風邪をひいたときは…
新年初めの診察は予想通り忙しかった。年末年始に休んでいた分の患者が、一斉に押しかけてきたのだ。
そんなときに限って、楓は風邪をひいて家で寝込んでいる。ゴンが楓の代わりに患者の誘導なんかもやってくれているが、さすがに診察の介助までは手が回らない。楓がいないと、こんなにも診察が大変だったのだということを俺は痛感した。
「今日も、河童ちゃんの温熱療法と身体のほぐしを、お願いしたいんです」
楓のマッサージを目的にしてきた患者も多く、その患者たちには事情を説明して後日改めてきてもらうしかなかった。
「馬鹿も風邪ひくんだな」
ゴンが昼ごはんの握り飯を、ほおばりながら言った。
「そうだなぁ。俺もさすがに人間の患者は診れないし、うちで摂れた作物を食わしてやるくらいしかできないな」
俺が作った作物には、わずかだが『滋養』のご利益がある。それを食べて、あとはなんとか自前の免疫力で頑張ってもらうしかない。
楓なしで、なんとか無事すべての診察を終えて家に帰ってくると、俺はまず楓の部屋(物置)に寄った。
「楓、大丈夫か?ちょっとはましになったか」
「ごほごほ」
楓はまだ熱に浮かされているようで、ぼーっとした顔をしている。
「なにか食いたいもの、あるか?」
「りんごがだべだい」
俺が台所でりんごの皮を剥いていると、ゴンが心配そうな顔でやってきて言った。
「人間の医者に診せたほうがいいんじゃないか?」
「そうしたいのは山々だが、人間の通貨を持ってないからなぁ」
「実家に一度返してやるとか。楓にも家族はいるんだろ?」
「そうだな。それもありかもしれん」
俺はすりおろしたりんごを楓の部屋(物置)に持っていった。
「ありがどう。びずぽ」
楓はひどい鼻声で、ほとんど何を言っているのか聞き取れなかった。
「おまえ、一回実家に帰って医者に診てもらうか?」
俺はゴンの提案を楓に伝えてみた。
「だめだめ。そんなごとしだら、二度とだじでもらえなくだる」
「なんでだよ。体調悪い時くらい、実家に帰ることだってあるだろ」
「おばあじゃん心配症だがら」
断固として楓は実家には戻りたくないようだった。
数日は、楓なしで診療所の仕事をなんとかこなし、夜は初詣に来た参拝客のお願いごとに目を通す日々が続いた。
参拝客のお願い事と言っても、たいていのお願い事は見当違いのもの、例えばお金持ちにしてくださいとか、彼氏ができますようにとか、俺にはどうすることもできないものが多く、俺が手伝ってやれるお願い事は数えるほどしかなかった。それでも一応すべてのお願い事に目を通したかった。
そして楓が寝込んでからの数日は、さすがにゴンも普段より家事を手伝ってくれた。
「ほらこれ、妖力の高い土魚の卵だよ。これで楓に雑炊を作ってやろう。昔、俺が体調崩したとき、師匠がよく作ってくれたんだ」
人間の楓に妖力の高い食べ物が効くのかは分からないが、俺は何も言わずにゴンのやりたいようにやらせてやることにした。
ゴンは大根や人参、葱を適当な大きさに切って鍋に放り込んでいく。土魚は魚とついているが、魚ではなく桔梗に似た植物である。
大きいものでは俺の身長を超えるものもあった。そして土魚の卵は一つの花から一個しかとれない。卵は蹴鞠ほどの大きさがあって、鶏の卵のようにかたい殻に覆われており、その殻を割ると、朱色のとろっとした液体が出てくるのだ。
ゴンは米と野菜がぐつぐつと煮えている鍋の中に、土魚の卵をかきたま状になるように注いだ。
「師匠は、料理はあんまり上手くないんだけどさ、寝込んだ時に作ってくれるこれだけは、美味しかったんだよな」
そう言いながらゴンは出来上がった雑炊を少し器によそって俺に差し出した。
土魚の卵を食べるのは随分久しぶりだった。なぜなら土魚の卵は獲るのがとても難しいのだ。土魚は植物なのだが、他の妖を食らう。特に卵を付けている間は非情に攻撃的になるので、卵を獲るのは至難の業だった。もちろん市場などで売ってもいるが、その入手困難さから、非常に高額で取引されていた。
「う、うまい…」
俺はゴンの作った土魚の卵入り雑炊を一口食べて、思わず声を漏らした。久しぶりに食べる土魚の卵は想像をはるかに超える衝撃的なおいしさだった。
こんなにも美味しいものだっただろうか。旨すぎて、気を抜くと涙がこぼれそうだ。
「うまいだろ?これ食べたら絶対楓も元気になると思うんだ」
「それにしても、よく土魚の卵なんか手に入ったな」
「ああ、俺、土魚の卵獲るの得意なんだよ」
