて入口の方を見れば、そこには扉を開ける涼介の姿があった。


 「おー、さっきぶり」

 「おぅ、さっきぶり。美鈴ちゃんは今さっきぶり」

 「?」

 「脇崎君たちと会う前に、病院で桑田君と偶然会ったんです」

 「どっか調子わるいのかぁ?」


 「いやいや、俺は元気いっぱいよ。まぁ……なんだ」

 そう言いながら、周りをキョロキョロと見渡す涼介。


 「あれ?もしかして全部食べちゃった?」

 そしてそう告げる。


 どうやらドーナッツを探していたみたいだ。

 そして、自然と目がいくのはサスケが抱える紙袋。


 「これは……おれのだぞ?」

 「いやいや、ケイトのだろ。まぁ、でもケイトへの土産は別の物を用意しようぜ」

 サスケはしぶしぶといった様子で紙袋を差し出す。

 

 「いやいや、悪いね」

 そう言いながら、紙袋を受け取る涼介。


 「でも、珍しいな。涼介って甘いもの駄目じゃなかった?」

 「あ~……俺じゃなくて妹がね」

 「妹さん?」

 「そっ、ここのドーナッツ好きだったからさ。まぁ、持っていっても食べられないんだけどね」

 どこか寂しそうな顔でそう告げる涼介。


 「まぁ、それだけじゃなくて、ここは……」

 「待って!」

 「ひっ!」

 「びっくりしたなぁ……どうしたジンスケ」

 「静かに……」


 全員を静かにさせ、耳を澄ます。

 心臓が早鐘を打ち出すのを感じる。


 ……これは間違いない。


 「上にナニかいる」

 静かな店内にその一言は厳かに響き渡った。


 

 「どういうことだよジンスケ!?」

 「さっきから上の階で物音がするんだ」

 「まさかバケモノが残って……」

 「いやいや、だって全滅させたじゃんか」

 「でも、未知のバケモノなら取りこぼしている可能性は……ある」

 百々さんの能力では、残ってるバケモノ……などのざっくりとした区分ではマーカーできず、その姿を思い浮かべる必要があるそうだ。

 そのため、見たことがない敵には対応できない。

 今のところ、未知の敵が一体だけ潜んでいるなどといった例はないのだが……今までがなかったからといって、これからもないとは言い切れないのだ。

 それにいつぞやのクラゲの例だってある。

 

 「確かめよう」

 全員で頷くと、ゆっくりと動き出す。


 「一度店から出て裏に回れば二階へ上がれる」

 ぽつりと涼介が呟く。

 「……詳しいね」

 「何度か来てるからな」


“カランカラン”

 店から出て裏へ回れば、良く言えば趣のある階段が建物に沿ってついていた。

 なるべく音を立てないように、一段一段慎重に上る。


 二階は居住区になっているようで、明らかに途中から生活臭が漂い始めた階段を登り切れば、正面には古民家風の扉が一枚。


 表札を一瞥したあと、出土品ぜんとしたドアノブに手をかける。

 

 鍵はかかっていないようで、年代物の扉は物々しい音を立てながらゆっくりと開いた。


 古色こしょく蒼然そうぜんとした床板を足で撫でるように進めば、音の発生源である部屋はもうすぐそこだ。

 チラリと見える内装から、年頃の女の子の部屋なのが伝わってくる。

 その中から聞こえてくるのは、ガサガサという物音と荒い呼吸音。


 サスケと涼介と顔を見合わせ、一度だけ頷く。

 生唾が喉を通る音が妙に響く。


 意を決し、ばっと部屋の中を覗き込めば……

 

 そこにはブレザーに顔をうずめ、大きく息を吸う隻腕の男の姿が!


 そして、それは俺たちもよく知る男。


 山崎崇だった。


 ……え?崇何やってんの?




2020年6月6日13時44分 Angel Ring2階

 


 バケモノがいると思って部屋に侵入したら、変態がいてそれは友人でした。

 ……いやはや、なんだこれは。


 「たっ……崇?」


 崇はブレザーから顔を上げると、何でもないような顔でこちらを見る。

 「なんだ。お前たちか。どうしたこんなところで?」

 いやいや、それはこちらのセリフですよ?


 「えっと……俺たちは下で食事していたら上から物音がしたから、バケモノかもと思って確認しに来たんだけど……崇はここでナニしてるの?」

 

 「想起と牢記……あとは精神の療養だな」

 澄ました顔ですかしたこと言ってるけど、やってることは女子のブレザーのニオイ嗅いでるだけだよね?

 てか、よく見たらそれウチの高校のやつじゃん!


 「この時をどれほど待ちわびたものか……この場所へ来るのを何度夢見たことか」

 色気のある低い声で囁くように告げる崇。

 なまじ顔がいいから絵になってるけど、要するに変態だよね?

 そんなにその女子のブレザーのニオイ嗅ぎたかったの?


