金平糖の思い出
今日、楓は朝から温熱療法とマッサージの患者の相手で大忙しだった。俺の方はというと、怪我や病気の患者は普段より少なくて落ち着いていた。むしろ俺が楓の手伝いをしなくてはいけないくらいだった。
そこに、狸の親子がやってきた。
「診察かい?えっと診てほしいのはお母さんのほう…じゃなくて子どもちゃんのほうか?」
ゴンが半妖の姿の狸親子を診察室に案内してきた。親子の姿を見て、ゴンが母親か子どもかどちらの診察か迷ったのが分かった。
入って来たのは、元気のいい子狸がふたりと、あざだらけの母親、そしてぐったりして母親に抱えられた子どもがひとりだった。
「えっとまず、はおチビちゃんの診察をしましょうか」
「お願げえします。気づいたらこの子、体中赤いぶつぶつみたいなんが出来てて、体も熱いし、おらどうしたらええか分かんねくて、とにかく急いで連れてきたんだ。先生この子はどうしちまったんだ」
母狸はすっかり気が動転してしまっているようだ。ただ、子狸をぱっと見た感じでは呪術や幻術など良からぬ術に侵されている感じはしない。
「お母さん、慌てなくても大丈夫。まずは最近この子が慣れない場所に行ったり、ひとにあったりしたか教えてくれるかな」
「最近?おらたちはそんな遠くに行ったりすることはできねえから、家の近所くらいしか行ってねえ」
「そしたら、珍しいものに会ったり、新しいものを買ったりしたことは?」
「ええと、なんかあったっけか。すまねえ先生、おら記憶力があんまよくねえから、すぐ忘れちまうんだ」
「慌てなくていい。ゆっくり思い出してみて。そうだな可能性がするとすれば、強い妖気に触れるようなことはなかった?」
「そんなことあったっけか。うーんわからねえ」
母親が困っている様子を見て、末っ子と思われる子が口を開いた。
「おいら、木霊さんに会った」
「ほう、木霊さんと一緒に何かしたのかな?」
「木霊さんから木の汁をもらった」
「それだな。たぶんその木の汁は『精霊の木』の樹液だ。お母さん、この子はその『樹液』にまけたんですよ。幼いあやかしに『精霊の木』の妖気は強すぎるから、その妖気に当てられてしまったんです」
「先生それは治るだか?」
「大丈夫、樹木の妖気を吸い取る『脱気薬』を渡しますからそれを三日も飲めば赤いぶつぶつもひいて楽になりますよ」
「ありがとう先生。あぁよかった、ほっとしただ」
「じゃ次はお母さんのほうも診ておこうか、ひどいあざだなあ」
母狸の顔や腕には、少し時間が経ったと思われる打撲痕が見える場所だけで数個所あった。
「お、おらはええだ。別に痛くねえんだ。だから大丈夫だ」
「いやでも打ち身ならこの貼り薬を…」
「そんな大げさな事せんでええ。こんなん慣れとるけ」
「そうか…そう言うなら無理にとは言わないけど。じゃあおチビちゃんの薬を用意するから待合で待ってて」
狸の親子は診察室から出て行った。そしてしばらくして今度はゴンが診察室に入って来た。
「どうしたんだ、ゴン」
「さっきの狸の母ちゃんさ、お金払えないって言うんだよ。どうしようか」
「なんでだ?」
「お金無いんだって。忘れてきたとかじゃなくて、家にも無いみたいなんだよ」
「うーん、とりあえずもう一回こっち通してくれるか」
ゴンは分かったと言って先ほどの狸親子を診察室に連れてきた。
「先生すまねえ。この子が死んじまうんじゃないかと思って、それでなにも考えねえでここに来ちまったんだ。けど今ちょっと金がねくて、それで…」
「わかった。とりあえず今日はお代はいいから。ただ無料というわけにもいかないんだ。だから今日の診察代はつけにしておくよ。でも返すのはいつでもいい。またお金ができたときでいいから」
「ありがてえ。金ができたら必ず一番にここに持ってる来るだ」
「でも一応どうしてそんなにお金がないのか理由を聞いてもいいかな」
