第9話 静かな朝

 休日に白銀さんとの食事を済ませた僕はいつもより若干気分が高揚した状態で月曜日を迎えた。


 現時刻は朝の七時前。

 花蓮が毎朝のように起こしに来るようになってから、僕はこの時間には目が覚めてることが多くなった。

 慣れというものは恐ろしい。


 先日一度そんな花蓮をからかってみたいと思い、扉の前で待機しながら部屋に入ってきた花蓮を思い切り驚かした。

 同時に花蓮は悲鳴をあげてものすごい勢いで右手を僕の頬目掛けて振りかざした。

 その結果、その日は左の頬に赤いあざが出来てしまい簑島などから心配されたという記憶がある。


 ああいう風に見えて、昔から花蓮はビビりという性格をお持ちだ。

 特に幽霊とかそういう類はもってのほかだ。

 人間関係とかにはずばずば行くタイプなのに、そういうものは苦手というギャップを可愛いと思ったことは何度もあった気がする。


 今日はカウンターを貰わずに驚かしてみようかなと考えていると、時刻は七時をまわり二分ほどが経過していた。


 いつもなら元気な声と共に部屋の扉が開くのだが、今朝はその気配が感じられない。


 どうしたのだろうと思っていると枕もとのスマホに電話がかかってくる。

 相手は花蓮だった。

 応答するをタップして電話に出る。


「もしもし」

『せいちゃん? ごめん。今日学校休む……』

「大丈夫? 風でも引いたの?」

『そうみたい……今熱計ったら……ごほっ! ごほっ!』


 画面の向こうから激しい咳払いが聞こえてくる。


「わかったわかった。ちゃんと水分補給して寝るように。ノートとかは後でまとめて送るから、無理はしないことね」

『ありがとう……』

「……じゃあまた」


 僕は電話を切ろうとする。


『あ、待ってせいちゃん……』

「どうした?」

『今朝寂しかった?』

「……」


 自分の体調よりもこのことの方が心配なのだろうか。


「……寂しかったよ。花蓮のうるさいあれがないといまいちパッとしなかった」

『そっか……じゃあ早く治さないとね』

「さっきも言ったけど、無理はしないように」

『うん、じゃあバイバイ』


 そうして今度こそ花蓮とのやり取りを終えて電話を切る。


 一体どこまで真っすぐで心配性な女の子なんだ。

 でも花蓮の言う通り、彼女のいない朝はなんだか寂しかった。


 これは好意によるものなのか、ただ単に当たり前が欠けたことによる違和感に過ぎないのかは今の段階では分からない。


 ☆☆


 放課後。

 いつもなら横にいる花蓮を欠いた状態で、久しぶりに白銀さんと二人きりでの帰宅を果たした僕は帰り道に少し寄り道をして近くのドラッグストアに来ていた。


「えっと……これとこれっと……」


 いくつかの食べ物などをかごに入れて会計を済ませる。


 そうして自分の家には帰らず、花蓮の家の前に行きチャイムを押す。

 