なるほど自分で獲りに行っていたのか。確かにゴンなら襲ってくる土魚にも太刀打ちできそうだ。
ゴンは早速、楓のところに土魚の卵入り雑炊を持って行ってやった。
「おいしー!」
という声が、楓の部屋(物置)から聞こえてきた。どうやら楓の口にも合ったらしい。ゴンは得意げに居間に帰って来て、自分も土魚の卵入り雑炊を食べた。
しかし次の日、楓は朝から頻繁に厠に駆け込んでいた。どうやら土魚の卵は、口には合ったが、身体には合わなかったらしい。
それでも楓は、一週間もすると、普段通り元気になった。
「元気になって良かったな、楓」
「うんありがとう。風邪なんて久しぶりにひいたよ」
「そしたら楓も復活したことだし、今日は久しぶりに往診に行くぞ。楓は風邪がぶり返さないようにしっかり着こんでいくこと」
三人それぞれ準備を整え、今年初めての往診に向かった。前回の往診から少し日があいていたが、いつも診ている妖たちは皆、息災に過ごしてくれていた。そして往診から帰る途中、楓が急にお腹が空いたと言い出した。
「ねえ、あそこ甘酒って書いてあるよ!」
楓は目ざとく甘酒と書いた旗が出ている店を発見して叫んだ。それは街はずれにポツンとある古い町家づくりの店で、うちにもよく受診に来る『粉舐め婆』がやっている菓子屋だった。
「うっわあ、田舎の駄菓子屋さん思い出すなあ」
楓はついこの間まで寝込んでいたやつとは思えない勢いで店の前まで駆けていき中をのぞいていた。
この店は、日中は人間の子どもたちがやってくる駄菓子屋で、夕方からはあやかしたちのために店を開ける。今の時間はすでにあやかしの店になっていた。楓は止める間もなくあっという間に薄暗い店の奥に消えていった。
仕方なく俺とゴンもあとに続く。
数本の蝋燭が灯されただけの仄暗い店内には菓子が隙間なく並んでおり、天井からも菓子やら玩具があちらこちらにぶら下がっていた。棚の上に置かれた透明で大きな瓶の中には、色とりどりの飴やかるめ焼き、せんべいなどが詰められていて、全て一個から販売可と張り紙がしてあった。
そして店の隅には米俵ほどの大きな篭が置かれていて、その中には少々強面の土蜘蛛が入っていた。その土蜘蛛は『粉舐め婆』の店の一角を借り、その篭の中で綿菓子をこしらえ客に売っているのだ。
これは常連しか知らないのだが、実は綿菓子を注文する際にこの土蜘蛛にお願いすると、雲テイストや絹テイストなど食感を変えて作ってくれる。
その他にも「冷やし雨」という天界の雨を冷やして味付けした飲み物、『酒の神様』の垢で作った「粕てら」、蒸した栗をつぶして妖術で腐らせて作った「栗納豆」、食べようとすると破裂する「銅鑼焼き」、などなど数えきれないほどの菓子で店内は埋め尽くされていた。
この店で売っている菓子はどれも安価なものばかりで、天界で人気の店に並んでいるような雅な菓子はない。しかしこの『粉舐め婆』の店には、名のある神々がわざわざ天界からお忍びで菓子を買いに来ることもあるという。
ちなみに俺がこの店の菓子の中で一番好きなのは、雲を混ぜて作った柔らかい餅の中に、少ししょっぱめのこしあんが入った菓子だ。素朴だが、甘さとしょっぱさの加減が絶妙で、また柔らかい餅の食感は頬っぺたが落っこちるほど旨い。
「ぎゃっ」
急にカエルがつぶれたような声がした。それは、暗い店内の奥に座っていた『粉舐め婆』に気が付いてびっくりした楓の声だった。
「なんじゃ小娘うるさいの」
楓はすっ飛んできてゴンの影にかくれた。
「やあ、粉舐め婆。なんか美味いものある?」
その声を聞いた『粉舐め婆』のしわくちゃの目に、輝きが甦ったのを俺は見逃さなかった。
「あら、ゴンじゃないか。菓子が欲しいのかい。何でも好きなやつ持っていきな」
この『粉舐め婆』は基本的に愛想のない婆なのだが、ゴンだけは大そうお気に入りらしく明らかに俺や楓と扱いが違った。
ゴンのおかげで破格の値段で菓子を買い込み、菓子屋の前で提灯小僧を呼んで家に帰った。
楓が『粉舐め婆』の店で買った菓子の中には、人間の店でも売っている普通の金平糖があった。人間の店で売っているような菓子は基本的にあやかしの店で買おうとすると高いものが多い。
なんでわざわざそんなもの買ったのか聞くと、楓は「昔から好きなの」と答える。
でも楓はその日、その金平糖に手を付ける様子はなかった。
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