#43 不満よりも好意を



 ミキがシャワーを浴びている間に差し入れを冷蔵庫や収納棚に仕舞うと、「今の内に洗濯もしてしまおう」と思いつき、脱衣所へ入る。


 日中寝ている間に着てた服や鈴木に借りてた服を洗うつもりだったけど、ミキが脱いだ服もソコにあったので「洗濯機回すけどミキの服も洗っちゃっていい?」と扉越しに声を掛けた。

 すると、風呂場の扉がガバッと開いて「私がやるからヒロくんは休んでて!」と、すっポンポンで全身ビショビショのままミキが言ってくれたが、「いーからいーから、ミキはバイトで疲れてるんだしゆっくりシャワーしてて」と宥めながら扉を閉めて、ミキのTシャツやスポブラにパンツなど1枚1枚広げながら洗濯機へ放り込んでいった。


 つい先ほどまでミキが身に着けていたTシャツもスポブラもパンツも、汗でジットリと湿っていた。

 それを見ても欲情はしなくて、『俺の体調不良を知り、バイトで疲れてるはずなのに汗で下着がビショビショになる程大急ぎで自転車漕いで駆けつけてくれたミキの愛情』に素直に感謝の気持ちを抱いた。



 明日はミキと話し合いの続きをするつもりでいるけど、ミキが来るまでに色々考えていたことや言いたかったことが、今はとても些末なことに思えてきた。


 お互い不満や不安はある。

 元は他人同士だった二人が、好意を抱いて恋人関係になっただけの関係性なら、あって当たり前のことなんだ。

 もっと深い、例えば夫婦や親子、それに兄弟にだってお互い不満や不安は沢山あるのだから。

 スネたり怒ったり落ち込んだりなんて誰にだって日常的にあることで、根に持つ様なことじゃない。


 それに感情的になって、相手への不満を一々気に留めて「注意しなくては!」と考えるのは只の傲慢だろう。


 確かに最近のミキに対して持て余していたのは事実だけど、今日ミキは自らそれに気付き真摯に受け止め、俺の元へ駆けつけ謝罪してくれた。


 俺は、これ以上ミキに対して何を望めると言うのだろうか。

 それこそ傲慢だ。


 まぁ、話が長いのはちょっとごめんなさいだけど…。

 でもヒトミが言う通りなら、ミキの長話に付き合うのも俺の役目なんだろう。


 兎に角、一時の感情に身を任せて不満をぶつけてしまう様な真似は、もう止めよう。


 ミキは、俺とは絶対に別れたくないと言ってくれた。

 俺だって、ミキとは別れたくない。


 やっぱり、俺の体調不良を心配して駆けつけてくれたことも、自分の態度を反省して謝ってくれたことも、滅茶苦茶嬉しかったから。

 昨日の夜あれだけ不満を溜めこみぶっ倒れるまで飲んで愚痴りまくってたのに、そんなの全部吹き飛ぶくらいに嬉しかった。

 こんなにも俺との関係を大切にしてくれた女性は今まで居なかった。

 ミキだけだ。


 だから今は、『今度は俺の方がミキの為に何かしなくては』という使命感すら感じている。

 小言を言うのではなく、この気持ちを伝えられるようになろう。


 今の俺たちには、不満を言い合うことよりも、好意や愛情を伝えあうことの方のがきっと相応しい。




 ◇




 ミキはお風呂から出てくると、手にドライヤーを持ってローテーブルに鏡を置いて座ったので、「俺がやってあげる。貸して」と言ってドライヤーを受け取り、ミキの背後にヒザ立ちになった。