 「あぁ……ふみ……夢でしか会えなかった君に、今ようやく会えた」

 そして、そのまま再度ブレザーに顔をうずめる崇。


 ……正直開いた口がふさがらない。


 山崎崇と言えば、頼りがいのあるリーダーで、皆をいつも引っ張ってくれる。

 気配りもできる気のいい奴。

 運動神経も抜群で、能力も相まっていつも前線で活躍している。

 皆に聞けば、そういった答えが返ってくるだろう。


 そんな崇にまさかこんな一面があったなんて。


 いや、こんな環境だ。

 皆おかしくだってなる。

 それに狭い世界で常に一緒なのだ。

 こうやって自分を解放する時間だって必要だろう。


 それに状況だけ見たせいで変態に見えてしまうが、もしかしたらあれは恋人の物かもしれない。


 崇は文句なしのイケメンで身長も高いし、学級委員やサッカー部の部長だってやっていた。そういった相手がいない方がおかしいだろう。

 そして、文香が誰かは知らないが、ウチの学校の制服ということは、きっと木人になっているのだろう。

 いや、もしかしたらケイトたちみたいに、消えているのかもしれない。

 

 ずっと会いたかった愛しい恋人。

 それが残り香ではあるが、久しぶりに会えた。

 となれば、あぁいった行動に出るのも理解……理解……


 目の前では崇がブレザーを頭から被って思い切り息を吸っており、うっすらと顔の輪郭が浮き出ている。


 「ここはいい……ここだけは君がこの世に存在していたことを肯定してくれる」


 あっ、ごめん。やっぱ無理かも。

 俺に理解するには高度すぎますわ。


 それはほかのメンバーも同じなようで、涼介はワナワナ震え、三森先生は青い顔をしながら口に両手を当てている。


 「なぁ……崇。それどういうことだよ?」

 今まで黙っていた涼介が口を開く。


 「それじゃあまるでみずしなさんがもう生きてないみたいな言い方じゃないか」

 次いで発せられたのは、少し予想外な一言だった。

 水品……たしかに表札にはそう書いてあったのをふいに思い出す。


 「……山崎君?」

 三森先生の震える口先から零れるように溢れた問いかけ。

 「……あぁ。文香は……水品文香は死んだ」


 「そっ、そんな……」

 「話がちげぇじゃねぇか!!死んだのは!ミーさんたちだけじゃなかったのかよ!!」

 

 「騙して済まない」

 その一言を聞いた瞬間、涼介が崇へ詰め寄り、胸倉を掴んで軽々と持ち上げた。

 額には青筋が浮かび、顔は真っ赤になっている。


 「何で!何で黙ってたんだよ!!」

 「お前には文香の死を知ってほしくなかった。これまでずっと傍で見てきたからな」

 「なんだよソレ……てっきり俺みたいに消えているだけで……バケモノを倒していけばいつか会えるってずっと思ってて……なのによ……こんなのあんまりじゃねぇか!」

 力なく腕を下げる涼介。

 必然的に崇は布団の上に落とされ、不安になるような音を立てて床を弛ませる。


 その傍ではハンカチを目に当ててむせび泣く三森先生。

 その泣き声だけが、四畳半一間に響き渡る。


 なんだかすごいシリアスな場面だ。

 なまじ三人とも顔がいいから、まるでドラマや映画のワンシーンのように感じる。


 うん……でも、なんていうかな。


 「なぁ、水品文香ってだれ?」

 俺の脇を小突きながら、ぽつりと呟くサスケ。


 瞬間、空気が凍り付くのを感じる。



 「佐々木君……こんな時に何を言ってるんですか?冗談で言っていいことと悪いことがあるでしょう?」

 震えながらそう話す三森先生と、すごい形相で睨む涼介。

 

 「えっ……あれ?おれ変なこと言ったかぁ?」

 慌てふためくサスケ。

 眉を八の字に下げ、こちらへ助けを求めてくる。


 たしかに今の発言は少々無神経というか、空気を読めていないだろう。

 だが、俺もずっと思っていた。


 水品文香って誰だ?

 三人の知り合いでうちの生徒ということは……後輩とか?


 ともかくこちらの知らない人の話なので、疎外感や部外者感が強く、どことなく気まずかったのだ。


 「俺も知らないけどきっと後輩か何かだよ、察しろよ馬鹿」

 サスケの脇を小突き返す。


 だが、再度空気が凍り付くのを感じる。


 「脇崎君まで何を言ってるんですか!?クラスメイトでしょう!!」

 「へ……?誰が?」

 「だから!水品さんは3組のクラスメイトじゃあないですか!!」


 放たれたのは予想外の一言だった。

 水品さんが……クラスメイト?


 わけがわからない。

 サスケの方を見ても、同じような顔をしていた。


 それもそのはずだ。

 そんな少女は、俺の記憶には存在しないのだから。


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