第15話 逆行

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 俺は一メートル程の隙間を残して、まだ完全には締め切られていない閉鎖扉の隙間からダンジョンを覗き込んだ。


 岩盤を貫くようにできた穴の中に地上から地下一階へ降りる階段が続いていた。


 地下を覗き込むと階段とその先の通路が見えたが魔物の姿は、まったくなかった。


 壁のところどころにカンテラが吊るされダンジョン内は明るく照らしだされている。


 そのため奥まで見通せた。


 周辺に観光客は既におらず完全閉鎖した後、蓋の上に重りとして載せるための多数の石材ブロックをギルドの職員たちが台車で近くまで次々と運んでいる。


 ただ、ツアー客であった二人の新米探索者だけは扉の脇の地面に倒れて荒い息をしていた。ここまで休みなく全力で駆けてきたのであろう。案内人は、さらにギルド受付まで駆けたのだ。


ああ・・は?」


 俺は隙間から地下の様子を覗き込んでいる職員の一人に問いかけた。


「まだだ」


 一応、ああ・・の帰還を待つために、わずかながら閉鎖扉を締め切らずにいるようだ。


 だが、もし、ああ・・が地下六階から魔物に追われて逃げてくるのだとしたら、ここまで辿り着くことはできないだろう。


 魔物のほうが、ああ・・よりも遥かに足が速い。


 逃げてもすぐに追いつかれてしまうのに決まっていた。


 引き倒されて踏み潰される結果が待っているだけだ。


 そのうち、ああ・・を追い越した魔物が地上を目指して、ここへやってくるはずだ。


 まだ、ここまで魔物が溢れてきていないという事実は、ああ・・が思ったより長く魔物を足止めできている、もしくは、できていた・・・・・ということだ。


 頑張って扉を押さえているのだろう。


 それとも、地下深くでは、もう魔物が溢れたか?