『はい』


 インターホンの向こうから一人の女性の声が聞こえた。


「早見星冬です」

『あら! ちょっと待っててね』


 その言葉と共にインターホンが切れるとやがて目の前の扉が開いた。


「星冬君久しぶりね」

「お久しぶりです」


 中から出てきたのは昔に何度も会っていた花蓮の母親だった。

 思えば花蓮はこちらの家族に会いに来ていたが、僕の方から花蓮の家族には一度も会いに行っていなかった。


「花蓮いますか?」

「いるわよ。階段上がってすぐ横の部屋で寝てるわ。ぜひあがってあがって」


 僕は『おじゃまします』という言葉と共に靴を脱いで丁寧に整頓し、花蓮の部屋に向かった。


 花蓮に会いに行くとは伝えていない。

 何となくいきなり会いに行ったらどういう反応をするのか気になってしまったからだ。


 扉の前に辿り着きドアノブへと手をかけて部屋の中へと入る。


 久しぶりに訪れた花蓮の部屋は桃色をベースとした家具等で統一されていた。


 机の上には一枚の写真が飾られていた。

 幼き日の僕と花蓮が肩を組み合って笑いながらピースしている。


 互いの家族総出で旅行に行った時に撮影したものだったろうか。

 記憶が定かではないがなんだか懐かしい気持ちになる。


 それよりも肝心の花蓮が何一つ喋りかけてこない。

 視線をベッドへと移すと、そこには桃色のパジャマ姿で現在進行形で眠っている花蓮の姿があった。

 まだ熱があるのか少し苦しそうである。


 おでこにはおそらく冷えているであろう濡れたタオルが置かれている。


 ベッド横にはそんなタオルを浸すためであろう水が入った桶と体温計が小さな丸テーブル上に置かれていた。

 そこに先ほど買った商品たちが入ったビニール袋を置き、花蓮の寝顔を上から見上げる。


 ……でも、昔もそうだったけど……やっぱり可愛くなったよな。


 僕が何気なく放った一言によって、花蓮は現在の金髪で耳にはピアスといった俗にいうギャルのような見た目になったと本人が語っていた。

 最初は戸惑ったが、元が良いからか今の花蓮はやはり可愛い。


 寝ている病人を起こすのも気が重いので、このまま可愛い女子の顔を少しだけ拝ませてもらってから帰ろうと思った時だった。


「……ん……んぅ?」


 目の前の花蓮は眠りから目覚めようとし始めた。

 そして両目が半開きの状態で僕と目が合う。


「……せいちゃん?」

「いや。別人だ……」


 自分でも意味が分からない嘘をついてみたものの、すぐにそれは花蓮にもばれる。


「せいちゃん? せいちゃんだ!」


 寝た状態のままで半開きだった目はいつも通りに開き僕の視線を捉える。


「どうして来てくれたの!?」

「いや……電話であんな様子だったから……心配したというか……」


 僕は片手で頭を触りながら視線を逸らしてそう言った。


「素直じゃないなぁ! 大好きな人が大丈夫か心配だったって言えばいいのにぃ!」


 花蓮はあろうことか横になっていた状態から勢いよく上半身を起こして僕にしがみついてきた。


「ひ、飛躍しすぎだ! ていうか、体調はもういいのか?」


 なんとか花蓮を引き剝がして聞いてみる。


「せいちゃんのおかげでもう大丈夫になったよ!」


 笑いながら片手でグッドサインを作り花蓮はそう言う。


「……嘘だな。ついさっきまで苦しそうに寝ていたし、顔も少し赤い」


 そう言って僕は置いてあった体温計を『計ってみ?』という様子で差し出した。


「心配性だなぁせいちゃんは……」


 花蓮は面倒くさそうにしながらも体温計本体をケースから取り出す。

 なんやかんや言いつつも結局やってくれることは多い。


「ちょっ! 年頃の男子がいるんだよ!?」


 僕は慌てて花蓮に背を向けるように身を翻す。

 何故なら花蓮はパジャマのボタンを上から外し始めたのだ。

 いくら体温を計るためとはいえど少しは気を使ってほしい。

 徐々に綺麗な乳白色の肌が露になり、あと一秒僕の反応が遅れていたら花蓮の大事な部分が見えていたに違いない。


「え? ああ……まったく気にしてなかった」

「気にしてなかったじゃないよ! 僕は健全な男子高校生なんだよ!?」

「でも見たいとか思わないの? 自分で言うのもあれだけど、私けっこうスタイルには自信あるよ? それに……せいちゃんにだったら……」

「そんなのいいから! はやく体温計っちゃって!」


 花蓮の体が女性として凄い魅力を秘めていることは服を着た状態からでも分かる。


「わかった。わかったよ」


 底知れぬ緊張感が僕を支配している中、数分経過すると背後からピピピという音がした。

 同時に肌身を覆うような音も聞こえる。


 僕は振り返って何度か尋ねた。


「……三六度八分……」

「そうか。平熱だな」

「ちょ、ちょっと!」


 僕は花蓮から体温計を取り上げる。


「僕の目には三七度四分と見えるのだが、気のせいか?」

「…………」

「どうせ心配かけたくないとか考えてるんだろ。僕の前ではそんなもの必要ない。花蓮が昔からそういう性格なのは知ってる。だから無理するな」

「……うん」


 テンション下がり気味の花蓮。

 そんなこともあろうかと僕はとあるものを買ってきている。


「プリンといちごゼリー、どっちがいい?」


 机下にある椅子をこちらに持ってきて座り、ビニール袋からその二つを取り出して花蓮に選択肢を与える。


「え?」

「昔から元気ない時よく食べてただろ。ほら、選んでいいよ」

「……じゃ、じゃあいちごゼリー」

「はいよ」


 袋から小さいプラスチックのスプーンを取り出して一緒に渡す。

 僕は残ったプリンをいただくことにした。


 先に食べ終えた花蓮は『ごちそうさま』と一言だけ言うと布団を被り横になった。

 その後同じように食べ終えた僕は長居してもどうかと思ったので帰ろうと椅子から立ち上がる。


「他にも色々買ってあるから必要な時に食べるなりしてくれ」


 そう言葉を残し部屋を後にしようとする。

 

 しかしそんな僕の動作を止めるように、花蓮の手が布団下から現れスッと僕の手首を掴む。


「……?」

「も、もう少しだけ一緒にいて……」


 花蓮は目を逸らしたまま小さな声量でそう言った。


「わかった」


 僕は再度椅子に座る。


「……手、繋いだままがいい……」

「……こう?」


 手首を握っていた花蓮の片手は僕の両手に包まれる。


「うん……」

「……今日はありがとう」

「だから気にしなくていいって」


 その後は花蓮が完全に眠りに落ちたことが確認できるまでこうした。

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