 髪がまだ雫が滴るほど濡れていたので、ミキが肩にかけていたバスタオルで頭をワシャワシャと拭き取ってからドライヤーに持ち替えて、送風モードで風を当て始めた。


 ミキの柔らかい髪を解す様に手櫛を通していく。


 その間ミキは大人しくて、表情を覗うと気持ち良さそうに目を瞑っていた。


 その表情を見て、『仲直り出来なかったらこの表情は見れなかった。仲直り出来て、本当に良かった』と心底思った。


 このミキとの穏やかな時間は、この先も大切にしていきたいと思える時間だった。




 髪が充分に乾くとドライヤーの電源を切り、目を瞑っていたミキを横から抱きしめて「はい、お終い!」と言ってほっぺにキスをした。


 顔を離すとミキは「ナニごと!?」と言いたげなびっくりした表情をしていた。



「そんなにビックリしなくても」


「だってヒロくんからキスしてくれるなんて、珍しいんだもん!」


「そんなことないでしょ? でも、これからはもっと積極的になろうかな?」


「ええ!?」


 ミキが更に驚いた表情で見つめ返してきたので、再びほっぺにキスして「さ!寝よう!」と言って離れた。




 ベッドに横になり照明を落とすと、ミキが「手、繋いでてもいい?」と聞いてきたので、「うん」と答えて左に寝ているミキの右手を俺から繋いだ。


 俺の体調不良を鑑みて今夜もエッチは無しだったので、同じベッドに一緒に寝るけど、抱き合ったり腕枕はしないで居た。



 暗闇の中、直ぐ傍にミキの存在を感じながら、話かけた。



「バイトの後で疲れてたのに、来てくれてありがとうね。 それと、ミキが自分で反省して謝ってくれたことも嬉しかった。中々出来る事じゃないと思う。それが出来たミキを、尊敬するよ。 ミキのこと、惚れ直した」


 ミキは返事をしなかったけど、握っている手に力がこもった。


 それだけで、俺の気持ちが充分伝わったと思えた。

 やっぱり、不満よりも好意を伝える方のが、良いに決まってる。



 ◇



 翌日土曜日の朝、目が覚めるとミキは俺の隣でまだ寝ていた。

 旅行で体調崩して直ぐに復活したとは言えまだ日は浅く、昨夜はバイトの後、自転車で急いでウチに来てくれたし、昼間も色々と悩んでた様なので心身ともに疲れていたのだろう。

 いくら体力自慢のミキだって、ここ数日無理してたんだと思う。



 ゆっくり寝かせてあげようと思いつつも、ミキの寝顔をじっくり観察していた。


 意思の強そうな眼差しと鼻筋の通った美人顔の為か、普段は実年齢よりも上に見えて気が強そうにも見えるけど、こうしてスッピンで静かに寝ている表情は、年頃の普通の女の子にしか見えないな。



 こうして寝顔を眺めているだけで、愛おしい気持ちが湧いてくる。

『大切にしなくちゃ』って思えてくる。

 けど同時に、心の底がざわついてくる。


 ミキは俺を怒らせたことで別れ話になると危機感を感じた様だけど、俺はそこまでの危機感を感じていなかった。

 今回はミキの方が折れる結果となり反省して謝罪もしてくれたから丸く収まったけど、でも、ミキがもっと頑なになっていたら別れ話になっていた可能性も否定出来ない。

 ほんの少しのボタンの掛け違いで、今頃どうなってたか分からない。


 そこまで思い至っていなかったのは、俺に甘えがあったからだろう。

 それに気付いて、形容しがたい焦りの様な心のざわつきを感じる。


 まだまだ俺自身が未熟だということだろうけど、根底には俺の性格もあるだろう。


 苦手なことや面倒ごとから目を背けたり見て見ぬ振りしたりして逃げるくせに、気に入らないことがあると正論振りかざして相手を非難したり不平を漏らしたり。

 改めて自分のことを省みると、ほんと何様だよって思う。



 でも、この自分のダメなところを今ハッキリと自覚出来たことは、良いことなんだと思う。

 ミキが自分自身の態度を省みて反省出来たように、俺だって反省して改善することが出来るはずだ。


 そう気づかせてくれたのは間違いなくミキの影響だし、そんなミキの存在は俺にとって他の誰よりも大切な物なんだと言わざるを得ない。




「おはよ。ヒロくん起きてたの?」


 考え事してたらいつの間にかミキも起きていた。



「あぁ、おはよ。 起きたらミキの寝顔が可愛くて、ずっと眺めてた」


「体調はどう?二日酔いは治った?」


「うん、もう大丈夫そう。 ミキの方も昨日は大分疲れてたみたいだけど、どう?」


「うん、絶好調だよ。 なんか、ヒロくんが優しくなってる」うふふ


「そう?いつもこんな感じじゃない?」


「うーん、言ってることはいつもと同じだけど、表情が優しくなった?」


「顔は自分じゃ分からないなぁ」



 ベッドに寝転んだまま至近距離で見つめ合って会話をしていると、ミキがそっと顔を近づけキスをしてきた。


 普段から深く考えずに何十回何百回も習慣的にキスを繰り返してきたけど、今朝のはいつもよりも多幸感が強くて、よりミキの昂りを感じるキスだった。







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