「その、おいら最近旦那と別れたところで。でもおいら字も読めねえし頭のほうもさっぱりだもんで、あんまり働けるところがねえんだ」
「元旦那さんには頼めない?」
「そんなこと頼んだら何されるか分からねえ。やっと別れたんだ」
「もしかしてそのあざは…」
「これはおらが悪かったんだ。馬鹿だから言われたことがちゃんとできねくて。でもこの前この子らにも術をかけようとしたもんだから、おら怒ってこの子ら連れて逃げたんだ」
「お母さん、これはお代いらないから、とりあえず持って帰ってあざになってるところに貼りなさい。痛みが和らぐから。それで、子どもちゃんの診察代はさっき言った通りつけにしておくよ。だからまたそのついでに様子を見せに来て。お金がなかったらちょっとずつでも、いつになってもいいから」
「すまねえだ先生。必ず、必ず持ってくるけえ」
狸の親子は、痛み止めの貼り薬と『脱気薬』を受け取り何度もお辞儀をして帰っていった。
ゴンは母狸から名前と住所を聞いて、帳面につけの記録を残しておいた。
その日は、そのあとも俺の診察のほうは割と暇だったので時々楓の温熱療法とマッサージを手伝い、一日の仕事を終えて三人で家に帰って来た。
俺は夕餉の皿を炬燵に運びながら今日やってきた狸の親子の話しを楓に教えてやった。
「まあまた来てくれたらいいんだけどな。あのまま放っておくのも心配だし」
「そんなの払えるわけないじゃん!無理だよ。ひとりで三人も子ども抱えてさ。つけなんかにしたって絶対払えないよ!」
楓は急に怒り出した。
「いやでも別にいつでも良いって言ってあるし、少しずつでも」
「少しずつとかそういう問題じゃないんだって。食べていくのもままならないのにお金に余裕ができることなんてないに決まってるじゃん。なんでそんなこと分からないのよ。前に偉そうな鎌鼬がお金払わなかったときは瑞穂そのままにしたじゃん。なのになんで今回はつけにしたの」
「いやだからそれは…」
「もういい私ちょっと行ってくる」
「は?今から?もう夜だぞ。夜はあやかしたちもたくさんウロつくから危ない…」
ばたん。楓は俺の言葉を最後まで聞くこともせず診療所に続く通路に姿を消した。
「あーあ。なんだよ楓のやつあんなにプリプリして。つけなんてさ、口実なのにな。なんで分かんないんだよ」
ゴンはぐーんと伸びをしてそのまま後ろに倒れ込んだ。
「ゴン、着いていってやってくれ」
「えー?やだよ瑞穂が行けばいいじゃん」
「俺が行ったって役に立たないだろ」
「じゃあ鰹節一本と引き換えな。しかも海坊主の鰹節」
「分かった。だから楓がまたな何かに巻き込まれる前に早く行ってくれ」
ゴンは「よっこらしょ」と起き上がって、しぶしぶ楓の後を追っていった。
その後、二人はなかなか帰ってこなかった。俺も探しに行った方がいいかと思い始めたころ、診療所の方から二人が帰って来た音が聞こえた。
帰ってきたあとも楓はまだ不機嫌で、飯を食い終わると珍しくすぐに自分の部屋(物置)に引きこもってそのまま寝てしまったようだった。
「外で何があったんだ」
俺は楓が部屋(物置)に行ってからゴンに聞いた。
「今日診察に来た狸の親子のところに行って、なんかずっと狸の母ちゃんの話しを聞いてた」
「それだけか」
「うんそれだけ。なんで楓があんなに怒るのか俺はさっぱりだ」
「俺もよく分からん。たしかにあの親子のことはかわいそうだが…」
次の日、朝起きると楓はいつも通りの調子で、いつまでもゴロゴロしているゴンを自作の目覚まし歌で叩き起こしていた。ただ、診察が終わると毎日どこかに出かけるようになった。その度にゴンは用心棒として付き合わされていた。
「ねえ次の金曜日は、私ちょっと出かけてくる」
「じゃまた俺もついてくか?」
「いいよ、金曜日はひとりで大丈夫」
普段どちらかというとゴンを無理やり連れて行く側の楓が、珍しくゴンの同行を断った。