 もう手遅れかも知れなかったが、いずれにしても、ああ・・を助けるためには行くしかなかった。


 運が良ければどこかに籠城して、まだ魔物に倒されていないかもしれない。


 ああ・・の見た目は頑丈そうだ。


「降りる」


 俺は俺の背後に、ようやく追いついてきたギルドマスターに断言した。


 言うや、俺は扉の隙間からダンジョン内に入り込んだ。


「「待て」」と、ギルドマスターと扉の中を覗き込んでいたギルド職員は俺を止めた。


「すぐ、ここを閉鎖しろ」


 振り返らずに俺は言った。


 俺は階段を駆け下りた。


 そのまま、止まらずに走りつづける。


 前方は昼間見た通路のままだ。スタンピードどころか誰もいないので閑散としていた。


 俺は自分の荷物をすべて肌身離さず持っていた。


 小さなリュックサック一つと、腰の左右に短剣。


 それだけあれば、どこでも当面は何とかなる。


 もともと身軽が信条だ。


 俺は、ああ・・に案内された道のりを思い出した。


 一通りダンジョン内を歩いたため地下五階へも足を踏み入れている。


「この向こうが地下六階への階段だ。でも、降りるのは禁止されてるだ」


 ああ・・は、そう言って、閉鎖された通路と鍵のかかった扉も見せてくれていた。


 そこまでの道順は、はっきり覚えている。


 壁と通路には道案内の矢印表示も書かれていた。


 俺は迷わず通路を駆けた。


 地下二階。


 まだ、魔物は出てこなかった。


 地下三階。


 まだだ。


 地下四階。


 まだ。


 ただ、明るく照らされているだけの通路前方には誰もいないが奥から何かに押し出されるように、むっとした熱気にも似た濃密な空気が流れてきた。


 地面が小刻みに揺れている。


 スタンピードが誤報であればと思っていたが、どうもその願いは叶わないらしい。


 うわぁん、という、さながら壁に跳ね返る超音波のような音が通路の中を満たして前方から俺にぶつかり背後に抜けていく。


 キシキシ。


 ガチャガチャ。


 カシャカシャ。


 ドドドド。


 ハアハア。


 ワンワン。


 バタバタ。


 ダンダン。


 一つ一つに分解すると、そのような細かい音が集まり大きな一つの、うわぁん、になって前からぶつかってくる。


 魔物が出す音だ。


 一匹一匹の魔物が出す音が集まり巨大な音の集団となって本体の群れより早く俺に至った。


 ぎちぎち。


 がたがた。


 どすどす。


 ごそごそ。


 きーきー。


 こりこり。


 ぱたぱた。


 うわぁん、だ。


 直後、前方遥か先の通路に黒点が見えた。


 黒点は瞬く間に犇めく魔物の集団へと姿を変えた。


 幅五メートル、高さ五メートル程の通路の床の幅一杯に隙間なく魔物が並んで我先にこちらへ駆けてくる。


 爪をひっかけて、どこにでもつかまることができる魔物は壁と天井も走っていた。


 羽のある魔物が床を走る魔物の上の空間を飛んでいる。


 圧倒的な暴力の塊。


 先頭を走る魔物が転んだり遅れると後続を走る魔物が踏み、潰し、乗り越え、まったく何もなかったかのように、迫ってくる。


 おそらく足にぶつかった石ころを蹴飛ばしたほどにすら気にしていない。


 同様に走ってくる魔物の目に俺は獲物として映ってはいなかった。


 進路に落ちている石ころと同じような存在だ。


 狙って襲い掛かっては来ない。


 ぶつかれば蹴散らして進むだけである。


 魔物は、なぜか恐慌をきたしており一心不乱に地上を目指しているだけだ。


 獲物を求めているわけではない。


 他の場所のスタンピードでも確認された現象だ。


 ただ、ひたすらに前へ前へと進んでいた。


 もし、目の前が崖にでもなっていれば、飛べない魔物は全員そのままダイブしてしまうのに違いない。


 進路から避けてさえいれば、いつか魔物は通り過ぎるはずだ。


 ただし、時間差で洞内のあらゆる通路に魔物が満ち溢れるはずなので横道に逸れたところで意味はない。そちらからも別の魔物の群れがやってくる。


 俺は向かってくる魔物の群れに対して逃げるのではなく向かっていく速度を一層早めた。


 魔物が並んで走っているため通路の床に隙間は、まったくない。


 空中の真ん中は飛行する魔物の密集地帯。


 壁と天井付近は、そこそこだった。


 僅かな隙間があるとするならば左右の壁と天井がぶつかりあう角付近だ。


 とはいえ、そこも飛翔する魔物で見え隠れしている。


「ゆら」


 俺は前方左上の角付近に、ゆらを放った。


 一瞬だけ空間にマッチの先のような大きさの火が点いて消えた。


 乱舞する空中の魔物の凄いところは、どれほど数が多くいたところで決してぶつかり合わない点である。


 お互いが咄嗟に躱しあって交差する軌道であってもぶつかり合わない。


 目の前にゆら・・の火がともった瞬間、奥からその角の隙間を抜けようと飛んできた魔物は火に突っ込まないよう咄嗟に躱して角を避けた。


 角は、そのため隙間のままだ。


 魔物に向かって走りながら俺は跳んだ。


 前方から四つ足で駆けて突っ込んでくる狒々羆ひひひぐまに向かって跳び、狒々羆の背を蹴り、次いでその後ろにいた別の狒々羆の背を蹴り、同時進行で左壁と天井のぶつかる角付近に、次々とゆら・・の火をともしながら空中の魔物の進路を牽制してどかし、角付近の隙間を維持しつつ、俺が踏んでも潰れなそうな魔物の背を蹴って、ひたすらに角の隙間を抜けて魔物の激流を逆行していく。


 落ちたら終わりだ。


 瞬く間に魔物の群れに踏み潰されて、ぐちゃぐちゃな肉の細切れにされるだろう。


 俺は親父仕込みの忍者の身のこなしを駆使してスタンピードをさかのぼった。

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