第16話 落とし穴

               17


 魔物の背の跳躍を続けながら階段をうまく下り地下五階へ降りた。


 魔物の暴走は、ひっきりなしに続いている。


 途中、何度も通路の交差点を通過したが、どちらの道も魔物でいっぱいになっていた。


 別方向から来た魔物の群れ同士が激突し、ぶつかり合いが起きている。


 どちらの群れも道を譲らず、お互いに進路を邪魔する相手を押し退けようとしているところに後続が次々と突っ込んできて潰れ合っていた。


 暴走ではなく押し合いになっている。


 俺にとっては、むしろ、そのほうが動きやすい。


 踏んでも潰れそうにない大きめの魔物の背中から背中へ跳躍していく。


 ああ・・に案内された地下六階へ降りる階段を塞いだ壁がある少し開けた場所へ到達した。


 地下六階へ降りる階段を塞ぐ扉はおろか、扉があった閉鎖のための壁そのものが外れてなくなっていた。


 ああ・・の姿はない。


 外れた壁は、その場に倒れ、魔物に踏まれて魔物の足元で粉々に砕けていた。


 ああ・・も同様に潰されて挽肉になったのか?


 俺は、くん、と、匂いを嗅いだ。


 まったく色っぽい話はなかったが一晩を共に過ごした、ああ・・の匂いは、よく覚えている。


 足元の破片の中に匂いはなかった。


 さらに奥。


 地下六階へ降りる階段の前を通過した先の方向に俺は、ああ・・の匂いを嗅ぎつけた。


 地下六階から階段を上って来た魔物の群れは扉を突き破って地下五階に出ると左右に分かれたのであろう。


 すんなり地上への道を見つけた群れもあれば地下五階を遠回りする羽目になった群れもある。


 正解の道を見つけられた群れは先へ進めたが、はずれの道を進んだ群れは行き場を失い地下五階の通路という通路に充満した。


 地下六階へ降りる階段前を通り過ぎた先は、まさしくそのような、はずれ通路だ。


 前にも後ろにも進めなくなった魔物の群れが押し合いへし合い互いに相手の上を乗り越えようとして、もがいていた。


 俺は魔物の背中の上を駆け抜けた。


 前方からする、ああ・・の匂いは新鮮だった。


 死んだ肉の匂いではない。


 生きて動いている発汗を伴った匂いである。


 俺は前方に、ああ・・を見つけた。


 ああ・・は壁に張り付いていた。


 ああ・・はダンジョンの構造について熟知している。


 地下四階には地下五階へ落ちる落とし穴の罠があった。


 地下三階には地下四階へ落ちる落とし穴の罠があった。


 恐ろしいことに落とし穴の位置は真上から見て同じ場所だ。


 要するに地下三階の落とし穴に落ちると地下四階でとどまらずに地下五階まで落ちてしまうのだ。


 ダンジョンで二階層分の違いは致命的だ。


 今でこそ休ダンジョンであり観光ダンジョンと化しているこのダンジョンだが、活ダンジョン時代であれば地下三階相当の実力しかない探索者パーティーが、万一、二階下の階層に足を踏み入れた場合は、よほどの幸運が続かない限り生きては戻れないだろう。


 だが、落とし穴で二階層も落ちている時点で、そのパーティーは幸運に見放されている。


 そもそも床板と梁の厚みで階層と階層を隔てる家とは違いダンジョンの場合は階層と階層を隔てる床面の厚さが、計り知れない。


 二階層分の高さを垂直に落ちれば、それだけで大抵は死ぬに違いない。


 ああ・・が張り付いているのは、まさしく、その落とし穴がある場所の壁面だった。


 地下四階から地下五階へ落ちる落とし穴の壁面。


 見上げれば通路同様に五メートル四方の広さを持つ四角い穴が二階層分を突き抜けて頭上に開いている。どこかのエントランスホールのようだ。


 地下四階の床は厚さ十メートルはありそうだ。


 ああ・・は地下五階の天井よりは高く地下四階の床の中に入り込んでいる位置に壁のブロックの僅かなとっかかりに爪をかけて張り付いていた。


 鬼人族オーガは猫のように自由に爪を出し入れできる。


 地下四階も地下三階も落とし穴は開いたままである。


 休ダンジョンであるため再生は、ほぼ行われない。


 それぞれ落とし穴の手前には周囲に人が落ちないための柵が設けられ『危険なダンジョンの落とし穴の罠』について説明書きの看板が立てられていた。


 ああ・・の案内により上の階で俺もその看板を読んでいる。


 一度作動した落とし穴の仕掛けが活ダンジョンでどのように再生されているのかはわかっていない。


 落とし穴に限らず人が見ていない間にいつの間にか再生されて罠が仕掛けなおされているというのが通常のダンジョンで起きている現象だ。


 やはり仮称ダンジョンマスターと呼ぶべき存在がダンジョン全体に目を配っていると考えるのが妥当だった。


 壁や天井を歩ける魔物が床から壁面を伝って壁に張り付く、ああ・・の体の上をも走って落とし穴を逆行するように上の階へ登っていた。


 魔物に、ああ・・を食ったり殺したりするつもりはなさそうだ。


 進路を邪魔すれば衝突も辞さないが、ただいるだけならば乗り越えるだけである。


 スタンピード中の魔物にとって、ああ・・や俺の存在は、ただ、いる。もしくは、ただ、ある、といったものなのだろう。石ころと同じだ。


 幸い、壁に張り付いているため、ああ・・に潰される心配はない。


 身軽な魔物が、ああ・・そのものが壁であるかのように上っていくだけだった。


 逆に上の階からは壁や天井を歩けず羽もない魔物たちが次から次へと落下してきては地下五階の床を埋め尽くす魔物にぶつかって、お互いに潰れていた。


 どちらも致命傷だ。


 ああ・・は地下四階の床が鼠返しの様にわずかにせり出した場所の下にうまく隠れ、落下してくる魔物に当たらないように堪えていた。


 恐らく、ああ・・は扉か壁が壊れる寸前まで魔物の圧力に耐え抜き、限界を迎えた瞬間に通路を駆け進んでスタンピードに踏まれる心配のない現在の場所の壁に張り付いたのだ。


 扉を抑えながら、どうすれば助かるか考え続けていたのだろう。


ああ・・!」


 俺は叫び声を上げると魔物の背中の上を駆け抜け、ああ・・がいる壁面に向かって跳躍した。


 勢いをつけて壁を一蹴りして、さらに上に跳ぶ。


 ああ・・の目線の高さまで俺は至った。


 跳びつつ、俺は腰の左右から短剣を抜いている。


 短剣の刃を床に対して平行になるような向きに握るとダンジョンを構成する石材のブロックとブロックの継ぎ目に突き刺した。


 左右の刃は抵抗もなく石壁の隙間に突き刺さった。


 刃はミスリルでできている。


 さすがにブロックのど真ん中に刺すのは厳しいが隙間部分であれば少しぐらいブロックを欠き削って入り込むだけの鋭さと強さがある。短剣はそれだけの業物わざものだ。


「掴まれ」


 俺は今にも落ちそうな、ああ・・に壁に刺した一方の短剣の柄を握らせた。


 爪をひっかけるのではなく柄を握れるようになったことで、ああ・・は一息付けたようだ。


 もう一方の短剣の柄は俺が持っている。


「ポチ! どうして、こっただ危ないとこへ来ただ!」


 ああ・・は俺を叱りつけた。


「もちろん、ご主人様をお迎えに、だ」


 俺は、ああ・・に笑いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る