「ついて行ってもらえよ。またなんか巻き込まれたら大変だろ」
「いいよ慣れてる場所だから」
「どこに行くんだよ」
「お墓参り。お母さんの」
俺もゴンも予想していなかった返答に一瞬返す言葉を失った。
「…お前の母ちゃん死んじゃったのか」
「うん八歳のときにね。それからおばあちゃんとおじいちゃんの家で暮らしてたの。お母さんのお墓は何度も行ってるところだし心配してくれなくても大丈夫だよ」
そう言う楓の声はいつもと変わらない調子だったが、気のせいかいつもより元気がないような気がした。そんな雰囲気をゴンも感じたのだろうか、俺と楓の肩をぽんと叩いて威勢よく言った。
「したら、みんなで行こうぜ。次の金曜は診療所も休みだしさ」
翌週の金曜日、三人そろって楓の母親の墓参りに出かけた。その日は雲一つない快晴で、真冬だと言うのに日差しが当たるところはポカポカと暖かかった。
楓の母親の墓は見晴らしの良い小高い丘の上にあった。墓地まで続くなだらかな坂には、常緑樹が葉を広げていて、その木漏れ日が墓地へと向かう俺たちを優しく照らしていた。
「お母さんね、ひとりで私のこと育ててくれたの。最初はね、ただの風邪だったんだ。でも大丈夫だって言って全然休まないで無理したせいでね、肺炎をこじらせてそのまま死んじゃったの」
楓は墓地に向かう道すがら、母親のことを話し始めた。
「めちゃめちゃ元気なひとだったから、まさか風邪なんかで死んじゃうとは思ってなかったよ。でも悪くなったと思った時には身体がぼろぼろになってて、手遅れだった。そのあとは田舎のおじいちゃんおばあちゃんのところに行って高校卒業するまで一緒に暮らしてたの。お母さんが死んじゃったからか、二人ともすごい心配性で、家から出るの大変だったんだよね」
「楓もいろいろ苦労してたんだな。俺はもともと親いないけど師匠がいたからなあ。瑞穂は親や兄弟はいるのか?」
「分からん。俺は『河童』になる前の記憶がないんだ。ある日気づいたら『河童』になってたから」
坂を登りきると、墓地の隣にある小さな公園が目に入った。誰も居ないその公園では、地球儀のような遊具が風に吹かれひとりでにくるくると回っていた。
墓地に入ると、楓の母親の墓の前にはすでに先客が来ていた。
「ばっちゃん、じっちゃん…」
「楓か?」
先に墓参りに来ていたのは、楓の祖父母だった。
「あんた全然帰ってこんと、どないしとったん!どんだけ心配しとったか!」
「手紙出したでしょ。今は診療所で働いてるって」
「せやかて大学卒業してから一度も顔見せんと。心配しとったんよ。あら、あちらの方々は?」
「あの人たちは職場の上司と同僚だよ。お母さんの墓参りに行くって言ったら一緒に来てくれたの」
「なんてことや、わざわざ墓参りに?ご親切にすまんことで。けど、えらい古風な服装してるんやねえ。あんたも着物なんか着て珍しい」
「いやこれはその、最近流行ってるのよ。着物着て写真をインスタにあげるの。アニメのコスプレよ」
「そうか若い子らのすることはよう分からんけど。いつも楓がお世話になっとります。こんな所までわざわざご側路頂いて、ほんまにこの子はご迷惑かけてすみません」
楓の祖母は深々とお辞儀をした。祖父は状況がよく分かっていないのかぼーっとしている。
「すみませんねえ。この人耳が遠いのと、ちょっとボケてきてるんですわ。ほらお爺さん!楓の、職場の、ひと、来てくれたん、やて!」
「ああ?どうも、どうも」
楓の祖父は照れ笑いをしながらペコっとお辞儀をした。
「なあ、なんであの爺さんと婆さん、俺たちのことが見えるんだよ」
ゴンが小声で俺に言った。
「見える家系なんだろ。それに楓が側にいるから影響を受けているのかもしれん」
楓は極わずかだが妖力を持っている。その楓の近くにいることで、祖父母も一時的に神様やあやかしが見えるようになっている可能性はあった。
「楓は何か粗相をしたりしてませんか。この子は真っすぐなええ子なんですけど、どうにも危なっかしいところがあるでしょう。そや、これ持って帰ってください。まさかこんなところで楓の職場の方にお会いするとは思ってなかったから、こんなものしかないですけど」
そう言って楓の祖母は、手提げ袋の中から饅頭や干菓子を取り出した。
「いやこれは、お供えのために持ってこられたんでしょう。そんな物いただけません」
俺は楓の祖母の手を押し返した。
「そんな遠慮せんとってください。お供えしても、言うたらどうせ腐るだけですし。夏子もきっとその方が喜びます。なあ夏子ええよなあ、あんたに持ってきた菓子、楓の職場の方にあげても!・・・ああほら、夏子もええて言うてますわ。せやからどうぞお納めください」
ゴンが俺の影に隠れて必死に笑いを押し殺しているのが分かった。なんだろう。楓が錬成された理由が分かった気がする。
「瑞穂受け取って。おばあちゃん、決めたら絶対引き下がらないから」
俺は半ば無理やり、楓の祖母から両手いっぱいの菓子を受け取った。
「そしたら私らはこの辺で失礼します。今日はこれからこの人の病院に行かないといけないんですよ。楓、あんたまた今度一回うちに帰って来なさい」
「うん分かったまた帰るから」
「ちゃんとご飯食べるんよ。食はいろんなことの基本やからね」
「分かったって。早くいかないと病院遅れるよ」
楓の祖父母は慌ただしく帰っていった。
二人が帰って辺りが静かになると、楓は持ってきた小さな小袋を取り出して、その中に入っていた金平糖を母親の墓に供えた。白と桃色と黄色の可愛らしい金平糖だった。
「お母さん、留守番のときにはいつも金平糖をくれたの」
どうして留守番のときの思い出の品を?と聞きかけて、俺はその言葉を飲み込んだ。墓に供えられた金平糖は、今日の暖かな日差しを浴びてまるで宝石のように輝いていた。
楓は金平糖を供えた後、母親の墓の前でおもむろに手を合わせた。俺とゴンも楓の隣で一緒に祈りをささげる。
「ふふふ。神様に手を合わせてもらえるなんて、なんか贅沢だね」
「まあ俺には大したご利益はないけどな」
「それでもきっと楓の母ちゃん喜んでるよ」
後日、以前診察にやってきたあの狸の親子がやってきた。診察時間外だったので楓とゴンは買い出しに出ていた。
「先生、遅くなってすまねえ。やっと金ができたから、この前のお代持ってきただ」
母狸は、巾着から金を取り出して俺に差し出した。
「大丈夫なのか?無理しなくても、少しずつでもいいんだぞ」
「大丈夫だ。ここの親切な『河童』さんが、いろいろ苦労しておらの働き口を探してくれたんだ。おら今そこで子どもらと一緒に住み込みで働かせてもらってるんだ」
この母狸の話しによると、どうやら楓はここ最近、母狸が働けるところを探しまわっていたらしい。そして、『付喪神』の里ノ重の親戚が旅館をやっているというのを聞きつけ、その旅館まで行ってこの狸親子が住み込みで働かせてもらえるよう直談判したのだそうだ。楓が最近出かけていたのは知っていたが、まさかそんなことをしていたなんて俺は知らなかった。
「なんてお礼を言ったらいいか分からねえ」
母狸はそう言って、ぼろぼろ涙をこぼした。
「またここに顔を見せに来てくれよ。そしたら楓も喜ぶから」
母狸はうなずいて着物の袖で涙を拭った。
俺は診療所の外まで狸の親子を見送ってやった。以前『精霊の木』の樹液にまけた子もすっかり元気になって跳ね回っている。
親子を見送った後、診療所の扉を開けて中に戻ろうとしたとき、扉の横に置いてあった植木鉢に目が留まった。その植木鉢には冬だというのに、きゅうりが可愛らしい黄色い花をつけていた。
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